かつて凡人だった男の成り上がり生活   作:飢堕天

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主人公の容姿ですが、Fate/strange Fakeの小野友樹がcvを務めるセイバーで、髪の色を白髪、瞳を蒼玉色にした感じです。


6話

ダンジョン——迷宮都市オラリオが保有する世界に一つしかない地下迷宮。数多の階層にわかれ、凶悪なモンスターが跋扈する非常に危険な領域。

一般市民はまず立ち入ることすらできず、ダンジョンに挑む資格があるのは【神の恩恵】を授かった者のみ。

そんな危険地帯の一階層に、俺は今足を踏み入れた——。

 

(空気が重い......)

地上と比べて重圧感のある空気に自然と緊張感が高まる。

足音をできる限り消し、周囲への警戒を強める——まるで敵国の本拠地へ偵察に赴く暗部が如き様相で探索を進める。

 

 

ビキビキ......

 

「きたか......」

 

探索を開始して少しした頃、初めの試練が俺の目の前に姿を現した。

 

其のモノは、人間と同じように二本の脚と腕を有していた。

其のモノは、黄色味を帯びた人間の肌ではなく緑色の肌であった。

其のモノは、純然たる殺意だけをこちらに向けていた。

 

其のモノの名は『ゴブリン』——古代よりの対敵者がこちらに牙を剝ける——。

 

「ギギャッ!!」

 

ゴブリンは、俺を視界に入れるとすぐさま攻撃を仕掛けてくる。

 

ゴブリンの右手がこちらへ迫ってくる。

左後ろへバックステップを踏むことで、その攻撃を躱す。

今度は左手が俺の胸元に迫ってくる。

その攻撃に対し、俺は右後ろへバックステップを踏むことで躱す。

 

何度もゴブリンが攻撃を仕掛けてくるが、それらを俺は躱し続ける。

攻撃を仕掛けてくるのはゴブリンからのみで、こちらからは一度も攻撃を仕掛けていない。

理由は単純——観察するためだ。

 

最弱モンスターと言われるだけあって、ゴブリンの攻撃速度はそこまで速くなく、【神の恩恵】を授かったばかりの俺でも十分に対応することができる。

それに、攻撃自体がひどく単調だ。

これまでの攻防の中で、フェイクを入れてくる攻撃は一度もなかった。

つまり、理性なきモンスターは『殺戮衝動』のみが行動原理であり、そこに『手段』という殺しにおける重要なファクターは介在していない。

故に、行動が読みやすい。

どこを狙っての攻撃か、次に起こすであろう行動......。

これらを読み解くことで、より正確な対処を行うことができる。

 

(——もう十分観察することはできた。そろそろ終わらせるか)

 

俺は、ゴブリンの攻撃を躱すと同時に蹴りを入れて、一度ゴブリンと距離を取ると、剣を構える。

右足を前に出し、左足は後ろへ下げる。

腰は低く下ろし、左手に持った剣を顔の横に水平に構え、右手を剣先に添える。

 

「ギギャーーッッ!!!!」

 

なかなか攻撃を当てられないことに腹を立てたのか、ゴブリンは怒りの様相でこちらに突撃してくる。

対して、俺は構えたまま動かない。

 

——ゴブリンとの距離が近づく。

それでも俺はまだ動かない。

 

「ガァァ――!!」

 

ゴブリンが攻撃モーションへと移行した、その瞬間——

 

「フッ——」

 

右足を前へと強く踏み出し、今出せる最速を以てして、剣をゴブリンの喉元へと突き出した。

 

——一撃必殺

 

無駄なアクションは踏まず、一撃で仕留める。

結果は見事に俺の剣がゴブリンの喉を貫き、ゴブリンは魔石だけを残して肉体を灰へと変えた。

 

 

攻撃時、別の動作を同時にすることはできない。

先ほどの観察によって得られた知見だ。

とはいえ、それは絶対ではない。

より強者ならば、攻撃する際に別の動作も同時に行うことはできるかもしれない。

だが、仮にできたとしてもその精度は格段に落ちるだろう。

故に、今回のような攻撃は誰が相手であろうと有効となる。

 

「じっくり観察したのは正解だったな。今回の一戦で得られた知見は今後の戦闘でも必ず役に立つ」

 

考察を終えた俺は、初めて倒したゴブリンからドロップした魔石を拾う。

拾った魔石は、【亜空間庫】から取り出した魔石を入れるための袋——魔石袋に入れて再び【亜空間庫】に収納する。

 

「【亜空間庫】、やっぱり便利なスキルだな」

「だが、このスキルが他人に知られると、絶対に厄介なことになる。そのためにもやっぱり人目のある所では魔石袋は腰にぶら下げて、リュックは背負っておくべきだな」

 

ダンジョンに潜る際、俺はリュックを背負い、魔石袋は腰にぶら下げていた。

理由は、レアスキルである【亜空間庫】を他人に知られないためだ。

だが、今は周囲に誰もおらず、人の目に付くこともないため、リュックも魔石袋も【亜空間庫】へ収納している。

当然、収納しているのはダンジョンにいる間のみで、探索を終えて地上に帰る際にはまたリュックを背負って、魔石袋を腰にぶら下げるようにする。

 

「さて、それじゃこのまま探索を進めるか」

 

魔石を回収し終えた俺は、再びダンジョンの奥へと歩みを進めた。

 

————————————————————————————————————————

 

「くっ——」

 

殺意ある手が俺の顔に迫る。

俺は顔を逸らすことで攻撃を回避しようとするが、完全に回避することはできずに攻撃が頬に掠り、そこから血が滴り落ちる。

 

「さすがにコボルト四体を同時に相手は厳しいな」

 

コボルト——ダンジョン一階層に出没する小柄で人狼のような姿をしたモンスター。

コボルトは、ゴブリンに次いで弱いとされているが、鋭い牙や爪による攻撃は、耐久値の低い俺の肉体を容易に傷つける。

今の俺の身体は、所々に鋭利な何かで掻っ切られたような痕跡がいくつかあり、その様相が自身の置かれている状態を示している。

 

「ふぅ......」

 

(——いったん落ち着け)

一度、コボルト共から距離を離し、精神を落ち着かせる。

 

(——まず、コボルトは四体いるが、何も四体同時に相手する必要はない。間合いを上手く活用して、一対一に持ち込む。そうすれば、比較的戦いやすくなるはずだ)

(とはいえ、状況が不利なことには変わりない......)

 

(——よし、魔法を試してみるか......)

 

この不利な状況を突破するために、魔法の使用を行う。

 

「我が惨禍は、終末を告げる——」

 

詠唱式を唱える俺。

しかし、当然魔法を発動させる猶予など与えてくれることはなく、コボルトは攻撃を仕掛けてくる。

 

だが、俺にとっては問題ない。

もしも、俺が使う魔法の詠唱式が長文ならば唱えるのは困難だっただろう。

だが、俺の魔法は短文詠唱。

故に、コボルトの攻撃がこちらに直撃する前に詠唱は完了する——。

 

「——アバドン」

 

魔法名を唱えた瞬間、身体の奥底から力が湧いて出てくるのを感じる。

 

俺の魔法は、被ダメージを攻撃力・防御力・敏捷力に変換する強化魔法。

つまり、これまでにコボルトから受けたダメージが俺の力へと変換された。

とはいえ、変換されたと言っても、倍率は被ダメージ量に比例する。

故に、コボルトからダメージを受けたと言っても、そのダメージ量は微量であり、強化倍率はそこまで大きく上昇していない。

 

だが、強化されたことには変わりなく、この戦いのレベルならば、この程度の強化でも十分やれる。

 

「グォォァ——!」

 

目前にまで差し迫ったコボルトの鋭利な爪。

それを後ろにジャンプすることで避ける。

そして、そのまま攻撃が空振りに終わったコボルトの腹へ目掛けて回し蹴りを決め込む。

回し蹴りの直撃を受けたコボルトは後方へと吹き飛び、後ろにいたコボルトにぶつかる。

吹き飛んだコボルトとぶつかったコボルトはともに地面に転がる。

その影響で、コボルト共の大勢が瓦解する。

 

四体中、こちらに攻めてくるのは先ほど転がった奴らを除いた二体。

だが、その二体は並走しておらず、少しばかり間が存在する。

 

先にこちらに接近してくるコボルトは、右腕を振り伸ばし、鋭利な爪を突き刺す攻撃を仕掛ける。

だが、俺は強化された敏捷力を活かして、迫りくる鋭利な爪がこちらに届く前に剣をコボルトの喉へと突き刺す。

そして、その勢いを利用して、次に接近してきた二体目のコボルトに向かって、剣を突き刺したコボルトの腹を蹴り離す。

すると、二体目のコボルトは蹴り飛ばされたコボルトの勢いに踏ん張りがきかずに後方へと転ぶ。

俺は、その機を逃さず、すぐさま転げたコボルトに近づく。そして、コボルトの額に剣を突き刺し、剣が脳みそを貫通したことで絶命した。

 

——残りは二体。

 

俺はすぐさま態勢を整える。

残りの二体のコボルトも既に起き上がり、こちらに迫ってきた。

俺は、先ほどと同じ要領で残りの二体も対処した。

 

 

「——ふぅ、何とか四体とも倒すことができたな」

 

戦闘を終えた俺は、息を整えながら先ほどの戦闘を振り返る。

 

(——さっきの戦いで、間合いの重要性は理解した。今後の戦いでは、間合いを意識していこう)

 

それと......初めて使用した魔法。

使い勝手はとても良い。

まず、コスパがいい。今も継続的に魔力と『精神力(マインド)』が消費されているのを感じるが、その消費量はごく僅かだ。これならば、余程のことがない限りは『精神疲弊(マインドダウン)』することもないだろう。

次に、詠唱式が短いからすぐに発動できる。

俺の戦闘スタイルは、剣を使った近接戦闘。そのため、長文よりも短文の方が合っている。

そして、最後に魔法の効果だ。

俺の魔法は今みたいな逆境時には非常に重宝する代物だ。

 

そんな魔法だが、分かったことは三つある。

まず、一つ目が消費される魔力及び精神力は、変換量に比例するということだ。これは、変換するダメージ量が多ければ多いほど、魔力及び精神力が消費される。

まぁ、これに関しては当然のことと言えるだろうな。

次に、二つ目は被ダメージを攻撃力・防御力・敏捷力に変換した際、肉体の損傷が修復されるわけではない。つまり、受けた傷はそのままだということだ。

そして、最後に三つ目は被ダメージを変換した際、傷と同様に痛みもそのまま残っている。このことから、痛覚はダメージに含まれないということが判明した。

 

「んー、俺の魔法は使い勝手はいいが万能ではない。いくら強化されたところで、その強化倍率は被ダメージ量に比例する。つまり、重傷を負えば、それだけ強化されるわけだが、傷や痛みが治るわけではないから動きに支障が出て、場合によっては強化が意味を為さないかもしれない」

 

(——それに、この魔法の効果が発揮されるのは傷を負ってからだ。傷一つない状態では、魔法を発動したところで強化はされない)

 

「とはいえ、強化するために自傷するわけにもいかないし......」

 

となれば、今必要なのは——治癒能力と【アバドン】に頼らない自力の強化。

本来、治癒や自己強化は【ステイタス】に魔法やスキルという形で発現するのを期待するしかない。だが、そんな都合よく発現することはないだろうし、あるかもわからない可能性に期待するほど俺は理想に生きてはいない。

なら、答えは一つ——自力で身に着けるしかない。

 

「やることは決まった。だが、ダンジョン内で修練するわけにもいかないし、今はとりあえずダンジョン探索に集中して、修練は帰ってからにするか」

 

方針を決めた俺は、再びダンジョン探索を開始した——。

 

 

——ダンジョン探索を終えた俺は、魔石を換金するためにギルドに赴いている。

 

「下層に行けば行くほど、モンスターの出現率は上がるってエイナさんは言ってたけど、上層でも結構な数と遭遇したな」

 

魔石がいっぱいに詰め込まれた魔石袋を見ながら、そんなことを呟いた。

 

方針を決めたあの後、ダンジョン探索中にモンスターとの交戦を何度も行った。

遭遇したモンスターはほとんどが複数体同時だったため、対集団戦闘を余儀なくされた。

だが、その分戦闘経験を多く積むことができたし、結果的には自分のためになったと言える。

 

そうして今回のダンジョン探索を振り返っていると、いつの間にかギルドに到着していた。

 

ギルドに入ると、受付にはエイナさんがいた。

——が、俺は受付には寄ることなく、一直線に換金場に向かう。

なぜなら、初日でこれだけの量の魔石を稼いだということは、それだけ戦ったということでもある。それをエイナさんに知られてしまうと......

 

「考えただけでも恐ろしいぜ......」

 

エイナさんに知られてしまった場合を想像しただけで、背中に嫌な汗が流れる。

 

故に、俺はできる限り気配を消して、換金場に向かう......。

しかし、現実は非常である——

 

「あっ、天くんっ!」

 

俺を見つけたエイナさんは、俺の名前を呼びながらこちらに手を振ってくる。

 

Oh......ジーザス......

ヘスティア......神の加護はどうした......

俺はお前を信じていたのに......

 

呆気なく見つかった俺は、換金場に行くのをやめ、重い足取りでエイナさんがいる受付へと向かう。

 

「ただいま帰りました、エイナさん」

 

「うんっ、おかえり天く...ん...」

 

エイナさんは俺の挨拶に返答しながら、こちらを見て固まった——正確には、俺の出発前にはなかった傷を見て......

 

「そ、天くん!その傷どうしたのっ?!」

 

エイナさんは、焦った表情でこちらに向かってくる。

 

(やっぱりこうなったか......。——まぁ、仕方ない。今日あったことを正直に話すか......)

 

その後、俺はエイナさんから貰った回復ポーションで傷を癒した。

そして、無事回復した俺はエイナさんに今朝研修で使用した一室に連れていかれると、ダンジョンで何があったのかを問い詰められたので、正直に話した。

 

「なっ?!どうして一階層でそんなにモンスターと遭遇したの?!」

 

俺の話を聞いたエイナさんは、驚きの表情でそう訊ねてくる。

 

「それは俺にもわかりません」

「ですが、エイナさんの反応から察するに、普通は一階層じゃここまでモンスターと遭遇することはないんですね」

 

「......そうだね。一度に複数の個体と遭遇すること自体はある。それでも三・四体が最大なの。けど、天くんは一度に五・六体もの数のモンスターと遭遇して、それが複数回あったんだよね」

 

「はい」

 

「そんな話、少なくとも私は聞いたことがない......」

 

「そうですか。となれば、今回俺が経験したのは——イレギュラー......である可能性が高いかもですね」

 

「そうだね。状況から見てもそれが一番可能性が高いかもしれないね......」

 

それから、エイナさんは片手を顎に当てて悩まし気な表情で考え事をしだした。

 

少しして、考え事が終了したのか、エイナさんは真剣な表情でこちらを見る。

 

「ねぇ、天くん。やっぱりパーティを組みべきだと思うの」

 

エイナさんの言葉を聞いた俺は、やっぱりか......と感想を抱く。

 

「エイナさんが言いたいことは分かります。たしかに、ソロでのダンジョン探索はパーティでの探索に比べて一気に危険度は増します。それは俺も重々承知しています」

 

「ならっ——」

 

エイナさんが何かを言おうとした、が俺はそれに被せて話を続ける。

 

「ですが、俺はそれでもパーティを組む気はありません」

 

俺は、毅然とした態度で自身の思いを告げる。

 

「どうして......だって、君は今日危ない目に合ったんだよ!?今回は何とかなったからよかったけど、次にまた同じような状況になった時に、今回みたいに上手くいくとは限らないんだよ?!」

 

悲哀に満ちた表情のエイナさんは、それでも俺を説得しようと言葉を尽くす。

 

「ダンジョンは危険な場所なの!何が起こるか分からないの!それは今日ダンジョンに潜った君が一番わかってるでしょ?!」

 

エイナさん言っていることは理解できる。

俺が今回生きて帰ってこられたのは魔法があったからだ。

もし、俺に魔法が発現していなければ、俺はすでにダンジョンで朽ち果てていたかもしれない。

それほどまでにダンジョンというのは死を感じさせる場所だった。

だが——

 

「君のことが心配なのっ」

「......私はこれまで、帰ってこなかった人たちをたくさん見てきた......。天くんには、そんな目に遭ってほしくないの......」

「だから、お願い......。自分から危険に飛び込むようなことはやめて......」

 

絞り出すように訴えるその声。

彼女の目尻から、一滴の涙が静かに頬を伝った。

彼女の緑玉色の瞳には、心からの想いが宿っていた。

それが痛いほど伝わってきて、俺は......思わず、目を揺らした。

けれど。

それでも——彼女の言葉に頷くことはできなかった。

 

「......俺には両親が居ません」

 

「......えっ?」

 

突如放たれた言葉に、エイナは目を瞬かせ、言葉を失った。

戸惑いの色を浮かべる彼女とちらりを一瞥すると、俺は静かに目を伏せて、自身の過去を少しだけ語り始めた。

 

「......俺の父親は、俺が三歳の頃に他の女を作って家を出ていきました」

「母親は、少し前に俺を置いて姿を消しました」

「.....つまり、俺は二人に——両親に捨てられたんです」

ぽつり、ぽつりと落とす言葉は、どこか他人事に感じる。

 

「でも、悲しくはありませんでした。むしろ親から解放されたことによる喜びと安堵の方が大きかった。なにしろ、親と過ごしていた頃は......毎日のように虐待を受けていましたから」

静かに語りながらも、その奥底に沈殿しているものは——深く、暗いものだった。

 

「俺はそんな環境で育ってきたんで、信じられないんですよ——他人を」

 

「——っっ!!」

 

その瞬間、エイナの心が何かに貫かれたように、強く震えた。

彼の瞳を見た。

けれど、それは......それは、言葉にならないほどの深い澱みと痛みを孕んでいて——

 

(——こんな目をする人、今まで見たことない......)

(いったいどんな人生を歩めば、こんな瞳になるの......)

 

まるで底の見えない深淵のようなその目に、思わずエイナは目を逸らしそうになる。

だが——

 

(——だめよっ。今ここで目を逸らしたら、きっとこの人は......もう二度と誰とも向き合えなくなってしまう)

 

エイナは、一度目を閉じると、ゆっくりと息を吸い込んで吐き出した。

そして、逸れかけた視線をもう一度、彼の瞳へと戻した。

 

色のない、澱んだ蒼玉の瞳。

それと、、彼女の緑玉色の瞳が、真っ直ぐに交差する。

 

——静かな時間が流れた。

 

(強いな。エイナさんは......)

(さっき、目を逸らしてくれていたら......俺はこの関係を終えることができたのに)

(でも......この人は、それをさせてくれない)

 

彼女の瞳には、ためらいも恐れもあった。

それでもなお、逸らすことなく、俺の目を見ていた。

 

 

「......俺は他人を信じることができない」

「たとえその人がどれほど善人であろうと。どれだけ俺を想ってくれていてようと。そのことを理解したとしても——」

「——それでも俺は、信じることができないんです......」

(エイナさんも......それにヘスティアも。

どちらも、俺を想ってくれている。......その心が本物だということは、俺にもわかる)

(けど——理解したからといって、それは疑いの目を向けない、ということとは違う)

(彼女らが優しいことを知っている。

決して俺を見捨てないこともわかっている。

彼女らの想いが嘘偽りないものだと感じている......)

(それでも、俺は——疑ってしまう)

(自分への自信の無さが、彼女らに懐疑的な目を向ける......)

(自分の心の弱さが、まだ訪れてもいない『裏切りの未来』を勝手に描き出す......)

(——だから俺は)

「......だから俺は、一人を選びます」

 

 

(......私が何を言っても、きっと今の彼には届かない)

彼の目を見て、エイナは悟った。

「......わかったよ。君がそこまで言うのなら、私は君を止めない」

彼女の声はかすかにふるえていた。

それでも、精一杯、笑みを繕いながら、強く、言葉を紡ぐ。

「......でも、これだけは約束して。——必ず、生きて帰ってくるって」

エイナは、涙を枯らした瞳に、不安と......ほんの少しの希望を宿して、切に願った。

 

「——っ」

彼女のその姿に、天は息を呑んだ。

彼女の瞳は、揺らいでいた。

不安、心配、焦燥、葛藤——

それでも、どこかに、希望や期待といった光も微かに宿している。

矛盾するいくつもの感情が綯い交ぜになったその眼差しは、しかしどこまでも真っ直ぐで、純粋だった。

 

(......どうして、そこまで俺に向かおうとする?

会ってまだ一日も経っていない......そんな奴に向ける眼差しじゃないだろ......)

 

——理解ができななかった。

どうして、そこまで他人を想えるのか。

あれだけ拒絶の態度を向けられてなお寄り添おうとするその在り方が......。

 

(でも......)

心の底から湧き上がる声が、理屈を打ち消すように叫ぶ。

(これは違うだろっ!)

(どんな理由があろうと......優しい彼女を泣かせていい理由なんて、どこにもない!)

(純粋な彼女の笑顔を、俺が奪っていい道理もどこにもない!)

(俺の過去も、傷も、彼女には関係ない)

(だからこそ、俺のこの醜い自己満足を、彼女に押し付けるわけにはいかない......)

(......でも、俺は弱い)

(こんな弱い俺じゃ、彼女の不安を拭ってあげることもできない......)

(でも——だったらせめて!

彼女に少しでも安心してもらえるように——“必ず生きて帰ってくる”って......それくらいの約束は誓って見せろっっ!!)

(——俺は男だろうがっ!!)

 

「——わかりました」

 

自信があるわけではない。

不安が消えたわけでも、何かを乗り越えたわけでもない。

(......でも、俺にも男としての矜持くらいはある)

(だから——)

「たとえどんな目に遭おうとも、必ず——貴女のもとへ帰ってきます」

 

——それは、心の奥底から絞り出した、たった一つの誓いだった。

 

 

彼の声音は静かだった。

だが、その言葉に宿った熱は、確かに胸を焼いた。

先ほどまでの迷いや弱さは、もうそこにはない。

彼の蒼玉色の瞳は、真っ直ぐにエイナを見つめ、

その眼差しは、まるで剣のように真っ直ぐで、揺るぎない覚悟を映していた。

 

(——っ)

 

その目に射抜かれた瞬間、胸の奥がぎゅっと締め付けられた。

熱が込み上げる。鼓動が早まる。

(......こんな顔、見たことない)

さっきまで、あんなに弱弱しくて、自身なさげだった彼が——

今は、まるで別人のように、強い眼差しで自分を見つめている。

真っ直ぐで、真剣で、そして......どこか優しさの滲む瞳。

 

「............」

 

その視線を正面から受け止めることができず、エイナはそっと目をを逸らした。

そうして俯き、言い知れぬ気恥ずかしさに戸惑っていると——

 

「エイナさん」

 

「な、なにかなっ?!」

 

突然、名前を呼ばれた彼女は肩を跳ねてさせた。

不意打ちのようなその一声に、心臓が跳ねる。

 

「こんな俺を......心配してくださって、ありがとうございます」

 

彼のその言葉に、エイナは目がぱちりと瞬いた。

けれど次の瞬間には、ゆるやかに瞼を下ろし、穏やかな表情でふんわりと微笑む。

 

「ふふっ、どういたしまして!」

 

その微笑みは、どこか安心したようで、ほんの少し照れくさそうだった。

 

だが——

 

「だ・け・どっ!」

 

彼女は指をぴしりと立てると、彼の胸元をつつきながら言った。

 

「自分のことを“こんな”だなんて言ったらだめだよ!」

 

頬を少し膨らませながら りつけてくる

しかし、怒った顔はまったく怖くない。

むしろ、可愛さすらある。

 

「あはは、分かりました。以後気を付けます」

 

「よろしいっ!」

 

俺が苦笑を浮かべて反省の意を示すと、彼女はふっと力を抜くように表情を緩めた。

先ほどまでの怒りも、不安も、焦燥も、葛藤も、すべてがほどけていくように——

優しく、穏やかな微笑みを浮かべる。

それはまるで、春の陽だまりのように、あたたかくて、眩しくて——

 

「——綺麗」

 

思わず、ぽつりと零れていた。

 

一瞬、時間が止まったような感覚があった。

 

その言葉を耳にしたエイナは、ふと動きを止めた。

ぱちりと瞬きを数度繰り返し、ようやく言葉の意味が理解できたのか、頬がみるみるうちに朱に染まっていく。

 

「......へっ?」

 

間の抜けた反応。けれど、それが彼女の戸惑いを物語っていた。

 

「......ん?」

 

エイナの様子に天も首を傾げる。

だが、ほんの一拍遅れて——自分が何を言ったのかに気づいた。

 

「え......あ、いや、今のは......!」

 

その瞬間、天の顔にもパッと赤みが広がり、視線を泳がせながらしどろもどろになる。

お互いに言葉を失い、気まずい沈黙が場を支配した。

エイナは俯き、耳まで真っ赤に染めながら袖の端をぎゅっと握りしめ、

天もまた、気まずさに顔を伏せたまま、じっと靴先を見つめていた。

 

「......あの、エイナさん」

 

気まずい沈黙で止まっていた時間は、天の声によって再び動きを取り戻す。

 

「な、なにかなっ」

 

反射的に声を返すが、その声はどこか裏返り気味で、まだ火照った頬の赤みは消えない。

 

「さっきのは、その......咄嗟に出た言葉なんです。だから、あまり気にしないでください......」

 

天は、あわよくば黒歴史として封印できないかと、どこか必死に言い訳めいた声でそう言った。

 

「......わ、わかった」

 

エイナは顔を真っ赤にしたまま、もじもじと身体を揺らしながらも小さく頷いた。

だが——

 

(......絶対わかってないだろ)

 

(うう~......“気にしないで”って言われても、あんなこと言われて気にしないなんて無理に決まってるじゃないっ、天くんのバカっ)

 

エイナの内心は、しっかりと言葉の余韻に囚われていた。

どうやら、“なかったこと”にするのは......少し、難しいようだ。

——その場に、二人の心臓の鼓動だけが、やけに大きく響いていた。

 

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