※本作は狂気太郎先生のカイストシリーズの二次創作です。
 本作に出てくる名称・設定等は私の独自解釈であり非公式のものであるため、原作及び原作者様とは一切の関係がありません。
 本作について原作者様に伝える・話題に出す等、原作者様にご迷惑がかかる可能性がある行為は必ずお控え頂くようお願い致します。


カイストシリーズが好きすぎて気づいたら書いていました。
日の目を見ないCクラスのカイスト達による誰にも注目されない戦いが始まる!
原作キャラは出てこないのでご安心を!(名前だけ出ます)

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Cクラスカイストの紀行

 

 

マローセットは弱いカイストだった。

 

弱いというのは実際の戦闘力の話で、さすがに一般人に力負けする程の虚弱では無いものの、Cクラスのどんな戦士にも勝てはしなかった。

彼は我力防壁を殆ど持たず、物理法則の無視や高速戦闘もできない。

カイスト基準でどれほど弱いのかと言うと、最初の転生を終えて高々数百年の研鑽を積んだだけの若輩者とそう大差が無かった。

約五億七千万歳にしては他に類を見ない弱さだった。

 

どんな道を極めるにせよカイストには力がある。

それは強さのみを求める戦士に限らず、他のカイストからの自衛の為であったり、世界の仕組みを解き明かす危険な実験を成し遂げる為だったり、単に進む旅路の脇にたまたま落ちてる強さを拾う場合もある。

 

マローセットは魔術士では無い。

だが強さを目的としない探知士や検証士でも無かった。

 

マローセットには目標があったのだ。

戦争による飢餓というカイストにとって有り触れた出立を持つ彼の進路は他の戦士達とは全く異なった。

大体の男達が守る為、あるいは復讐の為に魂を磨くが、マローセットにはそこに触れるどころか近寄ろうという発想すらなかった。

 

既存のどんなカイストとも被らない……。いや、それは分からないが、とにかく物珍しいのは間違いなく、彼はいわば調理士とでも呼ぶべきカイストだった。

これは何の比喩でもなくただの料理人ということだ。腹が空いた反動で料理をしている内に時間が足りなくなったのだ。

 

マローセットは自ら弱さを選択した。

彼の舌は精妙だが、下手に強くなると食材の成分が齎す影響を体が勝手に遮断してしまう。発汗性等の生理作用も味に関係するのだ。

食事についてだけは例外にすることも考えたが、それ以上に正確に繊細であり続けることを貫いた。

 

 

四千世界の全てに違う環境があり、食材があり、料理に対する考え方がある。

 

 

惑星と文明が滅ぶとき食文化も同様に消滅する。殆どのカイストはそれを気にしない。

マローセットそうなる前に究極の一皿を探さなくてはならなかった。

 

文明の最盛期には当該地の食文化は集大成を迎え、文化の極みとも呼べる料理の数々が生み出される。

彼は、滅亡後も残る技術や遺物とは異なる、賞味期限付きの文明の副産物を舌に納めてきた。

そうしなければ我慢できなかったからだ。

 

マローセットを既存の枠組みに無理やり当てはめるとすれば、彼は料理専門の検証士とも呼ぶべき存在だった。

ただし後から掘り起こすような事はしない。

本物の検証士と違う点は、自ら食材を探し、食文化を学び、積極的に現地人とも関わり、自分の舌を満足させることがマローセットの目的であり欲望だった。

つまり到達点は、人間に近い感性のままで究極の一皿を味わうことだった。

 

現れては消える数多の食文化の蒐集の果て、これ以上の味が無いと確信した時、彼はそのまま消え失せるつもりでいた。

 

約五億七千万歳のマローセットの孤独な旅路に先人がいたかは不明だが、とにかく後に続く若者がいない事だけは知っていた。

 

 

 

 

 

 

ある時のマローセットは、特にこれといった特徴のない中世程度の文明の王国で流しのシェフをしていた。

構造的にも没個性で取り立ててカイストの注目を浴びない平凡な宇宙型の世界だ。その内の惑星のひとつで庶民に紛れて生活をしていた。

 

「それでは駄目だ。マリアージュしない」

「はい。スーシェフ」

「温度によって食材への塩の入りは変わる。塩は最も基本にして重要な調味料だ。全ての食材に味を与えるものが塩だと覚えなさい」

 

マローセットが指導を授けると、若い見習いのコックは素直に頷いた。

彼は現地独自の調理法に干渉するのは好まなかったが、全ての料理に共通する基礎的な概念についてはよく教育した。

 

「スーシェフ、小匙半分だけ加えます」

「それでよろしい。塩なしでは味覚は機能しない。味わってように感じてもそれは香りを嗅いでいるに過ぎない」

 

色褪せたブラウンジャケット。

多少若く見えがちな中年の風貌。

 

マローセットの容姿は平凡そのものだった。中肉中背で、背は平均よりやや高い。

元はブロンドだった髪は加齢で濃いブラウンに色に落ち着いている。

もう十歳も若い容姿ならきっと女の関心を引いただろう。

 

狭い厨房では十数人が慌ただしく行き交っていた。

ここ数百年の仕事は王国のとある高名なレストランの切り盛りである。こうして気まぐれに市井に入り込むのは、マローセットがよく使う手だった。

これは戦士でいう護衛の様な仕事で、カイストとして百年単位で引き受ける場合もあれば、たまたま立ち寄った店の味に興味を引かれて、その店のシェフが寿命を迎えるまで弟子として学ぶこともあった。後者の場合、相手は死ぬまでマローセットをカイストだと知らない。

 

 

マローセットは生きている時間の大半をこうした諸国漫遊に費やす。

四千世界の様々な国で他人の料理を食べて学びを得るのだ。

 

単純な料理の腕でマローセットに勝てる人間はいない。しかし、腕さえ良ければ良いレシピを思い付くわけではない。

数万年も彷徨い歩き、良い着想を得られたと感じた時には、数十万年厨房に閉じ籠もって盗んだ味をひたすら掘り下げる。

終生はその繰り返しだった。

 

旅は新たな食材探しも兼ねていて、食べられそうなものなら何でも口にしてみた。

動物。植物。無機塩基。その世界固有の法則を持つ生物。魔術士が気まぐれに作り出した魔獣。

その排泄物すらも舌に乗せる研究対象だ。そしてその排泄物が混じった土壌で育てた作物や動物も食べる。その土壌自体も味わってみる。

時には温度が味に与える影響を感じる為、馬鹿なこととして、溶鉄を飲んで死ぬこともあった。

 

マローセットは弱いのだ。我力のほぼ全てを食材の分析と脳内の献立の整理に使っている。

 

素材候補に返り討ちされて死ぬ事も度々あるが、生死に執着が無いぶん魂のダメージは少なく、死なないことより早く蘇ることに力を入れていた。

 

「人の舌は差を美味いと感じる。均一では駄目だ。君たちの舌は四千世界の基本的な人類と同じ構造をしている」

「はい、スーシェフ」

「ソーシエならば常に厨房全体を掌握。それぞれのコミの出来上がりを確認。ソースの塩分濃度を忘れる罪は、殺人よりも重い」

 

中年のコックは緊張した面持ちで持ち場に戻った。

 

マローセットは周囲に自分がカイストだと隠していない。

特別宣伝して回るわけではないが、文明管理委員会の管理下でも無ければわざわざ秘匿する意味は無かった。

 

時々、厨房を離れた老人がマローセットを訪ねることがある。そうすると決まってこう口にする。

 

『驚いたぞ。あんたまだやってたのか。一体何歳なんだ』

 

必竟、延々と同じ顔のシェフが生きてることになり、大抵の場合はひどく噂される。

マローセットは自身の目的に傾倒しがちなカイストという人種の常として、そう言った常識の枠組みには敬意を払わない。人目を気にして煩雑を避けて国を転々とするような面倒はしない。

不死性に目を付けられて厄介ごとに巻き込まれることもあるが、何億年経とうが改善の気配は無かった。

 

マローセットはこの国の建国時から二千年も国内をうろつく胡乱な生きた伝説だった。

 

幸い、この王国に住んでいる者たちは皆勤勉であり奇妙なカイストという存在を受け入れる柔軟な人種だった。

彼は自分が満足するためなら他人の腕も舌もよく使った。最終的な目的は食べる事であり料理を作るのは極論誰でもいい。ただ自分の腕が一番良いから料理をしてるに過ぎない。

 

「他人が祝宴で作ってくれる料理も、皆で笑いながら食べる料理も、最愛の人が用意してくれる料理もそれなりに美味いだろう。だが求めているのはそうでは無い。一人の寂しい老人がふとを立ち寄ったとしても、深い満足と共にこの店を後にする。そんな味を目指せ」

 

マローセットは真剣に教えを乞う新参の後任者達にこう言い聞かせた。

これは彼自身のことである。

 

 

 

 

昼過ぎごろ、レストランに突然に無作法な客が現れた。

客席に出すコースの皿が一通り完成し、あとは仕上げと提供を待つばかりの、コック達がほっと一息入れる時間帯だった。

 

ヴィアンド……コースのメインとなる肉料理には赤いソースがかかり、仕上がりよりもかなり早く引き上げたブルーの肉塊が載っている。

ボリュームは別にせよ完璧な仕上がりだ。

 

付け合わせはまだ痙攣を続ける人間の瞼の筋肉と眼球そのものだった。

新鮮な頭部の骨片と血液のソースがかかっている。

 

食材の元の持ち主は、マローセットが幼少期から面倒を見ていた見習いコックだった。

彼はよく期待に応え、深い敬愛と共にマローセットを人生の師と仰いだ。

 

こうした弟子たちが老成する時に作る最後の一皿は、どれもマローセットの記憶領域に深く沈んでいる。

 

「珍しい。この魅力も争いの火種も無い世界に戦士のカイストが来たか」

 

マローセットがそう言うと、見習いコックを殺して皿に撒いた男が客席の方からぬっと姿を現した。

 

マローセットは厨房の中から出迎えた。

戦士は上品な客じゃない。獣から奪ったノミだらけの毛皮を纏い、絨毯に泥を引きずってやってきた。

途端に白一色の厨房の中は無音の悲鳴に満ちた。

 

「マローセットだな」

 

男は異様な迫力だった。

 

人間離れした筋肉量を誇り、骨格は灰色熊のように頑丈で太い。上背は二メートル以上あった。

手には鈍いナタが握られていて、目はギラギラと血走っていた。

 

突然、店内に怒り狂った虎が侵入してきたような異様な静けさと緊張感だった。

厨房の者達はマローセット以外のカイストを見たことがない。カイストのことを特別な力を持つ超人では無く、長命故に凄まじい技術に至った温和な職人としか思ってない。

十名以上の従業員が悲鳴を上げることすらできずに硬直している。

 

殺戮の世界に身を置く男だ。

我力の強さからして、Cクラスの真ん中か少し下。ただし、それでもマローセットの十倍は強い。

 

つまり戦えばとても敵わない。

男が凶行に走ろうものなら、この場の全員が一瞬で殺されることが分かった。

 

「そうだが、何の用だ」

「何か作れ。美味かったら許してやる」

 

男はマローセットの姿を認めると、出し抜けに命令した。

 

「生憎だが俺自身は客を取ってない」

「料理人だろう」

「そんなものを名乗ったことは無い。ただ暇な時に人に飯を食べさせる事もあるだけだ」

「だったら今から俺の為の料理人になれ」

 

その男は名乗りすらせず、皿に新たなミンチ肉を添える。

 

ナタには女性コックの血管がこびり付いている。

彼女もまた小さな頃からマローセットが面倒を見ていた弟子だった。

 

男の目が、断ったらさらに殺すと語っていた。

突然の乱入者はカイストらしい流儀でマローセットに頼み事をしたいらしい。

 

一口にCクラスと言っても、下位と中位には当事者達にしか分からない絶対の格差がある。

マローセットは強さに興味を持てないので、ざっくり六本足の狼の群れに単独で勝てそうか否か、それを区切りとして判別している。

その基準で言えば、この男はなんとか渡り合えそうな雰囲気があった。

 

マローセットは素直に降参した。

 

「本当の用件は何だ。こちらは戦士に用は無い。恨まれる心当たりも無い」

「お前が食材と呼んで保管している生物の死骸を寄越せ。俺の依頼主がお求めだ」

「カイストなら自分で穫ればいいだろう」

「狩れりゃあな。もう絶滅してて影も形もねえ。そうじゃなきゃこんな依頼は俺にかかれば一瞬で終わってたんだ」

 

男は息を巻いた。

怒気を発しながら、血塗れのナタが目に入るようチラつかせる。

 

そしてわざとらしく哀れな声を出した。

 

「頼むよ、俺を嘘つきにさせないでくれ。お前もカイストなら気持ちは分かるだろう」

「なんだ、下調べもせずに依頼を受けたのか。間抜けな奴だ」

「あぁ? そりゃ断るって意味か」

 

マローセットは過去の旅で得た食材を収集して保管している。

どうやらその一つがこのカイストの依頼品らしく、どこかで聞きつけて奪いにきたようだ。

 

達成不可能な依頼を受けて力を落とすのはカイストにとって最も避けるべき無意味な消耗だ。男はかなり粗暴なタイプではあるが、こんな初歩的なミスを犯すあたり長くとも数万歳程度の若さなのだろう。

 

男はマローセットが言われるがままに素材を渡さなければ全員纏めて挽肉にするつもりだ。

しかし貴重な食材を奪わせるわけにないかない。ひとつ渡せば、あれもこれもと全てを寄越す羽目になるだろう。

 

「食材の件はともかく、美味いものが食いたいのは構わない。それならすぐ作ってやる」

 

マローセットは時間稼ぎの為、一旦料理の件について了承した。

 

粗暴な戦士は自分の暴力が通用すると分かると比較的大人しくなる。

それは他者に対する敬意ではなく、自分の優位を感じる時間を可能なら長く延ばしたいという欲望の所作だ。

 

男はそんなマローセットの腹を見抜いたのか嫌らしく笑った。

 

「いいぜ。俺は優しいんだ。ただし、料理が出てくるまでにお前が飼ってる人間を五分毎に一人殺す」

「それに何の意味がある」

「無いさ、スーシェフ。面白いから以外に理由があると思うのか」

 

男はふざけて、コック達が呼ぶようにマローセットを呼んだ。

さらに厨房の隅で震える十代の若い皿洗いを捕まえた。

 

「お前だってぶっ殺した死体を弄り回して遊ぶだろう。こんな風に味付けしてな」

「スーシェフ、助けてください」

 

そのカイストは人質の青年の指をテッシュのように引きちぎって、火がかかったままソースが煮立たつフライパンに投げ入れた。

 

この土地は特段に一般人に対するどんな行為も禁止していないフリー・ゾーンだ。暮らしている生き物を育てるも殺すも自由な未開の山林というわけだ。

 

こりゃあ、何を食わせたって満足しないだろう。

マローセットは珍しいカイストなので、こうして脅しつけたり殺す前に遊ぶ輩は珍しくない。

かなり苛立ち具合なので、依頼を達成した後は依頼主さえ殺すかも知れない。

 

そして、そんなカイストの為に料理をするのも初めてでは無かった。

マローセットは厨房に立ち、溜息を吐きながら調理を始めた。

 

「暇な奴だ。こんな連中とつるんでどうなる。どうせ撫でれば死ぬ。百年ももたねぇ。そんなんで剣がモノになるかよ」

「大概は暇だな。そちらも暇だからカイストなんてやってるんだろう」

「なんだと。お前みたいな弱い偽物がカイストを語るんじゃねえッ」

 

マローセットは口を閉じた。

 

この怪物が激昂しても新たに殺さないのは五分に一度と自分で言ったからだ。だがすぐにでも忘れて殺しを再開しかねない。

マローセットが大人しくなると、男は満足して寛ぎだした。

 

「なぁスーシェフ。たまにはカイストに料理を出すのも楽しいだろう。スリリングでよ。ただの人間なんて下らねぇ」

「カイスト相手の料理ほどつまらないものは無い。やつらが気にするのなんて、食事に毒が入ってないかどうかだけだ」

 

出来上がった魚のソテーをテーブルに置いた。

陶器がコトリと音を立てる。

 

食材は垂直方向に屈曲する魚だ。

この世界では魚の泳ぎ方が90度傾いていた。

 

水中をイルカやクジラのように泳ぐ。マローセットはこれを獣脚類のその後のさらなる進化系だと考えていた。

 

「何か妙なもの入れてねえだろうな」

「入ってるさ。茸と魚の猛毒だ。一般人なら一瞬であの世行きだ。まあ、ただのスパイスだな。厨房の唐辛子が切れていた」

 

男は不快げに眉を歪めた。

 

皿を叩き落とそうとして、しかしすぐに思い直した。自分が試されていると気づいたからだ。これはカイスト流の外連味のある歓待だった。

 

カイストならその程度の毒など飲み込み喰らって潰すべきだ。戦士には体の頑強さを証明したがる欲求がある。

 

実際に自然毒なんてある程度の強さのカイストにとっては、料理の風味を豊かにする調味料でしかない。

 

「俺の鼻は誤魔化せねぇぞ」

「嘘つきはカイストになれないだろう」

 

男の脂ぎった大きな鼻が皿に近付いた。

 

それはこの戦士なりの警戒の流儀だった。野生動物に習い、犬や豚並の嗅覚を持つカイストも珍しくない。毒の判別以外にも、戦いや追跡にもよく役立つ。純粋に匂いを媒介に痕跡を追う探知士だっている。

 

男はその他の致命的な物が混入してないか確かめて言った。

 

「嘘じゃねぇみてぇだな。だがお前の生意気な態度は信用ならねぇ。なんで俺を怖がってねえんだ」

 

男は用心深さを見せた。

食事というのは言わば、外にある物質を自分の内側に取り込む行為であり、その曖昧な境界がカイストにとって弱点になり得る。

警戒されるのは当然のことだった。

 

今度はマローセットから男に尋ねた。

 

「料理が美味かったら手出しせずに去るっていうのは本当か」

「あぁ。俺に美味いと言わせたらな。約束してやるぜ」

「言わせたら、か……。信頼の為の言葉が必要だな」

 

この失礼な試し行為を終えればマローセットは許されるだろうか。

いや、そんなはずはない。

 

この粗暴なカイストはテーブルにつきながらも武器をいつでも抜き放てるように腰元の空間を確保している。

南無三と叫んで突撃したところで返り討ちだろう。

 

マローセットにとって戦士のカイストは奇怪な存在だ。全く価値の無いことに拘り、長い生涯の全てを費やして、どこが楽しいのか分からない殺し合いを続ける。

こんな風に簡単に他人を屈服させるのが目標なら随分と退屈な道のりだ。

 

「なら誓いを立ててやろう」

「やってみろ」

 

マローセットは片手を挙げた。

 

「その料理には、特別にカイストに作用する毒と呪いの一切は含まれていない。食器にも、皿にも、ハンカチにも付いてない。隣に置いたグラスの飲み物にも、テーブルクロスにもだ。この空間のあらゆる場所に、俺が知る限りそんなものは存在しない。俺が知らない限りにおいてもたぶんそうだし、あらゆる場所以外の亜空間についても同じだろう」

 

男は突然の早口にすこしだけ気圧された。

 

マローセットは口上を続けた。

 

「お前が今から口にするその料理にはカイストに特別に作用する何かしらは入り得ない。先ほども言った通り、一般人に作用する程度の毒のみが混入している。我力による毒素の強化なども施していない」

 

一息置いて、念の為に付け加える。

 

「……全くの第三者や、お前自身がそれをする場合を除き」

 

嘘はカイストを弱くする。大体の場合はそうだ。

目指す道の種類や本人の嗜好にもよるが。

 

この男が料理を美味いと思ったとして、それを口にするかは本人の自由だ。そうした詭弁が戦士を強くするのか弱くするのかは分からない。

 

まあどの道、殺されるだろうなとは予感した。

目的の物を手に入れるまで拷問し、用が済んだら手間賃として命を奪うに違いない。

 

純粋に殺し合いを楽しむカイストもいれば、勝利の過程にのみ喜びを見出すカイストもいる。

この男の雰囲気は後者だった。

 

「この宣言が破られた場合、マローセットは墜滅するまで自殺を繰り返すことを誓う」

 

長い口上を締め括ると、男は感心と呆れが半々といったところだった。

 

「神経質なジジイだな」

「カイストが約束をするときは最低限これくらいは気を払うべきだ」

 

マローセットはいかにもカイスト然として言い放った。

 

「どうする。二十三万八千五百三十六人の戦士にこの宣誓をしたが、食べなかった男は三人しかいなかったぞ」

「俺が臆病だっていいてぇのか。言っとくが、騙してたら責めて殺すぞ」

「つまらない言葉遊びは俺も好きじゃないが、他に何が必要だ。次回のサービス券か」

 

男はそれから少々考え込んだ。

 

そして未熟な戦士なりの知恵を捻り出した。

 

「待て。念の為だ。もしその自殺とやらをするなら、その前にお前が溜め込んでる生き物の死骸を全て俺によこせ」

「譲ることを誓う。なんなら調理器具もつけてやる。それより早く食わないと冷めるぞ」

 

男は慎重にフォークを手に取った。

 

ここまで言えば戦士は引き下がらない。こうしてわざとこちらから不安要素を作って解消してやれば警戒心は自ずと下がる。

 

「注意しろよ」

 

マローセットの発言に男は動きをピタリと止めた。

 

「料理は仕込みが味の九割を決める。言い訳がましいと言えばそうだが、その皿は俺の一割程度だと思ってくれ」

 

時間が無かった。味の保証はできない。

そう宣言すると男は床に唾を吐いてから料理に口をつけた。

 

茸と魚毒を混ぜると、比較的無痛の内にすみやかに死ぬ猛毒ができる。

四肢の末端が痺れても自覚症状は無い。滴る汗に気づいた時には手遅れだ。指一本動かせなくなって初めて自分の異常に気付く。

尤も、そのすぐあとには意識を失ってしまうので出来ることは今更無い。

 

「我力が乗った料理は美味かったか」

 

マローセットはテーブルに頭を突っ伏して反吐を吐く男に聞いた。

 

「ぶぁふ、っ……毒、入ってないって……。それとに、呪、い……も」

「最初に説明しただろう。毒は入ってるって」

 

男は食事を上手く吐き出せず鼻と喉に詰まらせている。

もう立ち上がるどころか身動ぎすらできない。

 

「まさか、お前。科学士の、変種か……!」

「科学士なんて名乗ったこともない。ただ、誰にでも料理を有りの儘に楽しんで欲しいだけだ」

 

科学士とは、物質が正しく何にでも物理的作用を及ぼせるように我力を込めるカイストのことだ。

対象がカイストであれ怪奇現象であれ幽霊であれ、科学士はごく初歩的な物理法則に則って攻撃を仕掛ける。

 

科学士が使う包丁は見た目通りカイストに刺さり、殴れば傷つき、毒を盛れば効く。逆に普通のカイストのようにチンケな針で鉄板を貫くことはできない。

カイストでありながら我力の力を否定するのが科学士だ。簡単に言えば、理不尽で不思議な防御力を消す能力と呼べた。

 

「特別にカイストに効く毒は入っていない。ただし、毒がカイストに効かないとは言っていない」

 

ただの叙述トリックだったが、この詭弁によって自分の実力が落ちた経験は無かった。

マローセットは嘘つきでは無い。ただし相手側が勘違いすることはある。

 

「どんなに強いカイストだろうと、俺の料理を食えば一般人と同じように影響を受ける。俺の力はこれだけだ。料理にしか適応できないが、それだけにこれを防げるカイストは見たことが無い」

「て、めっ……殺し……て……」

 

その台詞を最後に男は白目で泡を吹いた。

 

一頻り痙攣して失禁と共に心臓の鼓動を止める。

あれほど怒れる猛牛のような力に満ちた肢体は、テーブルに鈍く横たわり、命の炎は迫力を失って灰のように消えていた。

 

「文字通り死ぬほど美味かったらしいな」

 

もちろんこの攻撃にも穴はある。例えば元から毒に耐性がある人物には毒は効かない。解毒剤を使われても防げない。

河豚に河豚毒を盛っても殺せないのがマローセットだった。

 

マローセットは怯えて硬直している従業員たちを開放した。

 

「埋めてやるよ。次に生まれ変わったら良い人間になってるようにな。せめて植物の滋養になれば、巡り巡って次の食材の糧になる」

 

男の死体を処理し、店を清潔にしてからひと休憩を挟んだ。

 

Cクラスでも下位同士の戦いなんてこんなもんだ。迂闊で、傲慢で、手に入れたばかりの玩具を自慢気に振りかざす大きな子供だ。

よく間違いを起こし、自分の実力と武器がどんなものかを知らず、その手入れすら怠ることもある。

 

こうして返り討ちにすると、半数ほどのカイストは転生を終えてマローセットを殺しに来る。マローセットは必死に抵抗するが敢え無く殺される。

満足するまで何周する奴もいる。時々とんでも無く執着してくるカイストもいて、仕方無しに本腰を入れて戦うこともある。

 

あとの半数はむしろ復讐こそを恥と考える。

殺したところで何の自慢にもならないし、長期的に見れば、報復をしなかったカイストの方が魂の傷を引き摺らない傾向にある。

 

偉大な戦士たちは自分の迂闊さを教訓に変えて長い道の先に進む。変わった色の小石に躓いた経験など笑い話にしてしまう。

その道とは二度とマローセットとは交わらない。

 

 

 

 

それから二千年が過ぎた。

 

 

 

 

マローセットは王国に勤め続けた。

 

この地には彼らが動物の毛皮をそのまま服にしていた時代から連れ添っている。未開の、鼻筋が綺麗に通った先住民族の末裔だった。見た目は群を抜いて美しい人間たちだ。

尤もマローセットはそんなことに少しも興味が無い。鼻腔の大きさが十分に豊かであれば、香りに対する感性も優れていると期待し、その期待は外れていなかった。

 

マローセットは四千世界の住人達を自分の技法で染め上げることを好まなかった。

むしろ彼ら独自の調理法が幼稚で未熟でもそれを尊重し、自主性を促すことに心を砕く。

 

不思議なことに、一般人の料理は時々世界を飛び越えた。

全く同じ技法が無関係の場所で同時に見つかることがある。その術を持たずしてレシピが四千世界の境界を渡ったのだ。

 

一度、他のカイストに経緯の調査を依頼した。

すると、カイストが違う世界の料理を恋しんで現地の料理人に再現を頼んだり、一般人が転生した際に世界を飛び越えることがあり、まれに前世の記憶をふと無意識になぞることが原因だと分かった。

 

それはマローセットが生み出したレシピだった。

 

マローセットは恐怖した。

彼自身に端を発した単一の食文化だけが四千世界に蔓延れば、もはやその頂点であるマローセットの想像を超える料理は生まれ得ない。

これは取り返しのつかない恐るべき失態だった。

 

それからは過度な干渉は控え、現地独自の食文化の発展に寄与するだけに留めている。

自然発生的に生じる食文化だけが本物だと信じて傾倒していた時期もあるが、それでは時間がかかり過ぎるため、最近は最初に料理の基礎概念だけ教えてあとは成り行きにまかせている。

 

マローセットはオーナーシェフには決して就かない。味の監督とチェックを行い、求められればアドバイスもするが余計な口出しはしない。

それぞれの皿に載せる料理は各文化の住人達に一任する。

 

ただ美味いものを味わって満足したい。

それだけの単純な動機で無数の人類史を看取ってきた。

 

 

 

 

さらに千年が過ぎた。

 

 

 

 

この王国の食事は味気ないレーションだけになった。

栄養補給を娯楽として愉しみたければ、脳に直接快楽を流し込めば良い。それがこの星の文明の最終的な結論だった。

 

「レストランを廃業して退去しろだと。もうそんな時期が来たか」

 

長年勤めた店は行政の人間に差し押さえられていた。マローセットは情勢に疎く、また関心を払ってもいなかったせいだ。

 

「マローセット様の様な旧世代の懐古主義には付き合いきれませんな。食事など実際に摂る必要はありません。社会的な労力が大きすぎます」

「まあいい。食文化を消滅させることも君らの自由だ。好きにしろ」

 

マローセットは使い古しのコック帽を脱いだ。

数千年の栄華を誇った王国のレストランは、遂に今日で最後の一軒まで息絶えた。

ここ数十年は客も老人しかおらず、それも月に一人か二人に限る。とっくに食文化はもぬけの殻だったのだ。

 

「しかし貴方様が永遠に生き続けているという話は眉唾ながらに興味深い。どうでしょうか。軽い健康診断をさせて貰えれば、無料で最新式の頭部埋め込みチップ一式をご提供します。我々のサービスにご興味はありませんか」

「脳内チップか。それがあればどんな料理も自由に味わえるわけだな」

「古今東西の料理に限らず、何でもです」

 

マローセットは断った。

 

「俺は本物にしか興味が無い」

「本物ですよ。脳は現実の電気刺激と全く同じ信号を受け取ります。食事だけではありません。それはもう、現実では味わえないような快楽まで……」

 

色を受けて興味を失い、その世界を去った。

 

科学技術と自然回帰のバランスを失えば待っているのは機械による画一的な疑似体験だ。

逆に自然を崇拝しすぎても、今度は井戸から手桶で汲んだ水で調理しなくては味がしないと言い出す始末だ。

どちらも食の本質を見失ってしまう。

 

脳を騙すようなことは過去に徹底的に突き詰めた。

幻覚や自己催眠と現実の食事の違いを確かめるべく、高名な幻術士に自らを洗脳するようにも依頼した。

数百万年はそれで楽しめたが、それはマローセットに完璧な満足を齎さなかった。

 

まだ足りない。先がある。

それは論理を超えた先の直感だった。

 

今回この王国で学んだ技法に進んで採用すべき目新しいものは無かったが、幾らかはマローセットの無意識の領域に沈んだ。使わずとも知っている、というだけで役立つ事もある。

 

一方で素材として一番の収穫は塩だった。

塩は二種類の原子の集まりだが、その繋がり方は四千世界ごとの法則に基づいている。世界によって微妙に風味が異なるのだ。

王国産の塩は魚の蒸し物に適していた。

 

マローセットは自分だけの厨房に籠もる。

五千匹の魚に別文化の調理技法を五千種類施してテーブルに並べ、同じ料理だが味の違う五千皿を食してみる。

どれも芸術的な出来栄えであり、一般人がこれらの料理を食べる為なら全財産を投げ出すだろう。その先の人生で食べるもの全てが泥の塊に感じるようになってもおかしくない。

 

しかし、どれもやはり究極の一皿と呼ぶには程遠かった。

 

 

 

 

 

 

マローセットはそれから長い旅を続け、様々な食材を口にした。

 

味の上限への突破口が見つからないと、あえて反対方向に下限を目指すこともあった。

美食には上限があるが不味さにも下限が有る。ただしその幅はずっと大きい。何故なら人間は基本的に快楽よりも危機に敏感に出来た生き物だからだ。

 

マローセットはひたすらに自分の舌を試し続けた。

それは拷問のような行いだったが、幸い聴覚と違って、鼓膜は破れることはあっても舌が口の中から逃げ出すことは無い。より高い次元の調理を行うには必要な行為だという確信があった。

彼は他のカイストが自らに課す業に倣ってこれを悪食業と呼んでいた。

 

一千万年の期間を決め、ひたすらに吐き気を催す食物のみを口にする。

 

肉食獣の糞の刺身。朝顔の種サラダ。食わず芋のポタージュ。海月と磯巾着のカルパッチョ。アニサキスの踊り食い。癌患者の腫瘍のロースト。瘡蓋と膿の汚液和え。黒死病患者の煮込み。

 

締めには世界の外の混沌をスプーンで掬った。

混沌は、ある時妙な生物がマローセットの料理に惹かれて現れ、それが出てきた穴が未だに残っていた。

この作業は慎重を要する。一滴二滴で自身の舌感覚の枠組みが崩れて行く中で、根幹を揺るがされぬよう手綱を握りつつ、狂わせられる前の本来の混沌の味をあじわう。

 

混沌はともすればマローセットの魂の破滅させかけた。奈落へと足を引き摺り込む死神を舌に乗せてその味を確かめるような繊細な調理だった。

まず以て混沌のスープを味覚の面で追求するカイストは他にいないだろう。

 

それが終わると、今度は絶食業が始まる。

 

飢餓はマローセットの原点だから、こちらはより力を入れて九千万年をかけて究極の飢えの状態に持っていく。

食事は愚か水すら口にするのを禁じた。

時々降ってくる雨、そして朝露の霧や塵すらも嫌って永久不変の真昼の砂漠の世界で耐えた。

 

合わせて一億年の業をマローセットはカイストになってから初めて成し遂げた。

苦行は勇壮なる戦士の強さにも、恐るべき魔術士の技にも昇華しない。ただ己の感覚と直感への献身である。

誰にも知られず興味も持たれず、噂にもならないCクラスのカイストの業だった。

 

業が終わると、最初に口にするのはマローセットが現時点で用意出来る最も豪華絢爛な満漢全席だ。

しかし舌への拷問と飢えこそが至高の美食を生み出す訳では無かった。

 

絶食は三日目が一番美味くなる。それが残酷な事実だった。以前もより短い期間で絶食業を行い、二百年後と六百万年後に同程度美味くなるタイミングがあると知ったが、そこを栄にどんどん味は落ちていく。

長時間の苦痛は味覚を鈍麻されるだけだった。

だが、それもまた学びのひとつだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「究極の味の正体はなんですか」

「予感であり期待だ」

 

マローセットはガルーサ・ネットの受付で問われたので応えた。

 

同じCクラスの取り立てて注目を浴びることの無いカイストだ。しかし、こちらの返事に腑に落ちなさそうな顔をしていた。

 

「一口を含んだ時に、あぁこれ以上のものはこの世に無いと思える料理がある」

「それが究極の一皿と。で、どんな料理なんですか?」

「分からない。だが、ある」

 

受付はさらに不可解な顔をした。

 

「つまり何を目指してるか知らないんですか?」

「たどり着いて初めて分かる価値がある。それまでは、それがあるという確信を頼りにするだけだ」

「そして満足したらもう死んでも構わない、なんてまるで自殺みたいな道のりですね」

「本を読み終えたから閉じる様なものだ。その結末自体に深い意味は無い」

 

マローセットはこのガルーサ・ネットの出張所には出向くことが多かった。

顔馴染みになっている受付のカイストは自分に比べて遥かに若く、こうした雑談をよく好んだ。そうして特に嫌がるでもなく応じる内に多少は気心が知れる仲になっている。

未熟なCクラスにとって、マローセットは結構な先達でありながら弱い為に質問をしやすい相手だった。

 

ただし、受付のカイストが感じるのは親しみばかりでは無い。マローセットにも所々齢を経たカイスト特有の常識との乖離や、信念への傾倒の為に生ずる人間性の喪失が存在する。

彼が周遊する様な世界は安全であり、お喋りに興じるほど退屈だという事情もあった。

 

「そろそろ無駄話はやめておこう。低クラスのカイストほど己の理想に雄弁だ」

「悲しくなること言わないで下さいよ、マローセットさん」

 

マローセットはそれを無視して情報端末を弄ぶ。

食材や調理器具など、細々したものを別世界から通販で取寄せる。他にも一般的なスパイスや調味料はここで仕入れている。

現地で食材を買う金を稼ぐのが面倒な時は、大量に仕入れた塩や砂糖を内陸で売って現金を作ったり物々交換をしている。

滞在先の町の経済を破壊しつくすこともあるが気にしたことは無かった。フリー・ゾーンとはそういう意味だ。

 

マローセットは入荷可能な商品の一覧を見て飛び上がって驚いた。

 

「おい、これは神工レオバルドーの一作じゃないか。なぜオークションなんかに出ている」

「正確にはその高弟の傑作品です」

 

画面には、銀色に輝く調理用の包丁が浮かんでいた。

その性能に関する欄を食い入るように眺めた。

 

包丁。

習作を除いてほぼ作られることは無い。

他のカイストにとっては魅力が無く、職人にとって情熱が湧かない代物だ。

間違いなく、かの有名な神工……ではなくその弟子の逸品。しかし武器として扱うわけでも無し、これ程の品質であれば未来永劫満足できる。

 

受付はこちらの関心の深さと懐事情を同時に心得ていた。

 

「真剣な戯れで作られた買い取り手のいない一作です。特殊な力は無いし、護身用としては刀身が短かすぎます。とはいえ値段だけはブランドなりのものがついてるので、おいそれと手をつけられません。マローセットさんの様なCクラスの資金状況では購入は難しいかと……」

「御託はいい。実物を見せてくれ」

「出張所にはありません。見たければ本局に出向いて下さい」

 

マローセットは扉を飛び出した。

 

 

百年が経った。

 

 

加速歩行が使えないマローセットが世界をいくつも跨ぐのには時間がかかる。

何の因果か、そちらで会った受付も同じカイストだった。

 

「約束だ。包丁を見せろ」

「はぁ。まさか移動だけでそんなに時間が掛かったんですか。私は仕事の都合で異動したんですけど、八十年も前に到着していましたよ」

 

受付係は少しだけ哀れみ、マローセットを慮った。

 

「ご存知かもしれませんが、世界間の移動の補助サービスも受け付けてますよ?」

「購入費の為の節約だ。それよりまだ売れてないだろうな」

「ご安心下さい。三徳包丁なんて人気のある商品ではありません。ただ、やはりマローセットさんに手が出せる品とは思えませんが……」

 

マローセットが急かすと、奥の厳重に管理された倉庫から我力強化済みの保管箱が現れた。

 

「本来なら購入出来ないCクラスに見せるのは禁止なんですが、私自身が口にしたことですから。内緒にしといて下さいね」

「手に取らせろ」

「言っておきますが、持ち逃げしても転生先まで追い掛けて罰則を課されますから。二人揃って強制労働です」

 

刃先は光りながらも揺れている。

指に這わせると、何の感覚もなく指先が落ちた。

まるで壁抜けマジックだ。体は血を噴き出すのをしばらく忘れていた。

 

マローセットは指を拾ってハンカチに包むと、受付テーブルに齧り付いた。

 

「値段を教えてくれ」

 

提示されたのは小さな星さえ買えそうな販売価格で、実際に端末で検索すると、その値で売りに出されている惑星もあった。

マローセットの出立からの生涯収入を全て合わせたとしてもまだ二桁ほど足りない。彼は一般的なカイストが請け負えるような仕事の殆どに適正が無い。

とても手が届く値段では無かった。

 

「仕方無い。仕事をするか」

 

マローセットは欲しい物がある場合、大抵は自分で調達する。

簡単な道具なら一般人に製作を頼み、自ら獲物を狩ることもあれば、一万年ほど地味な仕事で貯めた報酬で別のカイストに依頼を出すこともあった。

ただし今回そのやり方では十数億年かけても時間が足りないだろう。

 

欲しい。

あの包丁は是が非でも手に入れたい。

あくまで彼が追求すべきは味であって、良い調理器具の使用は舌の堕落には繋がらない。

 

高額を得る為に大して価値のない世界の星や土地を買って人類を植え付け、そこで繁殖させ、支配者として徴収した生産物と我力をルースに換金するような複雑なことを好むカイストもいるが、もっと簡単で単純な抜け道を探すことにした。

 

マローセットはガルー・サネットに備え付けのディスプレイ型情報端末から依頼の一覧を閲覧した。

 

依頼は膨大な数がある。

一般的がカイストの袖に縋り付くような助命の嘆願から、大国の戦争のための戦力募集。特定の能力を持つカイストに限定しての実験への招待。戦士が目先の変わった練習先を探すこともあれば、色技士の夜のお相手まであった。

さすが本局だけあって無数の依頼がある。

各出張所に投げられた分の全てをここで取りまとめてるので、つまり四千世界における頼み事の総決算だった。

 

マローセットは半年以上かけてその中から一つ魔獣退治依頼を選んだ。

 

理由は簡単で、報酬額が莫大だったからだ。

この魔獣の誕生に関わった酔狂なカイストが、もしもこいつがCクラス一人なんかに倒せるんなら、俺はそいつに幾らでも払ってやると酔っ払って豪語した。

その発言が実際に行われた保証をする何人もの検証士のサインが入っている。

これは塩漬けの依頼に対する一種の茶目っ気というか、カイスト達なりの冗談だった。

 

「これですか。Bクラスでも上位が束にならないと戦いにさえなりません。あの神のAクラスでも油断したらどうか……」

 

マローセットの意気込みに反して受付の反応は渋かった。

 

「強い我力に反応して自動的に迎撃する、小惑星サイズの魔獣です。いくつかの魔術士の実験体と過去のカイスト達の戦闘の余波で生まれたキメラです。マローセットさんが勝てる相手じゃありませんよ」

 

マローセットには自分なりの勝算がある。

しかし他者がそれを理解することは無い。

 

「以前、偶然に見かけて相性が良いと確信した。それに俺程度の我力なら相手は反応しない」

「だったらそもそも普通に殺されますよ。象の寝返りで蟻が潰されるようなものです。マローセットさんが一万人いても話になりません」

 

これは無謀とか無謀ではないという段階ですらない。魔獣はマローセットの存在を認識すらせずに殺すだろう。

お互いに長年Cクラスでうだつの上がらないカイスト同士だ。実力は分かっている。ただし受付の方はマローセットと違って、強さの面では少しずつ先に歩を進めている。

 

「酷い言い草だな」

「お勧めしません。けれど、死にたいと言うなら私には止められません」

「良いから受付してくれ。いくつか条件を追加でつけたい。包丁の取り置きも忘れるな」

「取り置きはできません。購買意欲があっても購入の目処が立ってない方にはお断りしています」

「それならしょうがない。他のことを決めよう」

 

 

マローセットは契約書にサインした。

 

 

魔獣の退治依頼の契約が成された。

マローセットは幾らかの約束の為に支払いをした。

討伐期限は無期限だ。マローセットが手こずるようなら後続のカイストが好きに魔獣を仕留めても良いが、しかしすでに戦闘している最中は他のカイストが横入りできないように取り決めた。

ついでに魔獣がいる場所まで送ってもらう。

 

 

その世界に着くと、殆ど我力を使わない一人乗りのロケットに荷物を積んで旅立つ。

 

 

マローセットは魔獣の表面に着陸した。

それはまるで黒い月の大地を踏みしめたようなものだった。宇宙と大地の差が曖昧な世界に、直径数百キロメートルの球体が浮かんでいる。

 

これ程大きな魔獣にとっては彼は単なる寄生虫の一匹に過ぎない。表皮のクレーターには巨大なダニに似た魔獣が合計何億匹と住み着いていた。

 

「さて、始めるか」

 

習性についてはきちんと調べ終えている。

魔獣は殆どの時間を寝て過ごすが、強い我力で攻撃しようとすると、それに反応して急激な反撃が始まる。我力や他の驚異に対しては、長さ数十キロもある無数の触腕が襲いかかって捕食する。

それがこの人食い彗星の生態だ。

もちろん腹が減れば目覚めて、我力を持たない普通の生き物を定期的に捕食する。

 

マローセットには長所がある。

それは突発的な戦闘にはまるで役に立たない、生物に対するある種の観察眼である。

鼻に感じる香りは魔獣の強い体臭だ。獲物から揮発する成分にはその生き物の情報が大量に含まれている。

 

マローセットは静かに佇んだ。

 

人間程度のサイズの生き物であれば、彼は即座にその生態やアレルギー、病気の有無、今までの人生で何を食べてきたのか分かる。

他の人間にとっては何でもないような物質でも、その人物にだけは毒になるような要素も一瞬で見抜ける。

だが今回の魔獣は段違いのサイズだし、色々混ざっていて分かりづらい。

そもそも毒が効くとは到底思えない。

 

マローセットは五十年ほど突っ立って、香りを嗅いだり表皮を舐めたりと観察を続けた。

 

「よし、そろそろいいか」

 

マローセットは魔獣に小さな穴を開けて潜行した。

コンクリートを上回る硬度の外皮を鯨解体用のノコで苦労して取り除き、肉がある層まで掘り起こす。

 

魔獣は動かなかった。

これくらいなら他の寄生虫もやってることだし、やり過ぎれば体内の免疫に撃退される。

二十メートルほど肉に潜り込むと、早速異常を検知した魔獣の体が粘着質な毒と消化の混合液を染み出して傷を埋めようとした。

 

マローセットは魔獣の免疫を把握済みだ。

生きた食材の疾病の管理なら数千万年単位で取り組んできたので、その高等な応用だった。

抗原として反応しない成分を含んだスパイスを周囲の肉に塗りつけて小さな空間を作った。

そこを足掛かりに、一カ月かけてワンルームサイズの部屋を作る。四方と天井をスパイス入りの樹脂で固めて細胞の再生や組織液の流入を防ぐ。

半年する頃にはキッチンと寝室が完成した。ここがマローセットの攻撃の拠点であり食堂でもある。

樹脂で固めつつ肉をくり抜いてトンネルを作り、蟻の巣のように地下基地を広げていく。もちろんくり抜いた肉を食べることを忘れない。

 

 

 

それからマローセットの長い生活が始まった。

 

 

 

朝起きて、工具で切り出した肉を朝食にする。

昼までに様々な味を試すために調味液に浸しておいて腹を満たす。

 

明かりは魔獣の油脂から作る。

水分は肉だけでも事足りたが、時々は染み出る組織液と血液を蒸留して摂取した。

排泄は肉で作った瓶に貯めておき、適宜リンパ管に流した。時々樹脂の補充は必要だったが、途中からは魔獣を材料にして作ることが出来た。

本格的に免疫応対を引き起こす脳や心臓に相当する重要な区画を採掘する際は、痛覚も含めあらゆる体への刺激を麻痺させた。

 

膨大な時間が流れ、その時々の突然変異で免疫は目まぐるしく変わったが、その都度マローセットはそれに反応させないように慎重にスパイスの調合を変えた。

 

 

 

 

約二千八百万年後、体をマローセットに穴だらけにされた魔獣は死んだ。

 

 

 

「やった。やったぞ。これが欲しかったんだ。この包丁。細胞膜を傷つけずに切り分け可能で、無駄に素材を傷めない逸品。技術だけで出来ないことも無いが不要な手間が省けるようになった!」

 

これで調理の幅が広がる。

 

「本当にやりきったんですね。あれを魔獣退治と呼ぶのは気が長いというか何と言うか」

 

受付は呆れているが知ったことではない。

Cランクの中位として認識されるようになったらしいが、それも興味を引く事柄では無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

ある帝国お抱えのシェフとなり、五百年は勤めていた時のことだ。

ある日、見知らぬ男が帝国の城に訪ねてきた。

男は警備を轢き殺すと城中の住人を皆殺しにした。

 

栄誉ある王冠を戴く皇帝も、美しく温和な妃も、その賢き側近も、無垢の宝石のように透き通ったお姫様も、二心を抱えた裏切り者の騎士も、良きも悪しきも血溜まりに転がる肉クズに変えた。

 

城は沈黙に包まれた。

やったのは古めかしい直剣を持つただ一人のカイストだった。

そのカイストはマローセットの働く厨房に入ると言った。

 

「マローセットか」

「あぁ、そうだ」

「念の為だ」

 

マローセットが返事をすると、最後の生き残りである厨房の若い従業員たちの頭が飛んだ。

首の断面から冗談みたいに血が飛び散った。赤い散水栓は数秒でバランスを失って床に倒れた。

 

「なぜ殺す。一体何の用で…………けぴゅ」

 

マローセットは死んだ。

 

 

 

次に転生してから千二百三十七年後。

マローセットは全く同じカイストに再び殺された。

 

それからも何度も殺された。

恨まれるような心当たりは無く、見たことも聞いたことも無い男だった。

マローセットは大して気にも留めなかったが、食文化の収集が中断されるのは迷惑だったし、殺される毎に転生の感覚が長くなっていく感覚は不快だった。

 

ある時ガルーサ・ネットの出張所に寄ると例の受付が助言をよこした。

 

「これは親切心からの忠告ですが、マローセットさんは狙われています」

「そういえば最近はずっと同じ奴に殺されてるな」

「信じられない……。よくその状態を放置できますね。もう十回以上は殺されてるんですよ」

「料理に関係が無さそうだったからな」

 

マローセットは復讐しない。大抵は相手が飽きるまで待つ。

強くなるより、死に辛くなるより、転生後に同じ弱さで生まれることに重きを置いていた。

強固に守られているのは味覚と食の知識だけだ。常人と同じ感性の味覚でいるためのスタイルは変わっていなかった。

 

「一度じっくり顔を見れれば対策を立てられるんだがな」

 

マローセットがそう言うと受付は意外そうな顔をした。

 

「そんな力をお持ちだったんですか?」

「一目見れば食材の性質は大体分かる」

「冗談はやめて下さい。気持ち悪いです」

「長いカイスト生を送っていると人肉を口にすることもある。そういう文化の世界もあるしな。ではカイストの肉の話はやめておくか」

 

受付は端末に資料を表示してくれた。

 

「ウィングルトンというBクラスです」

「誰だ。やはり心当たりが無い」

 

マローセットは他のカイストに詳しくない。

興味をそそる相手やライバルが存在せず、ガルーサ・ネットの情報網にマローセット以上の調理の知識量を持ったカイストがいないのが理由だった。

検証士は歴史全般の完璧な収集を行うが、感覚面ではとても満足できる記録とは言えなかった。食材と調理法はともかく、調理の細かいニュアンスまでは拾っていない。

彼だけが常に架空の料理ゴールデン・マークを独占していた。

 

「どんな奴なんだ」

 

受付は数秒間沈黙する。

口にするのも嫌そうな気配だ。そして顔をしかめてから言った。

 

「滅殺士です」

 

その表情には嫌悪感を滲み出ていた。

 

「それも、抵抗できる力が無いCクラスに限って狙う陰湿な戦士タイプのカイストです」

「それはまた随分趣味が悪いな」

 

滅殺士とはカイストの墜滅、つまり転生を許さず完全に存在を消滅させることを目標として活動するカイスト達のことだ。

酷く偏った思想を持った極端なカイストが多く、その性質上敵を作りやすい。

 

「滅殺士なら一定の正義があるはずだ。なんだってそんな真似をする」 

 

滅殺士には揺るがない信念があり、そこを刺激したカイストは狙われる。

過去の経験から徹底的にカイストを毛嫌いしていたり、カイストの存在こそが四千世界の癌であると確信して撲滅を掲げたり、あるいは一般人に対してあまりに横暴な行為を繰り返す輩を止める強い義侠心を根拠に我意を通す。

 

…………ということもある。恐らくは。

 

マローセットに他のカイストの事情に自信は無い。全くの的外れな場合もある。

単に優越感の為に弱い者を専門で墜滅する滅殺士も誕生するが、他のカイストの癇に触る為、遠からず逆に袋叩きで墜滅させられるだけなのかも知れない。

マローセットはその辺りの開示されてない情報は知らないし断言はできない。

 

「ウィングルトンは元々はかなりの腕をもっていましたが、格上から手酷い敗北を喫して以降Cクラスまで実力を落としました。そこから自分のスタイルを大きく変え、今度は自分が格下を嬲り続けるようになりました」

 

受付はもはや説明するのも汚らわしいとでも言いたげだった。

 

「現在はBクラス下位まで実力を戻していて、今も少しずつ力を増しています。ですが彼は未だに自分の時間を一人での修行とCクラスを付け狙うことだけに費やしています。Bクラスの戦士界隈で研鑽できる実力があるのにも関わらずです」

 

マローセットは驚いた。

 

受付は誤解しているようだが、それはここまで性根の腐った外道がいたことにでは無い。

その動機の不純さでカイストとして持ち直したという事実に対してだ。

心が折れて我力を落とした挙句、悪趣味に走るカイストはいる。しかしそんな輩は落ちぶれてさらに弱くなることは多くても再度力をつけること非常に少ない。

 

他者への嫌がらせというのはカイストの動機としてはかなり弱い。

八つ当たりで屈辱の感情を発散するのは、それが元々の原点でも無い限り、いつかは飽きて膿んでしまう。

ゴールデンチャートの上位にいる恐ろしい怪物たちだって、罪も無い星や世界を何個も滅ぼすのは鬱憤晴らしの為じゃない。探究心や求道心からだ。

自分の中に煮え滾る情熱を見つけるからこそのカイストなのだ。

 

その活動が何らかの邪悪な実験の一環であればまだ納得できなくも無いが、説明ではそのカイストは戦士タイプだという話だ。

恐るべき系譜に名を連ねる魔術士や呪術士の薫陶を受けたか、またその操り人形であろうか。

 

受付はかなり傍迷惑に感じているのか、そのカイストへの嫌悪感を隠そうとしなかった。

 

「前回も気まぐれに通りすがりのCクラスを墜滅させました。検証士が確認しましたが、偶々目があっただけで何の因縁もない相手です。これまで二千以上のカイストを転生後も追い回して殺し続け、誰も逃さず墜滅させてます」

「かなり屈折した男だな」

「はい。『屈剣』はその性癖に由来します」

 

あるいは一度心が折れた経歴を揶揄する蔑称か。

どちらにせよ他者から好かれるタイプのカイストでは無さそうだ。

 

「戦士連中はどうしてる。跳ねっ返りはすぐにお仕置きされるか飲み込まれるはずだ」

 

素行の悪い輩が悪目立ちするとトラブルの方から寄ってくるのがカイストという人種だ。マローセットはその点を受付に問うてみた。

 

「屈剣は同格以上の戦士相手には正々堂々と戦うので逆鱗に触れるには至っていません。それどころか成長を面白がられています」

「随分と悠長で奇妙な対応だな。どこの組織にも目をつけられていないのか」

「その辺りはかなり慎重に立ち回っています。大物を敵に回す気は無いようです。委員会の仕事も受けてますし」

 

受付は諦め気味に言った。

大分不本意そうな声だった。愚痴めいてもいる。

 

「それに所詮、被害はCクラスの中でも弱いカイストに限られます。誰も深刻に捉えてません」

 

これは実際にその立場を長年経験した身からすると違和感のない話だった。

 

Cクラスの下位なんてBクラス以上からして同一視されるのすら嫌がられる。科学兵器を使わない分余計に一般人より弱い者もおり、転生の際に記憶を持ち越すだけの常人として薄っすらと軽視されている。

一般人を通り魔的に殺すカイストがいても、まあ趣味は悪いが、自ら腰を上げて対処しようとは思うまい。むしろ被害者はカイストに限られるばかりに、他のカイストの義侠心も働かない。

 

はっきり言って、その男がCクラス下位を多少墜滅させるより、一人のAクラスが組織の所属を変えるほうが余程大きなニュースだ。そうでなくてもCクラスなんてよく自然消滅する。

 

ウィングルトンは相手を墜滅させること自体に執着しているが、自らはそれを避ける術を知る、物騒で狡賢いカイストだった。

 

マローセットは想像を働かせてみた。

きっと屈剣にとって自分は都合が良いのだろう。

弱くて安全に殺せる上に復讐の牙を持たない。噂を聞きつけたのか偶然に見つけられたのか知らないが、悪癖のお眼鏡に叶ってしまったのだ。

恐らくは、この無害だが死から受ける魂のダメージが異常に少なく長命で墜滅甲斐のあるカイストを滅せれば、過去最高の快感を得られると信じているはずだ。

 

「いずれ誰かに潰されはするでしょうが、マローセットさんの為に動くカイストは居ないでしょうね。残念です」

 

受付は眉を顰めながらマローセットの行く末を憂いた。

 

「感傷だな。気分を紛らわせてくれる他の良い情報は無いのか」

「ガルーサ・ネット内ではどれくらい保つかで賭けが成立していますよ。御自分の墜滅までの期間を賭けますか?」

「馬鹿を言え。生き残る方にコインを置く」

「その選択肢は賭けの対象になっていません。……今度賭けが成り立つか掛け合ってみますね」

 

とにかくマローセットは出張所を後にすることにした。ようやく本腰を入れて戦う理由が出来たのである。

こうなれば乾坤一擲、自分なりの戦い方を見せなければならない。曲がりなりにも数億年は歳を重ねた。そう簡単に目指してきた目標を諦めるわけには行かない。

 

マローセットが踵を返すと、受付に背中を引き留められた。

 

「その……」

 

受付はおずおずと切り出した。

 

「ガルーサ・ネットの商会で働きませんか」

 

マローセットは意外な提案を受けて思わず聞き返した。

 

「商会の仕事か。なんだってそんな話になる」

「同じ職場、にはならないと思いますが。私からも色々手ほどきはできますし」

 

遠慮がちな伏し目がマローセットを見つめた。冗談半分で言ってる訳では無さそうだった。

 

「本来の目標を目指しながら働いてる方も多いです。幸いマローセットさんも私も、戦わなくても研鑽できるタイプです。そんなに悪い職場じゃないですよ」

 

勧誘の言葉には、親愛と共にどこか異なる情動が潜んでいた。未練の中には言い訳じみた後ろめたさが内在している。

どちらもカイストらしく無い感情の発露だった。

 

「組織に所属すれば向こうも手出しをし辛くなるでしょう。弱いって恥ずかしいことじゃないです。私の道もマローセットさんの道も、強さとは縁が無かった。それだけです」

「随分と俺に肩入れするんだな。さっきの情報だって本来は有料だろう」

「私達だって思う所があります。マローセットさんは長年Cクラスにいながら目標に対して真摯で在り続けています。商会内には、ただ消えたくないって理由で続けているカイストもいるのに……」

 

表情を見ると、やはり勧誘は本気のようだった。

しかしマローセットは断った。

 

「俺には最低限カイストとしてのプライドがある。自分の身は自分で守る」

「魔術士とか、そこら辺適当ですけど……」

「それは別の話だ。とにかく誰かの庇護下に入るのは最後の手段だ」

 

他にも商会内の数名がマローセットとのやり取りの様子を伺っている。

Cクラスの羊の群れの期待だった。一番大きくて立派な羊が狼に殺されれば次は自分の番かもしれない。

それにマローセットの骸を見れば、自分達がいかに惨めで弱い生き物であるか思い知らされることになる。

 

「他人が気まぐれで俺を殺さないお陰で息をしていられる、っていうのはカイストの生き方じゃない。どんな目的を持って生きる生物にせよ、自衛は絶対の義務だ。どれほど弱い生き物にも生存の為の武器がある」

「ガルーサ・ネットで護衛を雇うこともできます。もしも資金が足りなければルースだってお貸しします。それだって生き方の一つです」

「心配は有難いが、これは誇りの問題だ」

 

マローセットは自分の料理の延長戦にゴングを鳴らした何かに感謝していた。

 

目標の為なら汚い手も厭わないのがカイストだとは思うが、ただの保身で安易に他者の軒先を借りるのは、その何かに顔向けできない行為だと考えた。

カイストが外道に落ちてでも泥臭い手段を用いるのは、あくまで己の原点を掴む為に留めるべきだ。その他のことにまで下策を使い始めるのは堕落というか、単なる横着だった。

それさえも目標への一過程だから問題ないと言えないことは無かったが、マローセットは何となく気に食わなかった。

そしてマローセットが何となく気に食わないということは、それは絶対だった。

 

 

 

 

 

数百年後のある日。

マローセットが酒場で飲んでいると、店の入口から場末に似合わない男が入ってきた。

 

若く美しい青年だ。

二十代中盤で、溌溂とした十代の光と男性としての魅力を纏い始めた色気が上手く折衷している。

青年は空色の碧眼を持ち、揺れる金糸を引っ詰めて清潔に後ろへ流していた。

白い礼服に身を包み、腰に無垢の古い直剣のみを帯刀している。

凱旋の舞踏会に参加する騎士のような出で立ちで有りながら、その身体は寸分の怠惰の余地も無く鍛え上げている。

長身美麗にして駿馬のような体型だった。

 

青年はウェイトレスに微笑みかけると、席の案内を丁寧に断って、マローセットの隣に腰掛けた。

 

「やあ」

 

マローセットの鼻を薄く花の香りがくすぐった。

出身世界の香水だろうか、男の体質とよく馴染んでいる。

社交界であれば一目で女性を虜にする魅力的な笑みだった。

 

「珍しいじゃないか。いつもは何も言わずに斬り掛かってくる癖してな」

 

マローセットは舌打ちしそうになるのを抑えて、返答に不機嫌な調子を混ぜるだけに留めた。

しかし相手はそれを聞いても不快に思うようなことは無かった。

 

「ガルーサ・ネットの出張所で私の事を調べたようだね。何か心境の変化があったのかな」

「さあな。自分を毎度殺しにくるクソ野郎について調べるのがそんなに不思議なことか」

 

青年、Bクラスの滅殺士である『屈剣』ウィングルトンは微笑んだ。

 

マローセットはすぐさま店主に事前に取り決めた合図を送って追い払った。店主はここ数十年で彼から教示を受けてこの酒場を開くに至った一般人である。

カイスト戦いに巻き込まれれば一溜まりもない。

 

マローセットは足元の袋を蹴飛ばした。革袋は口を開いて床に横倒しになる。

 

「この酒場はあまり繁盛していないようだね」

「普段は繁盛している。今日は俺の貸切だ。歓迎したくも無いカイストを饗す必要がある」

「成る程。空気中に君の我力が乗った毒物が散布し始めた。常人なら即死だ。これを料理と呼んで良いのかは甚だ疑問だがね」

「世界は広いからな。有害な霧が主食の人類もいた」

 

ウィングルトンは感心した。

 

マローセットの必殺技だ。

事前に訪問者が来ると分かれば、予め調理した空気を袋詰めにして待ち構える。自分だけは事前に解毒剤を飲んでおく。

マローセットの我力は適応範囲が限定的だが、きちんと実在して常食され、食文化にまで昇華された来歴があれば我力が乗せられる。

ウィングルトンがつい先ほどこの世界に来たことはガルーサ・ネットの通知サービスで知っていたので、新鮮なまま提供できるように作って足元に置いておいた。

 

一応、工夫すればマローセットにも一般的な科学士や錬金術士の真似事もできるのだ。

だがそれは他の者にも出来て当然の標準的な攻撃ということで、既に対策が確立していることを意味している。

 

ウィングルトンに毒はまるで通用していない。

 

「どうやって防いだ。それともその姿はただの幻覚か」

「私は結界士でもあるからね。特別に君との夜宴に向けて調整したのさ。光栄だと思ってもらえれば有難い」

「結界か。だが実体の無い我力製の結界で俺の料理は防げない。その下の我力防壁だって貫通する」

 

どんな強力な結界も、それが物理的に存在する物質で無い限りマローセットの毒に抗し得ない。

むしろ結界と自身を同化するタイプの結界士であれば、料理に触れた時点で致命的な障害が発生する。

 

「この音は……」

 

ウィングルトンの全身は淡い靄に覆われている。

 

注意して観察しないと分からないの薄さだ。

体表から何かが音を立てて噴出している。匂いを嗅ぐと何の変哲もない空気だった。

 

口元を中心にした全身結界から気体が発散している。それはマローセットの毒ガスを押し戻していた。毒ガスと空気は常に混じり合うが、次々と新しい気体の層が生まれ続けている。

科学的根拠に基づいた防御手法だ。我力による結界で呼気と皮膚呼吸用の空気を作り出し、その間隙が防除服の役割を果たしていた。

 

マローセットは溜息を吐いた。

 

「常に纏う小規模の結界は毒を散らし続ける。昼夜間断なく如何なる時も、君にチャンスは与えない。私は我力の印象で君を侮って痛い目を見る愚かな戦士とは違う。意外だったかな?」

 

ウィングルトンは微笑んだ。

まるで若く気鋭に満ちた貴公子の様に。

 

格下を嫌らしく追い詰める野卑な戦士の類かと思えばまるで違う。

警戒心が強い。これは、はいどうぞと差し出したところで料理を口にすることは無いだろう。

挑発の類もよほどのことが無ければ通用しないと見える。

 

マローセットはすぐに殺すのを一旦諦めて疑問を口にした。

せっかく自分を即死させる機会にも関わらず問答に付き合ってくれてるなら、それが油断であれ余裕の表れであれ、抜けるだけ情報を抜いて損は無い。

 

「Cクラスを追い込む理由はなんだ。何故俺に決めた。滅殺士は手すさびでやる様な道楽ではない」

「目についたのは偶然ではある。しかし神ならぬ身にとって運命は放逸と偏愛の申し子だ。私は君を見かけた時、幸運の女神の前髪を掴んだと確信した」

「自己陶酔の強い奴だ。つまりはただの勘か」

 

ウィングルトンは張り詰めた表情になった。

それはマローセットが偉大な戦士達の中にしばしば発見する、果てない憧れの先を見つめる純真無垢な横顔だった。

 

「ただ、剣の腕のみにて墜滅せしめる」

 

ウィングルトンはマローセットをちらと見た。

 

「想像して見給え。魂の執着すらも解放する壮絶さ。その剣技の凄まじさを」

 

言葉の中に宿っているのは、切実であり痛いほどの憧憬だった。

マローセットは自分でもそんな風に感じた事に面を食らった。悪趣味な滅殺士には似つかわしく無い印象だった。

 

「驚いたな。一度の死で墜滅させる事もあると聞いた。それで魔術や呪術は疎か、特別な武器にすら頼ってないのか」

 

ウィングルトンは目を伏せて頭を左右に振った。

 

「戦士の戦いに決着があるとすれば、それは魔術士連中の穢らわしい侮辱による墜滅ではない。心胆からの技の冴えへの称賛は終わり無き戦いにすら終止符を打つ。私はこれを受けて消えてもいいが、やはり男なら己の力と意志で振るうべき道を目指すと定めた」

 

マローセットは呆れ却って言い返した。

 

「つまり、自分のあまりに綺麗な剣技に見惚れて相手が転生するのも忘れるということか。戦士らしい発想だな。俺には少しも考えが分からない」

 

不理解を示すと、ウィングルトンはそれを不快に思うでも無く、余計に丁重ながら毅然とした態度で説明を続けた。

 

「私はかつて剣の世界に奇跡を見た」

 

瞳が遠くを見つめている。

しかし先程と違って、それは未来ではなく自身の過去に向けられている。

 

「以前、私は狭量な結界士だった。只管に周囲を恐れて己の矮小な世界を守ることに終始していた。死を遠ざける不変を原点に据えて置きながら、生にすら怯えていた」

 

ウィングルトンは自分の経歴を告白し続ける。声色は罪の告解にも似ていた。

 

「しかし一人の男に出会い、その在り方に魅了されたのだ。男は無口で、だがどんな言葉よりも雄弁に己を語った。人によってはつまらない自己陶酔と捉えるかもしれんがね」

 

そこで一息つき、憧憬の念がより強まった。

 

「そのカイストは戦士だった。私の体はケチな結界ごと真っ二つにされていた。美しい剣技だった。陳腐な表現だが、それ以外に称しようが無かった」

 

ウィングルトンは現在の自分に立ち戻り、マローセットに向けて微笑みかけた。

少しだけ恥じ入るような、冗談交じりの口調だった。

 

「斬られたあとに右半身と左半身が別々の世界に転生しているのに気づいたときは、我ながら笑ってしまったよ」

「無茶苦茶なカイストだな。Aクラスか?」

「さて、以前の私なら血相を変えてその男の事を調べただろう。結界を砕いた原因を探り、また一つ強固に自身の殻に閉じ籠もっていたはずだ」

 

 

では、ウィングルトンはそこからカイストとしてのスタイルを大きく変えたのか。

カイストに取って自己の再構築は大きなリスクを伴う。特に自分自身の核となる原点を曲げるような変更をするのは並大抵の事ではない。恐らくかなりの高確率で失敗する。

 

「魂さえ散り散りに吹き飛ばす斬撃、それが私の第二の原点となった。いや、さらなる高みがあるはずだ。私が此処に現存することがその不完全さの証明だ。超えたい。小賢しい執着を粉々に粉砕する鮮やかな衝撃、その一刀を振るってみたい」

「それで戦士に転向したのか」

「肩書はさほど重要では無い。しかし、昔話に付き合ってくれたことには礼を言おう」

 

ウィングルトンは剣を握るようになった癖に、自分を殺したそのカイストのことを調べてすらいない。

気取った仮面の下にあるのが、屈辱とコンプレックスに歪んだ悪趣味な素顔ならまだ良かった。

むしろそれとは正反対の愚か者になっている。

 

マローセットは一瞬、斬られたダメージがまだ頭に残ってるのではないかと疑った。

 

「原点を変えるのは危険だ。それに戦う相手の墜滅を狙うのは敵を作るやり方だ。長続きしない」

「然り。だが男が憧れ、そうと決めたならその道を歩むしかない」

 

ウィングルトンの古く、何の工夫もない直剣が鈍く光る。

それを常日頃握る手は白手袋に覆われながらも、傷跡と呼ぶのも馬鹿らしい厚い修練の皮鎧を纏っている。

 

ウィングルトンはいよいようっそりとして今一度演説を再開した。

 

「想像し給え。我が手より放たれる一撃一撃全てが転生封じの強念曲理。魔術も、呪術も、結界も、まやかしも小細工も全てを吹き飛ばして駆ける一刀こそ世界の理を切り裂く衝撃の斬撃だ」

「よく知らないが、強念曲理ってそういうものなのか?」

「正直に告白すれば、私にもよく分かっていない。だが仮にそうであれば格好いいだろう」

「無駄だったな。やはり戦士の思考は本当に少しも理解できない」

 

マローセットが頭を抱えるのを見て、ウィングルトンはクツクツと笑みを深めた。上品で意地が悪くどこか愛嬌がある人臭い笑い方だった。

 

しかしその裏にあるのは、純粋に己を突き詰める男児である。

ウィングルトンの主眼は対人戦じゃない。戦いに緊張感を持たせるために、あえて墜滅を掲げて決闘するわけですら無い。

純粋な、ただ格好いい己を体現したいが為にその我力が働き始めている。

ただの一度の死で決着が付ける剣を振るうことが心の底から美しい在り方だと信じていた。

 

戦いなんて状況次第で幾らでも結果は変わる。

ただ一度の生死でどちらが優れていたかなど証明しようはずがない。だからこそ戦士たちは究極の強さを求めて殺し合いを続ける。

 

しかし一般人にとっては一度の決着は二度と取り返しがつかない。死が終焉を齎す理は、未熟で淡く、だからこそ原初の願いがそこにあった。

何度でも心底の命も賭けずに転生する卑怯なカイストをただ一度で死の淵に追いやってやりたい。戦いを楽しもうとしたことを、遊び感覚で人を殺めたことを未来永劫後悔させてやりたい。

……いや、そういった発想ですら無い。

ただ魂を消滅させる剣技を使う自分に惚れ込み、そして実際に我力がその様に作用し始めている。

 

この、なんとも爽快で自分勝手な剣技を実現する為には、いかなる敵を作ろうと無限の時間一人で素振りを続ける覚悟だろう。

マローセットはその最初の段階の試金石であり木人椿だった。

 

「事情は一応分かった。飾らずに言うと最悪な気分だ」

「君には気の毒に思う。しかし、私はもはや私の剣にしか興味を持てない。こうして内実を打ち明けたのは、君が逃げ回って互いの時間を無為にしないためだ」

 

マローセットはテーブルに肘をついて俯いた。一枚板の見事な木目は彼を慰めなかった。

 

「成る程。ウィングルトン、お前は俺にとって今までで一番迷惑で厄介な客だ」

 

見た目こそ多毛で豪奢なものの、その実、羊を狩り立てることしか頭に無い馬鹿な牧羊犬に追い回されている気分だった。

今も我慢しているだけで、マローセットを試しに斬りたくてうずうずしているのが伝わってくる。

この手の輩は話と理屈が通じても意見を曲げることはあり得ない。自らの矛盾に自覚的だからだ。

 

意味など無い。

しかし楽しいから止まれない。

 

戦士になるのはこんな男ばかりだ。

結界士が墜滅の危機に瀕して興味を持った結果、滅殺士になった。それがこのウィングルトンの正体だ。その剣技は相手の墜滅と不可分だった。

そして同時にマローセットの正体も判明した。この男のサンドバッグだ。

 

「金の話など無粋だが、私のガルーサ・ネットの口座を譲ろう。余計な世話で誠に失礼と思うが、良ければ余生を楽しみ給え。結界士時代にそれなりの金額を貯めている」

「一人でやっていろとしか言いようが無いな。その傍迷惑な剣技のどこに文化的な粋がある」

「連れないことを言うじゃないか。しかしこれからは私がその無理解を助ける杖となる」

「へし折ってやりたいところだがな……」

 

ウィングルトンはまた愉快そうに笑った。

 

マローセットには剣撃の美麗に酔ってスタイルを変える高尚な感性はない。

しかし言ってることは無茶苦茶だが、実際にどうしようも剣バカなのは確かで、途中で辞めることはあり得ないだろう。

 

「ウィングルトン。お前を剣の阿呆に変えたその戦士が、また同様に剣の白痴で無いことを願う。同種のカイストと二度も戦うのは面倒だ」

 

マローセットは懐に入った手を抜いた。

ある危険な世界で収集した食材だ。

 

皮膚吸収した瞬間にカイストだろうと何だろうと一瞬で虜になってしまう。転生後にすら影響する劇物だ。

当然の禁制品であり、文明管理委員会には秘匿して所持している。擦り付ければどんなカイストも微量の摂取で一発で薬物漬けのジャンキーになる代物だ。

 

「おや。何かしたかな」

「……ちっ」

 

マローセットの手首が床に落ちた。

 

常人とさほど差がないマローセットの反射神経では剣の残像すら見えなかった。

 

「誰かに遺言はあるかね。それとも、故事に倣って君もカイエンス・パラドックスに賭けて勇気を出してみるか」

「俺はカイストだ」

「そうかい。余りに弱いので勘違いしてしまった。だが魂は不相応なほどに強い」

 

立ち上がろうとする。

 

ダン、という切断音ともにマローセットは膝をついた。

両足の脛が切り落とされている。

 

マローセットは下からウィングルトンを睨み付けた。

 

「もう少し強い奴を狙ったらどうだ。Cクラスを虐めてもいいこと無いぜ」

「申し訳ないが、もう私はカイストのクラスなど把握していないのだ。ただ一刀を振り続け、消滅の確信を得られる縞目の魂を見つければそれを試させて貰っている」

 

ウィングルトンの瞳はマローセットの内側を観察している。

ただ、自分が届きそう。届くはず。必ず届かせる。

そう直感して斬撃で墜滅すべき相手を見つけた時には、一心を鋼よりも硬く打って執拗に剣を振るう。

 

それは紛れも無いカイストの在るべき姿だった。

Cクラスを執拗に標的とした事に相手のクラス云々は関係なく、ギリギリ自分の剣技で墜滅されられそうなハードルに挑戦していただけだ。

 

無謀な戦士の中に巧妙な結界師の打算と保身が入り混じっている。

このやり方を最短最速の鍛錬と捉え、反撃されない練習相手を狙う卑劣な計算高さの自己矛盾すら一片の罪悪感もなく実行の燃料として焚べている。そもそも戦う相手では無い。動くだけの練習台として認識している。

 

ウィングルトンは飛び掛かる前の犬じみて再び剣を構えた。

 

「そんなことよりテーブルに載ってるパパドを食べてくれ。同じ窯の飯を食って仲直りしないか」

「遠慮しておこう。元より君の分だ」

 

今日の為に特別に用意した猛毒入りの薄焼きパンが直剣で断ち切られ、一口で食べやすいサイズに分けられて床に転がった。

 

「それでは御機嫌よう。また会えなくなる日まで、また会おうではないか」

 

大上段からの素振りじみた素直な斬撃が放たれる。

マローセットの視界が二つに割れてぐるりと天地を逆さにした。

 

マローセットは死んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ウィングルトンはそれからしばしば姿を現した。

 

マローセットの魂が前回の傷から十分に回復しきったのを見極めると、その完全な状態から一撃で消滅させようと目を輝かせてやって来る。

探知の手段も抜かりなく心得ているらしく、四千世界のどこに逃げても追い掛けられる。マローセットに隠行の力がないのも原因だった。

 

ウィングルトンはカイストの墜滅と自己陶酔に満ちた修行をワンセットで繰り返す戦士だった。

ひたすら納得がいくまで何万年、何十万年も一人で剣を振り続け、人里に降りては成果を確かめるべく最適なカイストを墜滅させる。

この終わりない魂の鍛造をループさせている。

そして標的をCクラス相当から引き上げる最後の総決算としてマローセットを狙ってるようだった。

マローセットを一撃で墜滅させれば、他のどんなCクラスもほぼ確実に仕留め切ることができるはずだ。

 

その剣技の練り終わりの後は、Bクラス級の魂を相手に修行を開始するだろう。まあ本人はクラスを気にする素振りは無いが、結界師としての性根が無意識に悪辣な圧倒的強者を避けている。

だが、いずれにせよ其処からはより本格的に自身の墜滅さえ賭けての危険な修練が始まる。

 

しかしマローセットはウィングルトンをそこまで進ませる気は無い。これはどちらかが墜滅するまで続く戦いだ。意地の張り合い。二人のカイストの真剣勝負だ。

 

マローセットは手を変え品を変え反撃した。

無味無臭で雨に混ざるアレルギー食品は勿論、音を食べる人類から学んだ波長料理や、昆虫的特性を備えた人類から得た蚊や蝿を通じて提供する毒スパイスを刺させようと試した。

どれも通じないと分かると、四千世界の外縁部まで逃げ出した。巨大な魔獣の体内に引き込んだり、こんな時に向けて秘策として備えておいたお菓子の家に招待して自分ごと吹き飛ばした。

 

しかし、戦闘に割り振った力の総量は所詮Cクラスである。

それも分類すればメジャーどころとは言えないCクラスの科学士だ。これがまともな科学士だったら、核爆弾でも使えばチャンスはあったかも知れない。

 

ウィングルトンはマローセットの罠を優雅に突破して殺した。

手こずることもなく会う度に腕を上げ続けた。

数百年、数千年、数万年に一度現れてはマローセットを殺した。今度こそはという意気込みと一刀を携えて、目を輝かせてマローセットで試すのだ。

 

殺して、殺して、とにかく殺した。

数百回を優に越えるほど殺した。

 

前言を曲げて不利な自分に味方するカイストと契約を結ぶ事も考えたが、相手は諦めないだろうし、もしこんな状況から情けない手段で這いずり回ればもはやそれはカイストとは呼べない。

 

マローセットは蜘蛛男ではない。

一端のカイストとしての意地があるのだ。

 

そうこうしている内に、完全に反撃の望みが絶たれたと理解すればマローセットは生きる気力を無くして墜滅するかも知れない。全盛期の魂を相手取りたいウィングルトンにとって不本意ではあるが、それはそれで一応の目標には達したということだ。

 

「俺は決して諦めない。来いよ、この粘着クソ野郎が」

「君の口汚い罵詈雑言が聞けなくなる日が来るのは寂しいよ」

 

理不尽を課すのがカイストなら、理不尽を乗り越えるのもまたカイストである。

そこから長い長い本当の戦いが始まった。

 

 

千三百万年が過ぎた。

 

 

状況が奇妙に変わっていた。ウィングルトンの襲撃の頻度が落ちたのだ。

マローセットの転生頻度が落ちているのが原因でもあるが、それ以上にウィングルトン自身の不調が原因だった。

剣が鈍って気力は衰え始めた。

そうしてさらに五百万年が過ぎる頃には殆ど襲撃が無くなってしまった。

 

自暴自棄の様な最後の襲撃から僅か百万年後。

ウィングルトンは墜滅した。

 

幕切れ近くには弱りに弱りきってCクラスにまで実力を落とし、これまでに恨みを買った下位のカイスト達に嬲られるように消滅させられた。

美しい瑞鳥が薄暗いスラムの掃き溜めで穢されて打ち捨てられた様な悲惨な最期だったという。

その姿には常人であれば胸を痛めたであろう。しかし正確な事実を見ればそれはマローセットの仕業だった。

 

ウィングルトンの結界は完璧で隙がなく、ただの一度も挑発に乗って料理を口にしなかった。マローセット程度の反撃が有効に働いた局面は存在していない。

マローセットが唯一それ以外にやったことと言えば、己の技術を継がせるかのように四千世界に食文化の軌跡を残したことだ。

 

ウィングルトンとの最初の会合以来、マローセットは本当に渋々、嫌々に食文化の啓蒙を始めた。

転生先する度に現地の食事を自分の色に塗り変えた。そうしてすっかり定着すると別の星や世界に向かった。

殺されてもめげずにこれを続けた。

まるで末期患者が社会に爪痕を残すような形振り構わなさだった。

 

ある時を境にマローセットから端を発した食文化は自らで別の場所に広がり、確かに根付いていった。

ここまで広がる理由は単純だった。

いかなる我力とも魔術とも関わりがない。マローセットの伝えた調理技法があまりに容易かつ顕著に食味を改善したからだ。美味い料理を作れる技法だから広まったに過ぎない。

 

料理を口にせず剣でツケを払い続ける暴漢の来客が終わると、マローセットは再び変わらない諸世界漫遊の日々に戻る。

襲撃が終わって僅か百万年も経つ頃には、ウィングルトンなどというカイストが居た事などすっかり頭の隅にやって忘れてしまった。

ただし時々は顔馴染みのカイストとの再会もあり、墜滅を逃れた幸運をからかい混じりに祝福されることはあった。

 

ある日マローセットがガルーサ・ネットに立ち寄ると、偶然にも例の顔馴染みの受付がいた。

再会を祝意を受け、そこで初めてマローセットはウィングルトンがいつ頃墜滅していることを教えてもらった。

襲撃が止んだ期間からは大して気にも止めてなかったからだ。

 

「あー、そうか。それくらいで消えてたのか。中々頑張ったみたいだな」

 

マローセットがそう言うと、いつもの受付は胡乱げな視線を寄越した。

 

「マローセットさんが何かしたって言うんですか? 屈剣は単に情熱が冷めて諦めたから消えたって聞きましたよ。よくあるカイストの末路です。幸運でしたね」

「運じゃない。あれは良い意味で本物の馬鹿だ。そう簡単に諦めたりしない」

 

せがまれたので仕方無くマローセットは何が起きたのか解説した。

 

「ここ二千万年くらい、四千世界のどこに行っても料理の味が似通って無かったか?」

「どうでしょうか。そう言われればそんなような気もするくらいです」

「戦いの最初の百万年で、俺があいつ向けに提供される全ての料理を変えたからだ」

 

そう教えると受付は首を傾げた。

これはあまり一般的なカイストの知るところでは無いので、マローセットは一言で理解されないのは予想していた。

 

「つまりだな。どこに行って何を食べようと、ウィングルトンにだけ効く猛毒が提供されるようにした。食文化を塗り替えた。本人は決して毒に気付けない。むしろ体調が良いとすら感じていただろう。そういう組成のスパイスやら食材を常用する料理に人々が辿り着くような技法を布教したからだ」

 

そこで初めて受付は驚きと共に瞳を丸めた。

続けて、マローセットを疑って聞き返した。

 

「まさか、四千世界の住人の食生活を全て変えたって言いたいんですか。たったの百万年ですよ。いえ……それでも十分に長いですが。それに、だからって一般人の誰も彼もがカイストに効く猛毒を作って食べてたなんて信じられません」

「カイストには効かない。ウィングルトンに効く毒だ。それに主に奴の活動範囲だから、四千世界の四分の一に限る」

「それだって途轍もない話です」

 

食文化に関する基本的な考え方がある。

ある手法を最も活かせる料理を作ろうとすると、使う食材は似通ったものに変化する。竈門であれば小麦だし、飯盒であれば米が調理に適している。

この場合は竈門での焼成という技法を先に広めたので、パンを作るのが流行ったという流れだ。

仮に小麦が無い土地だったとしても、他のデンプン質を使って粉物を焼くようになるだろう。

自然、竈門が広まった世界ではその種の農作物の生産が主流になっていく。初めは選択の余地が無い貧困世界でも、文化レベルが上がるにつれてやがてそうなる。

マローセットが広めた技法は他の全てを食堂の黴びた倉庫に押し込むほど簡便で美味に仕上がり、その技法に適さない食材をあらゆる世界の市場から駆逐してしまった。

 

「近い感覚は世界の外側の混沌料理を研究していた際に養ったものだ。今回の策はこれを攻撃の主軸にした」

 

マローセットは秩序と混沌の比率を利用した攻撃を行った。

 

彼の考える混沌の概要はこうだ。

四千世界は秩序と混沌の2種で構成される。

秩序を法則、混沌を世界や生物の原料と捉えると分かりやすい。秩序だけではどんな生物も生まれ得ず、また生命の根源たる混沌だけでは四千世界の何者も形をなし得ない。

生命のスープである混沌に秩序が枠組みを与えるからこそ、自分達は命を謳歌できる。

だから全ての生物は秩序と混沌で出来ていた。

 

通常この比率は殆どの秩序と少しの混沌で成り立っている。ガルーサ・ネットで調べたところ、四千世界の中心に近いほど秩序方向に偏っていくらしかった。

しかし、マローセットの体感ではその法則は必ずしも正確に当てはまらない。中心から同じ距離に並列した二つの世界でも秩序と混沌には微差があり完全に同一ではないこだ。

 

マローセットは幸運にもこの差を検出する生粋の超高精度な器官を持っていた。

専門器具でも殆ど検知できないレベルの差異を判別できる、繊細さを極めた舌だ。

 

マローセットにさらに言わせれば、同じ世界の中であっても生物によって、より厳密に言えば個体によっても秩序と混沌の比率は違う。

それは天文学的な数値の無視できる誤差だった。

 

マローセットはこれを秩序寄りの食材、混沌寄りの食材と分類していた。

例えば高等動物である畜産動物は秩序寄りであり、より原始的な魚や虫は混沌に偏る。生物として高等になるほど枠組みは複雑化して秩序側に寄るのだ。

野菜の例では裸子植物は秩序、藻と苔は混沌になる。

また同程度の複雑さの植物でも、ロマネスコが見ていて整然と感じるのは秩序寄りの比率を持ち、蓮の実に生理的な険悪感を感じやすいのは混沌に傾くからだ。こんな傾向がスパイスやミネラル類にも無限にある。

マローセットはその全てを心得ていた。

 

カイストの身体は出身の世界によって秩序と混沌の比率が違う。

その為、あまりに比率が掛け離れた土地まで行くと不調を感じる。それはごくごく軽い混沌領域に滞在してるのと同じことだ。特にその場所の素材で出来た料理を食べるとごく僅かに枠組みが揺らぐ。

また比率がそれほど離れていなくても、その個体だけが苦手とし、不調を来す特有の成分や比率も存在する。

 

マローセットにはその法則性が分かる。客の身体を素材に見立てて見抜き、枠組みを乱す料理が既存世界の物質から生成出来てしまう。

効果は極めて限定的かつ非常に弱いが、毒も我力も一切使わずにカイストに有効な攻撃が出来る。

 

マローセットは完全に全ての皿がウィングルトンにとって有害になるようなレシピを徹底的に頒布した。

簡単で美味しく、人々にたちまち広がって、ウィングルトンの体内に入った時にだけその秩序と混沌の比率を絶妙に揺さぶるように調整した料理だ。

庶民であれシェフであれ、マローセットが作った食文化圏で出される食事はウィングルトンに不調を引き起こす。

いわば、ウィングルトンというたった一種の個体のみに特化した猛毒の食文化だった。

 

この食文化を速やかに広げることがマローセットの第一の目標だった。

 

「カイストが常人をやめて忘れる物の一つが、美味いものが人々の間に広がる速さだ。百万年もあれば十分に食文化は独り立ちできる」

 

カイストの殆どは庶民が何を食べてるかなんて気にかけない。

こうした大規模な環境変化を嫌う文明管理委員会だって、厳しく監視するのは科学技術の進展速度だけだ。

食文化の普及速度になんて見向きもしない。料理で核爆弾は作れないからだ。

 

「四千世界の全てを塗り替える程度のことなら時間をかければ出来る。ただ子供でも簡単に作れて美味い料理の技法を広めればいいだけだからな」

 

ライバルがおらず、食に興味を抱くカイストがいないからこその独占市場だった。一般人を仮に調理士のカイストと見立てれば、彼はただ一人のAクラスのカイストだった。

 

マローセットは大体の概要を受付に教え終えた。

 

ネタばらしは興味を引いた。我力を全く使わない珍しい戦い方だったからだ。受付はあまりに迂遠な戦い方に言うべき言葉を見つけられないでいた。

それで少し迷った挙句、疑いを向ける台詞を口にした。

 

「それで墜滅したんですか。その程度でカイストが消滅したなんて信じられません。屈剣はひとつの世界に留まっていた訳ではありません。料理も料理人も、我力の我の字も知らない、何の変哲もない現地の一般人のものなんですよ」

「普通はそうだ。しかしいくらカイストだろうと、特効の毒物を数千万年単位で取り続けていれば魂に傷がつく。胃は食物を体内に取り込む関係上、我力防壁の強度を完璧に保ち辛い。たぶんな」

 

マローセット自身は我力防壁がほぼ無いのと等しいのでその感覚は掴みづらい。

受付はそれでも未だに話を消化しきっていなかった。マローセットの説明した手法はそれほどカイストらしくないやり方だった。カイストの癖に我力での攻撃を捨てている。

 

「しかし、ウィングルトン本人も当然不審に思ったはずです。原因が分からないものなんでしょうか」

 

受付は職員専用と思われる端末を操作した。結果が表示され、当然の疑問をマローセットに投げかける。

 

「今調べましたが、ウィングルトンは魔術士と検証士に何十回も不調の原因調査の依頼をしています。治療士の手にも借りようとした履歴も残ってます」

「散々毒とは言ったが、実際は毒じゃあ無いからな。ほんの少しの亢進作用で体に無理をさせる作用しかない。この攻撃の我力含有量はゼロだ。通常の検査法には引っ掛からない」

 

枠組みが揺らげばいずれ原点を見失う。徐々に躁鬱を繰り返すウィングルトンは必死に原因を調べたはずだ。

 

しかし食事すら取らず奔走しようと、世の中にマローセットの料理が増えれば空気中にも僅かながら揮発して成分が乗る。

店の前を通り過ぎるだけでも効果は出る。

原料の大規模生産が進めば、人里離れた場所で静養しようとも完全には影響を遮断はできない。

 

検証士が気張れば枠組みが崩れかけてる事実までは辿り着けるかもしれない。だがそこから難しい。カイストは我力と敵意の無い攻撃には酷く鈍い。

さらに原点を変えたカイストが不調な場合、まずそちら側の原因に目が行く。誰も庶民の食事が原因とは思わないだろう。

 

混沌を研究する超一流の検証士とのツテがあれば見抜かれたかも知れない。尤も、そんな検証士がいるかは不明だが。

その場合はマローセットの負けだった。

 

「食あたりすら起こさず魂に小さな傷をつける。原子一個分程の大きさのすぐに回復するような微細な歪みだ。もちろんこの程度では肉体的には決して死なない。あの粘着野郎は鬱病で死んだ」

 

一年で千食。百年で十万食。一万年で十億食。一千万年で十京食。食事を採らない期間も長くあるとしても、相当量を摂取させた。

 

受付テーブルの向こう側では、口元に手をやって考え込む仕草をしていた。

 

「マローセットさんの気が長いのは知っていますが……。いえ、やはりなんと言うべきか見つかりません。そんな戦い方があるんですね」

「これは四千世界のあらゆるカイストの教科書に載ってないアプローチだ。他にやっているカイストは見たことがない」

 

ウィングルトンは生きてる間、料理のせいだとは思わなかっただろう。

単に自分の気力が年々衰えて道を見失う、カイストにとってごく有り触れた絶望の末路をのろのろと歩んでいたはずだ。所詮それが自分というカイストに最初から用意された結末だったと信じて疑わず。

ウィングルトンは生き物として環境に淘汰された存在といえる。その環境を四千世界に広げたのはマローセット自身だ。

 

受付は自分の今朝の朝食でも思い出したのか、口元を手で覆って身震いした。

 

「怖いです。もう何処でもご飯食べれませんよ」

「本人以外に効果は無い。というより本人にしか効かないからこそ猛毒になり得た」

 

そう言うと、受付はほっと息を吐いて肩の力を抜いた。

 

「はぁ。マローセットさんって本当に独自路線なんですね。料理人を敵に回すと良くないってことですか」

「料理人と名乗ったことは無い。人に食わせることもあるだけだ。大抵の場合は仕方無くな」

 

しかしこれはマローセットがかなり嫌うやり方だった。単調な料理が世間に増える上、優れた技法で未熟な食文化の芽を摘む行為だ。

何よりこの攻撃を使った時の憂鬱な長い仕事が始まるのはこれからだった。

 

「面倒なのは戻し作業だ。これは今取り組んでるが、早くこの食文化を徹底的に破壊して、食に多彩さを取り戻さないければならない。軽く見積もって広めた時の十倍以上の時間がかかる」

「折角世の中に美味しい料理が広がったんですよ。やめさせるんですか」

「当たり前だ。この食文化には発展性は無い」

 

優れていても所詮マローセットの中では行き詰まった技法だ。これが四千世界を支配すればそれ以上の進歩は生まれない。

 

そこではたと受付は気が付いた。質問したことを後悔さえした。自分が聞いてしまった内容が思ったよりも深くマローセットの核心に触れていたからだ。

焦った受付の声は一段小さくなっていた。

 

「よくそんな大事な戦法を教えてくれましたね。検証士に会話を掘り起こされますよ」

「俺より優れた技法の誰かに同じ手をやり返されたい期待だ。ウィングルトンを返り討ちにしたのは恥ずべきことではない。隠さずに誇れば我力が応える。我力が増せば料理用に割り振れる容量が出来る」

「その容量を強さに少しも使わないなんて、マローセットさんはちっとも変わりませんね」

 

受付は若干嬉しそうに苦笑した。

また似たような輩が現れたら今度は違う対策を考える必要があるかもしれない。事前策の考案は弱者の義務だ。

 

マローセットは受付の朗らかな様子を見て、そこで、自分が随分と長い事このCクラスとお喋りに興じていたことに気がついた。

いつの間にか付き合いの長さで人柄を気に入ったのか、余計な事を喋り過ぎていた。

 

「……ところでそちらは少し変わったようだな。身なりが良くなってるように見える」

 

マローセットは逆に問いかけた。

 

受付は今度も笑った。

打って変わって冗談っぽい親しみに満ちた悪戯な笑みだった。

 

「ガルーサ・ネットの商会の職員の中で、唯一マローセットさんが墜滅しないことに大金を賭けたカイストがいたんです」 

「上手くやったな」

「どんなに弱いCクラスにも生存の為の武器がある。そうですよね。私はそれを実践しただけです」

 

同意を求める表情は春の花のように嬉しげだ。

確かに戦いにおいて強くは無いが、自分と同じく腐らずに学びを得ている。

 

「……あぁ、そうだ。それにしても長々と喋ってたら喉が渇いたな。仕事が終わったら一杯どうだ」

 

その受付とは初めて会ってから随分長い時間が経っていたが、その時ばかりは飲み明かして夜を共にした。

食べ慣れた豪華な御馳走を前に舌鼓を打ち、この食文化が終わることを願って杯を交わした。

 

 

 

 

 

 

 

 

「スーシェフにとって料理とはなんですか」

 

ある時、七億歳以上も歳下の一般人がマローセットに質問した。

 

それは究極の一皿を舌に乗せたときに初めて分かることだ。だがこのマローセットを親鳥のように信じて疑わない見習いコックに自分の色をつけるのは好ましくない。

なので大して本気にされないだろう、その場で思いついたことを口にする。

 

「決まってるだろう。死んでしまうほど美味いものを探す旅だ」

 

マローセットの旅はまだ続く。

相変わらず道連れの一人もいない孤独な往路だが、滅ぶ食文化から残されたものを拾うにつけ、誰かの遺志を重ねつつ歩む旅路はどこか巡礼にも似ていた。

 

マローセットはその想いを持ち寄って、最後は自分自身の墓石にする予定だった。

 


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