シン・アスカは英雄である。
それは人類の存亡をかけた地球軌道上の戦いで、セナの願うデスティニープランを打ち破った事から、自由を求めて生きる者達の間では共通の認識であった。
しかし、それはあくまでデスティニープランを良い物として考えなかった者達の間での話であり、デスティニープランを、セナの願いを、信じてその未来こそ正しい物だと信じていた者たちにとっては、憎悪の対象でもあった。
「だから言っただろう。シン。モビルスーツから降りる際には気を付けろ、と」
「でも! 子供だったんすよ!? 普通の子供で!」
「だが、そんな普通の子供に殺されかけたんだ。もう少し注意しろ」
ミネルバの医務室で、ナイフを向けられた際に付けられた傷を手当して貰いながらシンは叫んだが、アスランの顔は厳しい。
言葉も厳しい物であったが、その言葉はあくまでシンを気遣ったものである為、シンはそれ以上吠える事が出来ず、押し黙ってしまった。
そして、アスランとシンのいつもの喧嘩も終わったという事で医務室にルナマリアとレイも踏み込んできた。
「ちょっと、シン。大丈夫?」
「油断したな。シン」
「まぁ、な。うん。油断した」
アスランに噛みついていた時の勢いはどうしたのか。シンは少し落ち込んだ様子で言葉を紡ぐ。
その様子に、レイもルナマリアも近くの椅子に座りながらシンに話を聞くのだった。
「それで? 傷はどうなのよ」
「別に大した事はないよ。子供の力だしな。でも……まぁ、言われた事の方が、ちょっとダメージデカいかも」
「言われた事?」
「あぁ……『お前だってセナ様に救われた癖に! 裏切者!』ってな。まぁ、実際にその通りだから何も言えないんだけど……ハァ、って感じだ」
「それで何の訓練もしてない子供のナイフ避けられなかったってワケ! アンタ、アカデミーで何やってたの!?」
「ちょっと、アグネス。今、シンも落ち込んでるんだから」
「なーにが落ち込んでるよ! 私の方が落ち込みたいわよ! 前の戦いじゃ! プラント防衛でキラさんのお傍に行けなかったし! コンパスなら! って来てみたらキラさんは極秘任務で居ないって! 何なのよ!? 詐欺!? 詐欺なの!?」
「医務室だぞ。少しは静かにしろ。ギーベンラート」
「うっさいわねー! アンタザラ派のトップだったパトリック・ザラの息子なんでしょ!? こんな所に居ないで! ザラ派のテロリスト潰してきなさいよ!! アイツ等のせいで、こっちは宇宙に行ったり、地上に降りたり大忙しなんだから!!」
「地上でテロを起こしているのはブルーコスモスだぞ。アグネス」
「ん-な事は分かってんのよ! アンタの! そういう! ネチネチした所が! 私はアカデミーから大っ嫌いだったのよ! だいたい! アンタ! キラさんと敵対してたんでしょうが! どの面下げて、ここに居んのよ! ここにぃ!」
「キラさんからの指名だ」
「きぃぃいい!! ムカつく!! 澄ました顔で! アンタも! ルナマリアも! キラさんより議長を選んだくせに! 何で! 私が狭い門を潜り抜けてようやくここに来たのに! アンタ達は指名なの! 納得出来ないわよ! 納得!」
アグネスの叫びを苦笑しながら聞いていたルナマリアであったが、不意にシンだけアグネスの嫉妬から外れている事に気づき、話題を逸らしたい気持ちもあって聞いてみる事にした。
シンには火種を投げる様で申し訳ない気持ちもあったが。
「それに関しては、まぁ、申し訳ない気持ちだけど……てか、シンも指名されてるけど、そっちは良いの?」
「あっ、たり前でしょうが! そこの山猿は、確かに覚えも悪いし、私から栄光のインパルスを奪って行ったし。キラさんの部下には相応しくないわ! でもね。あのデュランダルの目論見に誰よりも早く気づいて、キラさんの為に動いたのは山猿にしては大したモンよ。ま、私ならもっと早くキラさんの元に馳せ参じてたけどね!」
「あ、そう」
余計な言葉が色々と付いてきていた為、素直に関心する事も出来ず、ルナマリアは適当に流す事にした。
これはもうアグネスの病気みたいなものなのだと。
「でも……」
「うん?」
しかし、どこか諦める様な空気で苦笑していたルナマリアであったが、不意に重い顔になったアグネスが呟いた言葉に再び意識をアグネスへと向ける。
「大丈夫なのかしら? キラさんとセナちゃんは」
「大丈夫って、何が?」
「だって今は二人きりなワケでしょ? 確かに、セナちゃんはあのデュランダルのカス! に騙されてデスティニープランを実行しようとしていたし。デュランダルのカス! のせいでキラさんと戦わなきゃいけなかったワケだけど。それはセナちゃんの責任じゃない訳じゃない。気にしてないかしら。キラさんなら何とかしてくれるかも! とは思うけど、心配なのよね」
「アグネス……」
「あー! もう! そんな事考えてたら! 早くキラさんと合流したくなってきた! もう! 極秘任務はまだ終わらないの!? 早くして欲しいんだけど!?」
「キラとセナの極秘任務はまだまだ時間がかかる」
「ウッサイわね! アンタは! アンタが行けば良かったでしょうが! アンタが!」
アスランがアグネスの言葉に応えると、アグネスは軍人とは思えない言葉でアスランを罵って、そのまま医務室から出て行ってしまった。
どこまでも自由なその振る舞いに、アスランは額に手を当てながら大きなため息を吐く。
が、ここにアスランの味方となる者は残念ながらおらず、アスランもまたシンの傷が大丈夫だという事で医務室から出ていくのだった。
部屋に帰って胃薬を飲むのかもしれない。
そして、アスランと入れ替わりに入って来た女性が、わき腹についた傷を包帯で覆っているシンを見て、少しだけ安堵した様な顔になりながら医務室にピッと背筋が伸びた状態で入室してきた。
その人の搭乗に、シンもレイもルナマリアも自然と背筋が伸びる。
「どうやら無事だった様だな。シン・アスカ」
「は、はい! バジルールニ佐!」
「そうか。それは良かった」
ナタルは安堵の息を零しながら軽く微笑み、言葉を続ける。
「君たちが宇宙へ帰るのは少し見送りとなった。しばらくは地上だが……まぁ、地上部隊は充実しているし。少しゆっくりとしていると良い。少なくとも怪我が治るまではな」
「宇宙へ戻らなくても良いのでありますか!?」
「良いというワケでは無いがな……ミネルバの損傷も大きく、一度大規模な修復を行うという事になってな。ちょうど良い機会なので君たちの乗る艦を変える事になったのだ。それで……ちょうどプラント、オーブ、大西洋連邦で共同開発していた新造艦に乗り換える事となったのだが……大西洋連邦が新造艦の推進式をするのであれば、地上で行うべきだと主張してな。現在推進式を行う場所についてもめているのだ」
「いや、推進式って……普通航海に出る前にするモノですよね?」
「あぁ。だから月で行うべきなんだろうが、これからの平和を担っていく象徴となるワケだし。大々的な式にするべきだ。という意見もあって、その様に決まったらしい」
「何とも面倒な」
「だが、まぁ……気持ちは分からなくもない。未だ世界は不安定だからな。コンパスの軍事力を見せるという意味もある。これもまた必要な事だ」
「はい」
「その為、君達の次の任務は進水式の護衛と式典への参加だ。当日まで戦闘行為はなるべく行わない方針ではあるが、何かあった際にはそちらへ向かう」
「「「ハッ!」」」
「また、式典で恥ずかしくない様に、身だしなみと、立ち振る舞いは見直しておけ。良いな」
「はい! 承知いたしました! バジルールニ佐」
「うむ。では何かあったら、グラディス艦長か私に言う様に。以上だ」
ナタルはシンの様子を確認しつつ、伝えるべき連絡事項を伝えるとそのまま医務室を去っていった。
ナタルが居なくなる事で医務室の空気はまた少し緩んだものになるが、それでも多少の緊張は残る。
「新造艦の推進式かぁ。なんかアーモリーワンの時の事を思い出しちゃうね」
「そういえば! でも、そうなると?」
「いや、アーモリーワンの時の様な事にはならないだろう。今回はプラント、オーブ、大西洋連邦が同盟を組んでいるに等しい状態だ。表面上だけだとしてもな。その会場で騒ぎを起こす事は無いだろう」
「でも、ほら。ユーラシアとかもあるじゃない?」
「コンパスの戦力は分かっている。無駄な事はしないだろう。それに、ナチュラルも多く参加しており、キラさんがトップに立っているんだ。ブルーコスモスだって、コンパスに戦闘を仕掛ける様な真似はしないさ」
「そう言われるとそうね」
レイの冷静な言葉に、ルナマリアとシンは大きく頷き、記憶の中にある事件をひとまず記憶の中へと押し込めた。
だが。
「しかし、警戒をする必要があるのは確かだ。今回シンが襲われた件もそうだが……俺たちは有名だからな。良い意味でも、悪い意味でも」
「……そうだな」
「そうねぇ」
「セナがギルに操られていたと思う人が居る様に。キラさんが、俺達に操られて居たと思う人間も多い。油断は出来ないな」
「ハァー。もうホント。みんな信じたい物ばっかり信じるんだから」
「それが人間という物だ。キラさんとセナが平和を望んでいたという事は誰もが知る事だし。二つの異なる正義があったと考えるよりも、自分とは異なる考え方の持ち主が、誰かの思惑で動いていたと考える方が楽なのだろう。ロゴスの前例もあるしな」
「どうすれば……変わるのかな」
「シン?」
「俺、軌道上でさ。セナと戦って、思ったんだよ。セナはもしかしたら、デスティニープランを実行するつもりは無かったんじゃないかって。俺と同じように。ただ、みんなに、自分の意志で、自分たちの力で、平和を手に入れて欲しかったんじゃないかって、思うんだ」
「……シン」
「それならば……まずは俺達が変わらねばならないだろう。お前が言ったように、な。誰かの指示で動くのが軍人であるが、俺達は俺達という個人であるのだから。レイ・ザ・バレルの人生は、俺が決め、シン・アスカの人生は、お前が決める。そういう当たり前の事を、実践して示してゆくしかない」
「そうだな」
「あぁ。だが、いつまでもキラさんとセナに頼ってばかりもいられないんだ。俺も、残り少ない人生ではあるが……後悔のない様に、生きるつもりだ」
「……レイ」
「だから、シン。この世界に生まれて良かったと。そう思える輝きを、見せてくれ」
「あぁ!」
レイの救いを求める様な言葉に、シンは勢いよく立ち上がって応え、わき腹の痛みに涙を滲ませながら、再び椅子に座った。
「いてて」
「もう、少しは落ち着きなさいよ」
「いやぁ、悪い悪い。つい、な」
「つい。じゃないわよ。ったく。アンタらは放っておくとすぐ無茶するんだから。私が見てないと駄目ね!」
「ふっ……そうだな」
「いやー。わるい」
「ったくもう」
三人は笑いながら、いつまでも穏やかな言葉を語り合っているのだった。