TS八尺様   作:御花木 麗

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TS八尺様

その存在は人の形をしている。

だが、俺と同じように輪郭はぼやけ、顔もない。

身長は優に二メートルを超えていた。

まるで、霧が人の形を模して立ち上がったような、そんな存在。

 

「……なんだ、あれは……」

 

そう思ったのは、ほんの一瞬。

俺の霊体が、かすかに震えた。

 

恐怖ではない。

もっと深い、理を超えた“本能”が反応し理解した。

 

あれは、まだ“怪異”ではない。

だが、確かに――“怪異になろうとしている”と。

 

言葉じゃない。

理屈でもない。

だが、霊となった今の俺には、それが何か“わかってしまった”。

 

 

 

あれは、形になりかけている。

人々の想像、恐れ、囁き――

それらが集まり、形を持ち始めた“言霊の塊”。

 

「……八尺様……」

 

思い出した。

いろんな掲示板で何度も何度も同じように書かれたレスがあったと言われていた。

この山に“八尺様”が出るという書き込みだ。

そんな不確かな噂は、ネットの海に流れて広がり、時にはそんなバカなと言われる一方、信じるものも居た。

 

その“信じる力”が、人間の想像を超えたモノを生み出しかけている。

 

まだ、完全ではない。

意思もない。

ただ、そこに“在る”だけの存在。

 

完全な怪異となるにはまだ、言霊や念が足りていないのだろう。だから存在がぼやけている。

 

だが、だからこそ――

 

「……混ざれるかもしれない」

 

俺は、確信に近い直感を得た。

 

このまま消えるくらいなら、あの“核”に飛び込む。

意思を持たない霊的な塊に、俺の“想い”をぶつける。

弟を守りたいという執念。

死んでもなお消えない、兄としての執着。

 

それが、あの存在に俺という“色”を与えるかもしれない。

八尺様は、浄化などの意味合いを持つ塩を黒く染めてしまえると言われるほどに霊力が強い。

俺の意思が、そんな霊力の強い怪異を自分のものにできたら、戦況が一変するかもしれない。弟を守れるかもしれない。

 

 

『……一か八か、だな』

 

 

覚悟を決め霊体の輪郭が崩れ始める中、あの“像”に向かって進み出す。

 

そして、俺は――

 

その“核”に、飛び込んだ。

 

 

 

 

 

 

次の瞬間、世界が裏返ったような感覚に包まれた。

熱と冷たさが同時に押し寄せ、視界が白く染まる。

 

俺の意識は、確かに“何か”と混ざり始めていた。

 

この中に込められた畏怖の念や恐怖の念などとごちゃ混ぜになる。

 

まだ、終わっていない。

俺は、まだ――

 

 

――意思が存在せず強い霊力だけで形を保っている器と、弟を守りたいという強い意思だけでかろうじて存在している俺。

 

器と中身。

 

双方に足りないものが揃った。

 

それらが混ざり合い溶け込み合い今1つになる。

 

 

 

 

 

 

 

「兄ちゃん……!」

 

ぼくは、泣きながら森の中を走っていた。

もう、どこがどこだかわからない。

さっきまで兄ちゃんと一緒にいた場所も、帰り道も、暗くなりかけた空に全部、飲まれてしまった。

 

足が痛い。

喉が焼ける。

でも、止まったら、全てが終わる気がした。

 

兄ちゃんに「絶対に振り返るな」って言われたから、ずっと前だけを見て走った。

でも――

 

兄ちゃんの声、もう聞こえない……。

 

 

 

――――しゃら、しゃら、しゃら……

 

 

だけど、聞こえなくていい鈴の音は後ろから聞こえてくる。

背後から確実に距離を詰められている。

 

「やだ……やだよ……!」

 

涙が止まらなかった。

怖い。

怖くて、怖くて、頭の中が真っ白になる。

兄ちゃんが近くにいないだけで、僕はとても心細かった。

思考もままならないけど、兄ちゃんに言われた通りに一生懸命走ることだけは、止めなかった。

 

だけど――

 

 

 

――――ガクッ!

 

 

 

「……あっ!」

 

足が木の根っこに引っかかって、地面に倒れる。

手のひらが擦れて、ヒリつく痛みが走る。

心が折れそうだった。

 

「……ッ……」

 

立ち上がろうとしたけど、足が震えて動かない。

呼吸が乱れて、喉が詰まって、声がうまく出せない。

 

――――しゃら、しゃら、しゃら……

 

 

音は、すぐそこまで来ていた。

背後から、嫌な気配がする。

 

僕はよせば良いのに”それ”をまじまじと見てしまった。

 

白く長い脚。

歪んだ関節。

蜘蛛のように這う異形の身体。

そして、胴体にびっしりと貼りついた、笑う女の顔、顔、顔。

 

沢山の顔が僕の一歩手前まで来て、ニヤリと口を元からさらに歪ませた。

その顔は悪意に満ちていた。

 

 

 

「……っ!」

 

声が出なかった。

身体が動かなかった。

涙が止まらなかった。

 

「兄ちゃん……ごめん……ごめん、僕」

 

“それ”が、手を伸ばしてきた。

細く長い指が、ぼくの顔に触れようとした、そのとき――

 

 

 

――――ドンッ!!

 

 

 

空気が爆ぜた。

何かが、“それ”にめり込んだ。

 

 

 

――――しゃらららららっ!!

 

 

 

甲高く、鋭い鈴の音が、森の奥に突き刺さるように響いた。

 

それは、今までの“しゃらしゃら”という柔らかな音じゃない。

まるで、鈴そのものが悲鳴を上げているような、金属が軋むような音だった。

 

 

 

目の前で、あの化け物が、まるで紙くずのように宙を舞っていた。

その身体が、何本もの木をなぎ倒しながら、森の奥へと弾き飛ばされていく。

 

 

 

――――ドガァンッ!!

――――バキィッ!!

――――ズシャァッ!!

 

 

 

木の幹が裂け、枝が砕け、地面が抉れる。

その衝撃で、森全体が震えた。

 

 

 

そして、そこに――“それ”を蹴り飛ばした存在が、立っていた。

 

――とても大きな女の人だった。

 

背が高い。

とにかく高い。

木々の間に立っているので、まるでこの女の人も森の一部なんじゃないかと錯覚してしまいそうになるくらいには。

 

白い衣が、風に揺れている。

その裾は地面を引きずり、まるで霧のように広がっていた。

 

その中から、一本の脚が、すっと引かれていた。

 

 

 

長く、しなやかで、艶やかだった。

まるで彫刻のように滑らかな脚が、

さっきまで“それ”がいた空間を、まっすぐに貫いていた。

 

 

 

白い帽子をかぶっていた。

つばの広い、古い時代の女の人がかぶるような、真っ白な帽子。それと対照的に艶やかに流れる黒く長い髪。

顔は、帽子の影に隠れてはっきり見えなかったけど、それでも、目だけは、はっきりと見えた。

 

 

 

強い意思を感じる吸い込まれそうになる黒い目。

 

深くて、暗くて、底が見えない。

でも、どこか、静かで、冷たい湖のようだった。

 

 

 

その目が、ぼくを見た。

一瞬だけ、視線が交わった気がした。

 

その視線に怖さは感じなかった。

むしろ、安心さえ覚えた。

 

 

まるで彼女だけが、白黒写真の中に閉じ込められたかのようだった。すべての色彩が彼女から静かに剥がれ落ち、モノクロの世界へと誘う。だが、その中でただ一つ――――紅蓮のように燃え上がる唇だけが、異様なほど鮮やかに浮かび上がっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――満ちていく。

 

 

八尺様という“器”は、確かに強大な霊力を持っていた。だが、それはただの空っぽの殻だった。意思も、目的も、存在理由すらなかった。ただそこに“在る”だけの、形だけの怪異。

 

それに今、その器に――“俺の色”が流れ込んだ。

 

弟を守りたいという執念。 死してなお消えない、兄としての祈り。 それが、器の中に染み渡り、霊力の奔流と混ざり合い、形を確かなものにしていく。

 

白い衣が風に舞い、霧が渦を巻く。 俺の私の輪郭が、はっきりと定まっていく。 八尺様の“身体”に、俺という“魂”が根を張った。

 

 

……明らかに先程までとは力のみなぎり方が違う。

今まで見えていた景色よりずっと高い。

新しい身体にまだ慣れていないが、これでも互角かそれ以上には渡り合える自信があった。

 

 

 

――凪葵を無事に帰すまでは簡単に成仏してやんねぇ。

 

 

 

 

――――しゃら、しゃら、しゃら……。

 

 

 

蹴り飛ばしたソイツが鈴の音を鳴らして戻ってくる。 ソイツは狩りの時間を邪魔されてか怒りに満ちていた。

 

身体は膨れ上がり、節くれだった手足が地を抉る。

皮膚の下で何かが蠢き、骨が軋む音が響く。

その全身から、怨念が噴き出していた。

 

 

『ぽ……ぽぽ』

 

機械的な音が俺の口から漏れる。

 

俺は、静かに人差し指を折り曲げ、顎をわずかに上げながら、無言のまま「来いよ」とでも言うように挑発する。

 

――『驍ェ鬲斐☆繧九↑驍ェ鬲斐☆繧九↑ィィィィィ!!!!?!!!』

 

 

 

それに呼応するように“しゃらしゃらさん”が、地を這って一直線に突進してくる。 その速度は、さっきとは比べものにならない。 空気が裂けるような音と鈴がの音が混じわる。

 

 

俺は、動かない。

 

ただ、タイミングを見て、

しゃらしゃらさんが射程に入った瞬間――――

 

かかとを振り下ろした。

 

俺の白くて長い脚が、真上から叩きつけられる。

しゃらしゃらさんの頭部に、正確に命中した。

 

バシィッ!

 

しゃらしゃらさんの身体が地面に叩きつけられ、土が跳ねた。

 

その瞬間、俺のワンピースの裾がふわりと揺れた。

風が通り抜ける。

静かに、でも確かにその攻撃が命中した。

 

だが、しゃらしゃらさんは諦めなかった。

 

地を蹴り、木に登る。

四肢を使って、幹を駆け上がり、枝から枝へ、獣のように飛び移る。

 

 

俺の周囲を旋回しながら、攻撃の隙を狙っている。

 

俺は視線を鋭くして、意識を一点に絞った。

 

しゃらしゃらさんが、飛び込んでくる。

 

その瞬間、俺は一歩踏み出し、その動線を読んで、身をかわす。

 

すれ違いざま、貼りついた顔の一つに、手を伸ばした。

 

引き剥がす。

 

……ごめん

 

俺は心の中でそう呟いた。

 

しゃらしゃらさんは、木を蹴って再び跳ぶ。

俺は、また一つ、顔を取る。

 

……ごめんね。

 

先程までは怖さが優先してちゃんと見れていなかったが、その顔は、よく見るとどれも美しかった。

 

今回の件は俺の弟を少女と勘違いしたところから始まったが、基本的にしゃらしゃらさんは、美しい女の人ばかりを狙っていた。

 

このしゃらしゃらさんの元の人間は醜い顔がコンプレックスで死んでしまったのだ。

 

だから、死後それを覆い隠すように美しい女の顔で、本当の自分を隠した。

 

自分の顔が醜いことで、人に疎まれ、拒絶され、自分の顔を剥いでそして死んだ。

 

その時の負の念がこの怪異を生んだ。

 

でも、それでも他人を殺していい理由にはならない。

 

一つずつ、丁寧に、謝りながら、俺に攻撃を仕掛けようとシャラシャラ様が近づいてくるタイミングを見計らってしゃらしゃらさんから顔を取っていく。

 

この怪異を覆っていた、飾りのように貼りつけられた犠牲者たちの顔が、すべて剥がれ落ちたとき――

 

 

“それ”の本当の顔が、あらわになった。

 

 

それは、皮膚がなかった。

肉がむき出しで、目も、鼻も、口も、形を保っていない。

死ぬ直前に顔を剥いで死んだまま怨霊になったからだろう。

 

 

 

それでも、俺は目を逸らさずにこの怪異を見続けた。

俺も殺されたし、言いたいことは沢山あるが罵ることもせず、馬鹿にもせず、ただただ目を合わせ続けた。

 

――そういう事は生前、嫌というほど顔のせいでされているだろうから。

 

そうしてやがて、しゃらしゃらさんは、自分の顔に手を当ててもがき始めた。

 

身体をよじり、顔を隠そうとし、でも、もう何も残っていない。

 

『縺?d縺??∝ォ後>縺ォ縺ェ繧峨↑縺?〒縺?d縺??ィィィィィ!!!!?!!!』

 

 

 

自分を覆う美しい顔がなくなったしゃらしゃらさんの身体が、徐々に薄くなっていく。

意思が揺らぎ、存在が保てなくなっている。

霧のように、輪郭が崩れていく。

 

一度、自分の醜い顔に耐えきれなくなって死んだ女は、死んで怨霊になってもそれが原因で二度目の死を迎えることになる。

 

俺は、何も言わなかった。

 

ただ、静かに見送った。

 

しゃらしゃらさんは、最後に一度だけ、俺を見た。

 

その目に、怒りも、憎しみもなかった。

 

ただ、空っぽだった。

 

そして、消えていく。

 

俺に剥がされた被害者の頭も徐々に消えていく。

 

 

 

そのときだった。

 

『解放してくれて……ありがとう』

 

声がする。

 

貼りついていた顔たちが、どこからともなく、口々に、そう言ったような気がした。

 

きっと、被害者の女の人たちは、この怪異に取り込まれて、今までずっと縛られていたんだ。成仏もできずに……。

 

 

心地よい風が吹いた。

綺麗な星々がこちらを覗いている。

 

鈴の音は、もう聞こえなくなっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

俺は、ふと視線を落とす。

 

そこに、弟の凪葵がいた。

 

泣き腫らした顔で、真っ赤な目をして、ぽかんと口を開けて、俺を見上げていた。

今の戦闘を一部始終見ていたのだろう。

 

前も身長差はあったけどこんなにはかった。

今は、随分と見下ろす形になってしまった。

 

 

 

俺は、そっと手を伸ばす。

濡れた頬を、指でなぞるように拭った。

その細く長い指も、俺のものじゃない。

 

弟が、目を細める。

その目に、怯えはなかった。

ただ、懐かしさと、少しの戸惑いがあった。

 

俺はもう、しゃらしゃらさんを追い払った。

弟を守るという“やり残した事”は、果たした。

この身体に霊力が残っていたとしても、もう俺をこの世に縛る強い意思はない。

 

だから、もうすぐ消えるだろう。

そう思っていた。

 

だから、弟の頭を優しく撫でた。

それが、最後にやっておきたい事だったから。

 

そのとき、弟がぽつりと呟いた。

 

「……兄ちゃん、なの?」

 

俺は泣きそうになった。

俺の要素が消え去ったこの姿でも、兄の影を見つけてくれたらしい。

 

俺は、答えようとした。

でも、口から出たのは――――

 

『ぽ……ぽぽ』

 

……やっぱり、これしか出ないのか。

この身体じゃ、もう言葉も出せない。

それでも、伝わってほしかった。

 

弟は、少しだけ笑った。

「撫で方が、すごく似てるから」

 

その言葉に、胸が詰まった。

俺は、黙って撫で続けた。

何も言えないまま、ただ、撫でた。

 

そのまま、消えるのを待った。

 

 

 

 

 

 

 

 

……が、

どれだけ待てど消える気配がない。

 

すっかり夜になった空気が、少しだけ涼しくなった気がした。

 

でも、俺の身体は、まだここにある。

ただ、弟の頭を撫で続けている。

 

俺は、ゆっくりと手を止めた。

 

 

あれ……?

これ、もしかして――――

 

消えない感じ……?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

俺は、大学生と並行して、副業で“霊能者”をやっている。

……と言っても、霊が見えるだけで、祓えるわけじゃない。

でもまあ、見えるってだけで十分だ。

他の人には見えないんだから、適当に「祓いましたよ」って言えば、それで金がもらえる。いい商売だ。

 

実際、勘違いも多い。

「部屋に霊がいる」とか言ってるやつの大半は、ただのカビだったり、風の音だったりする。

だから、今日もそんなもんだろうと思ってた。

 

依頼内容はこうだった。

「息子の様子がおかしい。お祓いをお願いしたい」

 

話を聞くと、数週間前に兄弟で山に行って、兄が行方不明になったらしい。

弟はその日から、何かが変わってしまったという。

 

最初は、ただのショックだと思われていた。

兄の話題になると押し黙ったりするのは仕方がない。それは当然の反応だ。

家族も、最初はそう受け止めていた。

 

でも、違った。それだけじゃない。

 

弟は、兄がいなくなった“その日”から、

誰もいない空間に向かって話しかけるようになった。

 

「兄ちゃん、そこにいるの?」

「……うん、わかった」

「今日は、ここにいていい?」

 

そんなふうに、まるで“誰か”と会話しているようだった。

 

夜中に、廊下を歩く足音がする。

誰もいないのに、ドアが開く音がしたこともあるという。

 

そして、決定的だったのは――――

弟が、誰かと手を繋いでいるような仕草をしていたこと。

 

誰もいない空間に向かって、

笑いながら手を差し出し、「兄ちゃん、行こっか」と言っていた。

 

それを見た母親は、泣き崩れた。

 

病院にも行った。

精神科にも通わせた。

でも、どこも「異常なし」と言うばかりだった。

 

それでも、弟の様子はどんどんおかしくなっていく。

夜中に『ぽぽぽ……』という声が聞こえたこともあった。

 

「このままじゃ、取り返しのつかない事になってしまう」

 

そう思った両親は、最後の手段としてスピリチュアルに頼ることにした。

信じていたわけじゃない。

でも、もう他に頼れるものがなかった。

 

――――それが、俺に回ってきた。

 

俺は内心、笑っていた。

「はいはい、またか」と。

今日も適当に除霊のふりをして金だけもらって帰ろう。

そう思っていた。

 

……が。

 

その弟を見た瞬間、俺は固まった。

 

いや、正確には――――

弟の背後を見た瞬間、だ。

 

いた。

 

俺もまぁまぁの霊を見てきているのでそれだけじゃ、こうはならない。

霊がいたとしても追い払ったと嘘をついて帰るだけだからそこまで怯える必要もないのだ。

でも今回は明らかにいつものとは違った。

 

 

白いワンピースに、つば広の白い帽子をかぶった女だった。

 

 

身長は優に2メートルを超えていた。

顔は影に沈んで見えない。

 

その存在からとてつもない霊力と圧を感じた。

でも、それよりも”気配”が、異常だった。

 

執念。

 

それも、ただ一方的にじゃない。

弟のほうも、無意識にその存在を引き寄せているように見えた。

 

まるで――――

互いに呪縛し合っているみたいだった。

 

この女は、この子供を守るためにこの世に留まり、この子供は、この女を忘れられずに引き止めている。

 

そんな感じがした。

 

その絆は、温かいもののはずなのに、どこか、ぞっとするほど強くて、重かった。

 

俺は、鳥肌が止まらなかった。

霊感だけは本物だから、わかる。

あれは、プロでも払えない。

なんなら封印も厳しいだろう。

下手に触れたら、こっちが消される。

 

俺は、後ずさった。

足が震える。

 

そのときだった。

 

その女が、ゆっくりと、俺に目を合わせる。

 

顔は見えない。

でも、呑まれそうな深淵の瞳を通して確かに“睨まれた”と感じた。

 

そして――――

 

『ぽ……』

 

低く、くぐもった声が、俺の耳に届いた。

 

それだけだった。

でも、俺にははっきり聞こえた。

 

失せろ。

 

そう言われた気がした。

 

俺は、祓ったフリをしてお金も貰わず逃げた。

情けないくらい、全力で逃げた。

依頼人の母親が何か言ってたけど、聞こえなかった。

いや、聞く余裕なんてなかった。

 

あれは、無理だ。

俺の手には負えない。

 

だけど、逃げる途中で、もう一度だけ聞こえた。

 

『ぽ』

 

あの音が、今でも耳に残ってる。

 

 

この出来事は墓場まで持っていくつもりだ。

こんなの人に話すのも恐ろしい。

 

 

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