「G1を勝ちまくるなんて、おーきくで過ぎですよぉ。そんなの奇跡でも起きなきゃ」

その言葉に嘘はなかった。
けれど、それが嘘でなかったとして、
心に何もないわけではなかった。

ヒシミラクルという自身の名に応えて、少女は走り出した。

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小さじ2杯の幸福論

 幸せってなんだろうと、時折思うことがある。

 たとえば、美味しい料理を食べること。

 たとえば、面白い映画を鑑賞すること。

 たとえば、素敵な恋をすること。

 たとえば、穏やかに生きること。

 たとえば、何かに勝つこと。

 幸せは世の中に沢山ある。そして、それぞれの幸せに適性というものがあるならば、私はトレセン学園には向いていなかった。

 トレセン学園に入ってから思ったことだが、残念ながら幸せという言葉は等価値ではない。

 それは何も世界には飢えた子供がいるとかみたいな、貧困とか差別とかのとても大きな話ではなくて。もっとシンプルな感覚として、トレセン学園という競争ウマ娘の為にある場所は、おおむね走ることやレースに勝つことが最上の幸福であるという人が多数派であって、そこに感じ入るものがあまりない少数派は、強さに打ち負かされる前に他者の幸福に押しつぶされてしまうのだという話。

 自身の脚質を見極めた方が勝つ。足が速い方が勝つ。諦めなかった方が勝つ。最後に前に立っている方が勝つ。

 どれほど複雑にしても、どれほど単純にしても、このレースという世界にはある種の熱量がある。

 歓声を、名誉を、勝利を、何よりも幸福を望んで走る人には熱があって、だから皆が熱狂する。

 眩いほどに、羨ましいほどに、だけど狂おしいほどに手を伸ばしたいとは全く思わないけれど、その幸福に全てを懸けたウマ娘達はドラマチックだ。

 ただ、結局それは多数派の話。

 少数派は走り出す前に、比べる前に、結果を出す前に、その幸福の熱量に触れた時、足がすくんでしまうのだ。自身の熱のぬるさに耐えかねて、どことなく心が逃げたがってしまうのだ。

 これは善悪の話ではない。加害も被害もない。個人に幸福の熱量の違いがあるだけ。

 そして、何を隠そう、私はおそらく少数派筆頭のウマ娘である。

 あの日の私はこの今を想像していなかったな、と思う。

 私はトゥインクル・シリーズに挑もうなんて考えていなかった。全てを賭けて全力で頑張ろうだなんて考えてはいなかった。トレセン学園からいい感じにスポーツ系の大学に行って、スポーツ系の企業に就職しようとか、そんなことを考えていた。

 それでも、私は今ここに立っている。

 G1レース、菊花賞。

 私は10番人気。GⅡにも勝っていない、目立った戦績のない私に期待する人があまりいないのは当たり前の話だ。

 それでも、私が今ここに立っているのは全てトレーナーさんのせいだ。

 遠くで神妙な顔をして私を見ているトレーナーの姿が見える。あの人が私に期待したから、私はここにいる。

 私は少数派筆頭のウマ娘である。

 このレースの他の子がどうかは知る由もない。おそらく多くは多数派の子で、私以外に少数派がいるかも怪しいだろう。もしかすると、少数派の子がいたとしたら周りの熱量に足が竦んでしまっているかもしれない。

 そういう良くない想像ができてしまう私なのだが、私のこの足が竦んでしまうことはなかった。

 私は自分の熱量でなく、トレーナーの熱量で走るから。

 ここにいるウマ娘達と同じくらいの熱量を持つ人の声で走るから。

 やがて、時が来て、レースが始まろうとしている。

 一斉に走り出すのだ。多数派も少数派も、強いも弱いも関係なく、これから。

 皆がスタートの姿勢を取り、顔が強張った。

 その時、G1レースの熱量に触れた時、私は随分前の言葉を思い出した。

 

「期待してくれた分だけ頑張ります」

 

 私がこの世界に飛び込んだ言葉。私がこの世界で走り続ける為の言葉。

 全てが始まった言葉で、今ここにいる理由の言葉。

 この言葉が私という人物で、ヒシミラクルというウマ娘だ。

 ただ、ふと思った。思ってしまったのだ。

 

 私の熱量は、どこにあるのだろうか。

 

 

「勝負服、やっぱり嬉しいですねぇ」

 

 しみじみと出た言葉にトレーナーが頷きを返す。

 勝負服。それは本当に一部のウマ娘しか着ることができないもの。

 日本最高峰のトゥインクル・シリーズ、その中でもさらに一握りのG1レース出走者のみが着られる衣装。

 私にとっても、勝負服はずっと憧れだった。

 それを私は今着ている。

 菊花賞の出走がトレーナーの急な判断で決まって、私も急にデザインを聞かれて、とても大変だったけれど、それでも今嬉しい気持ちに満ちている。

 勿論、勝負服を着てG1レースに出たとして、なんの結果も残せずに終わるなんてことは当然ある。はっきり言ってしまえば、私はそちら側になる可能性が高い方だという自覚もある。

 でも、でも。

 これは普通ではないものだ。本当に今着ることができているのが奇跡のように。

 だから、私はこの服を着ている時くらいは、それでも、と言えるようになりたい。

 この普通ではない服に見合えるように。この服を着た私にかけられる期待に応えられるように。

 

「本当に、こだわってよかったなぁ」

 

 いつか、私が本当にこの服にかける想いに見合える実力を得ることができたならば、その時私は普通ではなくなっているかもしれない。

 そんな妄想じみたことを考えながら、トレーナーと笑い合った。

 本当のところ、妄想じみた、なんて自分で言っちゃったそれは、ほんの少しだけ、本当に望んだ夢のようなものでもあったのだけれど。

 

 

「いやぁ、やっぱり全然勝てないですねぇ」

 

 ある日のトレーニングの中で、ポロリとこぼれた言葉だった。

 すぐにしまったと思った。

 それは別に疲れ果てた末の言葉とかトレーナーに対する不満では決してなく、世間話の延長線上にあるもので、悪意はないものだった。トレーナーに出会う前から友達と似ていたような会話をしていたから、いつもの流れのように口にしてしまったのだ。

 苦笑いしながらそっとトレーナーの方を見ると、やっぱりほんの少しだけ暗い顔をしていて、口を滑らせたことへの罪悪感が募るばかりだった。

 この時に罪悪感を覚えたのがそう思ったことではなく口を滑らせたことで、申し訳なさそうにするだけで弁解することがなかったのは、それが私の本心から来るものだったからだ。

 世間話の延長ではあったけれど、本心でないわけではなかった。

 私は勝てていない今を他の子のようにのたうち回るように苦しんで重く捉えることもなく、それなりに悔しいと思いながらそれなりの時間で消化できてしまえる。そういう人物なのだ。

 トレーナーはそれを承知の上で私を選んだ。ならば、私は私を偽ってはいけないような気がしている。

 トレーニングをサボったり、トレーナーを怒らせたりすることもある私だが、ここだけは何があっても変えてはいけない。トレーナーは私の本心を知って、私の言葉を聞いた上で私を選んだのだから。

 

「次は勝てるといいですねぇ」

 

 これも本心。だけれど、決意ではなく願望に近いもの。

 そうなればいいなと思う。もしかするとあの栄光を手にすることがあるかもしれない。もしかすると誰よりも輝くウマ娘になれるのかもしれない。そんなことを、私だって当たり前に考える。

 だから、これは嘘ではない。取り繕えないから、嘘ではない言葉を飾るしかないのだ。

 そして、申し訳ない気持ちのままにトレーニングを続けて、帰り際のことだった。

 いつものように別れの挨拶をして、去り行くトレーナーの背に熱を感じた。

 なんとなく、明日のことがわかったような気がした。

 

「だ、大丈夫ですか?」

 

 翌朝、瞼を重そうに瞬きさせたトレーナーは、案の定びっくりするぐらい書き込まれたトレーニングメニューを持ってきた。

 流石に頑張ろうと思った。

 逃げ出そうとも思った。

 

 

「トゥインクル・シリーズって、人生の全てをレースに、走ることに懸ける本気の熱量の子達の世界じゃないですか。わたしにはそんな熱量はないんです。ぜんぜん」

 

 私に猛アタックを仕掛けてくるトレーナーに放った言葉は、完全なる本心だった。

 私の熱量は何がどうなったところで、あの子達に及ぶことはない。渇望も、後悔も、嫉妬も、歓喜も、何もかもが小さなもので、あるいは生意気とも取られかねない。これはもうそういうもので、変わりようがないもので、人間とウマ娘のように、そもそも生物として違うかのように、あの子達とは異なっているのだ。

 だから、これはどれほどに取り繕ったところできっと見透かされるだろう事だから、最初から曝け出してしまうのだ。これを理解した上で、この話はしなければならないのだ。

 案の定、それを聞いたトレーナーが一瞬言葉を詰まらせたのを見て、さらに続けた。

 

「わたしにとっては、あれは遠い遠い世界の話。まるで舞台みたいに、あの世界に足を踏み入れたらもう勝手に戻ることはできなくて、そして私にはそこに飛び出して、居続ける覚悟はないんです」

 

 あぁ、とても気まずい。ここまで酷い程にトレーナーの期待に反する言葉を綴っている。

 彼女の表情は何とも言えない感情の入り混じったもので、困惑も納得も不安も理解も何もかもが内包されていて、だからこそ、その真摯さは証明されていた。この人はおそらくあの熱量を持った人で、だから私にも本気なんだ。

 だから、私は続けるのだ。この本心に反して、今だけかもしれない心に従って、言ってみるだけ言ってみるのだ。

 卑怯な言葉を。私が望むのではなく、トレーナーに望ませる言葉を。

 

「でも、この前の併走で、もしかしたらいけるかもって思って、ちょっぴり悩んでるんです」

 

 その瞬間、トレーナーの瞳にあの熱が灯ったのを見た。

 そう、そうなのだ。この人は、こんな小さな言葉ですらその熱量を宿していられるのだ。

 だから私はこの人に無理矢理背中を押されるのだ。

 別に誰かに背中を押して欲しいわけではない。別に最後の一押しを待っているわけではない。

 本当に一人ではあの世界に飛び込めないと思っているけれど、可能性とか楽しさとかを考えることはあって、ならば私は私じゃない誰かの熱量で飛び込むのだ。トレーナーさんの熱を標にして、この道を進むのだ。

 だから、この後、もしも上手くいって本当にトゥインクル・シリーズに飛び込むことになったならば、私はこう言うのだ。

 

「期待してくれた分だけ頑張ります。だから、私が走り続けられるように、期待の言葉をかけてくださいね」

 

 

 合図と共に走り出した。

 初めてのG1レース。

 とても失礼な物言いにはなってしまうけれど、始まりからこれまでとレベルの違いを感じる。

 私なんかがいていいのかと、そんな考えが星の瞬きのように何度も過ぎる。それは今までトレーナーがかけてくれた言葉が全てかき消してくれる。

 けれど、走り出す前の疑問がサブリミナルのように問う。

 私の熱量はどこのあるのか、と。

 

「期待してくれた分だけ頑張ります」

 

 そう言った。本心だった。何もおかしいところなんかないと思っていた。

 けれど、違ったのかもしれない。私はあんな熱量を持てないだけで、普通な感覚をしているだけで、見上げているだけで、最初からずっと。

 どうして忘れていたんだろう。当たり前のことなのに。あぁ、そうだ。最初からだったんだ。私の熱量はあったんだ。トレーナーの熱量に押されたらここに飛び込んでしまえるくらいにはあったんだ。

 こんな思考をしている中でも、時は止まらない。レースは熱狂と共に続いている。

 皆は今勝つことだけを考えているんだろうな。勝つ為にできることを。勝たなければならない理由を。勝って見たい景色を。

 私みたいにこんな余計なことを考えているウマ娘はいないんだろう。

 だけど、私は私なんだ。私はそうはなれないんだ。私はトレーナーの、あの人の熱量で走っているから。

 今私の中に灯った熱量に気づいたけれど、結局その熱量は大したことがない。これは何も変わらない。熱量のメインエンジンはトレーナーのままで、だからこの熱量でできることは少ない。

 ならば、この熱量をどう使う。

 

「G1を勝ちまくるなんて、おーきくで過ぎですよぉ。そんなの奇跡でも起きなきゃ」

 

 ある日、トレーナーのやる気に満ちた言葉を聞いて、私がそう言った時、彼女は私の名前はミラクルだと言った。それは私を奮い立たせるための詭弁のような、冗談混じりでもあったのかもしれない。けれど、本気混じりでもあったと思う。

 今、トレーナーは私を信じている。私が、私の素質が、私の努力が皆に勝つことを信じている。

 ならば、私はこのわずかな熱量を奇跡を信じることに懸ける。

 かつて、トレーナーが信じた奇跡を。

 今、私が信じるんだ。

 

 私の名前は、ヒシミラクルだ。

 

 私だって、皆ほど必死ではなくたって、勝ちたいんだ。

 

 私の中にも、たとえ燻りのようなものでも、あの幸福は燃えているんだ。

 

 私だって、奇跡を信じていいんだ。




昨年合同誌に寄稿したものです。
ヒシミラクルが好きです。よろしく。

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