趣味という趣味もなく、退屈な平凡を生きるゲヘナの一年生・夕森ユアミ。
ひょんなことから温泉を巡る事件に巻き込まれた彼女は、抗えない衝動から温泉開発という「悪」に魅せられてしまう。
垣間見た欲望への熱が、ちょうどユアミをのぼせさせた頃。彼女の前に突如として現れたのは、温泉開発部の部長を名乗る少女……鬼怒川カスミ。とまどうユアミに手を差し伸べ、カスミはこう言った。
「温泉に魅せられた者同士、仲良くしようじゃあないか」
開発・開発・開発だ! 温泉に魅せられた少女たちが、思い思いに「悪」を成す!
「──それでは温泉開発を始めよう」
掟破りの温泉開発青春活劇、ここに開幕!
◆ ◆
という感じの妄言。
便利屋日誌でカスミが「温泉開発を始めようか」と言っていたのを見て「零崎じゃん!!!!」って思っちゃったので書いた思い付きの戯言です。
許してください。
「人という存在が存在している時にはだね──そこにはなにかしらの『温もり』が必要であると、『温もり』に類いする存在が必然であると、この私はそんなことを思うのだよ」
……その車両の中には、たった二人しか人間がいなかった。しかしそれは、別段特別特殊な
二人が乗車しているのがハイランダーの特別急行列車であるということを差し置いても、行き先の駅周辺が寂れていて観光にはおおよそ不向きであるということを差し引いても。こんな時間に、同じ車両に二人も乗っている方が珍しい、とまで言えば、少々言い過ぎではあるだろうけれど。
一人は制服を着た少女だった。髪の色は大和撫子を想起させるような漆黒で、赤と黒の二色を基調とした制服。腰の辺りから伸びる翼が天使を想起させる、しかし色は純黒だ。ごてごてとした華美なアクセサリーなんかは身につけておらず、その立ち居振る舞いには、ほんの少し、気高さのようなものが滲み出ていた。
そしてもう一人は──雰囲気にそぐわず随分と背の低い少女だった。しかしその痩躯は見るものに可憐な印象を与えず、その双角と尾の異様な大きさも
少女と小悪魔は他に誰もいない車両内で、特に声を
「たとえばここに一人の温泉開発者がいたとしよう。彼女は温泉開発者なのでその存在理由にのっとって温泉を開発する。開発された温泉は当然のことながら公共のものとなるだろう。この場合温泉開発者が公共に『温もり』を共有したことはいうまでもない、彼女がいなければその温泉は表出しなかったのだからな」
「はあ」
「しかしその温泉が無許可で掘削されたものだった場合は? その場合であれば温泉開発者は
「そうっすね」
「がしかし、現実問題としてそこまでのことはそうそう起こり得ないさ。このキヴォトスに殺人鬼がいるなどという話は、
「はあ……そうっすか。前提からしてかなり狂ってると思うんすけどね、その話。なんですか『一人の温泉開発者』って。私も長いこと生きてきましたけど、そんな言葉を耳にするのは人生初っすよ」
それがどうしたという風に、気のない返事を返す少女。かなり迷惑そうだが、既に嫌というほど(というか嫌々ながらに)見知った仲である小悪魔に対して
「私が何を言いたいか分かるかな? つまりだ、『温泉開発』とはとことんをとことんまで突き詰めて『温もり』につきまとわれた行為であり、そこには悪意や遠慮の入り込む
「あ、私の疑問とかは一切無視して進むんすね?」
「温泉開発の理念には隙がない。温泉開発を題材として取り扱う作品ではたびたび感動だの何だのが誇張されがちだが、実際のところはどうしようもないほどに作業の域を出ないし、出てはならないのだよ。温泉開発に聖人君子は関わるべきではないし、悪鬼羅刹は携わるべきではない。万象一切取り繕いがちだが、温泉とは裸で付き合う場所だ、裸で向き合う場所だ。仮面を被ったまま──服を着たまま『温もり』だけを享受しようだなんて、あまりに傲慢で、あまりに強欲だ。つまりは二兎を追う者は一兎をも得ず、ということを言いたいわけさ」
「……ふむ」
「お嬢ちゃん、分かるだろう、そういうものなんだよ。そして、温泉に限った話でもないのだということもまた、れっきとした事実であるのさ。何か一つの物事にひたむきに、ひたすらに向き合っていれば、極論『温もり』は享受できるだろう。つまりつまればつまるところ、剥き出しで向き合えばいいわけだ。もっとも、最も裸の付き合いにうってつけなのは、それこそ温泉ということになるのだろうけどね」
「何だかそれっぽく手を尽くし心を尽くし語ってはいますけど、結局あなたが温泉を愛してやまないって話をしたいだけっすよね?」
「手厳しいねぇ、お嬢ちゃん。もっと心温まる、ハートフルな関係性を築こうとは思ってくれないのかい?」
「あなたと一緒にいても精神がすり減るだけっすよ」
あまりにも面の皮が分厚い様子の小悪魔に対して、少女はやはりうんざりした様相のまま反論する。
「それこそハートフルな関係性っす。当然、心が傷つく方のっすけど。『温もり』がどうとか大仰に、大袈裟に語られましたが、それともアレっすか、その『温もり』こそが、
「なかなか鋭いことを、そして穿ったことを言うじゃあないか、お嬢ちゃん」
と、小悪魔は楽しげに笑う。
「きみのその
「
「さて、何のことやら!」
半ば呆れながら名を名乗る少女に、すっとぼけて見せる小悪魔。
「仲正イチカね、ふぅん、聞けば聞くほどよい名前をしているよ。仲ってのがいいね、人が中にいる、それってつまりは入浴中ってことだろうよ。それから、特にチカの部分なんか最高だ。地下と言えば源泉じゃあないか。素晴らしい名前を授かったものだね、羨ましい限りだ、実に素晴らしい」
「はあ……どうも」
何だよそれはもうなんでもありじゃないかと言いたげな少女のことなど気にも留めず、小悪魔は「イチカちゃん」と呼びかけて、少女に向く。
「いいかい、世界はそもそも『温もり』というもの、『温もり』と表現しうる存在に満ちている。しかしながらだ、人生というのは部屋に閉じこもって布団にくるまっていたって始まらない。いやまあ、いずれは終わりが来る以上、始まらないというのはいささか過言かもしれんがね。とかく、私の言う『温もり』といったやつはそんなものを指してはいないわけだ。命がけの引きこもり、それも大いに結構、否定はしないさ。その場に留まり続けるのにも勇気は必要だろうしね。ただ同時に、それはちょっと肌寒すぎるんじゃないのかいとも思うが」
「まあ……そうっすね」
「人間というのは『温もり』の中でしか生きられないというのに──とか、そんなことを考えてもしょうがない。誰に何を言われようが、誰に何をされようが、結局は自分で道を耕し、切り開いていくしかないわけだからね。その先が
「説得力はあるし、納得だってできるんすけどね、あなたの言うことは──しかしそれでも、やっぱり我慢ならないんで言わせてもらうっすよ。
「はあ、
小悪魔は、そこで口調を改めて、少女に言った。
「先ほどから気になっていたのだがね、どうにもきみは私の言う『温もり』を追い求めているように見える。けれどこれはトリニティ行きの列車ではないから、次の駅で列車を乗り換え、きみの通う学校へと戻ったらどうだろう。イチカちゃんにも失うわけにはいかない立場ってやつがあるはずだものな、学校をサボるわけにはいくまい、そうだろう?」
「…………」
──どうやら目の前に座す小悪魔は、少女が何らかの事情を抱えてこの列車に乗っていて、しかもそれがのっぴきならないものであることに最初から気付いていた上で、それでも詳細を聞き出そうとしている──ということらしい。
それだけ聞けば小悪魔は酷く悪辣な性格をしているのだなと捉えられかねない話だったが、その結論に辿り着くまでに小悪魔が使ったルートは、一概に悪辣であると決めつけることは難しいものだった。どうせ赤の他人なのだから、わざわざ温泉の話を引き合いに出してまで事情を聞き出す必要はないように思える。
少女はうんざりを通り越して呆れるも通り過ぎ、ついには馬鹿馬鹿しくなったらしく、苦笑気味な表情を浮かべた。
「まったく、温泉狂いなのかと思えば、その実内面は意外にも聡明──と、そんな風に考えているうちにまた温泉狂いのうつけ者に様変わり。ますますあなたのことがよく分からなくなってきたっすよ、私には」
「む? うぅん、そこまで分かりづらい人格なつもりはないのだが。まあつまりだな、我々は温泉と仲間を大切にしているだけだ」
「へえ、そこまで言うとは随分と仲間思いなんすね」
「まあ、うん。同好の士が集まってできた部活だしな、我らが温泉開発部は」
小悪魔はそこで一度「ハッハッハ」と小気味よく笑った。本当に、普段からこの調子であってくれればよかったのだけれど。少女としては、そう考えざるを得なかった。
「──さっきの、いわゆる理由ってやつについてなんすけどね」
「ん? 理由……ああ、なるほど。いきなりなんの話かと身構えたが、この列車に乗っている理由のことか」
「ええ、まさにその理由ってやつっす」
普段からして手玉に取る側の小悪魔といえど、予備動作がなければ困惑も見せるらしい。これはいいことを知ったかもしれないと、少女はそう考えて言葉を続ける。
「何て言えばいいのかな。まあ端的に言い表そうとするなら、結局はあなたが言うところの『温もり』を求めて……ってことになるんすかね? ああ、先に断っておくんすけど、別に温泉に入りに行くわけじゃないっすよ。ただ――昔馴染み、というかまあ幼馴染なんすけど、その子から緊急でメッセージが届きまして。それで居ても立ってもいられず」
「平日昼間に学校での活動その全てをほっぽり出して飛び出してきた、と。イチカちゃん、つまりはそういうわけか」
小悪魔は先ほどよりも大きく「ハーッハッハッハ!」と声を上げて笑う。その表情は愉快さを感じていることが隠しきれていない。もとより隠すつもりもないのだろうが。
「まったく、私のことを仲間思いと揶揄した割には随分とまあ友達思いらしいじゃあないか! それで、その友達とやらが送ってきた文面はどんなものだったのかな?」
「……それは」
「む、なんだなんだ、まさか言うにこと欠いて焦らすつもりか? せっかく私が聞きの姿勢に入ったというのに、味な真似をしてくれるじゃあないか、憎いやつめ」
小悪魔はやはりここでもけらけらと楽しげな笑みを浮かべたまま、しかしあくまでも聞きの姿勢は崩さずに再び問いを投げかけた。
「それともあれかな、イチカちゃん。ご友人から送られてきた文面に、きみ自身もまだ整理をつけられていない、とか?」
「……まあ、お恥ずかしながら。自分でも今になって気付いたんすけど、これで案外気が動転してるみたいっす」
「ま、急かしはしないさ。どうせ時間は山ほどあるわけだし──とは言ってみるものの、しかしその表情を見るに話すつもりにはなってくれたのかな、お嬢ちゃん」
「ええ、あなたのおかげで、というよりはあなたのせいで」
「それは
やはりここでも楽しそうに笑いながら問う。本当に呆れた人だ、少女はそんなことを考えながらも頷きをもって返答とした上で、眼前に座す小悪魔に自らの携帯端末の画面、モモトーク上の会話履歴を見せつけた。
「
「…………ふぅん、へえ? 直後になにやら連なった数字の文字列が送られてきているが、これは座標だな?」
流石は温泉開発部というべきだろうか、小悪魔はその文字列が指すところの意味を即座に理解したらしい。
「恐らくはご友人がそこにいたのだろうが、イチカちゃんはこれを見た直後、一切合切をかなぐり捨てて飛び出したわけだ」
「失礼な言い草っすね。流石に正義実現委員会のみんなには一報入れましたって。そこまで責任があるってわけでもないっすけど、そこまで無責任なつもりでもないので」
少女はため息混じりに言い放つ。それから眼前の小悪魔が「もう大丈夫、きみの置かれた状況は十全に把握できたとも」と発言したのを受け、携帯端末をスカートのポケットへと押し込んだ。
「さて、問題はきみのご友人の置かれた状況についてだが……」
それから小悪魔は、顎に手を当てて何かを深く考え込み始めたらしい。友人がなにかしらの事件に巻き込まれていて切羽詰まっている可能性があるため、少女は思考を害するような行動は慎んだ。
そんなことをしたことは一度だって──ないわけではないが、しかしそれでも回数はさほど多いというわけでもない。こんなのは慣れっこだった。何かの進展があるまで、ただひたすらに大人しく待っていることなんて。
今までずっとやってきたことだ。
正義実現委員会としてやってきた。
違うのは、
たったそれだけ。
たったそれだけの──はずなのに。
たったそれだけだ──というのに。
たったそれだけが──今は、
……気付けば拳を握り込んで膝の上に置いていた。両の手を開いてみると掌に爪が食い込んだ跡がくっきりと見て取れる。指先は燃えているかのように朱に染まっているというのに、それ以外はまるで燃え尽きた灰のように白い。
ここに来て初めて、少女は自らが顔面蒼白であるらしいということを理解した。小悪魔がそれを指摘しなかったのは配慮ゆえか
分からなかったのだが、何もかもが不明瞭で、不鮮明で、不透明だったのだが、しかし。
「…………ふむ、なるほど、なるほど、なるほど──イチカちゃん、きみは確かトリニティ総合学園の生徒だったな?」
「……ええ、まあそうっすね」
「そしてきみは、正義実現委員会に所属していて、許可を得ているとはいえ平日昼間に学校生活と委員会活動の両方をすっぽかし、そしてゲヘナの指名手配犯である私に協力を求めているわけだ。それほどまでにきみは、切羽詰まっている」
「…………そう、なりますね?」
「それならば
目を開いた小悪魔が最初に目にしたものは、座席から立ち上がって、こちらに銃口を向けている少女の姿だった。
「説明しないと分かってもらえないんですかね。私は治安維持組織で、あなたは指名手配犯だ。これ以上
「へえ、考えがある、ねえ。つまりきみはあれか、このまま私が回答を渋るようならば、偶然乗った列車に偶然ゲヘナの指名手配犯が乗っていて、しかもそいつは偶然にも以前に迷惑をかけられた奴で偶然同じ車両にそいつがいたから、偶然とっ捕まえたのだという
「ご明察っす。ま、あなたにとってはこの程度の推理、それこそ朝飯前というかお茶の子さいさいなんでしょうけど──カスミさん。正直なところなんすけどね、私の幼馴染のこと……知ってるんじゃないっすか?」
……言うまでもなく、少女が放ったその一言は当てずっぽうもいいところ、つまりは適当をこいているだけだったし、徹頭徹尾が戯言だった。
だからこそ、少女が脅しをかけているようでその実
鬼怒川カスミは、
「──ハハ、ハハハッ、
「……何が、そこまでおかしいんですか」
「いやなに! くく、ふふふっ……そうか、そうか! そこまでご友人が大切かお嬢ちゃん! そこまでご友人が心配かお嬢ちゃん! 私がいつまでも回答を寄越さないのがもどかしくてむず痒くてしょうがなくて、それでこんな暴挙に出たと、そういうことなんだな!? ハハハハハッ、こんなにも、こんなにも面白いことがあるか、こんなにも愉快なことがあるか、こんなにも痛快なことがあるか、こんなにも、こんなにも、こんなにも!! ……はぁ、笑った笑った。イチカちゃん、まったく最高だとも、本当にきみの取った行動は──」
──
小悪魔は、そう言い放って平静を取り戻した。
「そうだものな、私は確かに世間一般で見たところの犯罪者さ! 本来ならば大手を振って外を歩くことなど出来るはずもない、ゲヘナ中に名を轟かせる温泉開発部の部長、それがこの私なのだから」
「…………」
「しかし、しかしだよお嬢ちゃん。まさかきみほどの人が気付いていないはずもあるまい──
「気付いていますよ、気付いている上でそれでも言っているんです。カスミさん、あなた
と、そこで少女は言葉を区切った──と、そう表現してしまうと少々の誤解を与えることになる。より正確に、より詳細に状況を言い表すのであれば、少女は言葉を
それは何故か? 理由を明かしてしまえばそれは至極単純に、少女が現状を取り巻く違和感に気が付いたから、ということになる。
(……そういえば。
この列車に少女が搭乗してから、既に一時間と少しが経過している。だというのに二人の元には、ただの一度たりとも客室乗務員が切符の確認を行いに来ていない。
普段のハイランダーならば(その多忙さ故から)確認がないことも理解可能だろうし納得も出来るものの、がしかし、現在の日程と時刻は平日の昼下がりである。おまけに他の乗客は一人として滞在していないという条件まで付いてくる始末。
明らかに、何かがおかしい。そこまでは理解できる。
だが、そこまでだけだ。それ以上のことについて、少女の思考は及ばなかった。
というよりかは。
思考している
乗っている列車が徐々に速度を落として停止し、そのドアが開く。と同時に、小悪魔は後部車両の方に勢いよく振り向いたからだ。
「──む、もう着いたのか、これだから自動運転は……」
「……? お仲間でも呼んでたんですか、カスミさん。というか、自動運転って……あなたまさか、運転士さんを気絶させて列車をハイジャックしてるんじゃないでしょうね」
「仲間など呼んでいないさ、極秘の作戦だからな。ハイジャックはしている。色々と面倒だし、そっちの方が話が早くて助かるからな」
「…………」
何だかんだといいながら、やっぱりしてるんじゃねえか、ハイジャック。
「──それよりも、すまないイチカちゃん。本当ならばこの後に『きみのことをからかっていただけで悪いことはしていない』とネタバラシに興じるつもりだったんだが……そうもいかなくなったらしい。きみはここで降りなさい、ご友人は私が何とかしておくから」
「……えっ? いや、えっと、カスミさん? そんな言い訳が通用すると思ってます? 私、その昔あなたにいいように使われたの、まだ全然根に持ってるんすけど」
「とは言われてもねえ。私にも色々と事情があるのだよ。わざわざこんな
何やら真剣な表情を浮かべながら、そんなことを
「確かにそうっすけどね、私の幼馴染はゲヘナの生徒っすけどね……あなたはそうやって言葉を巧みに使いこなしながら今まで逃げおおせていたんでしょう、カスミさん。そんなあなたの言うことを、今更信用できるはずがないんすよ。先ほどから一つも重要なことだって話しやしない。何も明かさず、札を伏せたままの策士をどうやって信じろと?」
「そういうことならば仕方がない、こちらも必死なのだと言うことを分かってもらうほかないようだ。まず私がこの列車に乗っていた理由は終着点の駅に温泉を開発しに行く予定があったからだ。お嬢ちゃんのご友人もそこにいるらしい──先ほどの座標を見る限りね」
「……あんな、雪山の中にいるって言うんですか、私の幼馴染は」
「まず間違いなく、な。そんな場所にいるということは、恐らく私たち温泉開発部の先遣開発部隊に拉致──こほん、保護されているのだろう」
「今明らかに拉致って言いましたよね!?」
「とにかくだ! イチカちゃん、ここで問題なのは私たちがそこで温泉開発をしていたということなんだよ。そろそろ時間がないから説明は省きに省いて省略しまくるんだが、私たちのいるところには大抵の場合
背後の扉をちらちらと気にしながら、小悪魔は必死さを滲ませそう語る。少なくとも少女が見た限りでは、彼女が嘘や誤魔化しを口にしているようには見えなかった。
信用していいものなのか、それともするべきではないのか……その判断を瞬時につけることは、イチカには出来なかった。
だって、この駅で降車するということは。
それ即ち、幼馴染の身の安全を目の前の小悪魔に一任するということを意味するのだから。
「……でも、このまま私があの子を助けに行くと……」
「まず間違いなく鉢合わせるんだよ、風紀委員会の連中と。分かるかいイチカちゃん、
二校間による戦争の火蓋を切る可能性があるんだよ。小悪魔は冷や汗を流しながらも雄弁に語った。真に迫ったその声色からは、彼女の本気さをうかがうことができた。
「頼むよお嬢ちゃん、きみに着いて来られてしまうと、せっかく最近落ち着いてきたエデン条約の残り火が再燃する可能性があるのだよ。そうなれば私たちは自由な温泉開発が不可能になり、きみときみのご友人も危機に晒される。それは互いに困るだろう。もう少しで列車の扉も閉まってしまうぞ、賢い選択をしてくれ、仲正イチカちゃん」
もはや少女からは目を離し、後部車両へと続く扉を凝視している小悪魔。この状況であれば、彼女を背後から制圧することも容易い。
そもそも、ここまでに眼前の小悪魔が語った言葉の全てがまったくの大嘘である可能性もあるわけで。しかしそんなことを考察している時間は、少女にはほとんど残されていなかった。
恐らくは残り20秒ほどだろうか。これを見誤れば、自分はきっと後悔する。どうすればいい、どうすればいい。生唾を飲み込む音が、やけに鮮明だった。
……ここで、優先するべきは。
絶対に、確実な幼馴染の身の安全だ。
「……本当に。信じて、いいんですか」
「当然だとも。だがしかし! 今回に限り、だがね」
二人は顔を見合わせる。
少女の顔には──真剣な表情が。
小悪魔の顔には──薄い笑みが。
それぞれ、明確に浮かべられていた。
「──それなら仕方ないっすね。今回は私の出る幕じゃなかったってことで、あの子を、ユアミちゃんを……
「ハッハッハ、それならば任されようじゃないか。この私が、温泉開発部部長・鬼怒川カスミが、確かにご友人の身の安全は、ユアミちゃんとやらのことは請け負った!」
「怪我の一つでもさせたら承知しないっすからね。それこそ、地の果てまでも追いかけて市中引き摺り回しの私刑に処しますから、その辺り覚悟しといてくださいよ!」
少女はそう叫ぶと、既にまとめ終えていた荷物を手に持ち、跳ね飛ばされたようにその場を後にして──直後、列車の扉は閉ざされた。
「……お嬢ちゃん。そりゃあ私刑じゃなくて死刑って言うんだよ──」
ごくありふれた(かどうかはやや怪しいが)日常の延長線上に広がる、ごく普通に見える正義の少女、仲正イチカと、ごく普通に悪を成す犯罪者の少女、鬼怒川カスミとの接触は、終わった。
◆ ◆
鬼怒川カスミの衣服に特別なところはない。ないのだがしかし、彼女は衣服の内側から愛銃『レッド・レクター』──
その『凶器』の
あくまでも人間が使う前提のサイズである以上、本家本元の掘削機に比べればどうしても破壊効率は下がってしまうが、しかしこのドリルはそれを補って余りある機動性を手に入れていた。地面や壁にカルデラのような大穴を開けるまでには至らないにしても、キヴォトスの外にいる生命体に対して使用すれば、いとも容易く
製作者はこの変則的なサイズのドリルに名前を付けるようなことはしなかった(というか普通ならドリルに名前は付けない)ので、カスミ自身はこの凶器を『
それほどまでにカスミはこのへんてこなドリルを使い回していたのだが、しかしこの道具自体にさしたる愛着があるというわけではない。温泉開発の効率だけを考えた時、ドリルを使うよりもダイナマイトなんかで発破をかけた方がよっぽど話が早いからだ。
だからカスミは、普段からこの『凶器』を見せびらかしたり、よもや振り回したりなんかをしているはずもなく、それどころか温泉開発部の部員でさえ、カスミがそんなドリルを『凶器』として扱う場面など、大半が目にしたこともないのだ。それほどまでに、カスミはこのドリルをドリルとしてしか扱わない。
しかし少女、仲正イチカが電車を降りて直後──カスミは、何の気もないような動作で白衣の内側からそのドリル、『
「やあやあ、随分とお待たせしてしまったな! それで、私に何の要件かな? 生憎予定がぱんぱんに詰まっていてね、今日のところは出直してくれると大変助かるのだが……」
カスミは今まさに後部車両から移動してきた、一人の生徒に視線を向けていた。その生徒はまるで軍服のような制服に身を包み、赤い角が帽子の横から飛び出しているという、ゲヘナにおいては一般的な見た目をしていて──そしてその手には、人によっては物騒だとも感じるような大口径のショットガンが携えられていた。
生徒は無表情に近く、虚ろな目で、全体何を考えているのかは分からない──けれどカスミははなからそんなことに興味はないらしく、普段のように不敵な笑みを浮かべるだけだった。
「おいおい、どうしたんだ名も知らぬ風紀委員ちゃん。この私を狙い澄ましてこの電車に途中乗車してきたのだろう? 生憎ながらだが、今日の私は一度も悪事を働いていないぞ。分かったらとっとと荷物をまとめて、風紀委員長に報告でもしに行ってくれたまえ。痛い目に遭いたくないのならば、だがね」
「──
「…………?」
風紀委員の生徒は武器をしまうそぶりすらも見せなかった──のだが、その台詞を耳にしたカスミは、武器をしまわなかったことよりも、むしろその発言に対して驚きを隠せないようだった。
おかしい、とカスミは思わざるを得ない。
「きみ、
「…………」
カスミの想定とは大きく異なるその行動理念に対する疑問が浮かび続ける。まるで何か、巨大な陰謀の渦中に巻き込まれてしまったかのような、そんな感覚が絶えない。
もしかしてもしやすると、温泉開発部は未だかつてない苦境に立たされつつあるのでは──と、そう考えたところで、カスミは思考の一切を一度放棄した。
「ハ。全貌が見えているわけでもないのに思考に
「…………」
カスミの言葉に風紀委員の生徒が返した反応はといえば、精々が銃のリロードくらいのもので、そこに対話や停戦の意思なんかは微塵も存在していないようだった。
やれやれ、とばかりにカスミはドリルを構え直し、それから風紀委員の生徒と真正面から相対した。
「トリニティのこわーいお嬢ちゃんから依頼も請け負ってしまったことだし、ここで大恩を売り逃すわけにもいかないのだよ。だからこんなことをしている場合ではないのだがね──ま、日頃の行いというやつか」
鬼怒川カスミは『
「──それでは温泉開発を始めよう」