ルナリア大陸年代記 風の章 帝国侵攻。王国山岳旅団補給中隊による兵站妨害の記 作:志水 円
「要塞を放棄します」
「それしかないな」
後詰の城が陥落した。
その報に際して開始されたはずの会議の議題は即座に渡河してくる帝国軍への対処で紛糾した。
エルフの長弓兵による猛射が渡河中の帝国軍に浴びせかけられているが阻止するほど効果はない。
先走った防衛部隊の一部が夜陰に乗じて攻撃をしかけたが上陸直後に最大限警戒してる精鋭部隊によってあっさり撃退された。
水際で叩けなかった以上、この先取れる選択肢は多くない、要塞と陣地群を使ったにらみ合いはすでに取れない、それは後背を守る後詰めがあってこそだ。
では野戦か、それこそ愚であった、砲兵の支援下の帝国軍と正面から戦うのは自殺行為でしかない。
諸将の意見を、エリシアとアルベルが一つ一つ丁寧に潰す。
そして。エリシアとアルベルトの意見は一致していた。
要塞を捨てて戦線を後退させる。
思惑は違う。
アルベルトは後詰の無い要塞に寄っての抗戦を無意味と断じてのこと。
エリシアは違う、地の利を知り尽くした自陣に帝国軍を引きずり込み、削り殺す。
共和国から帝国軍進行の兆しを告げられた時から練り練った作戦だった。
戦線後方に進出した帝国軍は確かに脅威だ。
だがそれがどうしたというのだ、要塞を捨て軍を返せば帝国軍は追ってくるしか無い。
崩れたとみせて追わせてよい、進出友軍が危機と思わせてもよい。
砲兵は付いてこれないだろう、そうなれば王国軍と帝国軍に差はない、いや王国軍が勝る。そうエリシアは算していた。
「連中の主力を叩く最大の好機です」
どれだけ帝国の砲兵が優秀だろうと、前線を支える歩兵なしではただの鈍重で防御力もない部隊でしかない、帝国軍は停滞するしかなくなる。
獰猛な笑みを浮かべエリシアは言った。
「し、しかし参謀殿、その策では犠牲になる部隊が……」
エリシアの顔が強張る、机上論ではこの上なく素晴らしい作戦だ、だが現場の将兵の感情は別物だ。
追ってくる帝国軍を正面から受け止め耐える部隊、それは殆ど全滅するような被害を受けるだろう。
奇策は一度しか通じない、そのために必要な犠牲だ。
「うちがやろう」
「アルベルト!?」
「おやじ殿にばかりに良い格好はさせられんだろう」
報告によれば灰狼城は寡兵で一日近く帝国軍に耐えた。
誰もが火炎将軍ハロルドの奮戦を称賛し、その死を悼んだ。
旅団長自ら範を示したらな、配下の部隊が続くのは当然のこと、それはアルベルトの偽らざる本心であった。
「とはいえうちのじいさんたちだけでは兵が足らん、各隊から志願者を出してくれ」
無理強いはしなくて良いぞ、とアルベルトは言う。
一同が息を飲んだ。
常に飄々と、冷徹なまでに理詰めで「どんな軍であれ補給なしには戦えない」を信条とし、あらゆる演習で相手を
祖国を滅ぼされれ、そして今、父のように慕った将軍を殺された、一匹の復讐鬼がそこに居た。
◇◇◇
「事後承諾になる、すまん」
撤退戦の要となるしんがりを山岳旅団と各隊から募った志願兵で請負うこと告げ、アルベルトは旅団の各隊隊長、皆歴戦の、だが一線を退いた老兵ばかり、に詫びをする。
「ふん、坊主としては上出来だな」
「おうよ、見事な死に花を咲かせてやろうではないか」
エリィ立ちすくんだ。
山岳旅団の営所に集った老兵たちが当然のように笑っていることは理解できないのだ。
何を言ってるんですか!と声を張り上げる。
エリィの様子に老兵たちは少し戸惑ったが、しかし笑顔を返す。
老い先短い身、最期のご奉公なんじゃ嬢ちゃん。
ここで生きながらえては先に逝った戦友に笑われるでな。
達者でな嬢ちゃん。
優しく、そうエリィを諭す。
「た、隊長、なにか作戦があるんでしょう?」
「糸伝話は中隊に戻す、あとはヴァネッサに従え」
「隊長!」
感情的に叫ぶと、ぶわっと天幕内で風の精霊が暴れそうになる。
慌てて精霊の制御を取り戻すが、精神的動揺で精霊を暴れさせるのはとても恥ずかしいことだ。
顔を真っ赤にして俯くエリィ、それを孫の失敗を見守る老人のように、老兵たちは微笑んで見守る。
「坊主」
「なんだゴズじいさん」
「おやじ殿の遺言でな、なにかあった時旅団の指揮はまずわしが、次いで坊主と言われとる」
「まぁ、そうなるな」
「だから坊主は残れ」
それはすでに老兵たちの間で決めていたことのようだった。
アルベルトは表情を変えずに返す。
「それは命令か」
「そうだ」
エリィは込み上げてきた涙が抑えることが出来なかった。
おじいちゃんたちが死んじゃう、やだ、やだ。それしか考えられなくなる。
王都で精霊を暴走させて上司に恥をかかせて左遷させられたエリィを優しく迎えてくれた旅団の皆。
次から次と思い出が溢れてくる。
「すまん」
「坊主には坊主のやり方があろう、やってやれ」
「わかった」
「隊長」
「いくぞ糸伝話」
嫌がるエリィを抱きかかえてアルベルトは営所を後にする。
「隊長のばかばかばか、なんで勝手に死ぬような作戦に、ばかばかばか」
ばしばしとアルベルトを叩くエリィ、常ならば黙らせる行為をアルベルトは黙って受け入れるのだった。
◇◇◇
「退く……だと?」
エルフの長弓による攻撃が止んだのが合図だった。
国境要塞から火の手があがる、こちらを警戒しながらも、騎兵が要塞を捨てて撤退していくのが見える。
ヒルダは臍を噛んだ。
「まずい」
足の遅い輜重や歩兵は昨夜のうちの後退しているだろう。
ここまで迅速に王国軍が国境要塞を捨てる理由は一つ、後詰めの城が落ちたのだ、ヴィルヘルムによって。
戦線の後退だけならいい、だが後方の単独部隊がどうなるかなど火を見る明らかだった。
追うしか無い、愚策だ、しかし大将を見捨てるわけにはいかないのだ。
タイミングが悪すぎた、もう一日早く渡河できていれば!
「重騎兵隊を渡河させろ!馬車もだ!急げ!残余の歩兵隊は警戒しつつ要塞を制圧、火を消させろ!」
両軍に最大の被害を出したドナ平原会戦の幕があがる。