ルナリア大陸年代記 風の章 帝国侵攻。王国山岳旅団補給中隊による兵站妨害の記 作:志水 円
ああ、そうか、私は彼らに「死ね」と命令したのだ。
エリシア・アルストリアは足がすくみ、怯懦《きょうだ》が表情に出そうになるのを自覚し、強く腹部に力を入れた。
アルベルトがいれば見抜かれて笑われたかもしれない。
そんな事を思わず考える。
「何か質問は」
「参謀殿」
「なにか」
帝国軍を引き付ける囮部隊。率いるは山岳旅団第一中隊長、火炎将軍のハロルドの副官を長く務めた歴戦の勇士。
率いる兵らは皆至る所に傷跡が見え、纏う愛用の具足にも傷が目立つ。
「運に恵まれましたな。最初に死ねと命じたのが、見ての通りくたばりそこねた老いぼれればかりだ」
集う囮部隊の将兵たちが笑う「違いない」「首席参謀殿のお初を頂いたか!」「おいやめろ下品だぞ」「申し訳ない参謀殿、こいつを一番に突撃にあてますからな」
気遣いなのだろう、いささか下品な言い草だが、エリシアはコホンと咳払いする留めて、その心意気に応える。
静かにしろ!と部隊長が怒鳴り、一同が鎮まると、最後に穏やかなに口を開く。
「そして、できれば、これを最後にしてくだされ」
ああ、これが歴戦の兵というものか。
机上の数字ではない、一人一人が生きた人間なのだ、そう実感させられる。
頭では理解している、だが参謀とは、兵を数として勘定せねばならない生き物であり、それが出来ないならば、その資格はない。
ただ結果でのみ、その存在を肯定させる他ない役割なのだ。
「無論です、では手筈の通りに」
胃にこみ上げる吐き気を顔に出さなようして、エリシアは幕営を去ろうとする。
十分に距離を取った後、振り返り深々と頭を下げる。
敬礼で送るべきなのだろう、だが、どうしてもエリシアには出来なかった。
それがエリシアの弱さであり、美徳。
「まぁこの参謀殿の為なら命を捨てても良いか」と、そう思わせるのが、彼女の参謀として他者に追随を許さぬ強さであることを、彼女は知らないのだった。
◇
大陸歴669年 九の月 土の日 未明
ドナエル河東岸の雑木林
潜伏していた中隊の元に戻ったアルベルトが現状を説明すると、重い沈黙が林の中を支配した。
未だにぐずぐずと泣いているエリィの嗚咽が一層空気を重苦しくしていた。
旅団内ではぐれものとして煙たがられていたヤマイヌの面々だが、なんだかんだ旅団の老人たちは彼らを孫や息子のように見守り導いてくれる存在で、誰しも、年長者に対する鬱陶しさこそあれ、心底嫌う者は居なかった。
「で、アル坊や、これからあたしたちはどうするんだい?」
副長であるヴァネッサが全員の内心を代表して問うた。
隊員の中には老人たちと一緒に死にたい、そう思っているものもいる。
だがアルベルトが戻って来た以上なにか算段があるはずだ。
「まずは帝国軍の備蓄を襲撃する」
王国軍が後退したことで帝国軍の意識はそちらに向いている、これは最大級の好機だった。
「徹底的に物資を焼く、それがなにより前線の味方への援護になるからな」
おお、と隊員らがざわめいた。
危険な任務ではあるが、やりがいはある。
「ただし一回だけだ、その後は帝国領内に潜入して、大元を断つ」
「大元?」
「共和国の間諜によると中央山脈の帝国領内に火薬を作る工房があるそうだ、そこを潰す」
「正気ですか若」
「正気だ、まぁとにかく今は帝国軍の火薬を焼くのが最優先だ、今日の夕方か夜になるだろう、しっかり休んでおけ」
それと副長、とヴァネッサを呼んで耳打ちする。
「糸伝話をなんとかしてくれ」
「あんたねぇ……」
「頼む」
バシン!と肩を叩かれアルベルトは顔を顰めた。
◇
「ひっぐ……ひっぐ……」
泣き続けるエリィをライラや中隊に所属する数人の女性らが慰めてくれていたが、一向にエリィが泣き止む様子はなかった。
「いつまで泣いてるんだいエリィ」
「ふぐぢょぉ……」
「あー、まったく」
ぐい、とエリィを抱き寄せてぎゅっと抱きしめてヴァネッサはその頭を撫でてやる。
「泣きたいだけ泣きな、泣けないよりずっといいさ」
「ゔぇーん」
「まったく男ってのはどうしようもない生き物だよ」
ヴァネッサの胸で散々泣いて、泣き疲れたエリィが眠りに落ちるまで、ヴァネッサは優しくその背を撫でてやるのだった。
◇
大陸歴669年 九の月 第三巡 土の日
この日、後にドナ平原撤退戦、帝国側呼称ドナ平原追撃戦と呼ばれる今戦役における最大の会戦が発生した。
史書において結果は王国軍の戦略的勝利と記されている。
スクトゥム王国軍首席参謀エリシア・アルストリア
帝国軍第三軍大将ヴィルヘルム・ヴァイスリッター
この両者に史家は最大限の賛辞を書き記し、囮として散った王国軍志願兵ら、そして第三軍副将ヒルダ・フォン・アーリウス=ヴァルデリートを殊勲者と評した。
ドナエル河に流れ込む支流を閉塞し流量を制限、夜陰に乗じ渡河した帝国軍であったが、王国側の選択は国境要塞を捨て戦線を後退させることであった。
これに対し帝国側は追撃戦を選択した。
せざるを得なかったと言うべきであろう。
中央山脈を超え後詰要塞を陥落せしめる。
それを成し遂げたヴィルヘルム将軍であっても、即座に王国軍が国境要塞を放棄するとは想定していなかったのだろう。
王国側が構築していた高速伝達網、そして放棄を即断し実行した王国軍参謀らが一枚上手であったのだ。
つまり、後方で山越えした別働隊が包囲殲滅さるる可能性が高い。
加えて総大将たるレオンハルト皇子の、極めて政治的な理由がそれを後押ししてしまった。
皇位継承レースにおいて箔付けが欲しい、それには大軍で城を囲い攻略するよりも、やはり野戦にて戦果を挙げること。
その結果、第一軍の騎兵隊は湿地帯に誘い込まれ伏兵によって包囲。
救援に向かおうとする第三軍も行軍可能な街道で車列が伸びていたところを、左右から火矢による攻撃を受け、車両のほぼ全てが消失。
ヒルダは巧みな指揮で、状況に対応したが、現場指揮官には限界があった。
しかし、ヴィルヘルム将軍率いる山岳猟兵が急行し戦場北側の丘陵を占拠。
第三軍の指揮権を握ると戦況は一変した。
皇子軍を包囲から救い出し、丘陵中心に陣を構築、勇猛果敢な王国軍といえどこの守りは崩せぬと見て速やかに撤退戦へと移る。
それを追いだけの機動戦力は帝国軍には残されていなかった。
全滅こそ免れたが、騎兵と車両を消失し、王国軍の機動戦に対抗しうる戦力を失い、その行動は大きく停滞することになった。
◇
「ゔ……」
泣き腫らした目の周りが熱い。
そんな不快感でエリィは目を覚ました。
「起きたか」
「たいちょう……」
「見事に役目を果たしたそうだ」
じわっと涙がエリィのまなじりから湧き出す。
だがぐっと我慢して、エリィは散っていった老人たちのために祈りを捧げる。
夜空に浮かぶ月へ祈る、おじいちゃんたちが安らかに眠りにつけますように。
どうか月神様、もうおじいちゃんたちを戦わなくていいようにしてくださいませ。
「気は済んだか」
「隊長は……なんとも思わないんですか?」
「聞いていたろう?俺は俺のやり方で帝国を追い詰める、それが最後の命令だ」
「……おじいちゃんたち、きっと笑っていたんでしょうね」
「そうだろうな、あと一歩だった。この戦争を終わらせることが出来るほどにな」
ヴィルヘルム・ヴァイスリッターの参戦がなければ、第三皇子レオンハルトを捕虜として、和平交渉に入れただろう。それほどまでに帝国軍を追い詰めたのだ。
「灰狼城を陥したのも奴らしい、まったく忌々しい」
「ヴィルヘルム将軍……帝国一の智将……」
「さぁしゃっきりしろ、じいさんたちが稼いだこの時間、有効に使うぞ」
「はい……はい!」