聖闘士星矢異伝 〜聖域なき聖域改革、時代遅れの場所には住みたくない〜 作:斉宮 柴野
だが、その祈りの最中――ヒルダの頭へ謎の声が響く!
人間を滅ぼせ!
アテナを倒せ!
そして世界を支配せよ!
突如として始まる、謎の神による壮大な勧誘!
しかし――。
予定していた展開と何かが違う!?
さらに祭壇へ残された魔の指輪を、よりによって沙織が発見!
十二宮で神の機工を乗っ取ったアテナVS精神を支配するニーベルンゲン・リング!
そして恐るべき神器を待っていた、あまりにも残酷な末路とは――!
新章アスガルド編!
神々の計画は、今回も予定どおりには進まない!
君は、小宇宙を感じたことがあるか!
祈れば済む仕事、と聞いていたわけではない。
それにしたって、この消耗は聞いていない。
オーディーン神像前で、沙織の善意は早くも試されていた。
小宇宙を注いでも注いでも、まだ必要だという感覚が消えない。
相手は敵一人ではなく、北極の氷だ。殴って終わりにはできないし、疲れたので今日はここまで、と切り上げるわけにもいかなかった。
「………こうして毎日祈って、北極の氷が溶けるのを食い止めるのが私の仕事なの」
「結構重労働だね〜。私も手伝ってみたけど、これ、想像以上に小宇宙使うじゃん」
「まあ、私はオーディーン様の力も借りているけれど、沙織は自分のアテナの小宇宙だけでやってるし……。それにしても、助かるわ」
毎日これを一人で続けていたのか。軽い気持ちで申し出た手伝いだったが、隣の友人に対する評価は上がった。趣味の話ばかりしているわけではないらしい。
吹雪の向こうで暮らす人々のためにも、氷には溶けずにいてもらわなければならない。
沙織の祈りも、最初はそこへ向いていた。
『氷よ溶けないで……いや、待てよ? 永久凍土のかき氷って、シロップかけたら結構イケるんじゃない? 未知のウイルスとか眠ってたらダメかしら……でも、最悪アテナの小宇宙で浄化すれば保健所の許可も下りるよね?』
隣のヒルダに、その雑念は届いていない。
こちらにも、祈りの言葉だけでは埋まらない考え事があった。
『偉大なるオーディーンよ……。それにしても、隣にいる沙織の肌は本当に白くてきれいだったわね……。できれば、一晩じっくりと付き合ってくれないかしら。お互い神と代行者の交流だもの、ノーカンよね? じゅるり』
祭壇を包む小宇宙には、どちらの雑念も表れていなかった。
見上げれば、オーディーン像の顔はいつもより険しく見えた。彫刻の表情に、その日の祈りが反映されるという記録はない。
◇◇
『……ポラリスのヒルダよ。我が声を聞け……』
祈りの途中へ割り込んできた声は、耳ではなく頭の内側で響いた。
『…………この声は……。オーディーン様じゃないわね。誰?』
ここは主神の像の前であり、別の神から連絡を受ける予定などない。しかも名乗りもせず、いきなり命じてくる。
『我が意思を受けた魔の指輪、ニーベルンゲン・リングを授けよう……。この力を以て人間を滅ぼし、アテナの首を取り……聖域を支配し、共に世界を手に入れようではないか……』
要求が多すぎ。
隣には、そのアテナがいる。
今まさに仕事を手伝ってくれている相手の首を取れと言われても、困る。
今夜の約束さえ、まだ取りつけていないのだ。
『世界………。むむ? 世界を支配するってことは……つまり、世界の美女が全て私のものに??』
その期待まで伝わったらしく、荘重だった声にためらいが混じった。
『む………いや……そういう訳では……。我は地上の粛清を……』
『じゃあ、いらないかな………』
地上の粛清については、説明の続きを求める気さえなかった。
『ま、待て! い……いや、美女は我も好きだが……そうではなく!』
『あ、これ男だな……。同担拒否なんで、やっぱり結構です』
一方で、声の主には引き下がれない事情があるらしい。途中から単なる大声に変わった。
『ええい!! 話を聞かんかこの小娘!! とにかくニーベルンゲン・リングはここに置いておくからな!! 絶対にはめるのだぞ!!』
神の勧誘とは、こんなにも行儀が悪いものだったか。
◇◇
祭壇の上には、話に出たばかりの指輪があった。
黄金の輝きより、まとわりつく小宇宙の暗さが気になる。あれを身につけてほしいのなら、最初の説明からやり直すべきだっただろう。
「あれ? こんなところに指輪なんてあったっけ?」
「沙織、触らないで。実はさっき、変な声が――」
「よし! キラキラしてて綺麗!! もらっていい? 落ちていたんだし!!」
止める言葉が、身につける速さに間に合わない。
「あ。…………」
ヒルダに与えられるはずだった指輪は、よりによってアテナの左手に収まっていた。
指輪の暗い小宇宙が、光を覆い始めた。
隣にあった親しみやすさが遠のいていく。
「あ………こ………これって!!」
「沙織!! 外して! それは精神を支配する魔の――」
「ふんぬ!!!!」
警告の続きは爆風にかき消された。
黄金の小宇宙に弾かれ、暗い気配が途絶える。
友人の顔を確かめる余裕が戻るまで、何を言えばいいのか分からなかった。
「ふぅー、危ない危ない。ヒルダ! これだめよ!! どこの神が作ったか知らないけど、アテナの機工と同じような洗脳小宇宙が出てくるわ。手口が完全に悪徳プログラムよ」
「……………そうなの」
それを伝えようとしていたのだが、もう解決したらしい。
自分の意志ではないものを押しつけられ、身体も考えも奪われそうになる、あの不快さ。二度と味わいたくない感覚だからこそ、入り込んできた途端に分かった。
「まあ、アテナのシステムを自力で乗っ取った私にかかれば、こんなウイルスみたいな呪い、全く効かないけどね!」
誇らしげな声を聞いても、ヒルダには同じように喜ぶ余裕がなかった。
まず、拾った指輪を何のためらいもなくはめる判断について、一度話し合う必要がある。
その前に、自分なら無事に済んだのかという疑問もあった。あの声を断っただけで安心し、後から手に取っていたら。祈りを止めることになっていたら。
小さな飾り一つが、急に恐ろしく見えた。
「……そうね。色んな意味で、本当に危険ね」
幸いにも、もう指輪からは何も感じられなかった。残ったのは金色の装飾品だけである。世界征服の話を抜きにすれば、見栄えは悪くなかった。
◇◇
「「おじさーん。これ、いくらで売れますか??」」
質屋にとって、代行者の来店はめったにない出来事だった。
しかも相談の内容が、買い取りである。
宮殿の財政に何かあったのかと、店主の心配はまずそちらへ向いた。
「ん? こ、これはヒルダ様!? それにそちらのお嬢さんは……どれどれ……」
ただの拾い物、と聞いても腑には落ちない。
こんなに目立つ指輪を、どういう経緯で拾うのか。
質問を重ねるより先に品物を確かめるのは、商売人としての習慣だった。
ルーペ越しに見れば、細工の粗さはすぐ分かった。金の色も不自然だ。
高値をつけるには、長くこの仕事をしすぎている。
「むむ……これは………残念ながら、大したものじゃないねぇ」
「えっ?」
力が消えたことは承知している。だが、神の手になる品なのだから、材料くらいは上等なものだと思っていた。
「純金に見せかけた青銅で、しかもメッキの含有率が低い。何より、古い神話の遺物に見せているけど、削ってみたら明らかに最近作られたものだ……。ほら、中身は木でできているみたいだね。ハリボテだよ」
「ハリボテ!?」
見せられた断面に、反論できる余地はない。薄い金色の下に青銅があり、その内側に木がある。呪いをはね返した際に変質したわけではなさそうだった。
これでアテナを倒し、聖域を支配するつもりだったのか。
あれほど立派な口上を用意しておきながら、材料費は惜しんだらしい。
「ギリギリおまけして……負けて、2ドルってところかな」
二百でも二千でもない。二ドル。しかも、代行者への好意込みである。
海底から届くような声と、あの小宇宙。送り主については推測にすぎないが、もし本当に海の神だったなら、これは聞かなかったことにした方がいい話かもしれなかった。
「仕方ないわ!! 2ドルでいいわ、おじさん! ヒルダ、これで帰りにおやつ買って帰りましょう!」
迷いのない提案に、ようやく別の値打ちが見つかった。
二ドルで世界は手に入らない。だが、帰り道に友人とクレープを食べる足しにはなる。
知らない男の命令を聞かされる指輪と比べれば、どちらが嬉しいかは考えるまでもなかった。
「…………そうね!! 変な男の呪いより、甘いおやつのほうがずっと価値があるわ!」
◇◇
同じ夜、客室では、参謀長の休養が重要議題になっていた。
「フレア! その……もうちょっと……休ませて!! 俺の体力が持たん!!」
十二宮の戦いが終わったと思えば復興の指揮。そこから北欧への旅行である。
夫婦で過ごせるのは嬉しいが、嬉しさだけで疲れが消えるわけではない。
アッシュに必要なのは、何よりもまず睡眠だった。
対して、ようやく二人きりの時間を得たフレアには、伝えたいことが山ほどあった。
留守にしていた間のことも、アスガルドのことも、これからの暮らしも。
神闘士の務めを果たしながら、いつまで夫と離れて暮らすのか。
それは報告書では相談できない話だった。
「アッシュ様、ヒルダ様から『子供作っても良い』と正式な許可が出たんですから。……でも、お疲れでしたら休みましょう。休んだ後は、私との時間もくださいませ」
その願いなら、断る理由はなかった。誰かの許可が出たからではなく、二人で望む将来として考えたかった。ひと眠りした後で、と約束すれば、急かしていた声にもようやく穏やかさが戻った。
離れていた間に言えなかったことは、夫の側にもある。再会するたびに次の別れを数える暮らしが、いつまでも平気なわけではない。今夜くらい仕事の予定は忘れていたかった。ただ、そのためにも休息は必要だった。
客室の灯りは落とされた。
その外で、眠るわけにはいかないと固く決意しているのはハーゲンだった。護衛として敵を警戒している。少なくとも、廊下を通る者にはそう見える。
『アッシュ殿、どうか……どうか頑張ってください。フレア様が無事にご懐妊なされば、危険な神闘士の任を退き、あのアルベリッヒにメグレスのローブを交代させることができるはず……! すべては、フレア様の安全とアスガルドの平和のため……! アッシュ殿の腰にかかっているのです!!』
ただし、出産と引退が同じ話かどうかは、誰にも確かめていなかった。
妊娠を機に神闘衣を譲り、子育てが落ち着いたら再び一本取って返してもらう。
そのような将来も、あの負けず嫌いには十分あり得た。今夜のハーゲンには、そこまで考える余力がない。
今夜もアスガルドは平和である。神の計画も、家臣の計画も、予定どおりとはいかなかったが。
【アッシュの用語集】
■オーディーン神像
アスガルドの主神オーディーンを象徴する巨大な神像だ。
ヒルダ殿はここで祈りを捧げ、北極の氷が溶けるのを防いでいる。
……今回、アテナまで横で祈っていたが、二人が何を考えていたかについては俺からは触れない。
祈りそのものが成功していたなら、それでいい。
■ニーベルンゲン・リング
人間の精神へ干渉し、装着者を支配するための魔の指輪。
本来ならアスガルド全体を巻き込むほど危険な代物……だったはずだ。
今回は沙織ちゃんが装着。
神の機工との戦いで精神干渉に慣れていたため、ほぼ即座に呪いを押し返した。
その後、質屋へ持ち込まれた。
査定額、2ドル。
神器とは何だったのか。
■神の機工
かつて沙織ちゃんの内側で、人間としての人格を押し潰そうとしていたアテナ側のシステム。
十二宮で沙織ちゃん本人が主導権を奪った。
その経験のせいか、今回のニーベルンゲン・リングによる精神干渉にも即座に気づいたらしい。
人生、何が役に立つか分からんな。
■質屋
品物を鑑定し、価値に応じて買い取ったり金を貸したりする店。
今回は恐るべき魔の神器が持ち込まれた。
鑑定結果――。
青銅。
薄いメッキ。
中身は木。
最近作られたハリボテ。
2ドル。
俺が製作者なら泣く。
■メグレスの神闘衣
現在フレアが纏っている神闘衣。
本来の後継候補であるアルベリッヒへ譲るには、まずフレアから一本取らなければならないらしい。
フレア本人に譲る気はほぼない。
アルベリッヒ、頑張れ。
■ハーゲン
ベータ星メラクの神闘士。
フレアが危険な前線から退いてくれることを心の底から願っている。
今回、夫婦の将来について勝手に壮大な計画を立てていた。
本人たちには何も確認していない。
そういうところだぞ、ハーゲン。