聖闘士星矢異伝 〜聖域なき聖域改革、時代遅れの場所には住みたくない〜 作:斉宮 柴野
査定額、2ドル!
しかし、その事実を知って最も傷ついた者がいた!
怒り狂う海皇ポセイドン!
そして、その八つ当たりを一身に受けることになったのは――海将軍筆頭、シードラゴン!
命じられた任務は、アスガルドへ潜入し、ポラリスのヒルダを説得すること!
だが現在のアスガルドには、アテナ、アベル、エリス!
そして何より――アッシュとサガがいる!
正体を知られるわけにはいかない!
ならば取るべき手段はただ一つ!
完璧な変装だ!
しかし一人の変装が、なぜか海将軍三人を巻き込む大惨事へ!
セラフィナ!
セレン!
イレーネ!
海界最強の潜入部隊、ここに爆誕!
果たして彼女たちは、誰にも正体を見破られずワルハラ宮へ潜入できるのか!?
君は、小宇宙を感じたことがあるか!
海将軍潜入作戦! 美女三人、アスガルドへ
「何ということだ!!!」
海底神殿のどこにいても聞こえそうな声だ。
まずい。何がまずいかは、まだ分からん。
だが、ここで呼ばれるまで待っていれば、なぜすぐ来なかったと怒られる。
急いで玉座の前に膝をついた。こういう時、鱗衣で顔を隠せるのはありがたい。
「ど、どうなされましたか、ポセイドン様」
「おお、シードラゴンよ。ジュリアン・ソロの誕生日まであと少し……。目覚めを前に、戯れにアスガルドで遊ぼうと思っていたのだが……」
「はい……」
アスガルドで遊ぶとは一体……?
そんな予定は聞いていない。正式に目覚めるまで大人しくしていてくれれば、こちらにも準備のしようがある。
勝手に遊びへ出かけられては、段取りが全部狂うではないか。
だいたい、アスガルドの何が気に入った。雪か。温泉か。それとも、オーディーンの留守宅にでも嫌がらせをしたくなったのか。
「アテナめ!! 我が精魂込めて造り上げたニーベルンゲン・リングを、質に入れおった!!」
差し出された紙片へ目を落とした。
買取証明書。品目、指輪。買取金額、二ドル。
二ドル。
「ぶふうっ!!」
いかん。
「………笑ったか?」
「いいえ!! 微塵も!!」
顔を上げるな。口元を引き締めろ。二ドルについて考えるな。
考えるなという方が無理だ。精魂を込めて、二ドル。
アテナを恨む前に、材料を見直した方がよいのではないか。
神の細工料が査定に入っていないと申し立てるべきかもしれん。
その紙を、誰から受け取ったのかも気になる。魂だけのくせに、領収書を握り締めているのもおかしい。どこから突っ込んでも命に関わりそうなので、何も言わずにおいた。
「まさか、そのような暴挙に出るとは……。神の威厳を何と心得るのか……。シードラゴンよ!!」
「はっ!!」
質屋への抗議なら、ほかの者にしてほしい。査定をやり直させた結果、一ドルに下がりましたなどと報告する役目だけは御免だ。
「今すぐに、ソレントとイオを連れてアスガルドに赴け!! 直接、ポラリスのヒルダを説得するのだ!!」
「え………」
アスガルド。それは困る。質屋へ文句をつける方が、まだましだ。
今、向こうには『アッシュ』がいる……。奴の頭脳と観察眼なら、俺の正体がバレかねん……。しかも、サガもピンピンして生きているし……。くそっ、ポセイドン神殿に逃げ込んだのは、失敗だったかもしれん!
シードラゴンとして人前に出るだけなら構わない。俺の顔を知らない連中には、それで通る。だが、あの男の前で同じ手が使えるか。顔を隠して、声も変えて、何食わぬ顔で通り過ぎられるか。
無理だ。自分でも信用できない。
しかも説得とは、断られたら力ずくで従わせろということだろう。
アテナを追い返し、そのそばにいるアッシュまで黙らせる。
海将軍三人でどうにかなる仕事とは思えなかった。
「は……はっ。御意のままに」
断れれば、苦労はない。
今ここでアッシュの名を持ち出しても、なぜ人間一人を恐れるのかと聞かれるだけだ。
俺とサガの関係まで説明するくらいなら、現地で何とかする方に賭けるしかなかった。
「私は疲れた。今一度、ジュリアン・ソロのなかで眠りにつく。けして起こすなよ!!」
こっちは今から、疲れに行くのだが。
「しかし、作戦の進捗報告はどうすれば……?」
「ふむ………。よし。ここにメールアドレスを書いておくから、そこに日報を送るように」
今度の紙片には、[email protected] とあった。
公式、とわざわざ入れてある。偽物がいるのか。
メールの返信を待っている間に正体が露見した場合、その旨を日報に書けばいいのか。
「………はっ。承知いたしました」
神様もメールを使う時代か……。
目の前の気配は、もう遠のき始めていた。質問は終わったものと見なされたらしい。
◇◇
「…………シードラゴン。君は、なぜそんな格好を??」
レンタカーの後部座席は、思ったより狭かった。
脚を組もうにもドレスの裾が邪魔になる。
ようやく座り直したところで、運転席からイオの質問が飛んできた。
「潜入とは言え、流石に……それは……」
ソレントまで同じ顔をしている。二人とも、まず前を向け。
特に運転中のお前は、鏡ばかり見るな。
化粧を終えた時には、俺も鏡から目を離せなかった。長い髪のウィッグと、目元の色と、口紅。それだけで、ここまで顔が変わるとは知らなかった。
似合わなければ別の手を考えるつもりだったのだ。ところが、文句をつけるところがない。念のため首を傾けても、角度を変えても、女にしか見えなかった。
よし、とは思った。思ったが、もう少し手間取ってもよかったのではないか。
「シードラゴンと呼ぶな。この任務の間は………」
声も整えてある。普段の声で呼び止められては、これまでの苦労が台無しだ。
「なんだ? 本名を教えてくれるのか?」
教えるわけがないだろう。
「…………『セラフィナ』と呼べ」
「…………天使? 偽名にしても、君のガラからして酷すぎないかね?」
「……………」
うるさい、海っぽい女の名前がこれしか浮かばなかったんだ。
ガラに合った偽名をつけたら、変装する意味が薄れるだろう。
俺に天使が似合わないことくらい、俺がいちばんよく知っている。
「で、なぜそのような服を着て、髪型を変えて、化粧をして、女装までしているのだ?」
だから、それをまとめて変装というのだ。服も髪も顔も同じままで別人を名乗る気か。説明してやりたいが、本当の理由は言えん。
俺の顔は知られている。俺には会いたくない相手がいる。
兄もいる。この二人にまで、その事情を教える必要はない。
「いいか、よく聞け。アスガルドには今、アテナ、アベル、エリスと神が三柱もいる。さらに、参謀長・アッシュまで来ているはずだ。奴は異常なまでに頭が切れる……。万が一にも、海界のものだと正体がバレれば、ただでは済まんのだ。完璧な変装……これがプロの流儀だ」
これで十分だろう。必要なのは、格好をからかうのをやめてもらうことだ。こちらの事情を察して黙ってくれれば、後は仕事を進められる。
「…………であるなら、我々はこの素顔のままで良いのか?」
あ。
「………そうだな……。つまり、我々も女装すべき………ということか?」
違う。俺だけでいい。お前たちには、そっくりな顔の兄が聖域にいるわけではないだろう。
「いや………そういう訳では。お前たちはそこまでしなくても……」
「なぜだ???」
言える理由がない。
警戒しろと説いておきながら、二人だけは素顔でいい。その不自然さを埋める言い訳が欲しい。できれば、今すぐ。
「………ハッ! 分かったぞ、ソレントよ。シードラゴン……いや、セラフィナは、我々の誇りを慮ってくれているのだ。女装などという屈辱は恥ずかしいだろうと、自らが泥を被って……!」
違うと言いかけて、やめた。
自分から納得してくれたのなら、それでよいのではないか。これ以上、理由を問い詰められずに済む。気遣いを受け取ったうえで、普段どおり任務に励んでくれれば――。
「……なるほど……! すまなかった、セラフィナ。だが、気遣いは無用だ。君が我らのためにこれほどの覚悟をしてくれたのだ。私たちも、幸い? にも海将軍のなかでも指折りの美形の二人。君の覚悟に応え、見事化けてみせるとも!!」
「…………………そうか」
なんでそうなる。
俺はいつ、部下のために覚悟を決めたことになった。鏡越しに向けられる尊敬が、今はひたすらつらい。否定すれば、もっと深く感動される気さえした。
それに、自分たちで指折りの美形と言い切るのか。反論できないのも腹が立つ。
次の店で車を止めることになった。化粧品と服を選ぶためだ。海皇の命を受けた海将軍三人の最初の共同作業が、これだった。
日報には書けない。書いたところで、寝ぼけた海皇に褒められでもしたらどうする。
◇◇
「…………本当に、ただの観光地になっている………のね」
危ない。最後の一言を忘れるところだった。
通りに立つと、持ってきた情報を疑いたくなった。土産物店に宿泊施設、スキーの貸し出し、店頭の呼び込み。深刻な顔で歩いているのは俺くらいではないか。
寒さに耐え、神へ祈りながら慎ましく暮らす土地ではなかったのか。目の前では、団体客向けの割引が大きく宣伝されている。こんな場所で地上粛清への協力を求めて、誰が喜ぶのだ。
少なくとも、今月の売り上げを数えている商人には嫌われるだろう。
「セラフィナ。先に行かないでくださいな、うふふ」
背後からの声で、気が重くなった。
振り向かなければ、誰の声か分からない。振り向いても、知っているソレントに見えない。清楚なロングスカートと、控えめな微笑み。その仕上がりに文句はなかった。
なぜ、うふふまでつける。
「ああ……ごめんなさい。セレン」
この名前にも慣れなければならない。セラフィナ、セレン、イレーネ。三人まとめると、海界から来たというより、どこかの歌劇団のようだった。
「ちょっと! 私にばかり荷物を持たせて、良い気なものね!」
今度はイレーネだ。
ポニーテールにパンツスタイル。こちらも似合っている。少なくとも、通り過ぎる男たちの視線は隠せていない。だが、文句を言うなら荷物を買う前に言え。
しかも、その袋の中身は海産物だ。海界から来て、海産物の土産を買ってどうする。地上の味つけを調べるのだという説明を、いつの間に俺は了承したのだろう。
「イレーネも機嫌直して。さあ、行くわよ」
すっかり馴染んでいる。俺だけが、まともに返事をするにも一度考えなければならない。
店の窓に三人分の姿が映った。背が高い。顔立ちも目立つ。服の選び方まで、無駄に釣り合っている。通行人の目がこちらへ向くたび、笑って会釈する二人を止めたくなった。
潜入だぞ。見物されてどうする。
見破られないことばかり考えて、人目を引かないという肝心の条件を忘れていた。女に見えるかという点では成功している。誰にも覚えられずに宮殿へ近づけるかといえば、もう手遅れに近い。
今から別の服を買うか。いや、この二人に言い出したら、次はどんな組み合わせにされるか分からん。
どうしてこうなったのか……。こんなふざけた姿でアッシュに見つかったら、一生の恥どころではない。いっそ、今からでもアッシュさんに帰順を申し出るべきか……。でもサガが……あああ……!
土下座する自分の姿まで想像してしまった。この服で。セラフィナと名乗ったまま。
やめろ。まだ何も失敗していない。少なくとも、カノンだとは知られていない。それで十分だ。今はそういうことにしておけ。
ワルハラ宮は、通りの先にあった。
あそこにアッシュがいる。帰りたい。しかし帰れば、ヒルダを説得できたかと聞かれる。二ドルの指輪への八つ当たりを、何で俺がここまで引き受けなければならんのだ。
◇◇
その頃、アッシュには潜入者を見抜く余裕はなかった。
「ゼェ……ゼェ……。フレア……頼む……もう………俺の体力が……」
アッシュにとって、妻と離れていた時間を埋めたい気持ちと、身体の限界は別の問題だった。せめて水が欲しい。次に枕。その後は、しばらく何も考えたくなかった。
「アッシュ様……♡ もう一回……もう一回だけですわ……」
そのお願いには、すぐには返事がなかった。どうにか休憩を約束してから手渡された水が、今は何よりありがたい。
隣の笑顔を恨む気にはなれないが、体力を基準にされてはたまらなかった。
休んだ後のことは、休んだ後に決めればいい。ようやく枕へ頭を預けても、そばから離れる気配はない。それを嬉しく思ってしまうあたり、参謀長にも大いに責任があった。
けしからん夫婦である。
海界からの潜入者にとっては、今こそ絶好の機会だったかもしれない。もっとも、町で女声を練習しながら帰順を検討している男には、その幸運を知る術もなかった。
【アッシュの用語集】
■海底神殿
海皇ポセイドンと、その配下である海将軍たちの本拠地。
海の底にある神殿らしい。
今回の報告を読む限り、神聖な場所というより、ポセイドンの思いつきに部下が振り回される職場になっている気がする。
どこも上司を選べない部下は大変だな。
■ポセイドン
海を統べる神。
ジュリアン・ソロの肉体を依代として、完全覚醒の時を待っている。
今回、自作したニーベルンゲン・リングを2ドルで質入れされたことに激怒。
気持ちは分からんでもない。
ただし、先に材料費をケチった理由を説明してほしい。
■シードラゴン
海将軍の一人。
今回、ポセイドンからアスガルド潜入を命じられた人物。
なぜか俺とサガを異常に警戒しているらしい。
そこまで顔を見られたくない事情があるのなら、是非とも直接聞いてみたい。
■セラフィナ
シードラゴンが潜入のために名乗った偽名。
長髪。
化粧。
ドレス。
女声。
かなり念入りな変装だったらしい。
そこまで俺に見つかりたくないと言われると、逆に探したくなる。
■セレン
ソレントが潜入時に使用した偽名。
清楚な服装と物腰で、かなり自然に女性へ化けていたとのこと。
なぜ「うふふ」まで付ける必要があったのかは知らない。
本人が楽しんでいるなら、それでいいだろう。
■イレーネ
イオが潜入時に使用した偽名。
ポニーテールにパンツスタイル。
三人の中では活発な女性を演じていたようだ。
なお、潜入任務中に大量の土産物を購入。
海界の戦士が地上で海産物を買って帰る意味については、俺にも分からない。
■海将軍
ポセイドンに仕える七人の戦士たち。
それぞれが海を守護し、高い戦闘能力を持つ。
……はずなのだが。
今回の共同作業は、女物の服と化粧品を選ぶことだったらしい。
平和で何よりだ。
■ジュリアン・ソロ
ポセイドンの依代となる少年。
現時点ではポセイドンが完全に覚醒する前の状態にある。
本人が寝ている間に、自分の中にいる神が2ドルの指輪を巡って部下を北欧へ派遣しているとは、おそらく夢にも思っていないだろう。
■日報
その日の任務内容や進捗を報告する書類。
ポセイドンもメールで受け取るらしい。
宛先にはわざわざ「official」と入っていた。
海皇の偽アカウントでも存在するのだろうか。
気になる。