聖闘士星矢異伝 〜聖域なき聖域改革、時代遅れの場所には住みたくない〜 作:斉宮 柴野
しかし、ポセイドンから届いた指令は相変わらず無茶苦茶。
さらに深夜のアスガルドでは、フレアによる地獄の特訓が開始!
そして翌朝――。
女官として働き始めたセラフィナの前に、最も会いたくなかった男が現れる。
アッシュ、早くも正体に気づく!?
君は、小宇宙を感じたことがあるか!
ようやく、誰にも顔を見られずに済む。
セラフィナとして笑っている間、何度頬が引きつったことか。女官への採用は決まった。潜入は成功した。あの面接については、それ以上思い出したくない。
だが、寝る前に報告だけは済ませねばならん。何しろ、ここへ来るよう命じた当人は、我々の苦労など何一つ知らずに眠っているのだ。
「『ポセイドン様へ。無事ワルハラ宮への潜入に女官として成功しました。ヒルダの説得は折を見て行う予定です。どのような条件をつけるのかご指示ください……』よし、送信っと」
これで明日の方針も決められる。具体的な条件さえあれば、ヒルダに話を持ちかける機会を探せばいい。向こうも一国を預かる立場なのだから、利になる話なら耳を貸すはずだ。
着信音。
早い。まだ画面から指を離したばかりだぞ。
「もう返信がありましたね……。神のくせにレスポンスが早すぎませんか?」
まったくだ。眠るから起こすなと仰せだったのは、何だったのか。日報を待ち構えていたのではあるまいな。
「なになに……『ポセイドンより。ヒルダは美しい女性を好むとのこと。そなた達で籠絡せよ。あるいは抱いてしまっても構わん。テティスを向かわせるので、真に百合であれば彼女を使え』……」
「……………………」
読み違えたかと思った。
もう一度、最初から目を通す。間違いない。送り主も海皇だ。偽のメールなら、どれほどよかったか。
俺が求めたのは交渉条件だ。援助でも協定でも、何でもいい。相手に提示できるものが欲しかった。
「……抱いてしまっても構わん、って……主神自ら何を仰っているのかしら……」
こんな命令を受けていると外に知れたら、海界の使者だと名乗ることすらできなくなる。
「聞かなかったことにしよう。海界の威信のために……」
消すか。いや、消したら後で確認できなくなる。確認したくもないが、そんなことは命じていないと言われた時のために残しておくべきだ。
そこまで考えて、情けなくなった。
ともかく今夜は寝よう。疲れているから、余計に腹が立つのかもしれん。
朝になれば、もっとまともな返信が――。
寝台も、窓も、まとめて震えた。
「っ!? こ………これは………!」
冗談ではない。
今の高まりは、宮殿の中からか。敵襲ならば気配を殺して様子を見るべきだが、戦いが始まっているなら宿舎も安全ではない。かといって飛び出せば、こちらまで小宇宙を使う羽目になる。
「何という小宇宙……! 滞在しているエリスとアベルが戦闘でも始めているのか!?」
「しかし、こんな深夜になぜ……!? 神の気配までも混ざっている……! これほどの高まり、聖戦の前兆か何か!?」
一つではない。次々に増えている。
窓の向こうは吹雪で、鍛錬場の様子までは見えない。だが、距離は分かる。近い。
逃げるにしても、敵味方の区別くらいはつけねばならん。
携帯には、先ほどの命令がまだ表示されていた。
まずこの状況を何とかしてください、ポセイドン様。籠絡などと言っている場合ではないでしょう。
◇◇
寒さで指が利かなくなる前に、もう一度小宇宙を高めなければならない。
アルベリッヒにとって、今夜はその繰り返しだ。
眠っていたところを呼び出され、理由も聞き終わらぬうちに鍛錬。
零下二十度の吹雪など、相手には何の支障にもならないらしい。
メグレスの神闘衣。いつか自分のものになるはずのそれが、今はひどく遠い。
「アルベリッヒ!! その程度の小宇宙では、私からゴッドローブを受け継ぐことなど到底できませんわ!! もっと魂の底から絞り出しなさい!!」
「は、はい!! フレア様!!!……って、なぜこんな深夜に特訓なんですかーーっ!?」
昼ではいけなかったのか。朝でもいい。
「アッシュ様が早々に使い物にならなくなってしまいまして、有り余るエネルギーの発散ですわ!!」
「…………同情しますよ、参謀長……」
その余波を受けている身にも、少しは同情してほしい。
もっとも、理由が分かったところで帰してもらえるわけではなかった。今さら引けば、神闘衣を継ぐ覚悟が足りないと言われるに決まっている。ここは耐えるしかない。いずれ疲れて、終わりになる。そう信じるしかない。
「この凄まじい小宇宙は……! フレア様でありますか!?」
助かった。少なくとも、もう一人ではない。
「トール! ちょうど良いところに来ましたわね! 深夜特訓です!!」
「なるほど!! アスガルドの守護のためなら、このトール、喜んでお付き合いしますぞ!! うおおおおおおおおっ!!!」
なるほど、ではない。理由を聞いてほしかった。
あまりにも迷いのない返事に、気力まで失せる。
これでは終わるどころか、ますます勢いづくではないか。
ほどなくして、フェンリル、シド、バド、ミーメ、ハーゲン。眠気の残る顔が揃うにつれ、アルベリッヒの不満は少しだけ薄れた。自分だけ起こされたのではない。それだけでも救いだった。
「うおおおおおおおおおおおおおおっ!!!!!」
七人分の声を張り上げても、指導の声にはかき消される。
「よし!! 皆、よく聞きなさい! 高出力の小宇宙を放出し続けるのは一見無駄のように見えます! だが、瞬時に全力を放出し、切り替えられるようになることこそ、格上の神々と戦う時に何よりも必要な技術なのです!!」
「はいっ!! フレア様!!」
教えそのものには、反論できなかった。
出し惜しみをしたまま倒されては、技も知恵も使いようがない。
今なら、その意味も分かる。分かるからこそ、いいだろうとは言えなかった。
全力を出す。収める。また出す。いったん緩めてしまうと、同じ高さまで戻すのが難しい。疲れのせいにするたび、目の前から、それを許さぬ小宇宙が返ってくる。
この人は本当に、まだ余力があるのか。
「………何事かと思って起きてきてみれば……夜中に一体何をやっているのだ?」
「…………アスガルドの戦士は、実に勤勉だな……」
今度こそ終わる。
客人を起こしてしまったのだから、さすがに続けられまい。しかも相手は神だ。礼を欠くわけにはいかないはずだ。
「あら! お二人ともちょうどいいですわ!! 口先だけでなく、我が神闘士たちに見本を見せてくださいまし!!」
「……はい?」
聞き返したいのはこちらも同じだ。
「本物の『神の小宇宙』というものを見せつけ、高みというものを肌で感じさせてやるのです!! さあさあさあさあ! 神なら早く小宇宙を燃やしてくださいまし!!!」
「ひっ! な、何だこの娘の気迫は……!?」
「………なぜこんな時間に、ここまでテンションが高いのだ……?」
返答は控えることにした。参謀長のためにも。
やがて、寒さも疲れも一瞬忘れた。これを相手にするのか、と喉が詰まる。全力を出す前に、気持ちが退く。退けば、なおさら小宇宙が鈍る。
だから訓練するのだ。理解したくなかったが、理解できてしまった。
北欧の夜空を越えたその高まりは、遠いオリンポスにも届いた。何が始まったのかと警戒する神々に、深夜の特訓だと教える者はいなかった。
◇◇
外が騒がしくても、寝床は暖かい。今夜の祈りは済ませたし、仕事は朝からでいい。眠りを手放すには惜しすぎる。
「沙織……むにゃ……この胸は……まだ成長途上ね……じゅるり……」
「あん……ヒルダのお尻……安産型で……丸い……すやすや……」
返事なのか、別々の夢の続きなのか。寝言を覚えておく者もなく、二人きりの寝室に朝はまだ遠かった。
◇◇
「はい、セラフィナ」
よく眠れたらしい。こちらは何度も窓を確かめ、扉の外に耳を澄ませ、騒ぎが収まるまで横にもなれなかったというのに。
結局、敵襲ではなかった。だからといって、安心して眠れる夜でもなかった。
だが、顔に出すな。今日から俺は女官だ。まずは仕事を覚え、信用を得る。そのために来た。
「これは……?? 最新型のタブレット端末……ですか?」
「ええ。アスガルドの基幹産業は、アッシュさんの改革によってもはや観光業よ。その決裁書類が溜まりまくっているから、仕分けをお願い。最終判断は私がするから、カテゴリごとにフォルダ分けして私の端末へ転送して頂戴」
書類か。宮殿の内情を知るには都合がいい。どこに金が流れ、誰が何を求めているのか。交渉の材料も見つかるかもしれん。
そう思えたのは、画面を開くまでだった。
「……………未分化ファイル、2379件…………」
しかも、この量を。
分類の見本くらいはあるのだろうな。似た名前の書類を間違えずに仕分け、二千件を超えてなお笑顔で報告しろというのか。採用初日の人間に任せる量ではないだろう。
いや、だから募集していたのか。あの面接で、事務の得手不得手など一度も聞かれなかったぞ。
「セレンはワルハラ宮の宮廷音楽家に合流して。先ほど聴かせてもらった笛の音色、素晴らしかったわ。イレーネは女官達の手伝いを。体力に自信があるのね? 大理石の資材搬入の手伝いをお願いするわ。普通の男の人よりすごい力ね。まあ……フレアよりは劣るけれど」
「はい。仰せのままに」
ああ、いい返事だな、セレン。俺にも笛が吹ければよかった。
◇◇
音楽なら本職だ、助かった。
ソレントにとっては、それが偽らざる本音だった。演奏の腕を隠す必要もなく、働きながら宮殿に馴染める。隣の端末に表示された数字からは、そっと意識を逸らしておく。
「フレア様って………そんなに強いのね……」
イレーネの声も、どこか力がない。大理石を運ばされることより、さらりと付け加えられた比較が気になったらしい。
それにしても、アッシュの名が出たな。この端末も、あいつの仕事の一部か。ここまで整えておいて、書類の仕分けは手作業とは。最後まで面倒を見ておいてくれ。
……いや、来なくていい。自分でやる。
扉の音に、嫌な予感がした。
「ヒルダちゃん………おはよう……」
その声は。
「あらアッシュさん、おはようございます。……ずいぶんと、奥様に絞られたみたいですね」
嘘だろう。
ヤンに支えてもらわねば立っていられないのか。顔色が悪いどころではない。今にも、その場で眠り込んでしまいそうだ。
喜ぶべきか、心配するべきか。できれば今は、俺たちに気づかず休んでほしい。
「ああ…………腰と背筋の感覚が全くない……。ん? その方たちは?」
遅かった。
「わ………わたしは……っ」
セラフィナ。セラフィナだ。名前を言うだけだろう。どうしてそれが口から出ない。
「あらあら………こんなに顔を赤くして……可愛い娘。
アッシュさん、こちらは今日から配属された私の新しい女官達です。セラフィナと、セレンと、イレーネよ」
助かった。どう受け取られたかは今は問わん。名前を代わりに言ってくれたことだけで十分だ。
「……………よろしく………。アッシュだ……」
「は……………はい。よろしくお願いいたします、参謀長様……」
高すぎたか。面接の時より声が浮いた気がする。落ち着け。昨日は通った。女神にも見抜かれなかったのだから、このまま挨拶を終えればいい。
なぜ、まだこちらを見ている。
ほかにも二人いるだろう。笛の上手な女官と、力持ちの女官だ。そちらにも何か聞いてやってくれ。
「………………………君、昔どこかでお会いしたことが?」
分かっていた。この男なら、何かに気づく。だからここまで変えたのだ。髪も、声も、服も。まさか、これだけでは足りなかったのか――いや、決めつけるな。まだ尋ねているだけだ。
「い………いえっ! 滅相もございません!
あなた様のような立派で高名な殿方にお会いしたなら、一度見たら忘れるはずがございませんわ……」
「それは……嬉しいことを言ってくれるな……」
「いえ………そんなことは……」
早く会話を打ち切ってくれ!
褒めたのだから、気分よく休んでくれればいい。俺は仕事に戻る。二千三百七十九件、文句を言わずに仕分ける。だから、今だけは。
「いや………なぜかな……。
俺、君とは今日が初めて会った気がしないんだ。
そう………なんだろうな。この、サガと一緒にいる時のような……妙な安心感が…………」
安心など少しもない。顔を背けたいが、それでは怪しい。笑っていればいいのか。兄に似た笑い方をしてしまったら、どうする。
こんな状態で、どうしてそこまで辿り着けるんだ。半分眠っているような顔ではないか。今日は休め。頼むから、頭まで一緒に休んでくれ。
「あら、アッシュさん。奥様があれだけ元気なのに、ナンパですか?」
そうだ。それでいい。今のは軽い冗談、初対面の女官への挨拶だ。ヒルダの言葉に乗って、笑って終わりにしてくれ。
「いや…………そういうわけじゃあないんだが……。しかし、この骨格と小宇宙の波長……どこかで……」
頼むからこれ以上見るな!! ポセイドン様、早く海界へ連れ戻してください!!
今なら断言できる。書類の仕分けは素晴らしい仕事だ。誰にも顔を見られず、黙って画面に向かっていられる。俺はその仕事をしたい。今すぐにでも始めたい!!
【アッシュの用語集】
■ワルハラ宮女官宿舎
ワルハラ宮で働く女官たちの居住区。
今回、新しく採用された三人もここへ入った。
夜中に巨大な小宇宙を感じても、敵襲とは限らない。
アスガルドでは、たまにフレアが特訓している。
……先に説明しておいた方がいいな。
■アルベリッヒ
デルタ星メグレスの神闘衣を継ぐ予定の神闘士。
ただし現在、その神闘衣はフレアが使用中。
一本取るまで譲ってもらえない。
今回も深夜に鍛えられていた。
頑張れ。
■深夜特訓
フレアによって突然開催された訓練。
高出力の小宇宙を瞬時に解放し、停止し、再び最大まで引き上げることを繰り返す。
格上との戦闘では、瞬間的に全力を出せるかどうかが生死を分ける。
理屈は正しい。
開催時刻以外は。
■決裁書類
行政や組織運営において、責任者の判断を必要とする書類。
現在のアスガルドでは観光事業が急成長したため、案件もかなり増えている。
未整理2379件。
ヒルダちゃん。
溜めすぎ。
■小宇宙の波長
人間それぞれが持つ小宇宙には、微妙な癖や特徴がある。
顔や声を変えても、それまで完全に別人になるとは限らない。
今回会ったセラフィナという女性。
なぜだろう。
妙にサガと一緒にいる時に似た感じがする。
…………気になるな。