ゴーント家の長女、弟を溺愛する。   作:八重歯

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41 トム・ゴーントの入学

 

 キングズ・クロス駅、九と四分の三番線。

 赤い蒸気機関車が堂々とプラットホームに横たわり、吐き出される白煙が、天井の鉄骨に絡みつきながらゆっくりと流れていく。

 

 およそ二か月ぶりのホームでは、見知った顔がいくつかある。

 あちこちから重なる笑い声と別れの言葉、去年よりも笑い声の方が大きく感じるのは、たぶん、私の気持ちが『別れ』へ向いていないからだろう。

 新しい一年生らしい子ども達は、皆少し浮き足立っていた。親の手を離す不安と、未知の世界への期待を、どちらも同時に抱えている顔をしていて、泣きそうな子もいれば、やけに胸を張っている子もいる。

 私は、そっと隣に立つトムを見る。トムも去年ほどこの光景に圧倒されていないようだ。今年は、自分も送られる側だからかもしれない。……まぁ、私たちに見送りなんてないんだけれど。

 そこだけを切り取れば普通なら少し寂しいはずだけど、全くそう思わない。だって、今年からトムがいるんだもの。

 

 

「トム、いきましょう」

「うん、姉さん」

 

 

 返事と同時に向けられた笑顔が、あまりにも素直で嬉しそうで、私の頬もつい緩んでしまう。

 今日、トムはついに入学を迎えた。あれほど待ち望んでいた日がやってきて、トムは数日前からずっと上機嫌だった。

 私が夏休みに戻ってきてからはリビングの壁にカレンダーをかけて、一日一日を確認するように印を刻んでいた。九月1一日までの日が近づくたびに、トムはクリスマスプレゼントを待つ子どものように楽し気で、見ているこっちの胸が暖かくなったほどだった。

 

 ホグワーツ特急がまた白煙を吐き出し、周りのざわつきが一つ大きくなる。時計を見てみれば出発時間まで後数分といったところだとわかった。そろそろ空いているコンパートメントを探さないと相席することになりそう。

 アリスとアニエスは私を探しているかもしれない、とふと考えたけど──トムはちょっと人見知りなところもあるし、落ち着いてホグワーツ魔法学校までの旅を味わってほしい。

 ああ、でも一年生のコンパートメントでの出会いは、結構重要よね。そう思うと私は離れた方がいいのかしら?

 

 

「トム、私と一緒に来る? それとも──」

「一緒がいい」

 

 

 言葉をかぶせるような即答に、思わず目を瞬く。

 トムは少し困惑し、悲しそうに眉を下げ「どうしてそんなことを言うの?」と視線で訴えかけている。ああ、ちょっと不安にさせてしまったかもしれない。大人びているとはいえ、まだ十一歳だもんね。

 

 

「一年生のコンパートメントでの出会って、特別なものなの。だから私がいると『はじめまして』が減るかもしれないでしょう?」

「ああ、そういうことか」

 

 

 私の言葉にトムは納得して頷く。

 その時、汽車が高い汽笛を鳴らした。低い軋みが足音よりももっと深いところから響く。私たちは顔を見合わせ、急いで近くの扉へ向かった。トランクを押し込み、扉を閉めたとき、ゆっくりと、汽車が前へと動き出した。

 

 がたん、と不安定に揺れる廊下にずっと居続けることもできず、空いているコンパートメントを探す。丁度少し後ろの方に無人のコンパートメントがあった。

 座ってみれば、やっぱりクッションが固くて長時間は耐えられなさそう。対面側に座るトムも、ちょっと眉を寄せてもぞもぞと足を動かし座り心地のよさそうなところを探していた。

 

 

「ふふ、トム、綿を増やす魔法、あったでしょう? あれを使うと座り心地が良くなるわ」

「やってみる」

 

 

 トムはポケットから杖を出すと、呪文を小さく唱えて座面をトンと、杖先で叩いた。ふわりとクッションが波打ち、柔らかく膨らむ。トムは満足そうに頷くと、「姉さんの席にもかけるね」と魔法をかけてくれた。

 トムの杖は、持ち手に特徴的な装飾がある、白っぽい滑らかな杖だ。

 イチイの木に、不死鳥の尾羽が使われている杖──オリバンダーの店で買った、正式なもの。

 今まで私の杖をおさがりとして使っていたけれど、やっぱり唯一の自分の杖というものは手に馴染むらしい。かといって、私の杖もまだ大切に持ってくれているし、時々磨いていたり使っているようだ。 

 

 

「ありがとう。……多分、ホグワーツで入学の儀式の後に未成年の『におい』の魔法がかかるんだと思うの。今私が使うと……ちょっと厄介なことになるかもしれなくて」

「ここにはマグルはいないのに?」

「うーん、成人の魔法使いが近くにいればばれないけどね。汽車の先頭と後方にはいるでしょうけど。どの距離までセーフなのかわからないわ」

「ああ、そうか……なら、僕も来年からは家以外では使わない方がいいね」

「ええ、そうね」

 

 

 今まで自由に魔法を使ってきたトムはその不便さに少しだけ眉を寄せて考えこんでいる。

 まあ、ゴーント家では、モーフィンは酒やつまみを買いに行ったりしてふらっといなくなることはあっても、マールヴォロはほとんど家に引きこもっている。未成年の私たちが家で魔法を使っても、きっとばれることはない。

 問題は、二人で買い物とかちょっと森へ散歩に行くときね。モーフィンとマールヴォロについてきてもらうのは煩わしいし、彼らは断固拒否するだろうし。私たちは息をするように魔法を使う癖がついているから、本当に気を付けないと。

 

 

「……それで、トム。ほかの一年生は探しに行かなくていいの?」

 

 

 慌ただしく汽車へ乗り込んだせいで流れたいた話題を、ふと思い出して聞いた。

 私だって、去年偶然アニエスとマリアの二人がコンパートメントに入ってきて、ホグワーツに着く前に交流をすることが出来た。トムも、そんな出会いがあるかもしれない。

 

 

「うん。僕はスリザリンだろうし。部屋は四人部屋か三人部屋なんでしょ? ルームメイトと適当に仲良くするよ」

 

 

 トムは、自分がスリザリンだと確信している。

 私も、「どこの寮かわからないわよ」なんてトムを不安にさせるような意地悪なことは言うつもりはない。というか、トムは絶対スリザリンだと思う。

 勿論トムは、私が知っている『トム・リドル』ではもう無い。優しくて、賢くて、ちょっぴり甘えん坊なただの男の子になったとはいえ、それでも……ふとした時に見せるものが、体に流れている古くからの血を──スリザリンの血を思い出させる。

 まあ、トムはとてもかっこいいし、人見知りはするけれど人嫌いではないから、友人との出会いが少し遅くなったところで、いずれ問題なく馴染んでいくだろう。

 ……えっと、でも、トムは誰と友達になったんだっけ。『トム・リドル』は何人かの純血の子と仲良くしていた記憶があるけど……もう『リリス』として長く生きて、昔の世界を思い出すことは少なくなってきたからか、当時の記憶がおぼろげになっている。

 

 魔法を一つ覚えるたびに、あの世界の事を一つ忘れていくような。

 私がリリスとして生きていくたびに、あの世界の私が死んでいくような。

 

 その感覚は、時々ひどく不思議で、少しだけ寂しい。けれど──。

 

 ──別にいいのかもしれない。

 私は、この世界でトムを、そして『私』を幸せにすると決めたのだから。

 

 

「姉さん? ……どうしたの?」

 

 

 トムの声で我に返る。

 窓に映るリリスの顔を見ながら黙り込んでしまった私に、トムが心配してそっと声をかけたようだ。

 がたん、と汽車が揺れ、私は視線を戻して笑った。

 

 

「トムのルームメイトはどんな人かな、って考えていたの」

「うるさくないやつだといいな」

「ふふ、そうね。でも賑やかなのも楽しいかもしれないわよ?」

「そうかな……」

「ええ、アリスはおとなしい子だけど、アニエスはとっても明るくて賑やかで、傍にいるだけで私も楽しくなっちゃうの」

 

 

 そう言ってあの笑顔を思い出して笑うと、トムは無意識なのか少し考えるように首を傾かせた。その仕草が妙に子どもらしくて可愛い。そう言ったら「子どもじゃないよ」と拗ねるだろうから、思うだけ。

 確かにトムは声を上げて笑ったり、はしゃいだりする性格ではないけど……年相応なところもあるし、ホグワーツ探検くらいする無邪気さはあると思うのよね。私の前で、大人ぶりたいだけで。

 

 

「アニエス……ああ、あの人。僕はちょっと苦手かな」

「え、そうなの?」

 

 

 トムとアニエスが会ったのは、夏休み中に一度だけ。

 アニエスが張り切って企画したロジエール家でのパジャマパーティー。その案内のためにアニエスとロジエール家の屋敷僕がゴーント家まで迎えに来てくれた。……あの時ばかりは、家を改築していて本当に良かったと思った。

 さすがに、以前の、浮浪者しか住まないだろうボロ家だったら、優しくて明るいだってアニエスだって少しくらいは表情を変えただろうし。

 迎えに来たアニエスは、トムと会って顔を真っ赤にしてそわそわと落ち着きがなかった。熱がたまって熱いのか、手で顔をぱたぱたと仰いで、目はきょろきょろといろいろなところへ泳いで、まともにトムを見られなかった。……微笑ましく感じたのは私だけだったみたい。

 アニエスはトムの事を気にしているらしいけど、やっぱり憧れで終わりそうね。

 

 

「僕は姉さんみたいな、落ち着いている人と仲良くしたいな」

「そう……どんな人でも、お友達ができたら紹介してね」

「うん」

 

 

 トムはすぐに頷くと、外の流れる景色へと視線を向けた。

 流れていく景色が、私と同じ灰色の目に淡く映っている。リトルハングルトンでは見ることのない景色が珍しいのだろう。

 

 トムは今日、ホグワーツへ入り、ここから少しずつ、私の知らない時間を持ち始める。

 新しい友人ができて、新しい秘密だってできる。私の知らないところで笑って、好きな女の子も、きっと。

 

 それはトムの成長を考えると喜ばしいことのはずなのに、なぜか胸のどこかが──ほんの少しだけ、静かに締まった。

 

 ……ああ、だめね。まるで、子離れできない母親みたい。

 

 そう思って、私はトムに聞こえないように一人で小さく笑った。 

 

 

 

***

 

 

 二年生以上の生徒たちは、すでに各寮の長机へと揃って腰を下ろしていた。

 大広間のあちこちでは、久しぶりに顔を合わせた友人たちが楽し気に言葉を交わし、笑い声や囁き声が幾重にも重なって響く。

 私の向かいにもアニエスとアリスがいて、ついこのあいだのパジャマパーティーで、あれほど夜更けまで飽きもせず話し込んだばかりだというのに、たった数日で話したい話題が増えたのか、かわるがわる楽しそうに話しかけてくる。私はその勢いを遮ることなく時折頷き、必要なところだけ短く声を差し込みながらほとんど聞き手に回っていた。

 私の夏休みは、家と近くの森、ミルデン横丁の往復だけだったもの。新しく話す話題がないのも仕方がない。

 

 そんな風にしているうちに、大広間の扉が重々しい音を立てて開いた。

 緊張した顔の一年生が、ダンブルドアを先頭に長い列を作っている。ダンブルドアは、組み分け帽子が乗っている丸椅子を抱えていた。

 もうすぐ、組み分けが始まる。組み分けは新入生のための、入学して一番初めの大きな儀式だけど、私たち在校生にとっても新たな仲間が決まる大切な瞬間だ。そこかしこで交わされていた話し声は自然と止まり、みんなの目が一年生へと向いた。

 ダンブルドアはにこやかに微笑みながら、自分の後ろに控えている一年生たちに何かを話しかける。その途端、一番前にいた生徒はほっと肩の力を抜いた。多分、あまりに緊張して怯えた顔をしていたから小粋な冗談でも飛ばしたのだろう。あの人は、そういう種類の優しさとユーモアだけは、本当に惜しみなく使うものね。

 

 長い列のまま入場する一年生たち。その中の後方に、トムがいた。

 トムは緊張も不安もないらしい。大広間にいる生徒の多さに少し驚いたような目をしていたけれど、それは一瞬で、きっとそれを読み取れたのも、私だけだろう。

 すぐに涼しい顔になって、天井の夜空の魔法や、幾千もの浮かぶ蝋燭を興味深そうに見上げていた。

 トムだけがそんな風で目立つかと思っていたけど……よく見れば、他にもこの場に圧倒されていない生徒が何人かいる。あの自信たっぷりな表情と余裕は、たぶん純血の名家ね。ホグワーツがどんな場所かしっかりと聞いていて、自分が配属される寮も『決まっている』と確信しているからこその落ち着きなんだろう。

 

 一年生は教職員テーブルの前に、私たち在校生に向かうようにして並ばされた。

 緊張で固くなる子、そわそわと落ち着かない子、ぼんやりとどこかを見ている子、顎を少し上げて堂々としている子。たくさんの表情が、まるで店先に並べられた品物のように一列に揃っている。その前へ、ダンブルドアが慎重に丸椅子と帽子を置き、すっと後ろに退いた。

 

 帽子のつばの裂け目が口のようにぱっくりと開き、組み分け帽子が歌を歌い始める。

 何も知らない一年生の何人かが驚いて肩をびくつかせた。

 帽子は去年と大きく変化のない寮の特色を歌い切った。拍手が沸き起こり──いよいよ組み分けが始まる。

 

 

 一人目は、ハッフルパフに組み分けされた。次も、また次も順に名が呼ばれ、組み分けされていく。

 トムは『ゴーント』だから比較的早く呼ばれるはず──そう思ったとき、ダンブルドアが手元の名簿を見て顔を上げ、トムを見た。

 

 

「ゴーント、トム」

 

 

 その名前が大広間に響く。私は、自然と背筋が伸びた。

 トムはすぐに前に出てきた。

 その途端、スリザリン寮を中心に小さな囁きが生まれた。何人かの上級生の目がトムではなく私を見る。その目が「弟かい?」と聞いていたから、私ははにかむように笑って、無言で頷いた。

 

 丸椅子に座る。帽子がかぶせられる直前、トムの目が、私を見た──その目が隠された瞬間。

 

 

「スリザリン!」

 

 

 帽子は高らかに宣言し、スリザリン生から大きな拍手が上がる。私も勿論大きく拍手をした。

 スリザリンだと思っていたけど……ああ、よかった! どこの寮でも素晴らしいし、きっとトムならうまくやれるとは思うけれど。それでもやっぱり同じ寮の方が嬉しい。談話室で会えるし、たくさん話すことができるもの。

 

 トムも、はやり嬉しかったのかな。さっきよりも表情が柔らかくなって、口先が嬉しそうにほんのり上がっている。

 その優しい表情を見た何人かが熱っぽい声で囁き出したのも、しっかり私の耳に届いた。

 わかるわ。トムってすごくかっこいいもの。今はまだ頬も柔らかい丸みがあるけれど、目元は涼しげで利発そう。学校一の美少年であることに間違いないし、トムの在学中、誰かがその場を奪うこともおそらくないだろう。

 

 トムはまっすぐ私の方へと歩いてくる。

 その途中で何人かの女の子たちが熱っぽい目を向け、わざとらしいくらいに席をつめて隣を空けてまっていたけれど、トムは私だけを見ていたから気付かなかったらしい。

 

 

「姉さん、隣座っていい?」

「ええ、もちろんよ」

 

 

 トムは空いていた私の隣に座る。

 私もトムが隣に来るかもしれないな、と思ったから長机の一番後ろに座っていた。

 トムは一年生の中で一番初めにスリザリンへ組み分けされた。この後に来る子たちは、おそらく自然とトムの後ろに並ぶように座っていくのだろう。

 ふと視線を巡らせると、スリザリンだけでなくほかの寮からも視線が飛んできているのがわかった。視線を向けるのは女子だけじゃない。なぜか、男子もちらちらとこちらを見ている。……どうしてなのかしら。

 

 

「ああ……お二人が揃うと、本当に絵になりますわ……」

 

 

 アニエスが、ほう、とため息交じりに呟く。隣にいるアリスも、こくこくと何度も頷いていた。

 ああ、そうか。このたくさんの視線はトムだけに向いているのではないのね。

 まあ、私も、外見はかなり整っている方だもの。

 トムは一瞬、周りの空気を確かめるように目を巡らせ、ようやく自分に──私たちに向けられる視線に気づいたらしい。それでも全く臆することなく、「姉さんがきれいだから当然だね」とさらりと言って流した。

 その一言に、アニエスとマリアは一瞬固まったがすぐにこくこくと頷いた。

 

 

 組み分けは問題なく進んでいった。グリフィンドール、ハッフルパフ、レイブンクロー、スリザリン。どの寮にも満遍なく組み分けられている気がする。あ、やっぱり堂々としていた子はスリザリンかグリフィンドールに組み分けされたみたいね。

 スリザリンへと組み分けされた一年生の名前をしっかりと覚えながら、顔と名前を結び付けていく。

 今年は、私でも知っている純血名家が何人も入学してきたらしい。このうちの誰かがトムの友人になるのかな。

 

 最後の一年生が組み分けされ、拍手が起きる。

 

 新しい一年が始まった。

 そして、たぶんトム・ゴーントの物語は──ここから、動き出すのだろう。

 

 

 

 

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