「ずっと帰って来ないで、いつも何をしてるんですか……?」
ミヤコがそう言って俺に詰め寄って来る。無意識に立ち上がってパソコンの画面を見えないように俺の身体で隠していた。見られて困るものなんざ無いはずだが。
「色々と仕事が立て込んでんだよ。アイのことも、残ったB小町のこともな」
口を衝いて出たのは当たり障りのない言葉。これも嘘じゃない。本当の目的は別なところにあるというだけだ。
俺の言葉を聞いたミヤコはしかし、納得が出来ないと言わんばかりの表情で俺の肩に掴みかかる。
「今は、あの二人に少しでも寄り添ってあげてください!」
「あの二人って……」
「アクアとルビーですよ! 二人がどれだけ傷ついてるか……!」
ミヤコの言葉に、俺は今の今まで二人の存在を忘れていたことに気付いた。そうだ、そういやアイの子どもを預かってたんだったか……。
俺の内心が表情に出ていたのか、ミヤコが信じられないと目を見開いてを見つめた。
「まさか、今まで忘れてたんですか?」
「あー、いや……」
「っ!」
頬に熱い衝撃が走った。ぶたれたのだと、どこか他人事のように冷静に考えている俺がいた。ミヤコの方を見ると、殴ったのはそっちのくせに俺よりも痛々しい表情をしてやがる。
「どうしてこんな時まで仕事仕事って……!」
「……こんな時だからこそだろうが」
「それでも、今は傷ついてるあの子達に寄り添ってあげないと!」
「それはお前に任せる」
俺が傍に居たところで誰が安らぐっていうのか。アイの次に双子が懐いてたのがミヤコだ。俺なんざたまにアイとの打ち合わせで顔を出すだけの、戸籍上で父親ってことになってるだけの赤の他人。それが傍に居たとして、双子にとっちゃいい迷惑でしかないだろ。それなら、こうやって双子のことはミヤコに任せて、俺は俺のやるべきことをやってれば良い。
「俺はあの二人にとっちゃ他人だろうが。俺よりお前が傍に付いてる方がよっぽど良い」
あ、ヤバい。そう思ったときには、俺は思っていたことをそのまま口に出してしまっていた。少なくとも今この時に言うべきことじゃないだろうが。人の機微とやらがさっぱり分からん俺でも、ミヤコの表情を見てそれがマズかったということは悟った。
「他人……そんな気持ちで、二人の親になってたんですか?」
「いや、違う……待て」
何かを取り繕おうと口を開くが、何もまとまった言葉が出て来ない。そりゃそうだ、取り繕うも何も正真正銘、俺の本音だったんだから。
「アイが良ければ、他はどうだっていいんですか!? 私も、あの二人だって!」
「……そういう訳じゃ」
嘘だ。アイを最高の舞台に引き上げる為に、芸能プロじゃ誰だって憧れるあの場所に立たせる為なら、アイの傷になること以外どんなことだって利用してきた。アイの輝きに一番目を灼かれていたのは、他ならぬ俺だったんだから。
「私は! あなたの都合の良い道具なんかじゃない! アイを輝かせるための小間使いだとでも思ってた!?」
ミヤコの剣幕に、何も言えずに後退る。だが、頭の中の妙に冷静な部分がこの後のミヤコの言葉を予想してしまう。頼む、止めてくれ。
「それがアイを失って、もう利用価値が無い!?」
その先は言わないでくれ。
「アイの才能だけに頼って、アイを守れなかったくせに!」
頭の中で何かが弾けたような気がした。
「……アイの才能だけだぁ?」
アイを守れなかっただと?
「アイを見出したのは俺だ。地方から出て来て見すぼらしかった小娘をな」
身寄りの無いアイツを、業突く張りな親戚に札束叩きつけてでも引き取って手元に置いた。
「アイの仕事を取ってくるためにドサ回りだってやった」
その過程で、クソみたいな枕営業だって提示された。だが、そんなもんアイには必要無いと俺は突っぱね続けた。俺が輝くと、輝かせると確信した才能に、そんな泥が付くなんて許せなかった。
「アイに子どもが出来た時だって、何もかも俺が手を回した」
アイの熱狂的なファンが暴走しないように、徹底的に世間の目からアイを隠した。東京と宮崎の往復なんていう馬鹿げたスケジュールだってこなしてみせた。アイの才能を育て上げる為に、俺は俺自身に差し出せるものを全て差し出してきた。そうやって、俺はアイを守ってきた。
「俺がアイを守れなかっただ?」
分かってる。クソみたいなストーカーの存在を見落としていた。一番大事な日だってのに、アイの身の回りの安全なんかよりアイのワガママを優先した。どれもこれも、俺が馬鹿で間抜けだったからだ。分かってる、俺に才能なんか無い。俺はアイを守れてなんかない。
「じゃあお前は何が出来たってんだ」
ミヤコはアイの代わりに双子の母親代わりになってくれた。
「俺がアイの為に仕事を取ってきて、アイの安全の為に引っ越しさせたって時に何をしてたんだよ」
ミヤコが居たから、アイも仕事に全力を注ぐことが出来た。俺も、双子が生まれた後のあれこれに煩わされることなく仕事に打ち込むことが出来た。
「お前だって何も出来て無かっただろうが!」
そこまで言ってしまって、ようやく俺の口は閉じてくれた。ああ、どうして俺はカッとなると余計なことばっかり言っちまうんだ。自分の無能を棚に上げて、こんなことをどの口が言える。だが、一度出てしまった言葉を取り消すことなど出来はしない。俺はヨロヨロと後退るミヤコに背を向けた。
「出て行け。俺は忙しいんだよ」
少しして、俺の背後で扉が閉じる小さな音が聞こえた。デスクトップに映る、使う予定は無いと思っていたフォルダ。案外、これを使うときは近いのかもしれない。
そんなことを考えながら俺は机に置いていたスマホを拾い上げると、今度こそ発信ボタンをタップした。
「随分とげっそりしてるね」
「そう見えますか……」
「やれやれ、こんな時間に珍しい呼び出しだと思ってスケジュール空けたんだもの。黙って飲むだけじゃ無いんだろう?」
目の前に座る男は、そう言ってグラスを傾ける。確かに言う通り、呼び出した側が辛気臭い面を晒していつまでも黙り込くってるなんて失礼な話だ。
「今日は来てもらってありがとうございます。鏑木さん」
「良いよ。一回くらいはね……、アイ君のこともある」
テーブル越しに頭を下げた俺に、冷たい視線が突き刺さる。
鏑木勝也
バラエティからドラマ、映画に至るまで、あらゆるメディアで辣腕を振るう敏腕プロデューサー。アイが大きく変わるきっかけとなった劇団ワークショップを紹介してきたのがこの男。それからも、アイの人気が上がるにつれて番組のキャスティングで世話になった回数は数知れない。芸能界で知らない人間はいない。この男に依頼すれば、最低限のクオリティは担保されると言われる芸能界きっての成功請負人。
「そのアイのことです」
そんな男に、腹芸が通じるなんて最初から考えちゃいない。正面から、単刀直入に用件を切り出した。
「ストーカーに刺されて、そのストーカーも自殺したと聞いてるよ。気の毒に……」
激務だろうに、葬式にも参列してくれた。ドームライブにまで漕ぎ着けた伝説的な人気のアイドルだ。この人だって少しは気に留めていただろう。その記憶がまだ残ってるうちに、少しでも俺は真相に近づかなきゃならない。
「あのストーカーは、どうやってアイの自宅を知ったんでしょうね」
「……どういう意味だい?」
俺の言葉に、鏑木さんが怪訝そうに眉を顰める。俺だって何も分かっちゃいないが、それでもハッタリだって何だって利用してこの男から知っていることを聞き出してやる。アイの動向を把握できていない空白の期間、劇団ワークショップに参加していた時期を知る人間は、この人しかいない。
「うちだってアイの身辺には気を遣ってました。オートロックのマンションに引っ越しさせたんです」
「だろうね、ストーカーだけじゃない。週刊誌に追い掛けられるのが嫌で、複数の家を持つなんて人もザラだ」
「そうです。だってのにストーカーはアイの住所を突き止めた。ウチの人間が最大限警戒して送迎してたのに」
「……誰かがアイ君の住所を流したって?」
俺の言いたいことを察したらしい鏑木さんが、グラスをテーブルに置いてじっとこっちを見つめる。表情の無いその顔からは、その内心は窺い知れない。そもそも、芸能界トップレベルのプロデューサーと俺じゃ役者が違い過ぎる。ハナから勝負の土台にすら立てちゃいない。
「警察はそこまで捜査してくれませんでした」
「それは捜査しても新しい発見が無かったということじゃないかな?」
「一人のストーカーが仮にも芸能人の住所を突き止められる捜査能力を持ってたってより、協力者がいたって方がまだ信憑性があるんじゃないですか」
「ふむ……」
鏑木さんは俺の言葉を聞くとそれだけ言って再びグラスに口を付けた。何かを考え込むようにじっと俯き、じれったくなる沈黙が俺と鏑木さんの間で流れる。
「それじゃ、君はこう言いたい訳だ。僕が紹介した劇団ワークショップに、アイ君を殺したい人間が紛れていた、と」
そう言った鏑木さんの目は、俺の背筋に氷が突っ込まれたと錯覚するような冷たさを孕んでいた。その視線に耐えられず、俺はテーブルに視線を落とす。先生に怒られている学生のような格好だ。
「アイ君を失って悲しいのは君だけじゃない。だが、突拍子もない妄想に他人を巻き込むのかい?」
「……妄想かどうかを確かめるために、話を聞かせて欲しいんですよ」
平坦な口調なのに、肩にずしりと圧し掛かって来る重みを感じながら、俺は何とか言葉を絞り出す。情報源として頼れるとしたら、この人くらいだ。その頼みの綱が切れてしまわないように、俺は視線を上げて鏑木さんをじっと見据えた。
「なるほど、呼び出した用件は理解した。君が何を僕に求めているかも」
「じゃあ……!」
ただね、と続けられた鏑木さんの言葉が、俺の口を固く縫い合わせた。
「僕が君に話をして、それで何の見返りがある?」
「は、え……?」
「そんな顔しないでくれ。この業界は貸し借りだ。バーター、口利き、根回し、やり方は様々あれどね。今の君は、僕が話すに値する何かを差し出せるのかい?」
無慈悲に紡がれる言葉が、鞭のように俺を叩き据えているように感じた。
「アイ君の追悼番組、あのアイデアは良かったよ。あれを最初に僕に持って来てくれたらね」
鏑木さん以外のプロデューサーに持ち込んだ企画。手札の切り方を完全に間違えていたと悟った。コネの維持だけの為に、あの大きなカードを渡すべきじゃ無かった。この人に切ってこそ、あの手札は最大限の効果を発揮するのだと、今になって知った。
「今の苺プロにパッとした子はいないねぇ。悪いが、お役には立てそうに無い。君の妄想を補強するために、知り合いを差し出す訳にもいかないからね」
それだけ言うと、鏑木さんは立ち上がる。俺は何も言えないまま、それを目で追うことしか出来なかった。
「ここの支払いは僕が持つよ。この度はお気の毒にね。君も少し休むと良い」
そう言ってテーブルに置かれた伝票を取り上げて鏑木さんは店を出て行ってしまう。二度と俺からの呼び出しに応じてくれることは無いだろうとぼんやりと考える。俺は、最大の伝手を今失ってしまった。
「……まだ、まだ何かあるはずだろ」
自分でも何一つ信じられない空虚な言葉が、俺の口から零れ落ちた。