――この世界の神格は、あまりにも強大な力の塊だ。
解郷で生ける炎をその目にした時、俺はそのあまりの強大さに慄いた。
俺が――どころか、この星のあらゆる魔人が米粒に思えるほどの大きさ。
それは、ただ力の一端を借りているだけの俺が、七大魔人である白面金毛を正面から圧倒出来てしまうほどに。
だが、だからこそ神格達はこちらを顧みない。
生ける炎は、自身を”視た”相手を燃やし尽くす代わりに、その強大な力を貸し与える。
それ以上のことは何もしないのだ。
しかし、こいつは違う。
這い寄る混沌は――この星に容赦なく襲い来る。
人を弄する神だから、嘲笑と愉悦の神だから。
ゆえにこそ、そいつは俺の前に現れた。
這い寄る混沌――今は、奈留島アルラを名乗っている。
化身たるニイアの言っていた「ママ」。
なんというか、ニイアをそのまま全体的に大きくしたような姿をしている。
現代――この世界だと数年先の――トレンドを取り入れたような、そんな感じ。
だが、その身に宿るマナの総量は、俺の呼吸すら困難にしてしまうほどに、圧倒的だ。
「……っ、はぁ。お前が……」
「あ、もしかして呼吸すること思い出しちゃいましたぁ? えー、もっと苦しんでる方が面白そうだなぁ。じゃあ、セオさーん。
「……
一瞬、自分の思考がおかしくなったかのような錯覚を覚えた。
だというのに、どういうわけか呼吸しようとしているのだ。
――――いや。
「……っはぁ! 面倒だな!」
「――ニャハっ☆ 一発で弾いちゃうんですかぁ? ……どんな精神性してるんです?」
「自分の言葉に、強制的に相手が従う力か、悪趣味だな」
俺は、自分の思考を振り払って、呼吸を再開させる。
片手を胸に当て、なんとか心臓の音を確認しながら、それをもう片方の手で押さえつつ下げた。
圧迫感はあるが、集中すればなんてことはない。
問題は、呼吸を禁止してきた這い寄る混沌――奈留島アルラの能力。
「奈留島が時折、現実を歪めていたのは……この力が由来か」
「だいせいかーい、です♪ 這い寄る混沌には、言葉でなにかを従わせる力があるんですぅ。この何かっていうのは、現実を含みますよぉ。例えばぁ」
ニイ、とそれまで浮かべていた笑みを三日月にして、奈留島アルラは言葉を紡ぐ。
「
途端、空に浮かぶ太陽が一瞬で加速して沈み、月が天井へと登る。
あまりにも理不尽すぎる行為に、思わず絶句したくなるのを何とか抑えた。
「とまぁ、こんな感じでーす♡」
いいながら、明らかにキツイ媚び媚びのポーズを取る奈留島アルラ。
娘がギャルっぽいのはともかくとして、母親までギャルになる必要はなかったんじゃないだろうか、これ。
「……それで、一体全体何のようだ、こんなときに」
「あっれぇ、わかりきってますよねぇ? 邪魔をしに来たんですよぉ」
「なら帰ってくれ」
「つれないですねぇ♪」
言いながら、奈留島アルラはぺろりと唇を舐めながら近づいてくる。
見上げるようなポーズだが、残念ながら俺のほうが小柄だ。
「今、ニイアは
「……色々突っ込みたいところはある。まずどうやって鵺を外に連れ出した」
白面金毛は自身の魔装で、自身を外に送り出すことができるが、ほかはそうではない。
這い寄る混沌なんて怪物が闊歩する状況では今更だが、このルールまでは歪められないはずだ。
「根本的には牛鬼のときと変わりませんよぉ。一度
「……そして、こっちの世界に通してから元の鵺に戻した、と」
結局のところ、まほろば境界は強大なマナを持つ存在を通さない作りになっているだけの簡単な代物だ。
這い寄る混沌のように存在を歪められるなら、如何様にも七大魔人を現実に運び出すことができるのだろう。
「いえ、余りにも小さいから、元の鵺は踏み潰しちゃいました。今の鵺は私が作り直したものです」
――だが、そんな俺の想像を遥かに
いくらなんでも、それは。
「健気ですよねぇ、私の作り直した偽物の存在なのに、自分を本物だと信じて。ニャハハ、傑作ですぅ♪」
「お前……っ! いくらなんでもそれは……っ!」
「あっれぇ、セオさんだってぇ好き勝手色々めちゃくちゃにしてるじゃないですか。もしかして、自分は上から目線じゃないから許されると思ってますぅ?」
「少なくとも、お前みたいなおもちゃ箱をぐちゃぐちゃに振り回すような真似はしてないぞ!」
こっちは生き残るために、大切な人を守るためにやってるとか、色々言えることはあるけれど。
こいつのふざけた言動は、相手にしないのが一番だ。
それ以上言及することはなく、奈留島アルラに俺は問いかける。
「……それで、何が目的だ。奈留島は化身――お前の手足だろう、どうしてわざわざ鵺に襲わせる」
「ニャハッ、そんなの決まってるじゃないですかぁ。アレは這い寄る混沌失格ですぅ」
俺が話題を切り替えたことに、奈留島アルラはつっこまなかった。
これ以上相手にするつもりがないと、向こうもわかっているのだろう。
「そもそもセオさんは、化身という存在がどういった存在かわかりますかぁ?」
「這い寄る混沌が、この世界に干渉するために作ったコマだろう。そしてコマだからこそ、盤上で右往左往するのを這い寄る混沌は視たいはずだ」
奈留島は、意図的にポンコツになるよう這い寄る混沌が創った存在だ。
だからこそ這い寄る混沌であるにも関わらず俺の炎鬼天生の存在を知らないし、知らされていない。
それでいて人を煽るような言動を好むから、なおさら自分が足を掬われるようにできている。
「コマであると同時に、這い寄る混沌の一部でもありますよぉ。セオさんも御存知の通り、あの子には這い寄る混沌としての側面があります。それは別に私が操作しているわけではないのです。ま、そのことに自覚はないですけどね☆」
だからお前は這い寄る混沌の化身なのだ、と言っても「なにそれ」みたいな反応をするだろう。
ゆえにこそ、こいつの言っている意味がわからない。
「だったら、這い寄る混沌失格という言葉の意味がわからないな。這い寄る混沌にとって、奈留島はどう転んでも面白い箸みたいな存在だろ? どこに失格になる要素がある」
「どう転んでも面白い箸って表現はいいですねぇ、使う機会があったら真似しましょうかぁ」
「茶化してないで答えろ、答える気があるからお前はここにいるんだろ?」
「急かさないでくださいよぉ。解ってますって」
そして奈留島アルラは、どこか侮蔑を含んだ笑みを浮かべながら――
「奈留島ニイアは貴方に惚れています」
そう、端的に告げた。
それは――
「……そんな気はしていたよ」
「でも、実際に惚れてるか、単なるあこがれの一種なのかまでは、はっきりしてませんでしたよねぇ?」
「それを態々教えるお前が悪趣味でならないが、ようするに俺に惚れたのが問題なのか?」
それは、なんというか――そんな理由で奈留島が失格扱いされなくちゃいけないのか?
俺は、奈留島アルラの真意がわからない。
「セオさん、貴方はこの世界をめちゃくちゃにするイレギュラーなんです。本来あるべき姿を捻じ曲げてしまうんですよぉ」
「……それは」
そう、言われると。
俺は一切反論ができなくなってしまう。
原作という在り方を壊しているのは、確かに俺だ。
けどそれは、這い寄る混沌だってそう変わらないだろう。
俺が知っている原作に、這い寄る混沌は登場しなかったぞ。
そんな俺と同じ異物は――けれどもそのことを棚に上げてせせら笑うように続ける。
「あってはならない存在なんですぅ。排除されるべき存在なんですよぉ。だから、私は貴方を認めませぇん。そんな異物を好きになってしまう化身も――使えないゴミと同じですぅ」
「……!」
そうして奈留島アルラは、俺を見下ろすように並び立ち、深い深い笑みを浮かべた。
圧倒的な強者として、絶対なる神格として、こちらを覗き込んでいる。
その表情は俺に対する嫌悪と、奈留島に対する侮蔑に満ちていた。
「だから、あの子に私が正しい使い方を教えてあげるんですぅ」
「正しい、使い方……?」
「そうですねぇ。まず、あの子には暴走してもらいます。私はあの子をセオさんの敵として作ったので、その部分をより強調させる感じで、あの子を改変するんです」
いいながら、片手を頬にあてて「あらあら」みたいな笑みを零す奈留島アルラ。
その様子は、実に愉しげだ。
「そしたらあの子は、貴方の周囲の存在を攻撃しはじめます。あなた達がくっだらないデートをしてたあの街を、まほろば学園を、貴方の大切な人達を」
「お前……!」
「ニャハッ、怒りますよねぇ! それに、あの子が貴方の大切な人を殺したら、あの子は戻れなくなります。貴方はあの子を止めるしかありませぇん♪」
言いながら、奈留島アルラの瞳がこちらを見た。
思わず、背筋が震えてしまいそうになるのを、何とか抑える。
「そして貴方とあの子は、骨肉の殺し合いをします! もう後戻りできないくらい殺し合って、殺し合って殺し合って――あの子は殺されるんです」
「……」
「あ、あの子のばかみたいな恋心は、当然書き換える時になかったことにするんですが、殺される直前に戻してあげましょう。そうしたらあの子、どんな顔をしますかねぇ」
くすくすと、くすくすと。
どこまでも愉しげに奈留島アルラは笑みを浮かべて、そう語った。
「どうですかぁ? こういう人を曇らせる悲劇って、すっごく素敵ですよねぇ。きっととっても美しい悲劇になると思いますよぉ。ま、実際には笑えて仕方ない喜劇なんですけどぉ」
「……なぁ」
俺の答えを求めるように、奈留島アルラは問いかけてきた。
だから俺は、端的に答えてやる。
答えなんて、最初から決まってるんだ。
「――ありきたりすぎるだろ、それ」
直後。
「――は?」
間抜け面の奈留島アルラに、直撃させた。
――手のひらの中で強化させた光弾の威力は、先程の鵺との戦いの比ではない。
光弾の色を透明にしておいたから、奈留島アルラは俺が手の中で爆弾を創っていると気付かなかっただろう。
何より好都合だったのは、あいつが自分自身のマナを威圧のためにぶちまけていたこと。
膨大すぎるマナの中では、俺の光弾のマナなんて本当に砂粒程度のものにしかならない。
とはいえ、これで奈留島アルラを倒せるかと言えば疑問だが。
それでも、視界が一気に真白へ染まれば話は別。
俺は奈留島アルラから離れるべく、森の中へと駆け出していった。
+
――奈留島ニイアは、無様に地を這いずり回っていた。
『なんで、なんでなんでなんで――! なんで七大魔人が外にいるのさぁ!』
『ヌハハハハ! そういう貴様も、今は我と同じ姿をしているではないか!』
七大魔人、鵺。
しかもマナの気配からして、こいつは本物の鵺だ。
以前酒呑童子になって殺した白面金毛の分体とは比べ物にならない威圧感。
加えて、今現在ニイアは自分自身もその”鵺”に変身しているのだが、ニイアのそれは変身元を完璧に模倣できるわけではない。
中途半端な状態で、かつ戦い慣れていない異形としての戦い。
ニイアが追い込まれるのは必然と言えた。
『セオくんをどこにやったの! どうしてアタシを襲うの!』
『あの小童ならば、我の分身が相手をしている。まぁ……そろそろ決着が付くだろうが』
逃げ回るニイアを、鵺は無数の手数で翻弄する。
セオが相対した鵺のそれも、セオが戦うには多すぎる手数だった。
しかし本体の鵺はその比ではない。
数百、否、千にも及ぶかというほどの膨大な数の腕と剣が、ニイアを襲っていた。
ニイアもまた、同じように剣や腕を呼び出すが、その数は鵺のそれよりも圧倒的に数が少ない。
『言い淀んだ……ってことは、どうせセオくんが勝つんだ!』
『ふん、負けるのは所詮分身よ! 貴様がここで死ぬことに変わりはない!』
『だからどうして、アタシを狙うのさぁ!』
『
意味がわからない、とニイアは内心で叫ぶ。
けれども、それでどうにかなるとも思えない。
故にただ逃げながら鵺から生き延びることを第一とする。
セオが勝ったなら、そのうち彼がここまで助けに来てくれるはずだ。
『小童の助けを期待しているか? ならば無意味なことだ。我の分身がやられ次第、
『あの女……何のことさ!』
『知らんのか? ヌハハハ! 愚かなことよ!』
――奈留島ニイアは自分がどうやって創られたのか、どういう存在であるかを知らない。
疑問に思っても認識は簡単に書き換えられてしまうし、奈留島ニイアは空回りをするためだけに創られた存在なのだ。
『そして――貴様のつまらん逃走劇も、ここで終わりのようだ』
『あ――っ!』
直後だった。
鵺の刃が、ついにニイアの本体を捉える。
地を駆け回るために使われていた手足が両断され、ニイアは地面を転がった。
『づ――っ、うぅ!』
『ついでだ、我の模倣などというつまらぬ芸はそれで終いにしておけ』
「っぁあああああ!」
気がつけば、ニイアは本来の自分の姿に戻っていた。
鵺の言葉が正しければ、鵺が変身を解除したのだろう。
だが、変身前に切られた両手両足の痛みは幻痛として残る。
悶えながら地を転がって、木に激突して停止した。
「……こ、のっ」
『解っただろう、貴様が我に勝てないことは。そも、人間が七大魔人に勝てるものかよ! 我らは真生生物を喰らい人を超え、そして最強に至った存在だ!』
鵺は猛る。
眼の前にいるは、もはや弱者。
狩られるのを待つ獲物に過ぎない。
「いや、だ……まだ、死にたくない。アタシは……まだ、何者にもなれてない……!」
『……ふん、それがどうした? この世で特別たりうる”何者”になれる存在など、そう多くはない。小娘、貴様がそうなれるとは到底思えないなぁ』
「七大魔人なんて、呼ばれて……それでイキってるアンタには……わからないでしょ!
奈留島ニイアの根底にある欲求は「誰かに自分を見つけてほしい」というものだ。
それは偏に、自分の過去が曖昧で、時折自分が自分ではなくなってしまうかのような行動を取ってしまうが故。
奈留島ニイアという個人は、百鬼セオがまほろば学園に入学した時、その様子を観察してかき回すために這い寄る混沌が創造した。
始まりはその瞬間で、それ以前に奈留島ニイアなんて存在はどこにもおらず、確固たる個なんてものはない。
「だから、アタシは誰かに見つけてほしかった。アタシを認めてほしかった……」
『つまらん物言いだな。辞世の句となるのだ、せめてそれくらいは聞いてやろうかと手を止めたが、聞く価値などなかったか』
鵺がニイアを見下ろし、腕の一つを振り上げる。
ニイアにはもう、抵抗するための手段がない。
もういちど鵺に変化したとしても、また変化を解除されるだけだ。
だから、もはやうわ言のようにニイアは呟く。
「――ねぇ、わがままかな」
鵺は答えず、振り下ろす刃に力を込める。
「アタシを見つけてくれる人が、アタシとは絶対に相容れない存在で」
ニイアは目を閉じる。
「だけどアタシのことをちゃんと見てくれて、アタシを世界でたった一人のアタシだと認めてくれるなんて妄想は」
ニイアは、禁断の関係に惹かれていた。
理由は――とても単純なものだ。
「だって、アタシを見つけてくれる人は、アタシにとって一番特別な人であって欲しいじゃん」
ああ、どうしてだろう。
「誰もが特別だって認めるような存在じゃなくて、アタシだけにとって特別であって欲しいんだ」
どうして、そうやって言葉を紡ぐ時――
「そういう時、どんな関係がアタシだけにとって特別かって言われたら、それは――」
――どうして、
「
どうして目を開けたらそこに、
――現実になっているんだろう。
『貴様ァ! 小童、何故間に合った!』
「奈留島が危ないからだろ!」
迫りくる鵺の一撃を悠々と受け止めて、こちらに振り返る。
その姿は、普段のそれとは違っていた。
体中に焔が奔り、トレードマークの眼帯は外れているのだ。
「無事か、奈留島」
「あ――」
その瞳は、煌々と赤く、朱く、紅く燃えていた。
まるで焔が生きているかのように踊り狂い、セオを飲み込まんとしている。
しかしセオは、それをものともせず受け止め、つかみ、自分のものとしているのだ。
同時に、ニイアは理解してしまった。
「――セオ、くん、それ、は」
「……生ける炎。奈留島に見せるのはこれが初めてになるかな」
セオが手にしたその力は――奈留島ニイアには絶対に受け入れられないものだ。
殺せ、殺せ、殺せとニイアの中の”何か”が叫ぶ。
相容れない、絶対に交わらない。
「――安心しろ、今から鵺は、俺が退治してやる」
そんな存在が、自分を労ってくれている。
自分を守るためだと、背中を見せてくれている。
それに、そんな光景に、ニイアは――
――どうしても、自分の胸が高鳴るのを抑えられない。
『小童、小童ぁ! 吠えてくれるなよ! 白面金毛を倒したようだが、アヤツは力を分体に分け与え、零落していた。我とは違うのだ!』
「だったらどうした。今俺の眼の前にいるのはお前だ。お前をこれから倒すんだよ、鵺!」
セオと鵺が激突する。
そんな頂上決戦を前に、しかし。
ニイアはただ、焔を纏ったセオの後ろ姿しか、目に入っていないのだった――