――この説得には、一つだけ懸念があった。
それはニイアの中にある這い寄る混沌としての側面だ。
奈留島アルラは言っていた。
アレは奈留島アルラが操作しているのではなく、あくまでニイアの一つの側面でしかないのだ、と。
だから仮に奈留島アルラを排除したとして、ニイアの中には這い寄る混沌としての側面がある。
それでも、俺はニイアを説得した。
やっちまえ、と。
自分の道を、自分で歩め、と。
そうしなければ、ニイアがニイアでなくなってしまうから。
それは、ニイアが這い寄る混沌の側面に”酔って”しまうよりも、受け入れられないことだから。
しかし、これはなんというか――
+
俺と鵺の目の前で、ニイアが奈留島アルラのコアを破壊した。
いや、アレは破壊したのではなく――
「――あはっ、いいじゃんこれ♪」
パシャっと弾け飛んだ奈留島アルラの体がニイアに引き寄せられていく。
そして、無地のドレスだったニイアの衣装を、彩っていくのだ。
複雑な装飾になり、大きな胸元のブローチになり、チョーカーになる。
やがて、髪にヴェールのようなものを纏い、髪が長いモノへと変わる。
奈留島アルラより更に長い、腰まで伸びた髪。
最後に――
「うん、最後はこれがいいかな」
空洞のようになった片目へ、
直後――ニイアから先程まで奈留島アルラから感じていた、しかし若干雰囲気の違う気配が噴出する。
濃密なマナの奔流、俺は両手で顔を覆い――
『なんだ、これは……ぬ、あああああっ!』
――鵺が吹き飛ばされていった。
まるで、邪魔者をこの場から退場させるように。
そうして、気配が収まると――
「じゃっじゃーん、どうかなぁ、セオくん!」
ニイアは、豪奢なドレスをまとってそこにいた。
「……ニイ、ア」
「そうだよぉ? ねぇねぇ見てみて、このドレス可愛くない? ちょっとこだわってみたんだぁ」
そこにいるのは、間違いなくニイアだ。
奈留島アルラを取り込んで、変わってしまったというわけではない。
というよりも、取り込みたくないからこうしてドレスにしてしまったのだろう。
だから、ニイアはニイアなのだ。
ただすこし――
「なんというか……吹っ切れすぎだろ、お前」
「あははっ、そうだねぇ。でも、あのおばさんやっつけたら、これまでの悩みが嘘だったみたいにスッキリしちゃってさぁ」
「……なら、良かったよ」
俺は、少しだけ肩の力を抜く。
少なくとも、ニイアはおかしくなってしまったわけではない。
異様な雰囲気ではあるけれど、奈留島アルラのせいでおかしくなったわけではないようだ。
「だから言っちゃうね。セオくん、――好き」
――だからもし、ニイアをおかしくしてしまったとすれば。
それはきっと、俺に原因があるのだろう。
「……それは」
「あはは、解ってるよ。セオくんにはミホノちゃんがいるもんねぇ。そもそも、ただの横恋慕じゃ二番煎じなのは悔しいけどあのおばさんの言う通りだ」
ニイアを助けるためとは言え、俺はニイアに言葉をかけすぎた。
俺にはミホノがいるというのに、ニイアに希望を持たせすぎたんだろう。
「だったら、別の方法でアタシはセオくんに愛をぶつけるの」
「別の方法……?」
「――殺し合おうよ」
その瞬間、ニイアはこれまで見たことの無いような笑みを浮かべた。
嘲笑とも違う、侮蔑とも違う、どこか蠱惑的で、破滅的な笑みを。
「アタシが這い寄る混沌で、セオくんが生ける炎なんでしょ? アタシ達は出会ったら殺し合わなきゃいけないんでしょ?」
自分の手を胸に当てて、もう片方の手を訴えるように振るう。
前のめりになりながら、今にも俺に襲いかかってきそうな嗜虐的な笑みで、ニイアは続けた。
「この世界に、これより素敵な関係がある? 宿命っていう恋のキューピッドが、アタシ達の関係を許してくれたんだよ、ねぇ、セオくん!」
「それは……お前からはともかく、俺からの感情は愛じゃないだろ」
「でもアタシがセオくんを殺そうとすれば、セオくんはアタシだけを見てくれるよ!」
言いながら、愉しげにニイアは両手を広げた。
嗜虐的な笑みが、満開の楽しげな笑みへと変わる。
「ねぇ、セオくんが言ってくれたんだよ。生きて、自分の道を見つければ良いって。アタシね、これから先のことなんてなーんにもわからない!」
奈留島ニイアは、あの時――俺に話しかけた時から生まれた存在だ。
その存在の全ては、あの時から今に至るまでの
ニイアを生み出したのは這い寄る混沌で、ニイアに大きな影響を与えたのは俺だ。
そして、奈留島ニイアにこれまで道を示していたのは、言うまでもなく這い寄る混沌だ。
それがなくなった今――
「――だから、今のアタシにはセオくんへの愛しかないの。だったらそれを、追いかけるしかないでしょ?」
わかりきっていたことだ。
ニイアの危うさを放置して、ただ外敵から守ることだけに注力した俺の責任。
そうするしかなかった、というのは事実であっても、今のニイアは聞いてくれないだろう。
そもそも、本人は危うさを認識していないのだから。
「……解ったよ、ニイア。それでいい。でもな」
「なぁに?」
「俺は別に、ニイアを殺すつもりなんてない。そもそも言っただろ、ニイアは俺の仲間だ。それにニイアは悪いことなんて何もしていない。誰かを傷つけてもいなければ、殺してもいない。ただ、命と尊厳を守るために戦っただけだ」
「あはは、セオくんならそう言うと思ったよ」
少しだけ、照れたようにニイアは笑う。
それは以前のニイアと変わらない仕草に見える。
けれど――
「でも、アタシはセオくんの仲間の
「……」
「ああ、安心して? 仲間は――ミホノちゃんやルト先輩は殺さないよ、アタシが殺すのはセオくんだけ」
言いながら、ニイアは手をかざした。
――何かが、来る。
「もちろん、仲間のみんなと協力するのも構わない。アタシの前でミホノちゃんとイチャイチャしてても、許してあげる。だって――」
「――ッ!」
「今のアタシは、
それは、黒い闇の”波”だった。
津波のように、闇が襲いかかってくる。
ニイアが眼帯で隠した瞳と同じ、黒くて黎い、漆黒の闇。
俺はそれを、生ける炎の焔で受け止める。
――押し返せない、波の一部をかき分けるので精一杯だ。
「あのおばさんの力を取り込んで、アタシ、こんなに強くなっちゃった! 生ける炎のセオくんとどっちが強いかな!」
「……く、こんなもの」
「あはは! セオくんが万全の状態だったら、勝負はわからないかもね! でもぉ!」
俺は更に自身に力を込めようとして――
「
――そこで、炎鬼天生が終了する。
体を駆け巡っていた焔が消えていく。
慌てて俺は、『不壊』の盾を眼の前に呼び出し、なんとか波を受け止める。
「あはは、その盾便利だよねぇ。まぁ、でも、セオくんの意識がもう保たないよ」
「……ニイ、ア」
「これから一週間、セオくんはぐっすりだ。寝込みを襲って……ずぷってやっちゃおうかなぁ?」
押し寄せる波を、なんとか盾で防ぎつつも、ゆっくりと俺の意識は闇に落ちていく。
「ま、それは流石にムリだけどね。こっちも時間切れみたいだしぃ」
視線の先では、ニイアが俺ではなく空を見ていた。
そこに、まるで何かがいるかのように。
「――――愛しています、愛しています、愛しています、故に招来空間」
声が、した。
「あはっ、やっぱりこういう場所には貴方が駆けつけないとね、ミホノちゃん♪」
「
とても、聞き覚えのある、声。
「
直後、俺の存在は、黒い波の中から掻き消える。
「ミホノちゃんのそれさぁ、普段はセオくんの前だと口上省略してるんだっけ? ……セオくんにその口上、聞かせられないもんねぇ、恥ずかしすぎて」
「うっさいですよバカニイア、これからセオ様がおしりペンペンしてやるですから、首を洗って待ってるです」
「おしりペンペンするのに洗うのは首なんだ……あはは、じゃあまたねぇ」
最後の方、ミホノとニイアの会話は、残念ながら意識を途絶えさせる俺の耳には届かない。
しかしなんというか……これは、アレだな。
……ちょっとやりすぎたかもしれん。
先程のニイアの様子を思い出しながら、今回ばかりは多少反省しなくてはいけないと考えつつ、ミホノの氷鬼阿封の中へと回収されるのだった。
なんてこった、ニイアが闇落ちしてしまった……いったい誰の仕業なんだ……絶対に許さないぞ……奈留島アルラ……
次回でいったん一区切りです。