俺がティンダロスの猟犬の体液を飲み込んだのは、言ってしまえばマナを体内で生成するための方法と同種だ。
魔人が血肉をマナへと変えるように、ティンダロスの猟犬の体液を取り込むことでもマナは生成できるだろう。
ただ直接取り込んでしまうと俺は魔人になってしまう。
そこで、取り込んだ状態でそれを魔祓刃の媒介とする。
こうすることで、体液は取り込まれると同時に消費されるのだ。
体内に血肉が残らなければ、人が魔人になる工程は発生しない。
原作でも、そういう方法で敵の情報を探るシーンがあった。
その応用だ。
「解郷!」
ティンダロスの体液を媒介に使う魔祓刃は、解郷。
これに寄って、俺は一時的に生ける炎以外の神格にアクセスできるようになった。
狙うは当然、猟犬達の情報。
そもそもこの世界において猟犬とはどんな存在なのだ?
どうして群れを成している?
俺はそれが知りたかった。
それを知ることが、ティナを知ることにつながっているという確信があったからだ。
ゆっくりと、六重のフィルターを通して猟犬を視る。
ティナを回収して、あいつらはどこに行く?
これから、何をするつもりだ?
そんな疑問も、胸の内に秘めながら。
それは角だった。
ただそこにあるだけの角、角ばった時間の中に身を投じれば、その全てが俺を突き刺さんばかりに悪意を向けてくる。
それは憎悪。
それは憤怒。
それは害意。
ただそこにあるだけで、俺という全てを貫き、突き刺し、磔にする。
生きてはならぬ、在ってはならぬ。
殺したい。
甚振りたい。
尊厳の全てを凌辱し、矜持の全てを踏み躙りたい。
それが、この時間に存在する全てだった。
隠して俺は、この世界のもう一つの時間。
その隙間に押し込まれた猟犬達の顎の中へ、その身を潜らせていく。
+
ティンダロスの猟犬は、角ばった時間に住まう怪物だ。
そこは、おおよそ生命の存在できる場所ではない。
猟犬達は常にその角の中に押し込められ、存在以外を許されない。
であれば猟犬は存在そのものが「かわいそう」な存在なのかといえば、それは違う。
彼らの根底にあるのは、純粋な悪意だ。
醜く、悪辣で、何より救いようがない。
猟犬達には、時間に干渉する存在を許さないという特性を持つ。
しかしなぜそれを許さないのかといえば、別に正義感からそうしているわけではない。
時間を干渉することで、彼らに見つかってしまうからだ。
ただ、それだけ。
身勝手な時間改変だろうと、大義の果てに破滅の未来を捻じ曲げようと、彼らは等しく襲いかかる。
目についたから、そういう存在だから。
何より厄介なのは、彼らが悪意を持ってそれを為すことだろう。
目についた獲物を、猟犬は逃さない。
彼らに時間の概念はない、故に獲物を捉えるまで執着し続ける。
その上で、猟犬は嘲笑うように、獲物を弄ぶ。
逃げ切れたと思った瞬間を狙って喉元に噛み付く。
殺すにしても一息ではなく、弄んで満足してから殺す。
弄んでる最中に、
そんな彼らの生態を、俺は解郷による情報解析から読み取った。
ここまでは、俺が知っている神格としてのティンダロスの猟犬とそこまで相違はない。
なんか甚振り方がより過激になってないかって程度だ。
と言っても、前世のそれはあくまで創作。
猟犬が悪意だけで獲物を殺すかどうかに関しては、正直なところ解釈次第という側面が強いだろう。
ただそれでも、パブリックイメージの「ティンダロスの猟犬」からそこまで外れているとは思わなかった。
だからこそ、気になるのはここから。
こいつらは、何を思って群れて行動しようとするのか。
この世界における猟犬の本質は、ここにあると言っても過言ではない。
ただ――ティンダロスの猟犬が群れる理由自体は、非常に単純なものだった。
角ばった時間はこの世界だと
前世のような概念的で、人間には理解しにくい別世界というわけではない。
あくまで、この世界の法則に則った一つの世界。
そしてそうなると、滅茶苦茶現実的な理由が発生するのだ。
角ばった時間はカドが多すぎて、生存に適した場所が少ないのである。
だから猟犬が生息できる場所は自ずと限られ、そこに複数の猟犬が集まる。
これがティンダロスの猟犬がこの世界において群れる理由。
なんてこった、ティンダロスの猟犬にもそんな世知辛い事情があるのかよ。
知りたくなかったそんなこと。
やたらと人間臭いあふあふさんといい、前世の根源的な恐怖を煽る神話生物と違って、この世界の神格が現実を生きる生命であることを実感してしまうな。
そうして俺は、ティンダロスの猟犬達の暮らしを垣間見た。
彼らはその多くを、角ばった時間で過ごす。
湾曲した時間は、彼らにとって非常に住心地の悪い場所だ。
食事を必要とせず、また彼らに文明を築くような高度な知性はない。
そして群れをなし生活する。
真生生物であれば、そこまで珍しくない生態だ。
だがそこに――ティンダロスの猟犬特有の悪意が加われば、どうか。
もし仮に、群れへ馴染めない個体がいたとしよう。
ティンダロスの猟犬が本来持ち得るはずの悪意を持たず、同族に対して恐れを抱くような個体がいれば、どうだろう。
本能で生きる生物にとって、群れにそんな異物は格好の的だ。
何よりも、猟犬たちが悪意を持って行動する生物であれば、なおさら。
後にティナと名乗るようになるその個体は、群れの中で迫害を受けていた。
イジメなんて言葉では生ぬるい。
それは凄惨極まりない光景だった。
立った1頭の猟犬に寄って集って暴行を加える。
彼らは群れに馴染めない個体をしつけているのではない。
そうすることで隷属を促しているわけでもない。
遊んでいるのだ。
ただ、玩具にして弄んでいるだけ。
どうしようもなく傲慢な、悪意に満ちた獣の本能。
なんでもよかったのだろう、暇をつぶせさえすれば。
そしてこれは、きっと珍しい光景ではない。
ティンダロスの猟犬も生物であり、個体差がある。
些細なきっかけで群れの1頭を標的にし、それをただ破壊しつくすまで玩具にするのだ。
そういう習性と、生まれついての悪意がティンダロスの猟犬には存在していた。
ティナがたまたまその1頭だったというだけで、ティナのような猟犬は決して珍しいものではなかったのだろう。
すくなくとも、この世界においては。
だから、ティナは何も特別な猟犬ではない。
こうして俺が垣間見ている時間の中で、ティナは決して人型ではなかった。
他の猟犬と変わらない、醜くも悍ましい獣の姿をしている。
ただ、一つの転機はあった。
ここまでただただ悪辣なだけの側面を見てきたけれど、そもそもティンダロスの猟犬が時間改変を許さない存在という大前提は変わらない。
もし仮に時間が改変されているのを猟犬が発見したら、即座にその猟犬が時間を改変する人間を抹殺しに動く。
この時、抹殺しに行く権利を手にするのは時間改変を発見した猟犬だ。
結果、偶然にもティナがそれを見つけ、外の世界へと飛び出した。
猟犬たちはそのことに対する悪意を抱くが、止めることはできない。
結果として、ティナは俺達の元へ訪れたのである。
解郷を通して見た光景の中で、俺はティナと相対していた。
場所は学園の裏山、リズ先輩の銅像の前。
始まりは、同じだ。
ただ、姿が違う。
これを見た時、俺はようやくティナの事情を理解した。
要するにティナにとって――
この状況は。
一度目の時間軸で俺と出会い、そこで”何か”を為したティナは時間を遡行しもう一度俺と出会った。
同族に自分を発見されるというリスクを承知の上で。
もう一度出会いをやり直した俺が、ティナを受け入れるかどうかなんて保証――何一つ無く。
俺は時間の旅を続ける。
そうして俺の視点は――”一回目”の俺とティナの出会いを追いかけ始めた。
+
後にティナと呼ばれるその猟犬が、初めて外の世界を見たのは二つの焔が煌めいた時だった。
片や、百鬼セオ。
片や、白面金毛。
互いの瞳に炎を宿し、己がすべてをぶつけて戦った。
対等で、寂寥で、そして何人たりとも間に割って入ることのできない最高の戦いを、その猟犬だけが垣間見たのだ。
――美しい、と思った。
普通、ティンダロスの猟犬は悪意意外の感情を持たない。
そんな猟犬の中の変わり者であるティナは、この時自分の運命が大きく変わったことを、自覚していなかった。
きっとセオを見つけた猟犬がティナでなければ、セオは猟犬の意識から外れていただろう。
セオは歴史改変を行っている。
しかしその方法は、自分の知っている未来を別の形に歪めるというもの。
直接時間を行き来して、過去と未来を変えているわけではない。
未来を知るということも十分歴史改変のうちに含まれるのだが、セオは未来を見たわけではないのだ。
別の世界から持ち込んだ知識という、ある意味脱法とも言える方法で未来を知ったのである。
だから、他の歴史改変と比べて猟犬はそれが本当に歴史改変か、判断に困ってしまうのだろう。
もしもこれが、あの戦いを美しいと思うティナでなければ、そもそもセオに対して猟犬はそれ以上意識を向けなかったはずだ。
でも、そうはならなかった。
ティナは観察を続けた。
果たしてそれが、本当に時間を改変しているのか。
どうしてそこまでして、セオは時間を改変しようとするのか。
答えがわからぬまま観察を続け――ゆえにこそ、ティナはセオの多くを見たのである。
禁断の関係を愛するニイアの前に、生ける炎を纏って現れる姿は思わずティナまで魅入られそうだった。
彼の言葉で覚醒する這い寄る混沌に、思わずティナは正気を削られた。
その後の戦いも余す所なく観察し――そして最後にティナは知ったのだ。
セオという男は、自分が楽しいと思うことのために時間を改変している。
言葉にすれば、あまりにも傲慢極まりない考えだ。
しかしティナはそれを傲慢だとは思わない。
むしろ、そのどこまでも狂気的なまでの信念に――そしてその行動の果てにもたらされる結果があまりにもささやかな幸福であるがゆえに。
心の底から、セオに惚れ込んでしまったのだ。
ティナには猟犬らしい悪意はなかった。
しかし、猟犬としての獲物に対する執着心だけは、他の猟犬と変わらず持ち合わせていたのだ。
今まで、そのことに気付く機会が訪れなかっただけで。
かくして、ティナは執着を向けたセオの元へと向かう。
――”一回目”の始まりだ。
+
一回目のセオとティナの邂逅は、そう違うものではなかった。
唯一の違いといえば、ティナが件を食さずそのままセオの元へ向かったということか。
結果、セオと猟犬はあの山の中で巡り合う。
このときのティナは、まだ人間というものが良く理解できていなかった。
そして何より、自分自身の感情も。
――結果、二人は殺し合った。
セオも炎鬼天生を解放し、ティナもまた全力で。
最終的にティナはセオを殺しきれず、痛手を負って逃走した。
スペックの上ではセオを上回ってはいたものの、戦いに慣れていなかったのと、弄べるほどのスペック差はなかったからだ。
そしてここでセオは一週間の昏睡に入り、そしてミホノによってミホノの魔滅場へと隠される。
ティナはといえば、怪我自体はあったものの、痛みは普段の暴行で慣れていた。
結果、二、三日を回復に当てて多少動けるようになったところで、再びセオの元へ向かったのだ。
セオが一週間昏倒することは、観察から知っていたし、その間に捕まえて自分のものにしようという考えがティナにはあった。
当然ながらそれは、セオの仲間たちの妨害を受ける。
もともとセオから事前に連絡を受けて、ティナに対しての備えを仲間はしていた。
リズ、ルト、ニイア、そしてミホノ。
ミホノは他の者の手を借りるのを渋ったが、最終的に四者は力を合わせてティナを迎え撃つ。
――結果は、失敗。
セオは連れ去られてしまった。
と言っても、ここまでは想定内。
連れ去ることを防げるならそれに越したことはないが、しかし問題はないだろうとティナと一度戦闘をした時、セオは伝えていたのだ。
何せ、ティナはセオを殺すつもりがなかったから。
戦いの中で、セオはティナがセオのことをより深く知ろうとしていることを見抜いていた。
だから、無理ならそれでいいと告げていたのだ。
ただ一人、それを許容できないものがいただけで。
ミホノは、セオを連れ去るティナをどこまでも追おうとした。
とはいえミホノ一人でティナを止めることはできない。
周囲もミホノを止めようとした。
しかしそれでもミホノは動こうとして、
アフーム=ザーを、空に視た。
それはほんの一瞬のことだ。
本気で視ようとしていれば、呑まれていた。
だから一瞬だけ垣間見て、ミホノは出力を絞ったのである。
それでもミホノは、瞳に一生光が戻らないという代償を背負うこととなったが。
そして、代償を負った上でティナに挑んだミホノは、
なおも届かなかったのだ。
ティナに正面からズタボロにされ、なおも吠えるミホノ。
ミホノにとってセオは世界よりもずっとずっと大事な存在だ。
それを目の前で連れ去られることの方が、瞳が視力を失ったことよりも、体の痛みよりもずっと辛かった。
かくしてミホノに消えない傷を残して、セオ達は二度の敗走を経験する。
一回目のセオ達は、二回目と比べて全くうまく行っていなかったのだ。
そうしてティナに連れ去られたセオは、ティナと直接相対する。
この時初めて、ティナは言葉を発した。
セオに対して「だいじょうぶ?」、と。
セオは黙った。
ことこの状況において、自分と周囲の状態は概ね把握できている。
ミホノ達は敗北した。
そしてミホノは、きっととても無茶をしただろう。
同時に理解する、このティンダロスの猟犬には、悪意がない。
悪意がなくても、猟犬はミホノを傷つけるのだ。
普段のセオであれば、悪意のない相手であれば相互理解を試みただろう。
その方が平和だし、何よりセオは力が欲しい。
もし仮にティンダロスの猟犬を戦力に引き抜けるなら、万々歳だと思うはず。
でも、この時はそうではなかった。
ミホノを傷つけてしまったから。
こうなると想像できながらも、猟犬を撃退させることしかできなかったから。
だからこの世界の百鬼セオは、ティンダロスの猟犬と和解することはできなかった。
しかしそれでも、セオと猟犬は互いに言葉を交わしたのである。
連れ去られた先で、セオはティナに何かを語った。
ティナはセオから何かを学んだ。
それが何かは、二回目の百鬼セオ……俺にはわからなかった。
この先を見ようとすると、瞳が熱を持ち始めたから。
それが一回目の俺がそうしていることはわかる。
でも、どうしてそうしているか、まではわからなかった。
ただ、事実として一回目の俺とティナは何か二人きりの話をして、そしてティナは過去に飛んだ。
人の体と言葉を得て、二回目の俺の元へやってきたのである。
そうして二回目も俺とティナは激突した。
ただ、変化は明確だ。
ミホノは視力を失わず、ティナを迫害していた群れが盤面に出てきた。
もし一回目のまま、お互いに理解せず、ティナが過去に戻らなければ起こり得なかっただろう二つの事象。
それが一回目の俺の目的であることはよくわかる。
ああでもしかし、一回目の俺は何をするつもりだったんだ?
どうして俺にすら、その事実を語ろうとしない?
ある程度の事情はわかった。
けれど、その先……二回目の俺が為すべきことは、むしろもっとわからなくなってしまったのだ。
だって群れが出てくれば、俺が触手を使うことは一回目の俺でも想像できたはず。
あんなヤバいものを呼び出してまで、一回目の俺は、二回目の俺に何をさせようとしてたんだ――?