人の白面が生存したのは、白面が開発した魔装によるものだ。
魂魄乖離。
そう呼ばれる魔装は、端的に言うと肉体と魂を切り離すもの。
これにより切り離された肉体はあの場で焼却され、魂だけが別の場所に逃げ延びた。
しかしここで想定外のことが起きた。
白面をもってしても、魂魄は一度乖離させてしまえばもとに戻せない。
この魔装は白面にとって秘中の秘、試せる相手はいなかったので、この想定外を把握するすべはなかったのだ。
結果、こうして生き延びた魂魄としての白面は、ある意味で全く別の存在に成り果てたのである。
――すなわち、真生生物に。
そもそも魔人は人ならざる存在だが、肉体に依存した存在である。
魔”人”と呼ばれるように、もとの素体が人間であるためだ。
そして真生生物は魂に存在の比重を置いている。
故に、魂だけになった存在は分類上真生生物となる。
結果、白面には魔人の頃にあった「人と真生生物を喰わねば生きていけない」という枷がなくなった。
他にも、魔人としての悪辣な衝動も鳴りを潜めたのである。
なお、これはアルラに作り変えられた鵺も同様だ。
本来なら魔人のママにしておいたほうが後々”面白いこと”にできたのだろう。
しかしアルラはつまらなかったので、そこまで想像が至らず普通に真生生物として作り変えられたのである。
こうして魔人ではなくなった白面は、ある問題に直面していた。
自己認識の歪み。
魔人としての各種衝動は、少なからず白面の自我を形成する要因になっていた。
結果、今の自分は果たして本当にかつての白面か、自信を持てなくなっていたのだ。
ただ一つだけ――かつてと今で、変わらないものがあった。
「――さて、さてさてさて、ティンダロスの猟犬と言ったな。ずいぶんとまぁ醜い姿で、みすぼらしくなったものだ」
『う、うるるる……るぅぅ!』
今、白面はティンダロスの猟犬の一体と対峙していた。
セオを追いかける猟犬のうち一つを捕獲し、自身のまほろばへとひきずりこんだ。
言うまでもなく、あの角をすべて取り払った神社のまほろばだ。
本来ここは、猟犬にとって天敵とも言える空間を作り上げ、その中に猟犬を誘い込むことで弱体化を狙うための場所だった。
白面の想定としては、全力の猟犬を一体討伐する予定だったのである。
セオがアレをやらかしたおかげで、その必要はなくなったが。
ただだからといって、この空間を利用しない手はない。
楽をできるなら楽をするし、なによりわざわざ考えた策を披露しないまま討伐するのは白面の趣味に合わなかった。
「クハハハハ! さてさて、弱体化したとは言え神格は神格。神と呼ばれるその大いなる力、存分に味わわせてもらうぞ!」
『うるるる……るるるるぅうううう!』
角のない空間で苦しそうにしながらも、猟犬は白面の言葉に答える。
それに対して白面も強く笑みを浮かべて、そして叫んだ。
「”解郷”!!」
瞳――奇しくもセオとは反対の――が光を帯び、そして白面の体も赤い炎に包まれる。
神格を”視る”ことでその身に力を宿す御業。
セオが見出し、白面が改良したこれは、現在白面の最も有力な手札だ。
人の白面のマナ総量は最上級魔人より少し上といったところ。
全盛期の白面と比べたら、天と地の差がある。
それでも、こうして生ける炎をその身に宿せば、かつての本体にも劣りはしない。
『うるるるぅ!』
「クハハ、来るがいい!」
そして今回のために設えた丸みを帯びた角のない鉄扇を開き、笑みをそれで隠す。
猟犬が咆哮とともに突っ込んできた。
本来であればそれは白面には対応がむずかしい速度だったが、今は違う。
正面から受け止め、弾き返す余裕すらあった。
とはいえ、本来の速度でも対応できるよう白面は当然手筈を整えてある。
即座にそれを起動させた。
『うるう!』
途端、猟犬が何もない空中で停止する。
それは丸い“空間”が猟犬を包んだためだ。
一切の角がない、純粋なる円の空間。
ある意味でそれは、猟犬を縛り付けるには最高の檻だった。
「角のある空間であれば必ずどこからでも現れ、絶対に狙った獲物を逃さない捕食者。これがマナのない人の身で相対するのであれば、相当な脅威となるだろうなあ」
『うるる……!』
「しかし、このようにまほろばさえ自由に組み替えることのできる存在を前にしては、その脅威は単なる獣までなり下がる」
ティンダロスの猟犬は非常に脅威となる存在だ。
しかしその中で、猟犬が人を襲える場所、角のある空間というのはセオの前世のように超常的な力が存在しない世界では脅威として成立するものの、この世界ではあまり脅威とならない。
今こうして白面がそうしているように、角のない空間を自在に作れてしまうから。
であれば今の猟犬の脅威度は、単なる真生生物とそう大きくは変わらないだろう。
「とは言え、この空間は特別性だ。己とて、そう易々と中に干渉することはできぬ」
『うるる!』
「故に、このままでは千日手。攻撃を通すとなると……」
白面は鉄扇を振り上げる。
するとそこから炎が迸り、ニイ、と白面は邪悪な笑みを浮かべた。
「空間ごと破壊せねばならぬ!」
そして、炎が猟犬を捕らえた空間ごと、猟犬を切り裂いた。
『うるるるうううう!』
痛み、悶絶、咆哮。
悶えながらも猟犬は吹き飛んで、しかしそこで自身の切り札を行使する。
ここまで猟犬は、あらゆる方法で時間停止に対処されてきた。
無理にこの猟犬がそれを知る由もないが、仮に知っていたら流石にそろそろ時間停止が有効に効果を発揮してもいいだろう……と猟犬は考えるだろう。
しかし、時間停止はそもそも発動することすらできなかった。
『うるぅ!?』
時間が停止しない。
この空間に角がないからか?
いや、それだけで時間停止を防いだりはできない。
であれば何が理由だ。
「クハハ、無駄だ。まずそもそもの話、この空間の時間は
猟犬は何を言っているのかわからないという様子だった。
それもそうだろう、これは白面が白面であるからこそできる芸当なのだから。
「己は能力を開発することが趣味でなあ、その一旦はこのまほろばそのものにも及んだ。世の中には具現化という素人でも使える魔祓刃で概念を具現化する阿呆がいる」
『うるる!』
「なら同じことが、まほろばを弄ることでもできないかと思ってなあ。すると、こうして成功したわけだ。停止と言う概念を付与した空間が」
鉄扇で口元を隠しながら朗々と語る白面。
そこで猟犬は再び気がつく。
また自分は、丸い空間に囚われている。
そして理解した。
同じなのだ、この丸い空間と時間を停止した世界は、どちらも白面の“能力”で作られたものだ。
「正確に言えば本当に時間がが停止しているわけではないがな。どちらにせよ、貴様らと相対して時間停止に抗うのではなく時間停止そのものを封じたのは己だけだ」
そして、鉄扇を再び閉じて振り上げる。
先ほどと同じ流れ、しかし猟犬は既に理解していた。
先ほどのあれは、
自分の対策を猟犬に見せつけるためだけに!
先ほどよりも圧倒的に多い量の生ける炎が鉄扇に宿る!
『うるるるうううう!』
「クハハ、命乞いか! 断る、己は貴様に価値を感じない。力に驕り悪徳に耽る愚物など! ただ己の糧となるがいい!」
一閃、それで猟犬は切り捨てられた。
「己はもはや魔人ではない。しかし変わらぬものもある。それは力への執着。己は最強を目指すぞ」
やがて白面は焼き焦げた猟犬の前に立ち、それを持ち上げる。
「己には、
そして、
魔人は真生生物を食らうことで強くなる。
真生生物となった今でも、白面が強くなる方法は変わらない。
ただ、まぁ。
セオとの無用な敵対は避けると言う意識は芽生えた。
奴と戦うのは、自身が最強に至ったと判断した時だ。
セオに言った通りである。
貴様を殺すのは己だ、と。
故にこうして、食ってもいい敵として、白面は神格に目をつけたのだ。
「まっず」
そしてそれはそれとして、猟犬は想像を絶するほど不味かった。