──空間崩壊。
時空の渦に呑まれ、あらゆる理が乱れ、色彩と音が反転する。
全身が引き裂かれるような痛みの中、それでも彼は、なお意識を保っていた。
いや、“保たされていた”と言うべきかもしれない。
《リムル様。緊急処理を実行します》
声が響いた。
脳に直接届くような、理知に満ちた女声。
冷静で整ったその声は、彼の最も信頼する存在──神智核(シエル)だ。
「……状況は?」
《《クロノサルテーション》による次元隔離を確認。既知世界からの追放が完了しました。》
「……戻れるのか?」
一瞬の沈黙。
《現状では不可能です。空間座標、時間軸座標ともに断絶されており、復帰には膨大な演算処理と条件達成が必要です。》
「……そうか……みんな……」
不意に、その声が震えそうになった。
(シュナ、シオン、ベニマル……俺の……仲間たちは……)
《リムル様。》
「……ん?」
《現在、精神状態の不安定化を検知。過剰な感情の昂りは、情報核に負荷を与えます。》
「でも、俺は……帰らなきゃ。あいつらを……」
──その瞬間だった。
身体が、感覚が、ふわりと沈んでいくような錯覚に襲われる。
《処理開始──封印コード:アカシック・アブレーション。》
「……え?」
《リムル様。これは“あなたを護るための処置”です。しばらくの間、記憶と一部能力群を制限します。》
「シエル、待──」
《記憶制限領域を確定。対象:仲間への帰属意識、国家運営記憶、上位戦闘スキル群、転生起源の自我根幹──封印開始》
リムルの意識が一気に沈んでいった。
それはまるで、深い深い水底に引きずり込まれるような感覚だった。
どこか遠くで、彼自身の叫びがこだまする。
(俺は……絶対に……忘れたくない……!)
《……本当に、お強い方ですね。》
淡く、どこか切なげな響きで、シエルはそう囁いた。
《ですが、このままではリムル様は壊れてしまう。──私は、主を守るために存在しているのです》
真っ白な空間に、彼の記憶が浮かんでは消えていく。
祭りの夜、皆と囲んだ晩餐。
作りかけの新都市。
ディアブロが笑ったあのときの声。
ヴェルドラの大げさな芝居がかった動き。
──すべてが、霧の向こうに消えていく。
《記憶の封印、完了しました。》
同時に、リムルの意識は深い眠りへと沈んだ。
けれど。
ほんのわずかに。
ほんのかすかに。
彼の胸の奥底に、小さな灯火のような感情が残った。
それは「大切な何かを忘れている」という、漠然とした喪失感。
そして──
《いつか、必要になったとき。私は必ず、すべてをお返しします。》
その声だけが、最後に彼の心に優しく響いていた。
◆
──意識の奥、深淵の静寂。
そこに、ひとつの問いが浮かぶ。
(……俺は、どうしてこんなに、寂しいんだろう)
答えは、まだ遠い。
けれどその感情こそが、やがて彼を“本来の自分”へ導く鍵となる。
そしてこの静かな始まりの裏側で──神智核は静かに、ただその時を待ち続けていた。