『あの日』以来、この街はすっかりおかしくなっちまった。人間様の威光は地に落ちて、気色の悪い死に損ない共がこの閉鎖された街中を我が物顔に闊歩する。そんなかつての町中を、俺は必死になって逃げていた―――――
MDソロモードを見ていたら原型を思いついた、ヴェンデット世界の妄想短編です。

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すっごいナチュラルに共食いして強くなるなんて設定(非公式)を使ってますが、これ要するにそういうテーマだよね…?だからいいよね…?


リヴェンデット・デイドリーム

「はあっ、はあっ、はあっ……!」

 

 ほんのひと月ほど前まではネオンが煌めき、車が走り、人通りも多かったかつての大通り。今となっては壊され崩れたビルや略奪と放火の果てに燃える物すらなくなった雑貨屋、無惨にめくれ上がってひび割れたコンクリート、枯れた街路樹、打ち捨てられた廃車、そういったものを寄せ集めたはいいものの、結局は強度が足りずぐちゃぐちゃに引き裂かれたバリケード……その他もろもろエトセトラ、だ。そしてそのほぼ全てに、もはや乾ききった血痕や脳漿の跡がこびりついている。

 これ以上、目に入るものをつらつらと並べることに意味はない。閉鎖されたこの街にいる限り、どこに行ったところで大して変わり映えはしないからだ。とにかく重要なのは、この街はもう人間のものではないということ。たとえ今みたいな、空は分厚い雲に覆われ周りは明るい白昼堂々の時間であってさえも。もっとも白昼堂々なのは時間だけで、もう何週間もこの街には明けない夜が続いているのだが。

 

「はあっ、はあっ……あぐぁっ!?ぐっ……!」

 

 俺が足を取られて無様にすっ転んだのも、そういったかつて……といってもほんのひと月前の話だが……の文明社会の成れの果ての何かだろう。普段ならば唾のひとつでも吐き捨ててから改めて全力で踏み潰してやるところだが、今はそのために振り返る時間すら惜しかった。足の指に力を入れて上半身を持ち上げもがくようにして立ち上がり、またよろよろと走り出す。犬のように口を開けて無様に手足を振って走るさまは、さぞ滑稽に見えた事だろう。もっとも俺を見て嘲笑うほどの知性と無謀さが残っているような奴が、まだこの辺りに残っていると仮定しての話だが。

 

「はあっ、はあっ、はあっ……!」

 

 整備のひとつもされずにズタズタに破壊されたコンクリートの足場は悪く、靴のひとつも履いていない俺の足での全力疾走には本来厳しいのだろう。だが何度鋭い破片に足を叩きつけたり踏み抜いたりしようが、少しでもあの場から離れようとする俺に痛みはもはや感じなかった。もっと言えば今こうして息が荒くなっているのも、疲れからではない。体の痛み、運動に伴う疲労……そんなもの、『あの日』に全部忘れて置いてきたようなものだ。このクソッタレな世界の、ずっと続くと思っていた日々と共に。

 だから認めたくはないが、これは恐怖だ。俺は今、『あの日』以来初めてビビっている。

 

「はあっ、はあっ、はあっ……!」

 

 つい先ほど目にした思い出したくもない光景の記憶が蘇って、より一層息が荒くなる。とはいえ元々、おかしな話はちらほらと耳にしていた。

 曰く、この街のどこかには、血の涙を流しているかのように目が赤い個体がいる。

 曰く、「人型」……レヴナント「が」、同じレヴナント「を」襲っていた。

 曰く、「鳥型」……ストリゲスに上空から見つかった時、明らかに人間の力では不可能な勢いで飛んできた瓦礫の欠片がそれを叩き落としてくれたおかげで助かった。

 

 ひとつひとつはどれもこれも、くだらないデマだと一笑する事も出来た。どうしようもない絶望が続くと、人間は些細な希望をどこかしらから勝手に見つけ出す。が、その割には妙にそんな話の数も種類も多い。そんな話をしている生き残りは見つかる度に片っ端からいなくなっていったため、電話もとうの昔に止まったこの街では同じ生き残り……あるいは死にぞこないたちの間で同じ話が伝わるはずもない。しかし結局噂は噂止まりであり、錯乱した極限状況での……つまり言い換えればまるで信用がおけない、価値の低い伝聞以外に証拠があるはずもなく。だから俺も、どこか楽観的に捉えていた。

 だが、それも今日までだった。ついに、見てしまったのだ。血のように赤く光る眼をした「奴」が、仮にも同胞であり元人間でもあるはずのレヴナントのうち一匹の首根っこを掴んでその顔面を押し潰すようにビルの壁へと叩きつける様を。ある程度の個体差こそあるものの、生前とは比べ物にならないほどの膂力を誇るはずのそれの抵抗をものともせず背中から突き出た6本もの、蜘蛛の足を思わせる硬質な触腕……おそらくは本来生えてしかるべき向きから反転し、体内から飛び出して突き抜けた肋骨か何かが変異したものだろう……でその両手足を壁に磔にし、なおも首を伸ばして剥き出しの乱杭歯で嚙み付き逃れようとするその頭を握り締めたかと思うと異様な握力でその頭蓋骨ごと不浄の命を握り潰す姿を。

 別に、絵面のグロテスクさに引いたわけじゃない。強いやつが弱いやつを襲い、食い物にする。ひと月前ならいざ知らず、それが今のこの街を支配するルールだ。まともな人間様なら一目で発狂するような光景が、常にそこかしこに広がっている。だが俺が心底ぞっとしたのは、「奴」の動きにはただ動くものに襲い掛かった結果、偶然に同士討ちの形になったのではないことだ。「奴」は明らかに目の前の個体が人間ではなく同じレヴナントであることを知ったうえで襲い、そいつの手足……変異の際に手に入れたのだろう、一本につきざっと見ただけでも3つの関節があり、その分異様にリーチが長くなったいかにも厄介そうな代物……を封じ込めたうえで、確実に頭を潰す知性が見られたことだった。死体のくせにどういうカラクリなのかは知ったことではないが、奴らとて頭が潰されれば首から下がいくら無傷だろうとそれきり動けないし、動かなくなるのが普通だ。つまり「奴」は自分の体の戦い方と弱点を知っていて、しかもどういうわけかそれをする気が満々と来ている……他の奴らの考えなんて知ったことではないが、端的に言えばイカレ野郎だ。

 その後「奴」はわずかに痙攣するだけとなった首なしのレヴナントの死体……と言うのもおかしな話だが、なにせ奴らはもう死んでいるのだ……とにかく死体に返った死体を無造作に打ち棄てると、次いでそれを偶然見かけてしまった俺の方へと首元に巻いたズタボロのマフラーをなびかせ振り返った。

 

『次は貴様か』

 

 奴らが生前のように人語を解し、ましてそれを実際に喋るだなんて聞いたことがない。実際、あれも俺の幻聴だったのだろう。それでもそんな幻聴が聞こえるほどに明確な殺意と敵意を持ってあの目は赤く燃えていたし、だからその目を見た瞬間、俺は無様に背を返して逃げ出したんだ。

 

「はあっ、はあっ、はあっ……あぁ……?」

 

 走りながら横目に通り過ぎようとした、半分崩れたようなビルとビルの間の路地。そこの暗闇で何かが動いた気配がして、俺の全身が硬直した。まさかあの化け物め、もう先回りしやがったのか。走るのをやめ、右腕を斧のように構えてそちらに向き直る。無意識のうちに、喉の奥から獣のような低い唸り声が漏れ出ていた。

 

「ウゥゥゥゥ……」

 

 それに応えた、というわけでもないだろうが同じく押し殺したような獣の唸り声とともに、暗闇の奥で青く淀んで濁り切った眼が僅かに光る。右側に1つ、左側に点々と4つ……知性の欠片もないそれは、並の人間ならばそのおぞましさだけで卒倒しかねないだろう。しかしそれを見て、思わず俺は笑い出したくなった。驚かせやがって、馬鹿馬鹿しい。

 しかしお相手の方では、そうは思わなかったようだ。この街の人間どもはただでさえ誰かさんたちのせいで数が減る一方なうえに、このひと月を生き延びただけあって数少ない生き残りはすっかり身を隠すのが上手になっている。久方ぶりに見たのであろう動く獲物……つまり俺に、知性は失っても残った僅かな野生の本能がそうさせるのか力量差を図るように見据えながら、気配が動く。のっそりと近付いてきたそれはまだ建物の陰に全身を隠しているが、それでもその造物主にも進化論にも喧嘩を売りつけるような異形の姿は十分に見ることができた。

 その大まかなシルエットは、なるほど犬だ。実際にほんのひと月前までは、どこにでもいるようなみすぼらしい野良犬だったのだろう。だが犬の肋骨は、少なくとも背中の皮膚を突き破って突き立ち針山のようにその身を守りはしないだろう。犬の両眼はふたつだけで減ることはあっても増えることはないだろうし、まして顔の左側にだけ4つも開くはずがない。犬の口ってのは確かに大きく開くかもしれないが、それにしたって今目の前にいる奴のように耳までは届かないだろうし、もっと言えば鼻から顎の下にかけて縦方向に割れて開くことだってないだろう。その内部にびっしりと乱雑に生えた牙はそのほとんどが口の内側に向けて鋭く尖っていて、ただ噛みつくよりもむしろ一度食らいついたものが抜けだそうとした時にこそその真価を発揮するようなつくりになっていることがよくわかる。

 あれはもはや、断じて犬ではない。レヴナントが人でないように、ストリゲスが鳥でないように。『あの日』を経て変異した元・生き物たちのうち、たまたま獣を素体としただけのもの。以前に腹を空かしたのもあって生存者を探していた際に街の外から入ってきた電波によるラジオ放送を盗み聞きしその音を頼りにしたことがあるが、お偉い学者さんたちはこいつら「獣型」をまとめて「ヘルハウンド」と呼ぶことにしたらしい。それを聞いた時には既に腹が満ちていたのもあって俺も気持ちに余裕があったのか、涙が出るかと思うほど笑い転げた記憶がある。

 地獄の猟犬(ヘルハウンド)?馬鹿馬鹿しい。間違ってもこの腐れ畜生どもはそんな御大層な代物ではないし、何よりも街ひとつ封鎖した程度で『ここ』と『向こう側』を分けられていると本気で思っているのならばそれこそがお笑いだ。

 『ここ』が地獄だと言うんなら、他人事面して高みの見物気取ってる手前らもとっくに地獄にいるんだよ。

 

「ウゥゥ……」

 

 俺をまっすぐ見据えながらも同時に、濁った光を放つ目のいくつかが空を見上げた。お互いに相手の存在を認識している俺を襲う事の、不意打ちの出来ない戦闘を行うリスクはどれほどか。奴さんがいるあの路地裏から出て、いかに無限に続くこの真夜中とはいえ大通りのど真ん中に出るリスクはいかほどか。そこまで上等なことを考える頭が付いているのかはともかく、半端に残った本能でそのあたりを値踏みしているのだろう。

 実際、これは珍しい傾向だ。ヘルハウンド共は基本的に、もっと動くものになら見境なく襲い掛かることが多い。『あの日』に産まれた有象無象の仔犬(パピー)よりも多少は頭が回り慎重さを備えているのか、はたまた生前の臆病さが習慣として残っているのか。いずれにせよそれがこの元野良犬をここまで生き延びさせている……あるいは死に延びさせていることは紛れもない事実で、俺は直感した。

 こいつは、もしかしたら使えると。

 

「アアアアアッ!」

 

 尻尾を巻いて逃げ出すならこちらから追いかけるつもりだったが、どうやら奴さんの腐った脳味噌は突撃を選んだらしい。途中で醜く枝分かれしたり腹のど真ん中から新しいのが生えていたりで左右非対称に計7本も生えている脚を一斉にばたつかせて凄まじい瞬発力で距離を詰め、その大口を十文字に開き涎をまき散らしながら俺の頭目掛けて飛び込んでくる。

 なるほどその一撃は人間並みの反射神経ならば反応できなかったろうし、たとえヘルメットで身を守っていても首ごと齧り取られておしまいだっただろう。だが俺も、伊達にこのひと月を凌いできたわけじゃない。

 

「うおおおお!」

 

 雄たけびを上げて、大きく振りかぶった右腕に全体重を込めて叩きつける。いくら異形でもその素体は所詮犬畜生、飛び掛かってしまえば空中で姿勢や向きを変えられるはずもない。

 果たして結果は、見事大正解。俺の右腕はこちらからの全力に加え、奴さんの突撃の勢いをそっくりプラスしたカウンターとしてその鼻っ柱に突き刺さってくれた。歪んだ腐れ肉がぐじぐじと潰れ、内側のおぞましく変化した頭骨が砕け、さらにその奥に残った脳漿やらなんやらの感触に触れた気がしたのも、ほんの一瞬のこと。そのまま振り切った俺自慢の右腕に吹き飛ばされた奴さんは自分が飛び出してきたビルの、偶然まだ割れていなかった窓ガラスを粉々に破壊して見るも無残に荒れ果て血みどろと化した内部の服屋の床に叩きつけられ、それでも勢いは殺しきれずにさらに2度ほど大きく跳ねてようやく倒れ伏した。それきり、ピクリとも動かない。

 

「はあっ、はあっ……」

 

 勝利の高揚感はあっという間に消え失せ、恐怖が再びぶり返す。今のガラスの割れる音は、どこまで遠くに響いただろうか?「奴」がどこにいるかわからない以上、少し迂闊だった。舌打ちしたいのを堪え、服屋の床でぐったりと倒れ動かない獲物を見る。確かな手ごたえはあった……が、今ので殺しきれたかどうかは自信がない。人間やレヴナントに比べ思いのほか体が軽かったせいで、頭を潰しきる前に身体の方が弾き飛んでしまった。あれではかえって、頭部に与えたダメージは軽い可能性もある。

 

「うぅ……」

 

 低く唸り、少し躊躇い、しかし結局は俺もそのテナントの中に入り込んだ。「奴」がどこにいるかわからない以上、しばらくは最悪の事態を想定して動いた方がいい。手負いのヘルハウンドは面倒だが、あの化け物と対峙する事を考えたらこんな所でもたついている余裕はない。

 あと四歩、三歩、二歩……血と泥にまみれてぐちゃぐちゃに汚れ、ずたずたに引き裂かれ打ち棄てられた服やマネキンの破片を踏みにじりながら、こちらに背中側を向けて相変わらずピクリとも動かないヘルハウンドへと慎重ににじり寄る。とうとうその体の真ん前に辿り着き、右腕をかざしながらその頭部を覗き見て……ようやく、俺は力を抜いた。完全ではないもののその頭はもはや半分以上が潰れており、虚ろに開いたままの目はどれも濁った光すら消えている。どうやら奴さん、きっちりと死に直してくれていたらしい。

 

「ふぅーっ……」

 

 息を吐きながら、ではさっさと目的を果たしてしまおうと死体の前に屈みこむ。汚い毛並みすら識別できるほどに顔を近付けた時、その首元にふと光るものが見えた。好奇心に駆られて裂けた頬肉をどかしてよく見てみると、なんのことはないただの首輪だ。どうやら今はともかく、元はこのヘルハウンドも野良犬ではなかったらしい。変異の際にサイズが変わり膨れ上がった体を締め付ける金属製のそれには飼い主のものらしい電話番号に続き、こんな一文が彫り込まれていた。

 

『クロワッサン ずっと一緒だよ』

 

 クロワッサンというのは、このヘルハウンドの生前の名前だろう。皮肉に笑う。ネーミングセンスはさておき、少なくともこの飼い主は「ずっと一緒」とはいかなかったわけだ。いや、それともこのクロワッサンが今の姿に変異した時に貪り食われたか?だとすれば看板に偽りなし、だ。

 そして、今からは俺と「ずっと一緒」になってもらおう。クロワッサンの死体を左手でぐいと持ち上げ、見たところ損傷の少なくパンパンに張った腹回りに狙いを定めてかぶりつく。

 

「あぐっ、あぐっ」

 

 さすがに硬かったが歯を立てたまま乱暴に首を振ると耐えきれなかった毛皮がぶちぶちと引き裂かれ、ドブ川のヘドロの方がまだ衛生的だろう穢れてドロドロとした血が面倒臭そうにボタリと滴り、うんざりするような腐肉が俺の口に転がり込む。それを咀嚼しながら、気が付けばすっかり俺はその感触に夢中になっていた。

 このことに最初に気が付いたのは、一体いつだったろう。まったく突然に訪れた『あの日』以来に変異した奴らは元の種族に関係なく皆が生者を襲うが、実は俺たち(・・・)は共食いもできる。しかもどういう仕組みかこの体、共食いを繰り返すことでより生前とはかけ離れた姿に変異していき、さらに強靭なものへと生まれ変わるというおまけ付きだ。

 無論その味はひどいものであり、体温を、命の鼓動を感じる生き残り共のあたたかい生肉の方がずっと魅惑的だ……少なくとも、俺にとっては。他の奴らにそこまでの、嗜好をどうこう言えるほどの知能があるとは、俺にはどうも思えない。

 

「あぐっ、あぐっ」

 

 なんの因果による神の気まぐれか悪魔の采配か、ほんの偶然で生前の知能を取り戻したレヴナント……それが俺だ。

 この体になって人間の尊厳、そしてどうしようもない日光との断絶の代償に手に入れたものは無尽蔵の体力とリミッターの外れた身体能力、極めつけにこの右腕だった。左腕は多少爪が伸びて軽く相手を切り裂けるようになったくらいでシルエット自体は昔と大差ないというのに、右腕の方はまず肘から先だけで1メートル以上はある。感触からいってどうも骨もこの異様に膨れ上がった腕の内部では途中で枝分かれしているらしく、みっちり詰まった筋肉にそこだけ分厚くなった皮膚の硬度も相まってそれ自体が肉製の鉄筋コンクリートのようになった自慢の武器。半面5本の指もほぼこの内部に溶けあってしまっており、戦闘にはいいが細かい作業はすっかり不得手になってしまった。

 

「あぐっ、あぐっ……ふぅ」

 

 クロワッサンの死体を一通り食い散らかし、残った毛皮で軽く口を拭く。見た目こそ変わらないものの同族の肉が早くも俺の体を内側から作り変えているのか、何もしなくとも身体の奥からふつふつと力が湧いてくる。狙い通りこれだけの力が手に入った今ならば、あの赤い目の「奴」にだって勝てる。

 もはや用済みの死体に見切りをつけて立ち上がると、背後でガラスの破片が割れる音がかすかに聞こえた。振り返ると店の入り口側、つい先ほど俺が入ってきた箇所に、おぞましく6本の触腕を蠢かせる影。逆光になっておりその表情は見えないが……それでも、無限の憤怒に燃え盛る深紅の目だけは見間違えようがなかった。

 

「……驚いたな。先ほど私から尻尾を巻いて逃げ出した時にはまさかと思ったが、やはり知能があるようだ」

「グググ……おマエ、こそ」

 

 人語を喋るのは随分と久々だからか、それとも死んでいたうちに声帯周りも多少変異していたのか。ともかく『あの日』以来俺にとって久々の会話は、自分でも驚くほど醜く聴き取りづらい声が出た。目の前の「奴」が……おそらくは生前と変わりなく、流暢に喋っているのとは認めたくないが対照的で、それがまた面白くない。

 

「人間、ノ。ミカタ気取り、か?」

 

 挑発も兼ね、そう聞いてみる。断片的な噂が全て正しいとすれば……そして理屈ではなく本能的な直感で、それが正しいと判断したのだが……目の前の「奴」は明らかに、俺たちの本能ではなく明確な理性と知性を持って、人間を守るような行動を繰り返している。

 それが、どうにも俺には理解できなかった。俺たちは確かに『あの日』までは人間だったという自認こそあるが、今はレヴナントだ。しかしそれは悲観的なものではなく、地球上どこに行ってもでかい面してお山の大将気取っていた人間を、さらに上から狩る側に回ったのだという歓びによる自負でもある。何千年にも及び積み重ねてきた文明を、ほんの数日でいともたやすく打ち崩し、蹂躙し、思うがままに食い殺す。

 だがそれって、つまりは最高じゃないか。

 なるほど確かに人間の繁殖スピードよりも俺たちが殺す方が断然早く、しかも俺やこいつはともかく他の奴どもにそんな先のことを考えるほど上等な頭が付いていない以上、いつかはパイの奪い合いも発生するだろう……だがそれは遠い未来の話であって、少なくとも今考える事ではないはずだ。『あの日』以来俺たちは、なんだかんだ言ってこの街ひとつに巣食う人間すらまだ食い切れていない。まだまだ世界は手つかずで広いのだから、今は愉しむことだけを考えたっていいはずだ。

 既にこちらの準備が整った以上、この場での殺し合いも確かにやぶさかではない。だが少なくともこいつには、俺と同じく知能がある。今の俺には及ばないだろうが、並程度のレヴナントならば屠れるほどの力がある。ならば天国だか地獄だかは知らないが、クロワッサンと同じところに送ってやるのも少々勿体ないと感じたのだ。

 だが奴は、ゆっくりと首を横に振った。

 

「おぞましい化け物め……貴様も、そして私もな。私は人間の救世主(セイヴァー)を名乗るほど上等でもなければ、高潔でも面の皮が厚くもない。私は私と、私に類する全てのものを滅ぼす……ただそれだけの殺人鬼(スレイヤー)で、執行者(エグゼクター)だ。無論、貴様も例外ではない」

 

 感情を殺した低く平坦な声音でそう言い切ると、深紅の瞳にまるで揺るぎない殺意をたたえて俺を見据える。ああそうかい、せっかく話が通じる相手だから見逃してやろうと思ったのに、なら勝手にしろイカレ野郎が。

 それきり言葉は交わさず右腕を大きく振りかぶり、相手の出方を伺う。先ほどのクロワッサンのようにトップスピードでまっすぐ突っ込んできてくれれば楽だし事実他のレヴナントならそうしたろうが、こいつにそんな単調な動きは期待できないだろう。そして厄介なのは、あの6本もの触腕だ……レヴナントを拘束できる程度にはパワーも備えたあれがある以上、リーチの長さは俺が上だが手数自体は奴の方がやや多い。長丁場の戦闘になりそうだが、今の俺なら負ける心配は……。

 そこまで考えたところで、おもむろに目の前の奴の姿がぶれた。一瞬で巨大化したかと錯覚するほどのスピードで距離を詰められているのだとどうにか理解が追い付くかどうかのうちに、右の二の腕に灼熱の感触が走る。

 

「……え?」

 

 腕が軽い。最初に感じたのは、それだった。あるべきの、そして今の今まであったはずの重みがいきなりふっと消え、奴のまっすぐ伸ばした腕が……。

 

「……え?」

 

 ごとり、と重い、そして湿った音がした。床に転がったのだ。俺の腕が。構えていたはずの俺の右腕は床に転がり、奴の手刀が俺の二の腕から先を切断して……。

 

「……え?」

 

 何が起きているのか、まだよく理解ができなかった。だって、俺は誰にも負けないほどの力を手に入れて、それで、それなのに。

 

「……あっ」

 

 左の手刀をすぐさま引いた奴が、今度は右の拳を握り締める。狙いは、俺の胸板。次の瞬間、凄まじい衝撃と共に世界の全てが前に向かって吹き飛んだ。いや違う、俺が後ろに飛ばされたんだ。落とした右腕だけがあの場所に残って、殴り飛ばされた俺自身の体は後ろの壁に叩きつけられて、視界が激しく揺れて。拳をまともに受けたことで胸元に大きく空いた穴を、たった今抉りだされ握り潰された心臓のあった箇所を、呆然と見下ろす。

 

「……あ」

 

 緩慢に前を向いた時には、すでに奴の姿は壁に半ば埋め込まれた俺の目の前まで来ていた。左腕が俺の顔に伸び、視界の全てが奴の手の形に暗く染められる。

 ほんの一瞬だけ顔面の、頭蓋骨の全体に力が込められた気がした。ただそれだけで、何も考えられなくなった。




ソロモードのスレイヤーさん、別に出自や体に特別な何かがあって自我を取り戻したってわけじゃないんですよね。
きっかけと偶然でどうにかなるなら、分母の大きさから言って他にも「当たり」を引いたやつがいたら、そしてそいつに復讐するほどの理由がなかったなら?みたいな。

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