異世界迷宮ちゃんは入り組み惑っている   作:yubeshiski

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[2026/7/8] 誤字修正しました。ヨステ=ビートさん、ありがとうございます。



春を知り、心定まる

 

 スキル結晶融合の成功率に鍛冶師の腕の良さは影響しない、と昔の偉い学者さんは言った、とセリーは言った。

 

 

 家が裕福な頃、セリたんは書物をよく読んでいたという。

 

 彼女は、迷宮や魔物、地理にも詳しい。おそらく、物語などではなく、教科書や指南書のような実用的な本や論理的な本を好んで読んでいたのではなかろうか。

 そんな彼女の口からは〝昔の偉い学者さん〟というワードがしばしば登場する。

 

「大地は丸い、と昔の偉い学者さんが主張した」

「鉄から鋼鉄を作れる、と昔の偉い学者さんが書き残した」

「装備品のスキル結晶融合にはスキルスロットの有無が影響する、と昔の偉い学者さんが説を唱えた」

 

 学者さん大好きっ子じゃん。

 

 それらの学者さんの説は、ミチオ君が知っている現代地球の知識や、チートで知り得ている異世界迷宮の真実と合致していることがほとんどだ。

 検証の積み重ねによって真実を導き出す。昔の偉い学者さんは有能なのだ。

 

 ロクサーヌは「学者()()」ではなく「学者()」と呼称した。ベスタがセリーのことを「鍛冶師()」と呼んだようにだ。

 学者はSSRな敬うべき存在、という世間的な認識をされている証左である。

 

 

* * *

 

 

 〝帝国〟とは、別々の複数の国を、強大な一国がまとめあげた国家形態を指す。

 

 帝国のレグニツァ伯爵領は、かつては人間族の豪族が治めていた小国群で、皇帝に従属する形で爵位を授かって、今に至る。

 レグニツァ伯爵領には領都レグニツァを含めて11の大きな街があり、伯爵家に連なる者や地元名士の一族、一代限りの士爵がそれぞれで代官をしている。

 

 峻険な山脈の合間の丘陵地で、大きな川が所々で湖を形成しつつ、蛇行しながら北から南に流れている湖水地方でもある。

 種族の分布では人間族が最も多いが、湖畔や川沿いに猫人族が多く集まるのも特徴だ。

 

 レグニツァ領の南西は、帝都を中心とする皇帝直轄地に隣接していた。

 そのため、南西地域に迷宮が発生した場合は、最優先で討伐する不文律があった。万が一、直轄地側に魔物が出張って被害が出て、皇帝の悋気(りんき)に触れるのを避けたいからだ。

 

 結果的に、北東方面の迷宮攻略は後回しになる傾向となる。

 領都レグニツァはレグニツァ領のまさに北東に位置するが、さらに東に生えているリギの迷宮は、攻略を後回しにされている最たるものだった。

 

 リギの迷宮が後回しになる事には、他にも理由がある。

 

 ひとつめ、単純にリギは街から遠く離れている。

 

 エトノ湖は領都レグニツァに面した湖だ。多くの山岳に囲まれており、地図で見ると紅葉の葉のような形で、いくつかの山の尾根がそのまま湖を区切って複雑な地形を形作っている。同じ湖ではあるのだが、尾根で区切られているところで、湖の名前も変わる。レグニツァから見て手前がエトノ湖、一番奥にあたるのはブラウゼ湖だ。

 奥のブラウゼ湖の、さらに最奥に位置する開けた場所から、山をずいぶん登ったり下ったりして、台地になっているところの奥に生えているのが、リギの迷宮だった。フィールドウォークが使える冒険者がいなければ、辿り着くのは困難だ。

 

 ふたつめ、リギの迷宮は初心者向きの低階層ではない。

 

 1階層ミノ、2階層ニートアント、3階層グリーンキャラピラー。

 ニートアントは毒攻撃を持ち、解毒薬が欠かせない。グリーンキャラピラーは糸で身体を拘束する。毒を喰らって動きが緩慢になったところに糸で拘束されるコンボ、糸で拘束されて動けないところに毒を喰らうコンボ、いずれも凶悪だ。

 その2種ががっつり出現する3~5階層は、初心者にとっては致命的だ。

 

 そのため、リギに挑戦しようという物好きは、ほとんどいなかった。先の理由から、レグニツァ騎士団でも攻略が後回しになって幾星霜(いくせいそう)

 しかし、先延ばしにすることも難しくなった。

 この2年ほどの間にリギ周辺で迷宮が新たに3つ発見されていた。そして、さらにもう1つが追加で報告された。ドライブドラゴンの出現でうやむやになったが、朝のミーティングで報告がなされた、迷宮ちゃんの迷宮だ。

 

 頭の中で報告内容を振り返りながら、レグニツァ騎士団長であるロレンツォは思案した。ちなみにイケオジ魔道士(人間族・男)*1だ。

 

 リギの迷宮の最大到達階層は67階層だ。そして経過した年月から推測するに、おそらく75階層は下らないだろう。

 今朝襲撃してきたドライブドラゴンも、リギの迷宮の魔物だと思われる。45階層の魔物が出てくる日も遠くないはずだ。

 

 ふと、香りに気づいた。

 鼻腔にかすかに残る、冷ややかな甘い香り。

 ああ、そうだ、これはあの花の香りだ。

 

 あの花――ええと、なんという名前だったかな。

 中庭のあの樹、ということは分かるのだが、名前が出てこない。

 昔から花の名前を覚えることは、どうにも苦手だ。

 何度、妻に聞いても忘れてしまう。また尋ねたら、きっと呆れ顔をされるだろう。

 あの薄紫の、風が吹くと羽毛の束みたいに揺れる、春の花――。

 

 そうか。

 執務室の中でも花の匂いが届くとは、季節は春の盛りなのだな、と思った。

 そして、自分の節くれだった指を見る。冬の訪れを思わせた。

 

 迷宮の討伐には、一般的に3段階のステップを踏む。

 

 

・1段階:騎士団による低層の攻略で魔物部屋を掃討し、安全を担保する。

 

・2段階:多くの庶民による迷宮攻略で、迷宮の活動を低減し、魔物の出現数を減らす。

 

・3段階:騎士団エリートによる高層の攻略で、迷宮を完全討伐する。

 

 

 リギに関しては、2段階めがなかなか難しい。

 

 庶民は、基本的に街に近い迷宮しか通わない。効率よく迷宮で金を稼ぐには、通勤に時間と体力を使っている場合ではないのだ。熊谷から都内に毎日通勤するのは大変なのだ。

 冒険者がいれば問題ないというのは浅はかで、冒険者がいるパーティは意外と少ない。多くの探索者は、冒険者になったあと迷宮稼業を辞めて、安全な運送業へと転向してしまう。

 強引に3段階めのみ、騎士団エリートで全集中全突破するやり方もあるが、70階層以上の大迷宮だ。かなりのリスクを伴う。

 

 それでも。

 

 それでも、やり通すべきだろう。

 

 まだ年若い領主の後ろに自分が騎士団長として立つと、他の者からは領主が操られているように見えるだろう。領主に向けられる評価を考えると、望ましくない。足を引っ張ろうと画策している身中の虫もいるのだ。領主の後ろに立つのは近しい年代の者であるべきだ。自身が戦場から引退するにはまだ早いが、騎士団長の座はそろそろ後進に譲るべきだろう。

 

 ただ、その前にすることがある。

 

 リギは、ずっと以前から討伐を先送りにされてきたのだ。

 いつか、そのうちに、と言っている間に、早い者では50歳を待たずに天寿を全うする。時間は有限だ。100歳まで生きる者などいないのだ。*2

 子に借金を遺すべきではない。ツケは自分の代で清算すべきだ。

 

 迷宮がまとまって生えているこの状況は、むしろ好機と捉えるべきだ。リギほど育った迷宮を殺せば、周囲の迷宮が弱体化することは明らかだ。

 育成したい者に弱体化した迷宮の討伐を当てることもできるし、別派閥の者に譲れば恩を売ることもできる。

 

 ロレンツォは静かに決意を固め、〝学者〟を呼ぶように従者に申し付けた。

 

 

*1
CV:子安武人さん

*2
カッサンドラおばば「ハックション!」

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