【書籍化】時止めのキャロル〜かつての邪神はいま、少女となって魔をふるう〜 作:陸そうと
「あれが“聖地”?」
キャロルがプロキオンとルゥの争いへ介入する数刻前の出来事。
付近の駅で降りた後、未開発の土地を歩くこと丸二日。
荒野の向こうに見えた街並みのような影を見てキャロルたちは立ち止まった。
廃墟の街では絶え間なく巨大な魔力同士の衝突が起こっており、誰が、どのような目的で猛威を振るっているのかが容易に想像できる。
「手遅れになる前に行こう」
キャロルの一言に頷いたデビルーナに続いてロイド、クラウディアが歩き出す。
事が済めばキャロル=ベルスーズという人間はこの星から退去することになる。
世界の一部と称してきたヒトたちとも、何年先に再会できるかも分からないし、そもそも本当に戻ってこれるのかも判然としないままだ。
それでもやると決めた。待つと決めた。
これ以上交わせる言葉は、もうないと思っていた。
「ねえ、キャロルさん」
だから隣へ駆け寄ってきたクラウディアに声をかけられたとき、キャロルはとても驚いた。
「最後にひとつ、わたくしからお願いがありますの」
迷いを振り切った清々しさを感じる微笑み。
きっととんでもないワガママを提案してくるのだろうという予感はあった。
まだ何も聞いてはいない。
けれど自分がこれから行うことを知った幼馴染が、いつもと変わらない声で語りかけてくれたことが何だか嬉しくて、気がつけばキャロルもほのかに笑っていた。
「なあに? クーちゃん」
●
「ふむ。思わぬ邪魔……いや助太刀が入ったなッ」
アザフォースに魅入られた怪物へ対処している最中、突如出現した大海の如き魔力に戦闘を中断されプロキオンは困ったように苦い笑いをこぼした。
キャロル=ベルスーズ————何故か未発見であるはずの邪神ゾアの魔術を宿す少女。
ルゥ=ベルスーズの娘ということで雑に納得してしまっていたが、改めて考えてみても彼女が秘めている謎は多い。
兄のアーサーはプロキオンから見ればありふれた人間だが、彼女は違う。
あれだけの魔力を保有するのには相当な量の遺物を摂取する必要があるはずだが、十四歳の子どもが一人でそれを実現したとは到底考えられない。
かといって力のある魔術師に師事しているわけでもなく、巨大な組織の支援を受けている様子もなかった。
何より一等星級魔術師にしては
尋常ならざる精神力の持ち主————そう片付けてしまうのは簡単だが、これについては邪神ゾアの遺物の出所が不明な点と関連付けて考えるべきだとプロキオンは踏んでいた。
なにしろ
そう、たとえば…………
「————ここで君たちが出てくるとは思わなかったなッ」
静かに近づいてきた二つの気配に体を向けながらプロキオンは尋ねた。
背後に佇んでいたのは、まさかこの場に訪れようとは予想もしていなかった兄妹だった。
一度はプロキオンに首を狙われた妹と、その妹を命からがら守り抜いた兄。
どちらもわざわざプロキオンの前に姿を見せたくはないはず。
プロキオンとしても脅威度を鑑みた上でルゥ=ベルスーズの討伐を最優先とし、当面はほかの“落とし子”に対応するつもりはなかった。
だがこの兄妹——ロイドとクラウディアはこうして現れた。
目標が眼前に出てきた以上は、プロキオンは「星の騎士」としての務めを果たさなければならない。
それは彼らも理解しているはず。
ではなぜ現れた?
目の前に立つ兄妹の顔をそれぞれ見比べた後、落ち着いた声でプロキオンは兄の方へ問いかけた。
「まさかおれを仕留めるつもりじゃないだろうなッ?」
「そんな無謀な真似はしない」
「ではなぜここに来たッ?」
「俺がこの場で話すことは何もない。ただ一つの役割を担うだけだ」
「よくわからないなッ。役割の話をするのなら、おれもこの状況でただ突っ立っているというわけにはいかないッ」
表情ひとつ変えないまま動き出したプロキオンの腰元で火花のような小さな閃光が奔る。
極めて精密に、そして驚異的な威力を相乗させてクラウディアの首へと放たれた一筋の斬撃だ。
光の速度で振るわれる回避不能の一撃が吸い込まれるように彼女の白い肌に到達し、その命を絶とうとする。
——が、不可解なことにその刃は見えない何かに遮られるかのように弾かれ、クラウディアの頭部と胴体は依然繋がったまま一秒先の延命を獲得していた。
「俺の役割は
プロキオンがふと視線を横へやると、いつの間にか剥き出しになっていたロイドの剣が銀色の輝きを見せつけていた。
「なるほどッ、これが噂に聞く『臨界絶技』……。力押しが通用しない分、確かに打ち破るのは骨が折れそうだッ」
己の思い込みを現実へと昇華させる技術「臨界絶技」。
ロイドの力ではプロキオンを斬ることは叶わないが、クラウディアを守るという行動のみに特化させたそれは彼の願望を忠実に再現するに至った。
邪神、魔物、魔力——それらに対する憎しみは、クラウディアが魔術師の道を歩み始めた瞬間に意味のないものとなった。
故に今のロイドに残された役目は妹を守ることだけ。それだけが彼にこの世界で生きる意味を与えている。
腰の下で剣を持つ方の手首を回した後、プロキオンは「だが」と静かに付け加える。
「攻撃を受けることができたとして、その反動、負担までを打ち消すことはできないだろうッ。おれとの差を自覚しているからこそ、君はこの程度の願望で甘んずるしかないわけだッ」
続けて目視できないほどの速度でプロキオンの右腕が揺らぐ。
激しい金属音とともにクラウディアの首元で爆ぜる火花。
冷や汗を流す兄妹に対して、「星の騎士」はさらに現実を突きつけた。
一撃目では分かりにくかったが、プロキオンの斬撃による衝撃を殺しきれなかったロイドの腕は悶えるように痙攣を繰り返している。
「であれば、おれは君の腕を構成している肉と骨が使い物にならなくなるまで攻撃を続けるッ。いや、広範囲を焼くほうが手っ取り早いだろうかッ?」
「やってみればいい。この意地がどこまで保つか、俺も試してみたかったものでな」
「あのっ」
ヒートアップしつつある答弁に、クラウディアが横から気まずそうな声を上げた。
「わたくしがここに来たのは、プロキオン様に
「提案ッ?」
剣の柄を握る手をぴたりと止め、プロキオンはクラウディアの目を見た。
冷たい汗が頬を伝えど、全身が震えど、彼女の瞳だけは揺れ動くことなく真っ直ぐに騎士を捉えている。
そしてクラウディアが本題に入るよりも先に、プロキオンは大きな異変と自らの失態に気づいた。
「……待てッ。なぜ彼女が“落とし子”に————」
神殿に足を踏み入れた何者かの気配を察知し、魔力量からその正体がキャロル=ベルスーズであると予想して動きを止めたプロキオンだったが、即座に違和感を覚え剣を振るう。
神殿内に居る彼女に何故か“落とし子”の素養を感じたのだ。
“落とし子”の素養を持たない人間がアザフォースに触れたところで奴と一体化することはできない。
だからこの場において“落とし子”ではない彼女に関しては、あまり重要視してはいなかった。
だがどういうわけかキャロルは“落とし子”の力を宿して神殿内へやってきた。
経緯はわからない。
だがプロキオンにとって、それは思考するよりも先に剣を振るうには十分な動機であった。
「……!」
神殿ごとキャロルを斬ろうとしたプロキオンが腕を振り切るよりも先に、彼の前へ回り込んだクラウディアが細身の剣で斬撃を受け止める。
一瞬で刃が折れ、遊戯用のボールのように軽々と吹き飛ばされるクラウディア。
彼女が建造物に叩きつけられる前にその間へ割り込んだロイドが衝撃を肩代わりする。
「何をしている……! お前が死んでは元も子もないんだぞ!」
「すみません、つい……」
慌てて体勢を立て直しつつプロキオンに視線を戻す二人。
失意に満ちた目を浮かべた彼は、すぐにその場から跳躍し神殿の方へと向かった。
固まった表情のまま神殿内へ駆け込んだプロキオンが驚愕で声を失う。
アザフォースとの接続のきっかけ————「孔」が消滅している。先ほどまでここに居たはずのキャロル=ベルスーズと同時に消えた。
それが意味するのは、つまり、
「キャロルさんはたった今、アザフォースとの同化を果たしました」
「なぜ……なんのためにッ」
「わたくしを含め、“落とし子”たちの安全を守るために。そして……ご家族を取り戻すためにですわ」
「……君たちは、自分がなにをしたのか分かっているのかッ?」
遅れてやってきたクラウディアとロイドへ向き直り、プロキオンはあくまで冷静な態度を崩さずに口にする。
「アザフォースに明確な自我が宿ることの恐ろしさを理解しているのかッ? 彼女の意思ひとつで世界を思うがままに操れるッ。この世界を破壊することだって可能なんだッ」
「キャロルさんはそんなことを致しません」
「そんなことは誰にも証明できないッ」
「いいえ。……その証明のために、わたくしがここに居るのですわ」
「……?」
訝しむプロキオンを前にしてクラウディアは損壊した剣を手放すと、鈴のような音色が神殿内に響き渡った。
「もしもこの先……キャロルさんの手で世界によからぬ事象が起きたときには、このクラウディア=クリシス=クルトルフの命を、聖騎士プロキオン様へ捧げることを誓いますわ」
その言葉を耳にしてプロキオンは絶句する。
キャロル=ベルスーズがアザフォースと同化した時点で、現存する“落とし子”を葬る重要性は失われた。
彼らを殺そうが殺すまいが、キャロルがアザフォースの力を独占している現状は変えられない。
変えられないのならその
意味のない行動であるなら、「星の騎士」として動く理由にもならない。
クラウディアが語った「“落とし子”を守るため」というのはそれを意味しているのだろうと、プロキオンも瞬時に理解していた。
プロキオンがクラウディアやほかの“落とし子”たちを手にかける理由はこの時点ですでに消え去ったのだ。
故にクラウディアが自らの命を担保とする理由も、本来はないはずだった。
「……なにを、言っているんだッ?」
「プロキオン様ができないと仰るのなら、その時はわたくしが自ら命を絶ちます。ここへ来る前に、そうキャロルさんと約束いたしました。このことに関して調停できるのは、他ならぬプロキオン様だけですわ。だから見届けて欲しいのです」
「君が命を投げ出す意味はどこにあるッ? キャロル=ベルスーズにとって君という存在にどのような価値があるッ?」
「決まっていますわ」
当初、この提案をキャロルは却下しようとした。
だがクラウディアは退かなかった。このまま全てをキャロルに押し付けた上で自分の人生を歩むなんて、できっこなかったから。
少しでも、ほんの少しでも責任を背負いたい。
たとえ無力だとしても、寄り添うことくらいはできるはずだと。そうクラウディアは思っていた。
「キャロルさんにとってわたくしは……森羅万象、あらゆる均衡と引き換えにしても守りたい————」
胸元に手を添えて、クラウディアは確かな自信を持って言い放つ。
「世界の一部ですわ」
その言葉を聞いてプロキオンは途端に表情を崩した。
「……ははッ、はははッ!」
興味深い見せ物にでも遭遇したような、好奇に満ちた顔で彼は高らかに笑う。
戯言でしかないはずの少女の言い分が、「星の騎士」の心を妙にくすぐった。
「君はキャロル=ベルスーズに庇護されている存在であるッ。したがって君は自ら人質となり、彼女の手によって世界が脅かされないことを証明するッ。間違いはないなッ?」
「……はいっ!」
「キャロル=ベルスーズが君の命に関心はなく、私欲のために世界を揺るがす可能性はないと言うのだなッ?」
「あり得ませんわ。……キャロルさんは、わたくし達のために、いなくなったのですから」
不意にクラウディアの瞳が潤む。
「わたくしはキャロルさんを信じますわ。だってキャロルさんは、わたくしにとっても……」
記憶の中にいる幼馴染は、いつも同じ表情をしているように思える。
けれども彼女が見せる感情は誰よりも鮮やかで、暖かくて、純粋なものだった。
邪神だろうが人間だろうが関係ない。
ただ自分たちと同じ感情を持つ女の子だったんだ。
彼女と再会できる日はいつになるのだろう。
ヒトでなくなることに不安を感じているのなら、何度でも彼女自身を肯定してあげたい。
かつて彼女がそうしてくれたように。
だから、早く会いたい。
会って目一杯抱きしめたい。
ありがとうとごめんなさいを、たくさん伝えたい。
静かに涙を流すクラウディアを見て、プロキオンが剣を鞘へ納める。
世界の行方をめぐる抗争は、一人の少女の消失とともに幕を閉じた。
●
キャロルが目覚めたとき、そこに広がっていたのは途方もない暗闇だった。
アザフォースと接触するための「孔」を魔力でこじ開け、そこへ飛び込んだところまでは覚えている。
つまり、目的は達成された。
言うなればこの場所は——場所と称していいものか分からないが、アザフォース本体の内面といったところか。
「こうしちゃいられない」
覚醒後、すぐに自身と繋がっている気配を感じてそれを
元々アザフォースと接続していた“落とし子”たちから、その素養を取り上げた。これでもうクラウディアやレイニィはプロキオンに狙われることもないし、ルゥの自意識も常人のそれに戻るだろう。
元いた世界ではどうにもならなかった出来事が、思うだけで一瞬にして片がついた。
これが邪神の祖・アザフォースの力。
全てを思い通りにできる力。
いつか渇望した、何よりも自由な世界。
「クーちゃん……デビルーナ……兄さま……ララちゃん……」
やがてその暗闇のなかにうっすらと光を放つ砂粒が無数に浮かんでいることに気づき、キャロルはおぼつかない足取りでそれらを漁り始める。
粒のひとつひとつを手に取っては、元いた場所ではないことを確かめて放り投げる。
「はやく……見つけないと」
もう一度会うと約束したから。
どれだけ時間がかかっても、また会いに行くと誓ったから。
「っ……」
もう元の体はないはずなのに、精神のイメージが反映されているのだろうか。
破裂してしまうような孤独感に苛まれて、キャロルは涙が止まらなかった。
「……さみしい」
独りになりたくない。いっそ消えてしまいたい。
これが自由になることの正体だと言うのなら、いらない。
美味しいものを食べて、可愛い服を着て、みんなから褒められて……。
楽しいことは全部、他人がいたからこそ成り立っていたものだ。
「さみしい、よぉ」
冷たい気持ちを背負いながら、キャロルは歩き続ける。
やがて今まで見ていた景色の方が夢だったのではないかと思い始めた頃、
「————おやおやマジ泣きとはレアですなぁ! にひ、新たなトビラが開きそうな予感……」
驚くほど軽薄で、嫌悪感のある声が聞こえた。
あと2話くらい……?