『はあ、はあ……!』
メフィストは廃墟地帯の地下通路を走っていた。
息を切らし、まともに動かず引きずるしかない足のせいで時々転んでしまうが、それでも必死に逃げ続ける。
メフィストはミカの一撃を受けて力が暴走し巨大化した際、それを目眩しに使い本体を切り離すことでどうにか逃げおおせていたのだ。
しかし本体の存在に気付かれないよう、これまで取り込んだ力は全て捨てることになってしまった。
その姿は最早人と呼ぶには無理があるほどドロドロと溶けきっており、白い泥のような何かがどうにか人の形を保っていると表す方が適切なほどだった。
『どうしてこうなった……!』
絶対に上手くいくはずだった。
トリニティなんて所詮、平和ボケして無益な派閥争いにしか目を向けられない哀れな奴らの牧場だと思っていたのに。
あんなに団結できるなんて想定していなかった。
『どうしてこうなった……!!』
いや、それだけじゃない。
せっかく味方につけた市民共に裏切られたのも大きい。
途中で主張を変えて、不利になったら即離反するような意志の弱い奴ら。
最初からあんな『切断厨』みたいな奴らをあてにしたのが間違いだったのか。
こんなことなら最初にゲヘナを狙っていれば良かった。
何ならミレニアムだっていい。
いいや、連邦生徒会という手もあった。
先生から一度はシッテムの箱とあのヤバいカードを奪うことはできたんだ。
先生を始末して私がその椅子に座るというような、もっと違うアプローチがあったかもしれない。
計画は上手くいくはずだった。
模倣セイアの裏切りで拘束されたこともあったけど、それすらゲームの難易度を上げるスパイスくらいにしか思っていなかったのに。
一体どこから間違えたのか。
ティーパーティーのミメシスを作ったところ?
違う、裏切ったセイアは結果的に始末できたし、その時点では私たちは勝っていた。
ナギサだってこっちが不利にならなければ裏切らなかっただろうし、ミカも戦力としては必須だった。
じゃあもっと前、ゲマトリアの連中を見限ったことか?
冗談じゃない、あんなお遊びサークルと一緒にいたって私は心から笑えなかった。
いいや、ゲマトリアだけじゃない。
結局誰も彼も私の力を、理想を、価値を理解できる頭を持ってる奴なんかただの一人もいなかった。
どいつもこいつも特別な力や資格など持っていない、生きる資格すら本来なら持ち合わせていないような無知蒙昧な存在なのに、不平不満だけは一丁前に宣うのだから救えない。
間違いは無かったはずだ。
自分が活躍する舞台にキヴォトスを選んだことも。
それよりももっと前、研究の道を志したことも。
悪いのは私じゃない、世界が私を理解できなかっただけなんだ……!
「どこへ行く」
その声を聞いた時、メフィストは血の気がさっと引いていく感覚を覚えた。
「どうして逃げる。君の生み出した化け物たちは皆、それぞれの思想の違いはあれど最後まで自分の信念に従って戦ったというのに」
今一番聞きたくない声。
それは先ほどのようなスピーカーを通したものではなく、間違いなく本人による肉声だった。
「それなのにその首謀者たる君だけが不利になったら逃げるだなんて、そんな道理は通るわけがないだろう」
姿は見えない、しかし聞こえてくる足音は確実にこちらに近づいている。
位置を捕捉されないうちにメフィストは声から遠ざかる方へと逃げる。
「そっちは行き止まりだよ」
そんな言葉など信じるものか。
きっと自分を追い込むための嘘に違いない。
メフィストは聞こえてくる声には従わず、真っ直ぐに進み続けた。
しかし……。
『あ……』
声の主の言った通り、行き止まりに当たってしまった。
急いで引き返さないと。
しかし途中でそいつに遭遇したらどうしよう。
メフィストは心臓の鼓動が早くなるのを感じつつ、急いで来た道を戻り別の道へと進んだ。
「逃げるな」
しかしどこへ進んでも地上に出られず行き止まってしまう。
メフィストはパニックを起こし、段々と正常な判断ができなくなっていった。
「逃げるな」
徐々に近づいてくる声に恐怖を覚えたメフィストはいつの間にか足の痛みなど忘れ、半ば正気を失いながら地下通路を駆け回っていた。
遠くへ、遠くへ、あの狐の声が届かないくらい遠くへ!
「逃げるな……!!」
しかし必死の逃走劇も虚しく、ついには袋小路に追い込まれてしまった。
また道を間違えた。
もしもさっきの道を右に曲がっていたら。
もしも下ではなく上の階へ繋がる階段を登っていたら。
そんな『もしも』のことばかりを考えてしまう。
それはまるで……。
「まるで君の人生そのものだね。人の話を聞かず、向き合うことから逃げ、道を間違え、差し伸べられた手さえも振り解く」
行く手を阻む壁に恨めしそうにしがみついているメフィスト。
その声は自身のすぐ後ろから聞こえてくる。
「そうしていつしか人が離れ、行き詰まった先で一人惨めに死んでいく」
恐る恐る振り返ると、そこには百合園セイアが立っていた。
『あ……』
思わず腰を抜かすメフィスト。
感じるのは今まで会ってきた者たちの中でもとりわけ強く、純粋な殺意。
人からこんなに恨まれるのは生まれて初めてだった。
いや、本当にそうだろうか。
今までもたくさんの人と諍いを起こしてきたが、絶対的優位に立っているが故の余裕により、人の心の機微など気にも留めていなかっただけということはないか。
セイアのように恨みを持っている者は珍しくも何ともなく、その怨念に気付けていなかっただけなのではないか。
真の意味で劣勢に立たされて初めて感じる死の恐怖。
眉間に皺を寄せ、憎悪のこもった視線を向けるセイアにメフィストは言葉も出ず、後ずさることしかできない。
しかしこんな状況でも往生際の悪さは健在で、少しだけ冷静さを取り戻したメフィストは舌戦でこの場を切り抜けようともがき始める。
『っ、私の何を知ってるって言うんです!!まるで間違えているのが私みたいな言い方で!どこへ行っても私の価値を理解できる奴なんかただの一人もいなかった!あんな奴ら見限られて当然ですよ!』
『悪いのは私のレベルに合わせられなかった世界の方だ!!「人の話を聞かず」って、そういう君こそ私の話を聞かずに一方的に決めつけて、人のこと言える立場ですか!?』
メフィストは出鱈目な理屈を捲し立てることでペースを自身に引き込めるよう画策する。
しかし相手もトリニティを纏め上げられるほど頭が切れる上に冷静さも失わない、口喧嘩なら圧倒的な強さを持つセイアが相手なので簡単には崩せない。
「話なら聞いたよ。たった今君が自身の人生のスタンスをわかりやすく説明してくれたじゃないか」
その言葉を聞いたメフィストはゾッとする。
『未来……』
「ああ、この会話も既に夢で視ている。あの蛸の怪物を囮にするために、君はこれまで取り込んだ力の全てを捨てたのだろう?私の予知から逃れる手段も一緒に」
「そのおかげで今の、ここから先の君の行動を一挙手一投足に至るまで全て把握することができた」
その言葉を聞くと同時に、メフィストは過去にナギサやセイアに言われたことを思い出していた。
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「私も、セイアさんから聞いたあなたの末路を教えて差し上げようかと思いましたが、やめておきましょう。このような言い方をする時点で、ある程度察しがつくとは思いますが」
「そうしていつしか人が離れ、行き詰まった先で一人惨めに死んでいく」
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『うっ、うう……うわああああああああ!!!!』
殺される。
体の芯から死の恐怖に震え上がったメフィストは、落ちていた石を拾ってセイアに投げつけようとする。
しかしセイアはそれよりも早く銃を抜き、メフィストの肩を撃ち抜いた。
『あ゛あ゛っ……!』
そしてそのまま倒れ込み、無抵抗となったメフィストへ無言のまま何発も銃弾を撃ち込んだ。
妹の仇を取るために。
初めての出会いは古書店で同じ本を手に取った時だった。
それから危機を退けるため先生と共に戦い、トリニティでナギサと取り調べをして、誤解を解いた後は風呂で背中を流し、スイーツ部を交えて遊んで、悩みを聞いて、最後には笑顔で送り出した。
いや、送り出してくれたと言うべきか。
思い浮かぶのは短くも濃密な思い出。
これからもそんな青春が続くはずだった。
それを奪った相手への怒りと、それがもう戻らない事への悲しみが綯い交ぜとなり、セイアの頬を一筋の涙が伝う。
『ううっ……こ、ころさないでぇ……』
もう何発撃っただろうか。
穴という穴から血を垂れ流し、轢かれた蛙のように伸びているメフィストは今にも消え入りそうな声で命乞いをするのが精一杯だ。
そんな状況だがセイアは一切冷静さを失っておらず、万が一に備えてマガジン一つ分は銃弾を残しており、既にリロードも終えていた。
「殺さないよ。その一線を超えてしまえば、それこそブルーアークカタストロフのプレイヤーたちと同じ、暴走した正義の傀儡になってしまう」
「だから、私は君を殺さない」
その言葉を聞いたメフィストは一縷の希望を見出す。
ここで死なずに済むのであれば、まだ逆転の可能性はある。
おそらくこの後はヴァルキューレに逮捕され、長い懲役刑が待っているだろう。
だがそれでいい。
一度時間を置いて、釈放される頃にはもうほとぼりが冷めているはずだ。
そうしたら今度こそトリニティを堕としてやる。
上等な研究設備なんか無くても、ペンを走らせる手、どこへでも行ける足、何より圧倒的なこの頭脳さえあれば塀の中であろうが何とでもなる。
それまでの間、束の間の平和を味わうといい。
その間にこちらも次の作戦の準備をさせてもらう。
とはいえ、今回はどう足掻いても負けだろう。
悔しいが、自分を負かした相手に賛辞の一つでも贈ってやろうとメフィストは体を起こそうとする。
しかしその望みは叶わなかった。
いくら手足を動かそうとしても地面を掴むことができない。
それどころか、手足の末端の感覚が無い。
『え、あれ……』
一体何が起こっているのか。
メフィストが自身の手元を見ると、その目に飛び込んできたのは肘から先が失われている腕だった。
『うそ、何で!?腕は!?なんで再生しないの!?』
足も同様に膝から先が失われている。
そうこうしている間にも体の崩壊は進み、末端から灰のようにぼろぼろと崩れていく。
メフィストは状況が飲み込めていない様子だった。
「ああ、言い方が悪かったね。私『は』君を殺さない。思い出してごらんよ、そっちのナギサが言っていたことを」
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『この光を浴びた生物は一部の例外を除き、正気を失い肉体が崩壊してしまいます。つまりは死を意味します』
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『そんな……!何で……!?』
「君が『一部の例外』ではなかった、ただそれだけさ」
セイアは淡々と事実を突きつけていく。
「私が色彩と接触したあの日、君がソレに触れる選択をした時点で遅かれ早かれこうなる運命だったのさ」
「私が来たのは君の最期を見届け、事件の終結を宣言するためだよ」
先ほどまで見ていた明るい未来が一瞬にして崩れ、深い絶望感に襲われる。
『あっ、ああああああああああ!!!!いっ、嫌だ!!死にたくない!!助けて!!』
しかしいくら叫んだところで崩壊は止まらない。
頭の先からも崩れ始め、思考能力が削れ、視界が真っ暗に染まっていく。
『うわああああああ!!!!嫌だ!!逝きたくない!誰か!!誰か助けて!!死にたくない!!やだ!!やだやだやだやだや…………』
全てを言い終わらないうちにメフィストの全身は灰のように崩れ、後には塵一つ残らなかった。
こうして一連の事件を起こした悪魔、メフィストフェレスは消滅した。
その最期はあまりに凄惨で寂しく、無惨なものだった。
他の生徒が見ていなくて良かった。
こんな光景を見ては、きっとトラウマになってしまうだろう。
「ふう、終わったよ」
セイアはここにはいない妹への手向けになるよう、ぽつりと呟く。
模倣セイアから受け継いだ未来予知によって視えていたのはここまでだった。
きっと、メフィストの消滅と共にこの戦いは終わり、同時にこの力も失われるのであろう。
ただでさえ体力が無いというのに、限界を超えて戦い続けたことで蓄積していた疲労感がどっと押し寄せてきた。
今すぐにでも横になりたい気分だったが、それを堪えてセイアは来た道を引き返す。
戦いは終わったが、戦後の処理がまだ残っている。
トリニティの混乱はしばらく続くだろう。
考えただけでも目眩を起こしそうになるが、それでもセイアは歩き続ける。
「あっ……!」
そんな時、注意が散漫になっていたせいで足元の段差に気付かず足を引っ掛けてしまう。
体力を使い果たし、受け身も取れそうにない。
体が前に傾き、転びそうになるセイアだったが……。
「お疲れ様、セイアちゃん」
セイアは倒れることなく、その体は迎えに来ていたミカによってすんでのところで受け止められた。
「終わったのですね、セイアさん」
ナギサも一緒だった。
二人は穏やかな笑みを浮かべており、安心したセイアはそのままミカに背負われ、地下通路の出口を目指す。
「二人ともありがとう。奴の最期を見届けてきた。戦いは終わったよ」
「本当にお疲れ様でした。今はゆっくり休んでください」
「セイアちゃんの部屋までは私が背負っていくから、寝ててもいいよ。学園のことはまあ……何とかなるでしょ⭐︎」
「また私に負荷が集中しそうですね……。まあ、何とかしましょう」
日頃聞き慣れた二人の声。
鬱陶しさすら感じることもあったはずなのに、今はそれがとても心地良い。
セイアは二人の優しさに甘えることにした。
「ただ、一つ心配なことがある。あの子たち、仲直りできるだろうか……」
「できますよ、きっと」
「できるよ。私たちだってできたんだから」
「……そうだね、愚問だった。彼女たちを信じよう」
自分の性格を見直した結果、仮にその機会があったとして本当に仲直りできるか心配になっていたが、二人はそんな悩みを一蹴してくれた。
そうして歩いているうちに、外の光が差し込む地上への出口が見えてくる。
地上へ出ると先生やトリニティ生、市民たちが出迎えてくれていた。
「みんな、おかえり……!」
無事な三人を見て先生が泣いていたのは驚いたが、セイアはその心の暖かさを噛み締めていた。
「ただいま、先生」
とはいえここは廃墟地帯。
取り戻した学園まで辿り着いてこそ、本当の意味での帰還と言えるだろう。
「それじゃあ帰ろうか。私たちの学園に」
こうして戦いを終えたセイアたちは、学園へと帰るべく歩きだしたのであった。