【完結】潜誠の盾:元“処刑人”のボディーガード。シングルマザーを守る   作:冬蜂

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081:気分はスーパーヒーロー

『ジェシカを探せ。あの子を1人にするな』

 

 スピーカーから低く響いたその声に、ワラビーはピンと背筋を伸ばした。

 まるで映画のワンシーンみたいで、心がわずかに高鳴る。

 

(来た……! 任された……!)

 

 黒いマントが背中でふわりと揺れる。

 ダンボールでできた胸当てには、マジックで描かれた不恰好なコウモリのマーク。

 近所の1ドルショップで買ったアイマスクはすでに片側が伸びて、ズレかけていた。

 

 それでもワラビーは、堂々とした足取りで歩いていた。

 今の自分は、任務中のボディーガードだ――いや、ヒーローだ。

 この非日常感が、くすぐったいほどにワクワクする。

 

(これ、けっこうサマになってんじゃね?)

 

 口元が少し緩んだ。

 仮装はチープでも、気分だけは本物だ。

 今の自分は、任務中のスーパーヒーローだ。

 この非日常感が、くすぐったいほどにワクワクする。

 

『だが無理はするな。

 覚えているか? 自分の身は最優先で守れ。

 俺は今からそっちに行く。どこか学校で侵入できるルートはないか?』

「……あの、西側にある職員通用口、開けて挟んでおきます」

 

 まだ緊迫感は薄かった。

 けれど、ジョージの声の温度が、何かを物語っていた。

 遊びではない。

 本物の緊張が、あの人の中にはある。

 

「ドアストッパーっていうか、ほら、テニスボールを半分に切ったやつ――掃除サボるときに先輩がよくやっているんすよ……

 アレ、挟んでおきますんで!!」

『了解。頼む』

 

 通話が切れた。

 その瞬間、ワラビーはふと、手がじっとりと汗ばんでいることに気づく。

 遊びと現実の境界線が、少しずつ曖昧になっていた。

 

 スマホに「George Ugajin」の名を登録しながら、ワラビーは自分に言い聞かせる。

(大丈夫。俺ならやれる)

 

 体育館を見回す。ジェシカの姿は見えない。

 職員通用口にテニスボールを挟み、裏手のフォトブース、トイレ、職員室を確認する。

 けれど、どこにも、いない。

 

(おかしい……)

 

 喉が乾く。

 次第に、胸の中にじわじわと冷たいものが広がっていく。

 

 視界の端に何か動く影が見えた。

 

 そちらに視線を向ける。

 校舎の端、人気のない裏門の向こう。

 駐車スペースに停まっている白いバン。

 後部座席のドアが開き、1人が周囲を警戒しながら立っている。

 その脇で、もう1人の男が細い身体を押し込んでいた。

 

 その髪。そのパーカー。そのサイズ。

 

 脳が、警報を鳴らした。

 寒気が背中を貫き、呼吸が止まる。

 さっきまで浮かれていた自分を、殴りつけたくなった。

 

 (……ジェシカ……)

 

 現実だ。

 これは現実だ。

 

 何がどうなってるとか、そんな分析は後回しだ。

 目の前でジェシカが、連れていかれようとしている。

 

 足が震える。心臓が喉元までせり上がる。

 逃げろと、脳が怒鳴っている。

 

 でも、ジョージの言葉が頭をよぎった。

 

『あの子を1人にするな』

 

 怖い。

 本当に怖い。

 けれど、ここで動けなかったら、俺は――ただの子供だ。

 

 「……守れって……言われたんだよ……!」

 

 自分に言い聞かせるように、呟いた。

 拳を握り、胸に押し当てる。

 スマホを片手に、駆け出した。

 

 最初から考えていたわけじゃない。ただ、体が動いた。

 

 音を立てないように、体育館の裏から駐車スペースへと走る。

 草をかき分け、暗がりをすり抜けて裏門のフェンスに身を寄せる。

 

 そして、気配を殺して動き出す。

 

 だが、次の瞬間だった。

 

「早く乗せろ、ぐずぐずしてんじゃねえ」

 

 もたついている姿に痺れを切らしたのか、運転席の男が怒鳴りながら降りてきた。

 新たに現れた男がはっきりと、銃を手にしていた。

 

 視界が一瞬、暗転する。

 ワラビーの足が止まる。

 頭が、白くなった。

 

(無理だ。俺には無理だ。こんなの……)

 

 震えが止まらない。

 汗が背中を伝い、喉が乾く。

 自分の足音すら爆音のように聞こえた。

 

 だがそのとき。

 ジェシカの視線と、一瞬だけ、目が合った。

 

 その瞳は、助けを求めていた。

 

 次の瞬間、ワラビーは飛び出していた。

 

「ジェシカぁぁぁぁ!!」

 

 声を張り上げて走り出す。

 バンに駆け寄りながら、ジェシカを掴んでいる男に体当たりを食らわせる。

 だが、すかさずもう1人の男の腕を掴んで引き剥がそうとする。

 

「手ェ離せ! 離せってんだ!!」

 

 必死に叫ぶ。

 だが、次の瞬間、銃のグリップが脇腹を打った。

 

 ワラビーは声にならないようなうめき声をあげた。

 それでも歯を食いしばり、這うように手を伸ばした。

 

 ジェシカの手先に、指が届きかける。

 だが。

 

 「邪魔すんな、クソガキ」

 

 吐き捨てる声とともに、男のブーツがワラビーの胸を踏みつけた。

 

 ぐっ、と喉が潰れる音がした。

 肺が空気を吸えず、体が宙に浮いたように感じる。

 

 そのまま後方へ仰け反った拍子に、頭がスライドドアの角に打ちつけられた。

 ズン、と鈍い衝撃が頭蓋に響き、世界が一瞬、真っ白に染まった。

 

 耳鳴りがする。視界の端がチカチカと明滅する。

 

 (……やば……)

 

 体が言うことをきかない。呼吸も浅く、酸素が入ってこない。

 まぶたが勝手に閉じようとする。けれど。

 

 (……だめだ……)

 

 その瞬間、ジョージの声が脳裏に蘇った。

 

「自分の身は最優先で守れ」

 

 それでも、もし何かを託すなら……

 

 最後の意識が消えるその直前、ワラビーはわずかに右手を動かした。

 ポケットから抜き取っていたスマホを、震える手でバンの中へ滑らせる。

 

 ガツン、と乾いた音。

 狙い通り、シートの下へ転がり込む。

 

 ジェシカのかすれた悲鳴が、遠くから聞こえた。

 だが、その声もやがて水の中に沈むように、静かに消えていった。

 

 視界が暗転し、感覚が遠のく中で、ワラビーはまだ、片腕を伸ばしていた。

 

 誰にも届かなくても。誰にも気づかれなくても。

 それでも、あの子のために。

 

 それだけを願って——彼は、ほんの短い沈黙に落ちていった。

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