【完結】潜誠の盾:元“処刑人”のボディーガード。シングルマザーを守る   作:冬蜂

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083:ごめんなさい

 無音の車内に、iPhoneの振動音が短く響いた。

 

 『ターゲットから100メートル以内。ご注意ください』

 

 ジョージは目線を滑らせて、モニターをちらりと確認する。

 目的地は教会。

 正確には、今は廃墟と化したそれだった。

 「閉業」という文字が浮かんでいる。

 

 ジョージは慎重にハンドルを握り、気が付かれないようヘッドライドを消した。

 リッジラインのタイヤが、ぬかるんだ道をゆっくりと踏みしめる。

 月に濡れた泥土を巻き上げながら、静かに廃教会の前に滑り込む。

 

 暗闇の中に、朽ちた外壁と崩れかけた十字架を浮かびあがってきた。

 礼拝堂だった建物は半ば崩れ、ステンドグラスは跡形もない。

 それでも、その場所には祈りの記憶だけが、どこかに残っていた。

 

 ジョージは何も言わず、エンジンを切る。

 ドアが開く音が、ひときわ冷たく響いた。 

 

 夜風に煽られ、廃教会の扉がわずかに軋んだ。

 外壁は崩れ、柱には蔦が絡んでいる。

 月明かりすら入り込まない薄闇の中、ジョージは歩を止めた。

 

「ここから先は俺1人で行く」

 

 そう言うと、ワラビーを脇の石垣の陰に押しやった。

 瓦礫と草に覆われたその影に、少年の巨体は意外なほどすっぽりと収まった。

 

「気配は消しておけ。何があっても、合図があるまで動くな」

「……はい」

 

 ワラビーの声は小さく、腹の底から絞り出されたものだった。

 

 ジョージはそれを確認すると、身を沈めた。

 廃墟の骨組みに沿って、気配を断ち、影に紛れる。

 

 歩幅、呼吸、視線の動き。

 どれも特別なことじゃない。

 体が勝手に思い出しただけだ。

 

 昔、何度もやらされた。兵士時代。

 行けと言われ、ひとりで行って、見つけて、始末して、黙って戻る。

 あの頃は「生きて帰れ」なんて誰も言ってくれなかった。

 むしろ戻ってこない前提で動くほうが、楽だった。

 

 ……いや、ただ1人、あいつだけは別だった。

 あの頃は、それが煩わしくて仕方なかった。

 

 

 もう二度と、こんな仕事はしないと思ってた。

 戦うためじゃなく、守るための訓練をし直したつもりだった。

 だけど気づけば、またひとりで暗がりを歩いている。

 

 ――何が変わったんだか。自分でもよく分からない。

 

 そして、ある一点で、ふと立ち止まる。

 

 中央の礼拝堂ではない。

 周囲を囲む小部屋のひとつ、かつて告解室だったであろう半壊の一室。

 そこだけ、空気の流れが鈍い。

 人がいる。

 

 ジョージは何も言わず、扉の隙間に目を滑らせた。

 光はなかったが、視線を感じた。

 少女の怯えた呼吸が、かすかに壁越しに伝わってくる。

 

 そのとき、足音が響いた。

 別の部屋から回り込むようにして、男が一人、巡回してくる。

 手には拳銃。

 だが、訓練されていない。歩き方に迷いがある。

 

 ジョージは一瞬で動いた。

 音を立てずに背後に回り込み、顎を持ち上げて首を落とす。

 制圧までにかかった時間は、3秒もなかった。

 

 さらにもう一人。背中を見せていた男。

 扉の裏から足を引っかけ、崩れた瞬間に肘を喉元へ。

 そのまま気道を潰して、静かに昏倒させる。

 

 2人。

 それだけでこの空間は安全になった。

 

 ジョージは扉を開けた。

 その奥で、涙に濡れたジェシカの目が見開かれる。

 一瞬だけ、瞳の奥に安堵の色が滲んだ。

 

 ジョージは人差し指を口に当てる。

 「静かに」――そう告げる仕草だけを残して、無言のまま彼女に近づいた。

 

 口に貼られたガムテープを、慎重に剥がす。

 続いて手足の拘束にも手を伸ばした。

 それはまるで、彼女から奪われていた人としての時間を、一つひとつ返していく儀式のようだった。

 

 ジョージは目を細める。

 「遅くなった」――そう言いたげなまなざしを、ほんの一瞬だけ彼女に向けた。

 

 そして、とっさに上着を脱ぎ、彼女の肩にかける。

 ジェシカは薄着だった。震えていた。

 だが、それ以上の乱れがなかったことに、ジョージは黙って安堵した。

 そのままジェシカを背負った。

 

 外に出たとき、ワラビーは物陰の中で硬直したままだった。

 ジョージが姿を見ると安堵したような顔を見せた。

 

「無事だ」

 

 ジョージの腕に背負われたまま、ジェシカは小さく震えていた。

 外の空気に触れた瞬間、張り詰めていたものが切れた。

 肩がびくりと揺れる。

 ジョージは膝を着き、ジェシカをそっと地面に下ろした。

 彼女の手がしがみついてくる。

 

「ごめんなさい……ごめんなさい……こわかった……」

 

 声は震え、涙と嗚咽が混ざっていた。

 

 ジョージは一瞬だけ目を閉じた。

 そのまま、壊れ物でも扱うように、だが決して離さぬように。

 その体を引き寄せた

 短く、静かに言った。

 

「……無事でいい。今は、それで充分だ」

 

 だが、それ以上の言葉は口にしない。

 彼は顔を上げ、ワラビーに視線を送った。

 

「泣くのは後だ。今は逃げるぞ」

 

 ジェシカはぐしゃぐしゃの顔のまま、うなずいた。

 

 ジョージは2人を促しながら、廃教会の外周を抜けてリッジラインの方角へ向かう。

 歩きながら、周囲の空気に目と耳と皮膚をすべて使って馴染ませていく。

 

 そのときだった。

 

 微かに、風向きが変わった。

 湿った金属臭。焦げたようなオイルの匂い。

 そして、あまりにも静かすぎる――。

 

 ジョージは歩みを止めた。

 

 次の瞬間、低く、鋭い声を発した。

 

「伏せろ!!」

 

 彼は咄嗟にジェシカとワラビーを引き寄せ、2人をかばうように覆いかぶさる。

 胸で押さえつけるようにして、肩と頭を守る。

 

 その直後だった。

 

 ――リッジラインが、()ぜた。

 

 

 

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