【完結】潜誠の盾:元“処刑人”のボディーガード。シングルマザーを守る   作:冬蜂

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085:二度と、その名前で、呼ぶな

 

 廃教会の中は、静まり返っていた。

 天井は崩れ、ステンドグラスは割れ、石造りの壁にひびが走っている。

 かつて祈りが捧げられた空間は、今やただの空虚な残骸だった。

 

「ようこそ、ジョージ。悔い改めに来たのか?」

 

 声が低く、礼拝堂の石壁に反響した。

 嗤うでも怒るでもない。魂の救済を宣言する神父のような声音だった。

 

 奥の祭壇跡に立っていたのは、キングスリー。

 

 黒のシャツに濃いグレーのコート。

 演台に立つ司祭のような立ち姿。

 堂々と顎を上げ、その目は、すでに勝者のものだった。

 

 演台に立つ司祭のようなその姿は、やけに芝居ががっていた。

 まるでこの空間の神を気取っているかのように。

 

「追ってきたのか、あるいは、誘われたのか。

 ……どちらでもいい。結果は同じだ」

 

 足音が散る。

 6人の部下が音もなく広がっていく。

 囲むように、静かに。

 

「武器を捨てろ。銃もだ」

 

 命令は、無機質な声で放たれた。

 銃口の向きが確かに一段、重くなった。

 

 ジョージは手に持っていたタントーナイフを、刃を自分に向けたまま地面に落とした。

 軽い金属音が礼拝堂の床に広がる。

 

 次に、ジャケットの内側――ホルスターから小型の拳銃を外す。

 指をトリガーから外し、水平に投げた。

 

 床に落ちた銃が、コツンと乾いた音を立てて転がる。

 

「手を上げろ」

 

 声に従い、両腕をゆっくりと肩の高さまで持ち上げた。

 左腕の袖が少し落ち、筋張った前腕があらわになる。

 照明もない空間で、その動作だけがやけに浮いて見えた。

 

 銃口が、一斉にわずかに動いた。

 

 全員の視線が一点に集中している。

 攻撃の起点を探っているのが分かる。

 だが、全員を倒すには時間が足りない。

 

 どちらにせよ、ここで終わる。

 相打ちになる構造だ。

 だが、それでいい。

 

 逃がすべきものは、すでに逃がした。

 ここから先は、自分の領分だ。

 

 ジョージは立ち止まり、誰も見ないまま、口を開いた。

 

「ひとつだけ、確認させろ」

 

 キングスリーは顎で応じた。

 

「聞こう。最後の懺悔なら、天に届くようにしてやるよ」

「……ジェシカに触れたか?」

 

 一拍の間。

 そして、キングスリーは微笑んだ。

 

「ガキには興味がない。ああいう魂は、まだ未完成だからな」

 

 それを聞いた瞬間、ジョージはわずかに目を閉じ、そして静かに呼吸を整えた。

 

「お前、“処刑人”って呼ばれていたんだってな

 もっとこう……死を纏う怪物みたいな奴かと思ってたよ」

 

 天井を見上げるような仕草。

 嘲笑にも、哀れみにも見える目線。

 

「でも実際はどうだ?

 今はチンケな会社のボディーガード。

 しょうもない依頼をこなし、女のガキを守って走り回ってるだけじゃねぇか」

 

 ジョージは沈黙したまま、影の中に立ち尽くしている。

 

「そんなものに魂を売ったのか?

 本当に、それで救われたと思っているのか?」

 

 声が低く、祭壇の石に吸い込まれるように響いた。

 

 ジョージは答えなかった。

 ただ、その場に立ち尽くす。

 

「なあ、お前……本当に、それで満足してんのか?」

 

 キングスリーの目が鋭くなる。

 声のトーンが、わずかに低くなる。

 

「お前の腕なら、俺のところに来れば、なんでも手に入るぞ。

 金も、女も、力も、命令できる人間の地位も……全部だ」

 

 指を鳴らす。

 

「名誉が欲しくないのか?

 “処刑人”ってのは、もっと特別な名を持つべきだろう?」

 

 その言葉に、ジョージの眉がわずかに動いた。

 指先が、静かに拳へと変わる。

 

「俺のところに来い、ウガジン。

 今なら間に合う。

 ここで死ぬか、俺の仲間になるか――どっちだ? 選べ」

 

 一拍。静寂。

 ジョージは、ゆっくりと顔を上げ、口を開いた。

 

「……そうやって選ばせた奴を、いままで何人、殺してきた? キングスリー」

 

 その声は、まるで壁に刻み込むように静かだった。

 だが、その奥には、灼けた鉄のような怒りがこもっていた。

 

「俺に選択肢を与えるだけ無駄だ。

 俺はお前に従わない。……お前にそれを語る資格はない」

 

 そこで、キングスリーがふっと微笑んだ。

 その顔はまるで、懺悔を促す聖職者のようでもあり、罪を数える悪魔のようでもあった。

 

「――それはお前じゃないのか? ジョージ・ウガジン

 いままで何人殺してきた?

 名前も顔も知らないまま、命令だからと殺した人間は、何人だ?

 

 50人? 100人?――いや、優秀な“処刑人”なら、もっとか。

 一般人が殺せば罪。でも兵士が殺せば勲章。

 皮肉だよな? なあ、ジョージ。

 何人かはまだ息があったのに、とどめを刺したりしたか?」

 

 言葉はゆっくりと、しかし確実に、肺を焼く煙のように忍び込む。

 

「……誰にも看取られず、誰にも名前を呼ばれず、

 死体袋に詰められた敵のために、お前は祈ったことがあるか?」

 

 ジョージの呼吸が、一拍だけ浅くなる。

 

「そうやって誰かを殺し続けて、今さら“誰かを守る”ってか?

 ……お前は、どっち側の人間なんだ?

 守る者か、壊す者か。

 ──いや、命令があれば、どっちでもやる男か?

 おい、処刑人。

 その手は、いったいどこまで汚れてる?」

 

 ジョージの視線が、一瞬だけ揺れた。

 まるで、過去の亡霊が脳裏をよぎったかのように。

 言葉が喉の奥で、ほんのわずか、引っかかった。

 

「……あれは……」

 

 低く、息を吐くようにして、ジョージが呟いた。

 

 だが次の瞬間には、その眼差しは戻っていた。

 鋼のように冷たく、迷いのないものへ。

 

「――俺は選んだ。

 俺自身の意志でな」

 

 言い訳ではない。

 開き直りでも、後悔でもない。

 

 それは、罪を抱えたまま歩き続ける者の、唯一の誓いだった。

 

 その瞬間、ジョージの目がわずかに光を帯びた。

 

「“処刑人”――」

 

 低く、確かに。

 

「二度と、その名前で、呼ぶな」

 

 その瞬間、ジョージは動いた。

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