【完結】潜誠の盾:元“処刑人”のボディーガード。シングルマザーを守る 作:冬蜂
翌朝。
いつもなら誰よりも早く、まだ空が白むうちから動いていたジョージが、珍しくベッドに横たわったままだった。
眼は開いている。
けれど何も見ていないような、その視線は、裂け目のように天井に吸い込まれていた。
無音。無表情。無感情。
──ただ、動かない。
時間が、乾いた風とともに過ぎていく。
集合時刻ギリギリになって、ようやくジョージは体を起こした。
洗顔もせず、髪も整えず、軍帽も忘れたまま、無言でダイニングテントへと歩いていく。
食事はもう、ほとんど終わっていた。
朝のざわめきが遠ざかる中、唯一まだ席を立たずにいたのはヴィンセントだった。
彼の前には、空の食器と紙コップ。
その皿にこびりついたスクランブルエッグの残りかすは、すでに乾きかけていた。
それが、この朝の長さを物語っていた。
ジョージは無言で配膳台に向かう。
冷めた朝食をよそい、カップを二つ取り出す。
ポットから注いだコーヒーを一つ、自分の分。
もう一つは、ヴィンセントの前へ。
トン、と音を立てずに置かれたその紙コップ。
ジョージは、言葉もなく、そのままヴィンセントの隣に座った。
向かいではなく、少し間を開けた隣に。
視線を合わせることもせず、スクランブルエッグを黙々と口に運ぶ。
いつも通りの無表情だが、その無表情が、この朝は異様に静かだった。
ヴィンセントはしばらく、コーヒーを見つめていた。
ジョージから渡されたそれは、まるで「沈黙の手紙」のようだった。
やがて、無言のまま受け取り、唇を湿らせる。
生暖かい苦味が喉に落ちていく。
それでも、彼はふっと、わずかに鼻で笑った。
「……相変わらず、まずいな。これ」
それだけ言って、また黙った。
けれど、その声に、昨夜の怒りも涙もなかった。
このコーヒーはジョージなりの謝罪だった。
言い訳も、目を合わせることさえもできない男が選んだ、たった一つの贈り物。
無言のまま、ジョージはパンを噛みしめた。
ヴィンセントは喉の奥から乾いた笑いを出した。
「もう、てめぇには何も期待しねぇよ」
笑いを含み、諦めに似たそのつぶやきが、重く、ジョージの胸を締め付けた。
◇
あの夜から、ジョージの頭の内では、ずっと裁判が続いていた。
法廷は静かだ。傍聴席もない。検察官も、弁護士も、自分自身。
「なぜ動かなかった?」
「どうせ何も変わらない、と決めつけたのは誰だ?」
「それは見殺しと、何が違う?」
毎夜、声なき声が頭の奥で問いかける。
ジョージは沈黙でしか応じられない。
けれど、その沈黙こそが、有罪を認めたようで──たまらなく、苦しかった。
そして、あの夜を境に、空気も変わった。
爆発のような感情が交わされたわけではない。
ましてや、拳の一発で帳消しになるような関係でもなかった。
ただ――
ヴィンセントの中で、何かが静かに死んでいた。
任務は続く。
どれだけ地獄じみた現場でも、彼らは淡々と動く。
コンビネーションは依然として正確だった。
ジョージの動きも変わらない。ヴィンセントの指示に、無言で従う。
だが、ヴィンセントの声から、温度が消えた。
「ウガジン、右側のドアを確保しろ」
「……了解」
短いやりとり。その中にあったはずの、信頼ゆえの軽口も皮肉も、すべて消えていた。
そこにあるのは、ただの任務。職務。必要最低限のコミュニケーションだけだ。
それでも、ジョージは命令に従う。
誰よりも正確に動き、誰よりも先に地雷を踏みに行くような危険地帯に足を向ける。
それは贖罪か、反射か、自殺願望か、本人ですらわからなかった。
ただ、ヴィンセントの背中を見ている時だけ、ふと、胸の奥に疼くような感覚が残る。
「あの人を失ってしまった」
その事実だけが、言葉にならず、ジョージの無表情の奥で鈍く燃え続けていた。
◇
虚ろな証言台の前で、弁護士の顔をした自分が言った。
「お前は、変わりたいんじゃない。
ヴィンセントに、戻ってきてほしいだけなんじゃないのか?」
その一言が、銃声のように胸に響いた。
答えは沈黙だった。だが、それが最も痛い答えだった。
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