【完結】潜誠の盾:元“処刑人”のボディーガード。シングルマザーを守る 作:冬蜂
「ヴィンセントに電話をしましょう」
その言葉が、どこか遠くから聞こえた。
ジョージは、かろうじてうなずこうとした。
けれど、もう身体は動かなかった。
手足の感覚が薄れていく。
温かいはずの誰かの手が、遠くなっていく。
意識が滑り落ちていった。
――暗転。
次に浮かんだのは、雪のように冷たい夜だった。
ジョージの意識は、深く、過去に引きずられていった。
◇
夜の空気は乾いていた。舗装された地面に油と煙の匂いが染みついている。
その真ん中で、8歳の少年は兄に抱きしめられていた。
腕が強く、逃げられないほどだった。
しかし、その時はまだ怖くはなかった。兄の手だったからだ。
兄は20歳だった。
「誠」
その声で、何かが胸の奥で波打った。
兄の声が、震えていた。今まで一度もそんな声を聞いたことがなかった。
「何があっても……生き延びろ。いいな?」
少年は首を振った。意味なんていらなかった。ただ嫌だった。
死の匂いがしていた。
喉がつまった。腕の力が入らない。
「……兄さん、やだ……行かないで……」
兄は少年にふっと笑いかけると背を向け、手を上げ、抵抗する意志がないことを示しながら敵に向き直った。
そして二度と振り返ることはなかった。
「約束を守ってもらう。
俺の命と引き換えに、おとう――」
乾いた小さな破裂音が、夜の濡れた空気に響いた。
次の瞬間、兄の言葉が止まった。
そのまま、ひとつも声を発さずに板のようにまっすぐ倒れた。
背中の左側――肩甲骨の下あたりに、弾痕が開いていた。
銃弾は心臓の後壁を貫いたのだろう。
呼吸は戻らなかった。
少年の口から、獣のような咆哮が漏れた。
魂が裂ける音だった。
誰かが「黙れ!」と叫び、こめかみに拳が飛んできた。
痛さは感じなかったが、重さは残り、世界が揺れた。
手が伸び、口が塞がれた。
そのまま、腕がねじられ、背後から押し倒された。
縄。袋。空気がなくなる。
見えない。呼吸もできない。
そのままバンに無造作に投げ入れられた。
積載用にシートは外され、むき出しの鉄の床が、少年の頬を容赦なく裂いた。
鼻を打ち、血が滲む。
しかし、叫びは止まらない。
バンのスライドドアが閉まり、世界から光と空気が遮断されたその瞬間――
少年は、壊れたように泣き出した。
しゃくりあげ、声にならない声を繰り返し吐き出しながら、泣きじゃくった。
バンが走り出しても、泣き声は止まなかった。
息が吸えない。
吸おうとするたびに喉が痙攣し、むせかえるような嗚咽になった。
吐いた息で喉が焼ける。
胸が締めつけられ、心臓が暴れる。
意識がかすむほどに、少年は泣き続けた。
それでも止まらない。
涙と鼻水と涎が顔中に張りついて、視界を滲ませていた。
車体の揺れに転がり、何度も身体を打ちつけながらも、ただ泣いた。
誰も止めなかった。
誰も、聞いていなかった。
バンの中は、冷たく、残酷な密室だった。。
何時間も何時間も揺られた。
たまにわずかな時間、停車したが、すぐに車は動いた。
知らぬ間に少年のズボンはびっしょりと濡れていた。
そしてふと、すべてが止まった。
喉は枯れ、胸はひゅうひゅうと苦しい音を立て、涙も出なくなっていた。
しゃくりも、嗚咽も、声も。
まるで心臓ごと静かに冷えきったように。
鉄の床に背を預けたまま、少年は虚ろな目で天井を見上げていた。
麻袋越しにバンの天井が見える。
怒りも、恐怖も、悲しみも……何ひとつ残っていなかった。
その奥に、何かが、冷たい影のように芽を出し始めていた。
“ソレ”は、痛みを感じず、恐怖を抱かず、ただ世界を見つめていた。
「ガキの値段、どんくらいだ?」
男の声が少年の耳に突き刺さった。
その言葉は耳から全身に広がって行った。
「市場次第だな」
「足つく前にさっさと売るぞ」
「後どのくらいで着く?」
「20分ぐらいだな」
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