【完結】潜誠の盾:元“処刑人”のボディーガード。シングルマザーを守る 作:冬蜂
二か月が経った。
昼下がりの陽光が、乾いた土埃に揺れている。
進行中の車列。エンジン音が鳴り響く中、警戒態勢の部隊が慎重に前進していた。
そのとき――
一人の年老いた女性が、兵員輸送トラックの前に飛び出した。
腰が曲がり、髪は灰のように白い。
顔の皺には、歳月と過酷な日常が刻み込まれていた。
両手を掲げ、涙に濡れた声で何かを叫んでいる。
言葉は、現地語のさらにローカルな方言で、ほとんどの兵士には通じなかった。
だが、その必死の訴えだけは、誰の胸にも刺さった。
「なんだ、あれ……?」
「また誰か、身内をやられたのか……?」
誰かが呟いた。
「……俺らじゃねぇだろ? ここの件、関与してないはずだぞ」
確かに、この村での衝突には関与していない。
むしろゲリラ同士の抗争か、民兵による襲撃の可能性が高い。
それでも、女は泣き叫ぶ。
足元には、焼け焦げた布と、誰かの遺影らしき写真が転がっている。
隊員たちは車の陰から顔を出し、困惑していた。
「どうするよ……止めるか?」
その声に、ヴィンセントが一歩、前に出た。
「俺が行く」
その声に、ジョージが素早く振り向いた。
「待て」
ヴィンセントの肩を手で制し、ジョージは目を細めた。
「お前はデカすぎる。相手が怖がる」
一瞬、視線がぶつかる。
ヴィンセントは眉をひそめたが、何も言わずに引き下がった。
ジョージは無言で足を踏み出し、ゆっくりと、女性の方へ歩き出した。
背筋を伸ばし、だが手は見える位置に出し、威圧感を与えないように。
女は、最初こそ泣き叫んでいたが、ジョージが近づいても逃げなかった。
震える手で写真を掲げ、乾いた言葉を投げかける。
ジョージには、それが何を意味するのか、正確にはわからなかった。
けれど、その声の震えと、写真に焼き付けられた少女の笑顔が、すべてを物語っていた。
――この子は、もういない。
――この子は、消えた。
――せめて、聞いてほしい。わかってほしい。
女の言葉は途切れ、風に飲まれていく。
ジョージは、しばし無言のまま彼女を見つめた。
そして、ゆっくりと手を伸ばし、頭に被ったままだったヘルメットのバックルを外した。
カチリと音がして、ヘルメットが静かに浮き、腕に抱えられる。
砂埃の中であらわになったその顔は、まだ若く、小柄で、兵士というよりただの青年に見えた。
その瞳には怒りも恐れもなく、ただ、理解しようとする意志だけがあった。
ジョージはそっと膝を折り、地面に座り込む。
写真を見つめ、目を細める。
相手の目線の高さに自分を下げ、何も言わずにそこに“いる”。
そして、静かに呟いた。
「……俺も、家族を失った。
……それでも、生きてきた。
そして、ここにいる」
言葉は通じなかったかもしれない。
それでも、ジョージの声の奥にあった震えが、老婆の表情をわずかに揺らした。
女の涙は止まらなかった。
だが、叫びは次第に小さくなり、代わりにひとつの言葉を、何度も繰り返した。
ジョージには意味はわからない。
けれど、静かに頷いた。
声を出さずに、ただ一度だけ。
◇
遠く、陽炎の揺れる道の向こう。
ジョージがヘルメットを脱いだのを見た瞬間、ヴィンセントの眉がわずかに動いた。
「……まさか、あいつ」
冗談でも茶化す気にはなれなかった。
あのジョージが、自分から防具を外した――それだけで、何かが変わったと知れた。
彼は、老婆の前に静かに膝をついた。
体格で言えば、子供のように見えるジョージが、老人と目線を合わせて座っている。
兵士でも、警護でもない。ただの“誰か”として。
ヴィンセントは、トラックの陰から一部始終を見ていた。
銃口に手を添えたまま、撃つ必要のない戦場を見つめていた。
──しばらくして、老婆の泣き声は小さくなった。
肩を震わせながらも、彼女はそっと脇に退き、足元の写真を拾って立ち上がった。
道は、静かに開かれた。
ジョージは何も言わずに立ち上がり、ヘルメットを脇に抱えたまま戻ってくる。
その歩幅も、表情も、以前と変わらない。
けれど、ヴィンセントにはわかった。
──こいつの中で何かが軋んだ。
そうじゃなきゃ、あの行動は取らない。
近づいてくるジョージに、ヴィンセントは問いを投げた。
あえて、いつものように簡潔に。
「……何か、変わったか?」
ジョージは、ふと目を細めて、空を見上げるような仕草をした。
そして、ヘルメットを被らないまま、ただ一言だけ呟いた。
「……分からない」
その声は、風にまぎれて聞き取りづらかったが、たしかに届いた。
ヴィンセントはそれ以上何も聞かず、ただ一度だけ、深く息をついた。
「……そうか」
あとは、言葉は要らなかった。
この男が何を抱え、何と闘っているか、わざわざ聞くまでもない。
それを“問う”ことはできても、“答えさせる”権利は誰にもないと、ヴィンセントは知っていた。
そして、再びトラックが動き出した。
エンジン音の中で、誰の声もかき消される。
けれど、ジョージの背中は、確かに――
二か月前とは、少しだけ違って見えた。
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