【完結】潜誠の盾:元“処刑人”のボディーガード。シングルマザーを守る 作:冬蜂
「……ほぉ」
誰かの、感嘆とも嘲笑ともつかぬ声が落ちる。
肩を掴まれ、押し戻されるようにして膝をついた。
背筋を正すように腕を引かれ、正座を強いられる。
「喋るなよ」
そう言いながら、男が猿轡を外す。
口内は、喉の奥まで乾ききっていた。
砂漠のようだった。
アルコール臭のする冷えた布が顔を拭っていく。
「静かだな。こいつ。
……まるで、意思が抜け落ちた標本みてぇだ」
別の男が鼻で笑った。
「数時間前は泣いてたぜ。
兄貴が撃たれたとき、結構な声でな」
「へぇ。それで今これか?
とはいえ、目はしっかりしている。
芯は壊れてはいない。
短時間のうちに、すっかり商品らしくなったもんだ。
順応性が高い」
それは、“素材がよく馴染んでいる”という評価でもあり、
“人間でなくなりつつある”ことへの皮肉でもあった。
だが、少年の内側には、まだ声が残っていた。
正確には、誰かがその声を封じていた。
『ね、君が泣いてたこと、まだ覚えてるよ。
でももう大丈夫。
ぼくがそれ、全部持ってるから』
顎を掴まれ、左右に傾けられる。
唇の端に、手袋をした親指がなぞるように触れた。
「……いい面だ」
男は無感情にそう呟いた。
「骨格が締まってる。
鼻筋、顎のライン、頬の彫り……
東アジア系でここまでバランスの取れた造形は、まず出ない。
――遊興でも、外交用でも通る。
使い道はいくらでもある」
指で顔をなぞる。
感触を確かめるでも、慈しむでもない。
値段を決めるためだけの動きだった。
「どこ産だ?」
「ジャパン」
「へぇ、それでこの骨か。
骨太で体格もいい。縄文型。古代の血が濃い。
滅多に出ねえ。
顔は堀が深いのに切れ目で……
大人になったらもっと映えるタイプだろうな」
「ジャパン産の未処理モノなんざ、10年に1体も出ねぇよ。
裏が深ぇに決まってる。
……でも、当たればでかい」
「手ぇ出したか?」
「いや、まだ。手つかずだ」
乾いた笑いがいくつも交差する。
「臓器、遊興、肉体労働、なんでもいける。
成長すれば兵士にもなる。
今のままなら東向け。
教育次第じゃ西にも出せる。
中東は競争率高いが、顔で押せる。
まぁいずれにしても、汎用性は高い」
別の男があぐらをかきながら、資料のファイルをめくる。
「……はぁ!?
こいつの家系、親父が重工の技術者?
母親は翻訳家?
兄貴がMIT?
マジかよ……どんだけ上流階級なんだよ」
「笑えてくるな。
そんな金ピカの血統が、今じゃこのザマか。
地べた這いつくばって値札つけられてるってのは……案外、悪くねぇ光景だな」
「で? リスクは?
身元クッキリな優等生に手ぇ出して、政府が黙ってるとでも?」
「事故死扱いだ。
書類上は家族全員、海で死亡ってことになってる。
警察も一枚噛んでる」
「頭は悪くねぇはずだ。
むしろ血筋的にかなり回るだろう」
沈黙。数秒、書類をめくる音だけが室内を満たした。
「まぁいい。投資としては悪くない」
誰かが吐き捨てるように言う。
「育てるのに時間がかかるな。……3だ」
「いや待て」
そう言った男は、書類の端をパチンと指で弾いた。
「素直で、顔も締まってて、頭も回るぞ。
脳ミソがまだ柔らかいうちに“思想”ぶち込めば、外交官ヅラしたスパイの出来上がりだ。
あの将軍様の国、忠誠心だけ刷り込んで、使い潰すのは十八番《オハコ》だからな。
……マジで出荷したら、ドルで返ってくるぞ、これ」
「……東アジアの中でも異色ロットだな」
別の男が頷いた。
「顔、骨格、知能、反応速度──
全部揃ってる。
このスペックで、臓器や肉体労働に回すのはバカのすることだ。
……エリート用途一択だな」
「何だったら、最初は映像も数本、押さえておくといい。
従順そうに見えるぶん、素材としては映える」
「ただし──」
その男は少年の方を一瞥した。
「ハイリスク・ハイリターンな一点ものだ。
“所有”じゃなく、“扱い”の問題になる」
「知ってるさ」
別の男が吐き捨てるように言う。
「こう言うタイプは扱いが難しいって評判だ。
繊細で、すぐ黙る。
環境にも気を遣わなきゃならない。
下手にストレスかけると、あっさり折れる」
「……折れる?」
「見た目じゃわかんねぇのよ。
“精密品”はな、壊れても音がしない。
気づいた時にはもう手遅れだ」
男は指で机をトントンと叩いた。
「この前もいたよ――
西のラインに入ったやつだ。
朝になったら、指を1本、自分で食ってた」
「……誰かにやられたんじゃなくて?」
「いや、自分でだ。
ずっと静かで、おとなしかったから油断してた。
……ああいうのは、壊れ始めても気配がねぇ。
そいつはジャパン産じゃなかったが、傾向は似てた。
静かで、従順なヤツにかぎって繊細で、壊れる時も誰にも気づかれない」
少し間を置いて、男は肩をすくめた。
「この現場には向かねぇ。俺は“4”と見る」
短い沈黙のあと、売り手が静かに口を開く。
「……4.5。これ以下は無理だ」
「運びはこちらでやる。
海路はこっちのリスクだぞ?」
「……4.3。これで打ち切る。
あと1分で次に回す」
その言葉に、買い手側の男たちが視線を交わし、うなずく。
「……いいだろ。紙を出せ」
静かな声だった。
誰の声ともつかぬまま、契約が現実になる音が、部屋の中に沈んでいった。
少年の顔は動かなかった。
心の中にあったものは、すべて“ソレ”が背負っていた。
品定めされる視線も、値踏みされる声も、もはや何も感じなかった。
あるのは、ただ観察する目。
自分を観る、自分ではない何か。
静かな闇の中で、“ソレ”は黙って微笑んでいた。
『これで、決まったんだね』
ソレが言った。誰に向けた言葉でもなかった。
でも、それを聞いた少年は、小さく、ほんの僅かに――呼吸を止めた。
『でも、言ったろ。怖くないって』
少年は、小さくうなずいた。
恐怖はもうなかった。
悲しみもなかった。
代わりに――生き延びるという一点だけが、心の奥に静かに灯っていた。
少年は、動かなかった。
動けなかった。
そして、瞬きすらしなかった。
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