【完結】潜誠の盾:元“処刑人”のボディーガード。シングルマザーを守る 作:冬蜂
病室の扉が、少しだけ雑な音を立てて開いた。
「よーっ、グッドモーニン、眠れる森の殺し屋!」
チャットの声だった。
軽い足取りで入ってくるなり、腕を広げ、いつもの調子で続ける。
「おしい! さっきまでお前の愛しい彼女が来てたのにー!
花、飾っていったぜ」
ジョージは顔だけをそちらに向けた。
そのまま、ベッドサイドの棚に目をやる。
小ぶりなガラス瓶に、深紅の花が一輪。
しばし見つめたのち、ジョージは何も言わず、再び視線を正面に戻した。
「……俺、どれくらい寝てた?」
低く、かすれた声がようやく言葉になった。
ヴィンセントが椅子を引き寄せ、腕を組む。
「覚えていないのか?」
ジョージは答えない。
その代わりに、チャットがニヤニヤしながら割り込んだ。
「俺が話しかけたらな、お前“うるさい”ってムッとした顔で返してきたぞ?
あれ覚えてないの?」
ジョージはわずかにまぶたを伏せ、ゆっくりとうなずいた。
「あれは……覚えてる」
チャットが「うわ、そこだけ覚えてんのかよ」と肩をすくめた。
ヴィンセントが短く笑って言った。
「ま、いいや。
手術から、ちょうど2週間経ってる。
意識が戻ったのはここ数日だけどな」
ジョージは、無言のまま頷いた。
表情は薄いが、確かに現実を受け止める顔をしていた。
「……なんで、お前らがここにいる。
ΩRMとはもう……関係ないはずだが」
空気が一瞬凍った。
チャットとヴィンセントが顔を見合わせる。
冗談の仮面が、わずかに剥がれる。
「……はぁ〜〜、お前な……」
ヴィンセントは深く息を吐き、天井を仰いだ。
「そういうとこだよ、まったく」
「ま、ぶっちゃけ俺が契約更新しておいた」
軽く手を挙げたチャットが、したり顔で言う。
ジョージの視線が、ゆるやかに彼へ向く。
「お前が?」
「うん」
「……どうやって」
チャットがポケットからスマホを出し、タップとスワイプを繰り返す。
そして出てきた電子メールの画面を誇らしく見せてきた。
[メール]
件名:業務委託契約 “更新” 通知書
送信者:ウィンザー & アシュトン法律事務所(アレックス・R・ベネット)
添付ファイル:
Contract_Reinstatement_George_Ugajin.pdf
「乙(ジョージ・ウガジン)は、甲(ΩRM)との業務委託契約を継続する。」
契約有効日:解除前日から継続
署名:George Ugajin
受領者:ΩRM 代表取締役 ヴィンセント・モロー
「俺、サインした覚えはないぞ。
そんな、詐欺みたいな真似……」
「元詐欺師だもん、俺」
チャットは肩をすくめて笑ったが、その目はどこか冴えていた。
そして、続ける。
「決まり事なんてのはな、所詮、人間が作った枠だ。
抜け穴なんざいくらでもある。
俺らみたいな連中がその隙間に生きてんのよ」
ジョージが眉をひそめる。
「……お前、違法行為に片足突っ込んでるぞ。
正式な契約が取り消されるのは、法的にグレーだ。
俺が訴えたらどうする?」
ジョージの言葉に、チャットはにやりと笑った。
「いいねぇ~、んじゃ、訴えてみな?
ただし――その瞬間、ΩRMの法務部が“お前の契約継続を承認した”って書類を出してくるぜ」
「なに?」
「しかも、お前――契約解除のとき、“書類は送らずに口頭で進めろ”って言ったらしいじゃねぇか?
つ・ま・り、お前の口約束だけで済ませたんだ。
だから“契約解除を証明する書類”が、どこにも存在しないんだよ。
お前の指示で、な」
チャットは指を鳴らしてみせる。
「ってことはだ――“法的には、ジョージ・ウガジンは契約を解除していない”。
逆に、ちゃんと生存報告が上がったから、自動更新が有効になったわけ。
綺麗だろ?」
「……つまり、“俺はまだΩRMの一員”ってことか。法的にも」
「そ。ようこそ現世へ、おかえりなさい」
ジョージはしばらく沈黙した。
「……お前、いつから仕込んでた。
俺が契約を切る前からか?」
チャットはどこか楽しげに笑う。
「言ったろ? お前のやりそうなことなんざ、だいたい想像つくって。
ヴィンちゃんから“契約解除の連絡が入った”って聞いたとき、思ったんだよ。
“ああ、ジョージはまたバカなこと始めたな”ってさ。
で、察した。“こいつ、契約解除して――そのまま死ぬ気なんじゃねぇか?” ってな」
チャットはわざとらしく肩をすくめた。
「だから俺は、俺の合理性を使わせてもらったわけ。
お前の合理性を潰すには、俺がもっと合理的に動けばいいだけの話だろ?」
ジョージは何も言わず、ただ視線を逸らした。
だが、その無言が何よりも答えだった。
チャットは足を組み直し、芝居がかった口調で言った。
「なあジョージ。俺、よくストーカーに粘着されててさ。
後をつけ回す女とか、たまに男とか。
夜道、郵便受け、果てはシャワーの時間までな?
――マジでゾッとするよ。
人間って、ああなるともう理屈じゃ止まんないのな」
ジョージは無言で見ている。
チャットは口元を緩めて、続けた。
「でもさ、今の俺がその子と違うの、わかるか?」
間。
チャットはジョージを指さして、無邪気に言った。
「対象が、お前ってだけ」
ヴィンセントが「うわぁ……」と低く呻いたが、チャットは構わず畳みかける。
「お前がひとりで全部背負おうとするたびに、俺が勝手に契約書書き換えて、勝手に復活させてやる。
法的にも、社会的にも、ΩRM的にも。
……なあ、言っとくけど。
お前が消えたらまずヴィンちゃんがガチで潰れる。
そんでヴィンちゃんが潰れたら、ΩRMもバキバキに割れる。
俺の生活もパー。
そしたら、俺、モテなくなる。
だから俺は――俺の合理性と執念で、お前を絶対に引き戻すわけ。
わかる? このロジック」
顔をすっと寄せて、囁くように言った。
「……ゾッとした?
ねぇ、ジョージ。ゾッとした??」
ジョージは、長いまばたきを一つだけして、視線を逸らした。
口を開きかけて、やめた。
その表情に、わずかな敗北感と、呆れと――ほんの少し、救われたような影が差した。
ヴィンセントは額を押さえながら、低く吐き出した。
「……ったく、こいつが本気出すとタチ悪ぃんだよ」
チャットは満足げに笑い、指を鳴らした。
「……お前が独りで抱え込もうとするたびに、俺が引き戻してやる。何回でもな」
その声は、思いのほか静かで真っ直ぐだった。
からかいも、演技もなかった。
ジョージはしばらく無言のまま天井を見上げていた。
そして、彼女が置いて行ったアネモネの花に再び視線を落とす。
ジョージは向き直ると静かに言った。
「SERE-Cを受ける」
その瞬間、ヴィンセントの顔が変わった。
「……は?」
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