【完結】潜誠の盾:元“処刑人”のボディーガード。シングルマザーを守る   作:冬蜂

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122:エピローグ

 退院の朝、空は澄んでいた。

 

 窓の向こう、街が妙に騒がしい。

 車が流れ、太陽がアスファルトを焼いている。

 ジョージは紙袋に身の回りを詰めながら、最後にベッドを見やった。

 

 ひと月もいた。

 それでも、そこに自分がいたという実感が湧かない。

 あるのは、軽すぎる身体と、骨が告げる力のなさだけだった。

 

 ノックもなしに、ドアが開いた。

 入ってきたのはヴィンセント。ジャケット姿。無言で部屋を見渡し、片眉を上げる。

 

「……行くか」

 

 ジョージは頷く。

 紙袋を手に取り、歩き出す。

 足元はまだ安定しないが、支えられるのは癪だった。

 

 ドアの前で、ヴィンセントが足を止めた。

 

「……来てるぞ。彼女」

 

 ジョージは何も言わない。

 静かな間のあと、扉が再び開く。

 

 エレーナだった。

 

 ボタンを留めたコート。束ねた髪。

 何も言わず、ただそこに立つ。

 その目だけが、彼を確かめるようにまっすぐだった。

 

 ジョージは目を逸らす。

 紙袋を持った手ごと、わずかに身体を引いた。

 俯いたまま、低くこぼす。

 

「……なぜ来た」

 

 拒絶でも怒りでもない。ただ、弱かった。

 痩せ細った肩。ぶかぶかの服。

“見せたくない自分”が、そのまま晒されていた。

 

 エレーナは一歩だけ近づく。

 それ以上は踏み込まず、迷いのない声で返した。

 

「……いいじゃない」

 

 時間も言い訳もいらなかった。

 彼女はもう一度、全身を見て――ふっと笑った。

 

「また太らせてあげる」

 

 ジョージは何も返さない。

 だが、喉がわずかに動いた。

 紙袋の取っ手を握る指先に、ほんの少しだけ力が入る。

 

 ロビーに出ると、空気が変わった。

 白すぎる照明。人工的な明るさ。

 それなのに、そこに漂っていたのは“生活”の匂いだった。

 

 数歩歩いて、視界が開ける。

 

 彼らがいた。

 

 ナンシー。

 ジェシカ。

 リリー。

 ……ワラビー。

 

 全員が立ち上がった。

 次の瞬間、ジェシカとリリーが駆け出してくる。

 

「ジョージィーー!!」

「ジョージ、ジョージ!!」

 

 身体が、名前を呼ばれる感覚に追いつかない。

 言葉が、こちらに向かって飛んできていることに、まだ実感がない。

 

 そこへ、小さな体がぶつかる。

 

「……っ」

 

 手術痕が、鋭く反応した。

 息が詰まる。声は出さない。ただ揺れる。

 軸が、かすかにズレる。

 

 リリーが腰にしがみつき、ジェシカの肩が胸に当たる。

 遠慮はない。“無事でいてほしかった”が、そのままぶつかってくる。

 

 2人は言葉を重ねていた。

 しかし、ジョージはどうすればいいのか分からなかった。

 手を背に回そうとして止め、肩に触れかけて止まる。

 結局、宙に浮いたまま手は落ちた。

 

 それでも、彼女たちは離れなかった。

 いま握らなければ、もう戻ってこないとでも言うように。

 

「……っ」

 

 ジョージは歯を食いしばる。

 痛みにも、動揺にも。

 だが、肩がわずかに落ちた。

 

 逃げきれなかった。

 

 ――そして、最後に重い影が迫る。

 

「ジョージさーんっ!!」

 

 ワラビーだった。

 巨体が全力で突っ込んでくる。両腕を広げ、笑顔全開。大型犬そのものだった。

 

「うおおぉっ! よかったッスよぉ〜! 生きてて……マジで……!」

 

 ジョージの左手が、条件反射のように前へ出た。

 素手のまま、ワラビーの胸元を押さえる。

 

「……やめろ。お前まで来たら、倒れる」

 

 声は低く、ぶれず、拒絶の輪郭を持っていた。

 

 ワラビーはそこで止まった。

 目の前に差し出された手を、驚いたように見つめる。

 

「え、でも……俺、ずっと……」

 

「……分かってる」

 

 ジョージは目を閉じる。

 一度、深く息を吸った。

 

「だから止めた。今、潰されたら洒落にならん」

 

「……っす」

 

 ワラビーは一拍遅れて、頭をかく。

 それ以上は踏み込まず、その場にしゃがみ込んだ。

 

「……じゃあ、握手だけ、いいっすか?」

 

 ジョージは右手を差し出した。

 ワラビーが両手で包み込むように握る。

 

「ジョージさん、ありがとうございました」

 

 礼儀正しい。その所作だけが異様に丁寧だった。

 ワラビーなりの最敬礼なのかもしれない。

 

 ジェシカが前に出た。

 

「……これ、返す」

 

 手の中には、銀色のジッポライター。

 傷と焼け跡。彼のものだった。

 

「逃げたとき、ポケットに入ってた。ずっと持ってた」

 

 言い終える前に、彼女は少しだけ顔を背けた。

 

 ジョージはしばらくそれを見つめていた。

 やがて、静かに手を伸ばす。

 

「ありがとう」

 

 それだけだった。

 だが、ジェシカは頷き、リリーの隣に戻っていった。

 

 ジョージはライターをポケットに入れ、親指で一度だけなぞった。

 金属の冷たさが、妙に馴染んだ。

 

 ナンシーが近づいてきた。

 手に、小さな黒い箱を持っていた。

 

 中には、重厚な金属製のカード。

 刻印がある。

 

“Grennan’s Fitness Gym

- 永久会員 No.001

 ――GEORGE UGAJIN”

 

「オリジナルで作ったの。あなたのために。

 サンドバッグ、増やして待ってるから」

 

 ナンシーの目はまっすぐだった。

 

「本当に、ありがとう。

 命を懸けて、守ってくれて」

 

 ジョージは言葉を返さず、箱を受け取り、軽く頷いた。

 

 ナンシーは微笑み、視線を後ろへ送る。

 

「彼女さん?」

 

 ジョージは無言のまま。

 

 ナンシーは察したように、ふっと笑った。

 

「大切にしなさいよ」

 

 エレーナが照れくさそうに表情を緩める。

 否定はしなかった。

 

 贈られたカードが胸元に収まり、言葉は途切れる。

 もう、何もいらなかった。

 

 ヴィンセントが隣に並ぶ。

 寄り添わず、支えもせず。ただそこにいる。

 その距離感だけが、絆の深さを物語っていた。

 

 ジョージは頷いた。

 紙袋を提げ、杖を手に取る。

 誰にも頼らず、ゆっくりと歩き出す。

 

 ――コン、コン、と杖の音がロビーに響く。

 その一音ごとに、失われていた重心が、少しずつ戻っていく。

 

 扉の前。背中に声が届く。

 

「またきてねー、ジョージィーー!」

 

 リリーの声。

 

 ジョージは振り返らない。

 ただ、歩きながら答える。

 

「……そのうち、顔出す」

 

 それだけで、空気がふっと緩んだ。

 

 自動ドアが開き、光が差し込む。

 

 削がれた体で、杖をついたまま。

 その背中はまだ弱々しい。

 

 それでも、歩みだけは――確かに、生きている者のものだった。

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