【完結】潜誠の盾:元“処刑人”のボディーガード。シングルマザーを守る   作:冬蜂

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040: 30秒の訓練、水に沈む心

 子供たちはそれぞれの部屋へ入っていった。

 家の中は静まり返り、湿った夜の空気だけが、わずかに残る。

 

 ジョージはバスルームの扉を閉めた。

 雨に濡れた体を洗う。ただし、長くは入らない。

 

 リスク管理。5分以内。

 

 それが、習慣だった。

 無防備な時間を最小限に。

 即応できる状態を常に維持する。それが生存条件だった。

 

 まず、洗面台の蛇口をひねる。

 細く流れる水が、静かにシンクの底を濡らし、ゆっくりと溜まり始める。

 

 その間に、素早く体を洗う。

 シャワーの温度を確かめる間もなく、冷水から、一気に頭から浴びる。

 冷たさは、無視する。

 温度調整は後だ。

 泡立て、洗い流す。無駄なく、速く。

 手際よく体を拭き、乾いた服に着替える。

 

 4分。

 無駄は一切ない。

 

 洗面台に戻ると、水はすでに7分目まで溜まっていた。

 

 ジョージはその前に立つ。

 ゆっくりと息を吸い込み、止めた。

 

 両手をシンクの縁に添え、身を屈める。

 そして――

 

 顔を、水へ。

 

 冷たさが一瞬で皮膚を包む。

 音が消えた。

 世界が、遠ざかった。

 耳鳴りのような静寂。

 鐘の音のように波打つ心臓の音。

 それらが静かに、そして煩く頭の中に駆け巡っていく。

 

 水中で、目を開ける。

 暗い。狭い。苦しい。

 わずかに触れる水流さえ、鎖のように感じた。

 

 指先が、かすかに震えた。

 まるで記憶の亡霊が、骨の髄から揺さぶってくるかのように。

 

 「これは、訓練だ」

 

 心の中で何度も繰り返す。

 

 「ただの水道水だ」

 

 「ただの、訓練だ」

 

 だが――

 

 冷たい感触が、徐々に胸へ、腹へ、心臓へと染み込んでいく。

 無意識の底で、何かがざわめき始めた。

 

 思い出す。

 8歳の夜。

 縛られた手足。

 入れられた麻袋。

 暗い海に沈む感覚。

 抵抗しても無駄だったあの絶望。

 

 流れ込む冷たい海水。

 軋む肺。

 割れるような、息の渇き。

 

 あの時、あの少年は――“的居誠(まといまこと)”は、死んだ。

 ここにいるのは、彼じゃない。

 自分だ。

 

 今は違う。

 これは、ただの訓練だ。

 

 だが、身体は信じなかった。

 

 肺が暴れ、酸素を求める。

 脳が叫ぶ。「上がれ」「逃げろ」

 

 ジョージは歯を食いしばった。

 この程度の水に、負けるわけにはいかない。

 

 30秒。

 

 静かに顔を上げた。

 

 水滴が頬を伝い、洗面台に落ちる。

 肩で息をしながら、目を閉じた。

 

 わかっている。

 何度繰り返しても、未だに慣れない。

 

 何度続けても、今もなお……手が震えた。

 心臓が跳ねた。

 喉の奥が、きゅっと詰まった。

 死神の冷たい指が、まだそこにひっかかっているようだった。

 

 水への恐怖は、消えていなかった。

 

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