【完結】潜誠の盾:元“処刑人”のボディーガード。シングルマザーを守る 作:冬蜂
子供たちはそれぞれの部屋へ入っていった。
家の中は静まり返り、湿った夜の空気だけが、わずかに残る。
ジョージはバスルームの扉を閉めた。
雨に濡れた体を洗う。ただし、長くは入らない。
リスク管理。5分以内。
それが、習慣だった。
無防備な時間を最小限に。
即応できる状態を常に維持する。それが生存条件だった。
まず、洗面台の蛇口をひねる。
細く流れる水が、静かにシンクの底を濡らし、ゆっくりと溜まり始める。
その間に、素早く体を洗う。
シャワーの温度を確かめる間もなく、冷水から、一気に頭から浴びる。
冷たさは、無視する。
温度調整は後だ。
泡立て、洗い流す。無駄なく、速く。
手際よく体を拭き、乾いた服に着替える。
4分。
無駄は一切ない。
洗面台に戻ると、水はすでに7分目まで溜まっていた。
ジョージはその前に立つ。
ゆっくりと息を吸い込み、止めた。
両手をシンクの縁に添え、身を屈める。
そして――
顔を、水へ。
冷たさが一瞬で皮膚を包む。
音が消えた。
世界が、遠ざかった。
耳鳴りのような静寂。
鐘の音のように波打つ心臓の音。
それらが静かに、そして煩く頭の中に駆け巡っていく。
水中で、目を開ける。
暗い。狭い。苦しい。
わずかに触れる水流さえ、鎖のように感じた。
指先が、かすかに震えた。
まるで記憶の亡霊が、骨の髄から揺さぶってくるかのように。
「これは、訓練だ」
心の中で何度も繰り返す。
「ただの水道水だ」
「ただの、訓練だ」
だが――
冷たい感触が、徐々に胸へ、腹へ、心臓へと染み込んでいく。
無意識の底で、何かがざわめき始めた。
思い出す。
8歳の夜。
縛られた手足。
入れられた麻袋。
暗い海に沈む感覚。
抵抗しても無駄だったあの絶望。
流れ込む冷たい海水。
軋む肺。
割れるような、息の渇き。
あの時、あの少年は――“
ここにいるのは、彼じゃない。
自分だ。
今は違う。
これは、ただの訓練だ。
だが、身体は信じなかった。
肺が暴れ、酸素を求める。
脳が叫ぶ。「上がれ」「逃げろ」
ジョージは歯を食いしばった。
この程度の水に、負けるわけにはいかない。
30秒。
静かに顔を上げた。
水滴が頬を伝い、洗面台に落ちる。
肩で息をしながら、目を閉じた。
わかっている。
何度繰り返しても、未だに慣れない。
何度続けても、今もなお……手が震えた。
心臓が跳ねた。
喉の奥が、きゅっと詰まった。
死神の冷たい指が、まだそこにひっかかっているようだった。
水への恐怖は、消えていなかった。
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