【完結】潜誠の盾:元“処刑人”のボディーガード。シングルマザーを守る 作:冬蜂
意識が、浅い水面に浮かび上がるように戻った。
ナンシーは、カーテンの隙間から差し込む細い朝光にまぶたを持ち上げた。
ぼやけた視界。
家具の輪郭が、まだ夜の名残を引きずっている。
――ソファで寝たんだ。
背筋を起こすと、肩からブランケットがずり落ちた。
誰が掛けたのかは分かっている。
考えるまでもない。
昨夜の記憶。
痛みと、酒と、崩れた自分。
声を殺して泣き、あの肩に身を預けた。
ナンシーは額を押さえる。
最悪だった。
みっともない姿。
なにを言ったかも曖昧だ。
ただ、すべてを晒してしまった気がして、胃の奥が冷たくなる。
そのときだった。
微かな音。
台所のほう――金属と油の、淡い生活音。
顔を上げた。
足裏に意識を戻し、静かに立ち上がる。
まだ少しフラつく。
キッチンの入り口。
ナンシーの足が止まる。
ジョージがいた。
無言のまま、淡々と作業をしている。
ボウルに残った生地をすくい、フライパンに流す。
ジュッという音。
パンケーキだ。
その姿は、まるで何事もなかったかのようで、逆に胸を締めつけた。
声をかけようとしたが、先に彼が言った。
「……起きたか」
背を向けたまま、低く。
ただそれだけ。
ナンシーは答えず、ゆっくりとキッチンに入る。
テーブルの端に、整然と並べられた皿。
バター。イチゴジャム。メープルシロップ。
パンケーキはどれも小さかった。
子どもが食べやすいサイズ。
彼の背を見つめたまま、ナンシーは立ち尽くす。
彼は、何も言わない。
慰めも、詫びも、気遣いもない。
しかし、
静かに伝わってくる。
「朝を迎えろ」と、背中が言っていた。
ナンシーは皿に手を伸ばす。
焼きたてのパンケーキに、ほんのりと熱が残っていた。
指先にその温もりがじわじわと染みてくる。
ナイフに手をかけかけて、やめた。
――これは、手で食べるべきだ。
そう思った。
パンケーキを小さくちぎり、そっと口に運ぶ。
甘く、やさしい味が広がる。
脳裏に浮かぶ。
三年前の朝。
夫トムと、まだ小さかったジェシカが、キッチンでふざけながら作っていた。
焦げた生地、笑い声、溶けるバターの匂い。
そしていま――
ここにあるのは、静かな背中と、積み上がるパンケーキ。
ナンシーは目線をあげた。
ジョージは、変わらずフライパンの前に立ち、生地を流している。
火加減を確認し、黙々と次の一枚を仕上げる。
無駄のない動き。必要なことだけをやる男の、それだった。
声にならない思いが、胸に滲んだ。
「……ありがとう」
ナンシーがかすかに呟くと、
ジョージは振り返らず、短く答えた。
「気にするな」
その背中がすべてを背負っていた。
言葉以上の、強さと、やさしさがあった。
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