【完結】潜誠の盾:元“処刑人”のボディーガード。シングルマザーを守る   作:冬蜂

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045:柔道を教えて!!

「何かあったのか」

 

 ジョージの声が、低く、乾いた音で空間を裂いた。

 

「どういうこと?」

 

 張った声。射抜くような鋭い視線。

 彼女は、真正面からジョージを見据えていた。

 

「ママ、転んだんじゃないよね? 殴られたんでしょ?」

 

 ジョージは何も言わない。動きもない。

 

「だから、あんたがいるんでしょ?

 守るために。だったら教えてよ!

 何があったの?」

 

 声が震えていた。怒りという名の震え。

 その奥に潜むものを、本人も制御できていなかった。

 

 ジョージは、わずかに息を吐いた。

 

「ジェシカには関係ない」

 

 その言葉は、鋼のように冷たく、硬かった。

 

 ジェシカの表情が一変した。

 頬に紅潮が走り、拳が小さく震える。

 

「……関係ない? ふざけないでよ。

 ママがあんな顔してるのに、私には関係ないって言うの!?」

 

 ジョージは動じない。

 表情を変えず、淡々と言葉を重ねる。

 

「ジェシカ……。

 君が知ったところで、何ができる?」

 

 ジェシカは息を詰まらせた。

 その瞬間、何かを振り払うように、彼女は声を張り上げた。

 

「じゃあ――柔道を教えて!!」

 

 一瞬、時間が止まる。

 その言葉に、場の空気が変わった。

 

 ジョージのまぶたが、ゆっくりと開閉する。

 

「……は?」

 

 ジェシカは拳を握りしめ、力強く言った。

 

「私も強くなってママを守りたいの! だから教えて!」

 

 言葉に偽りはなかった。

 その場にいる誰よりも、真っ直ぐだった。

 

 ジョージは黙って腕を組んだ。

 しばらく沈黙。判断中。

 敵味方ではなく、子供の覚悟を測るように。

 

「柔道は……簡単じゃない」

「でも、あんたはできるでしょ!? だったら、私にも教えて!」

 

 幼さの中に混じる、真剣な意志。

 子供の叫びではなかった。

 一線を越えた声だった。

 

 ジョージは短く息を吐き、腕を組む。

 しばらく沈黙し、考え込んでいたが――

 

 やがて、少しだけ視線を落とし、静かに言った。

 

「柔道は無理だが、護身術なら教える」

「護身術?」

 

 ジェシカが眉をひそめる。

 

 ジョージは無表情のまま「ああ」と短く答えた。

 そして、静かに言葉を続ける。

 

「例えば……」

 

 ジョージは一歩、ジェシカに近づく。

 次の動きは、ほとんど予兆がなかった。

 

 その手が、音もなく伸び――ジェシカの手首を取る。

 

 静かだった。だが、強い。

 力任せではない。支配に近い感覚だった。

 

 指先から、冷たい圧が皮膚を貫いた。

 

 ジェシカは本能で察した。

 ――逃げられない。

 

 この掌の奥にあるのは、訓練された「意志」だ。

 “本気の人間”が本気で向かってきたときの、それ。

 

 ジョージの声が、低く、間を切った。

 

「……こう。手首を掴まれたら、どうする?」

 

 低く、抑えた声が、静寂を裂いた。

 

 ジェシカは喉が乾いて仕方なかった。

 恐怖にではない。

 生きるための本能に、脳が、肌が、全力で訴えていた。

 

 (この人がもし敵だったら――)

 

 脊髄が震えた。

 でも、ジェシカは腕を引いた。

 全力で。

 

 ――だが、動かない。

 ジョージの手は、鉄のように動じなかった。

 

「……無理」

 

 ジョージが静かに頷く。

 

「そうだ。大人の男に掴まれたら、子供の力じゃどうにもならない」

 

 その言葉が、重く胸に落ちた。

 

 だが、ジョージはそこで終わらせなかった。

 掴んだまま、口を開く。

 

「でもな。力で抗う必要はない」

 

 言いながら、手の圧を少しだけ緩める。

 

「いいか。まず、相手の“親指の向き”を確認する」

 

 彼は手首を軽く回し、ジェシカの視線を誘導した。

 親指と人差し指の隙間。

 

「そこが弱点だ。

 掴まれてる手を、そこへ向けてひねる。こうだ」

 

 ジェシカが言われた通りに動かすと――

 すぽん、と音もなく抜けた。

 

「……えっ?」

 

 ジェシカは呆然と、自分の手を見つめた。

 

 さっきまで、びくともしなかったのに。

 今は、簡単に逃れられた。

 

 ジョージが補足する。

 

「指は閉じた側が強い。

 だが、親指の隙間は構造上、どうしても弱い。

 そこを突けば、力は最小限で済む」

 

 ジェシカは黙って頷いた。

 まだ信じきれないような目で、自分の手を握り直す。

 

「……やってみていい?」

 

「ああ」

 

 ジョージが差し出す。

 ジェシカが掴み、先ほどと同じように――ひねる。

 

 また抜けた。

 その顔に、驚きと、確信が浮かぶ。

 

「……ほんとにできた!」

 

 ナンシーが思わず息を呑んだ。

 

 ジョージは表情を崩さず、静かに言葉を続ける。

 

「これは基本中の基本だ。

 だが、こういう“当たり前”が、生きるか死ぬかを分ける」

 

 ジェシカの表情が変わった。

 幼さを残した顔に、微かに影が差し、奥底に火が灯る。

 

「もっと教えて」

 

 真剣な眼差しで、ジョージを見つめた。

 ジョージは一瞬、迷うように視線をそらしたが――

 

 やがて、静かにうなづいた。

 

 「ここでやるには手狭だし、実際に動きを教えるにはスペースが足りない。

 できればジムでやりたいんだが……」

 

 ジョージはナンシーの方に目線を向けた。

 

「えぇ、構わないわよ。今日は定休日だし」

「ほんと!? 行こう、早く!」

 

 言葉が弾んだ。

 だが、ジョージは落ち着いた声で告げる。

 

「まずは食え。身体は、それが基本だ」

 

 そう言って、彼は無言でテーブルの椅子を引いた。

 ジェシカはその背中を見つめ、ゆっくりとパンケーキに手を伸ばした。

 

 それは、ただの朝食ではなかった。

 彼女にとっての、最初の一歩だった。

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