【完結】潜誠の盾:元“処刑人”のボディーガード。シングルマザーを守る 作:冬蜂
──部屋には、人の気配がなかった。
コンクリートの壁。無機質な照明。
消毒液とインクのにおいが、鈍く鼻を突く。
どこかの街外れの一室。
違法ではないが、まともでもない。
表に看板もなく、来る者の素性も問われない――そんな場所。
ジョージは黙って上着を脱いだ。
袖を払う動作に、わずかな躊躇が混じる。
だが、それも一瞬だった。
椅子に座り、シャツをたくし上げる。
右脇腹。
斜めに走る古い傷痕が露わになる。
――銃で撃たれた痕だった。
肉が裂け、縫い合わせた跡が残る。
盛り上がった皮膚は、時が経っても完全には癒えていない。
引き攣れた肌が、過去の瞬間を沈黙のまま物語っていた。
「……見せろ」
タトゥー師が低く言った。
無表情な顔に、無数の刺青が刻まれている。
腕も、首も、胸元も。
ひと目で、何をしてきたか分かる類の男だった。
ジョージは何も言わず、ただ身体を晒す。
タトゥー師の視線が、傷口に留まる。
「……随分とやられたな」
「土産だよ」
短く返す声には、どこか皮肉が混ざっていた。
だが、口元に笑みはなかった。
「消すんじゃなくて、使うのか」
ジョージは頷いた。
「矢を彫れ。まっすぐ、ぶれずに。
十字を貫いて……中心は、ここにしてくれ」
そう言って、自ら傷跡の中央を指差した。
――“そこ”を通せ。
あえて、もっとも痛んだ場所に印を重ねる。
傷を隠すのではなく、意味を与える。
逃げない。
忘れない。
しかし、囚われない。
タトゥー師が少し黙り込む。
まるで、相手の過去を聞いてしまったような、静かな間。
やがて機械が動き出し、針が震える音が響いた。
低く、鈍く、肌に潜る音。
皮膚の奥を針がなぞり、黒いインクが古い傷に重なっていく。
ジョージの顔は微動だにしない。
ただ静かに目を閉じ、息を落とす。
痛みはある。
だが、それは“今さら”という類のものだった。
(……もし、家族が生きていたら、何て言うだろうか)
ふと、心のどこかに沈んでいた問いが浮かぶ。
(いや……とっくに、その場所には帰れない)
タトゥーが進む。
十字が描かれ、その中心を矢が貫いていく。
矢の交点には、小さな円――
それは心臓でも、魂でもない。
“ここを通った”という証だ。
「……それ、何の意味があるんだ?」
タトゥー師がぽつりと聞く。
だが、ジョージは答えなかった。
かわりに、口の中で呟いた。
「――終わったあとに、もう一度始めるための印」
その声は、誰に向けられたものでもない。
かつての自分にだけ、届くような呟きだった。
針が止まる。
ジョージの皮膚の上に残ったのは、一本の矢。
傷を突き抜け、まっすぐに伸びる黒い線。
それは、失った過去を背負いながら、それでも“前へ進む”ための意志だった。
一箭貫心
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