【完結】潜誠の盾:元“処刑人”のボディーガード。シングルマザーを守る   作:冬蜂

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060:フェーズ・3 ステージを乗っ取れ

 負けが込み始めた。

 札が微妙にズレる。流れが滞る。

 場に漂う空気に、わずかな淀み。

 

 そのとき、ジョージが椅子を引いた。

 酒のグラスを片手に、肩を一度、重たげに回す。

 

「……トイレ。下手すりゃ、戻んの遅くなる」

 

 声は気だるく低い。

 だが、その背中には演技の匂いが一切なかった。

 

 スタッフとディーラーが視線を交わす。

 VIPの一言に、誰も異を唱えられない。

 

 チャットが立ち上がる。

 さりげない所作で一礼しながら、場を引き取った。

 

「お預かりしますんで」

 

 言葉と同時に、テーブル上の札束の一部を、自分の手元へ寄せる。

 わずか数センチ。

 それだけで、“芝居の継続”を告げるには十分だった。

 

 ──裏手、ステージの奥。

 

 ジョージは、迷いなく通路を進んだ。

 防音扉を抜け、控室へ。

 

 簡素な部屋。ソファに男がひとり。

 スーツに身を包み、スマホの画面をスクロールしている。

 今夜のMC。ステージの指揮役。

 

 男は視線を上げた。違和感に気づく。

 

「……おい、誰──」

 

 次の瞬間には、ジョージが背後を取っていた。

 

 声は出させない。

 腕が喉に回り、声帯を避けて圧迫する。

 動きは静かで、無駄がなかった。

 3秒。脳がシャットダウンするには、それで足りる。

 

 男の体が沈む。

 

 ジョージは呼吸を整えることなく、そのまま扉を引き直した。

 元いた空気に戻る。

 表情はそのまま。演目の続きを演じる者の顔。

 

 チャットの耳元に、囁く。

 

「レオン。行け」

 

 チャットはグラスを置き、口元をわずかに緩めた。

 

「お膳立てあんがと」

 

 

 ライトが弾けた。

 

 フロアの視線をさらっていったのは、染めた金髪を無造作に撫でつけ、笑うでもなく挑むでもない薄い表情を湛えた男だった。

 

 均整の取れた輪郭に、影を引くような整った眉。

 そして何より、人々の意識を吸い寄せたのはその瞳――

 青とも緑ともつかぬ、曇り硝子のようなグレイッシュ・ブルーグリーン。

 女はその光に道を見失いたくなり、男は本能的に目を逸らしたくなる。

 

 冗談のような顔立ちだった。

 

 銀幕の中でしか生きられないはずの顔が、今そこに立っていた。

 クラブの空気が、一拍遅れてざわめきを取り戻す。

 まるで、舞台に役者が現れたあとに起きる、無意識の拍手のように。

 

 肩肘張らずに着こなした真っ白なスーツは、舞台照明と混ざり合って、彼を天使と悪魔の中間地点のように見せていた。

 

Ladies and Gentlemen(レディース・エン・ジェントルメン)──」

 

 少しだけ掠れた、艶のある声がマイクを満たす。

 その声だけで、空気が一段階落ち着いた。

 

 マイクを握ったチャットの顔は、一瞬恍惚に染まった。

 ドーパミンが脳内を駆け巡り、指先がわずかに震える。

 

──ああ、これだ……。

 これが俺の居場所だ――

 

「視線のすべてが自分に向く」その瞬間が、脳の奥を痺れさせる。

 

 もはや、麻薬だった。

 

 まるでこれをやるためだけに、この世に生まれてきたような錯覚さえ覚えていた。

 

「はじめまして。

 わたしは、レオン・ドゥシャン=ヴァレリエールです。

 ご心配なく──誰も一度で呼べた試しがないんで、レオンでいいですよ。

 

 今夜のMC、急きょ代役になりました。

 理由は……とても言えません。

 わたしの口と、このクラブの弁護士の口は、同じくらい堅いんで」

 

 フロアに笑いが走る。

 その波を受けて、チャットは余裕の笑みを浮かべたまま歩き出す。

 白いスーツが、黒いフロアを滑るように進む。

 

「まあでも──心配ご無用。

 わたしがここに立つってことは、今夜はちょっとだけ、映画より面白くなるってことだ。

 

 Sing it like you want to sing it!(好きなように歌え!)

 Do it like you wanna do it!(好きなようにやれ!)──ってね。

 

 いいかい? 今夜は、“こうすべき”なんてルールは置いてきて、思いっきり楽しもうぜ!」

 

 観客がどっと湧く。

 舞台の主導権は、完全に“レオン”のものになった。

 

「……そこの嬢ちゃん、笑顔がステージより眩しいね。

 あとで踊り子にスカウトされるかもよ?

 

 ……お、そっちのダンディ。

 奥さんの手を握りつつ、目線が1メートル右にズレてる。

 気をつけて、今夜は誰が見てるか分からない」

 

 ジョークと色気が絶妙に絡み合う。

 チャットのトークは、押しつけがましくないのに、確実に人を惹きつけていく。

 

「……ああ、大丈夫。全部ジョークさ。

 わたしの人生と同じ。

 半分嘘で、半分奇跡でできてる」

 

 チャットはマイクを持ち替えて叫んだ。

 

「この街の夜は長い。

 でも、今この瞬間だけは──わたしたち全員が主役だ!

 さあ、注目のダンスショーの前に──一発、盛り上げていこうか!」

 

 照明が落ち、音楽が鳴る。

 

「曲名は―― 80KIDZのO-A-O-A-Y (feat. Taro Abe)」

 

 観客が釘付けになっているその裏で、ジョージは2階のVIPルームから1階のフロアを見下ろしていた。

 

 冷たい目で、音と光に浮かぶ顔を一人一人、なぞるように。

 

 ──盗聴器を仕掛けるには、あと10分。

 

 

 

 

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