【完結】潜誠の盾:元“処刑人”のボディーガード。シングルマザーを守る   作:冬蜂

97 / 161
071:俺は暗くて印象に残らない人間の方が向いてる

クラブ・ドミニオン 午前11時前

 

 昼でも暗い。

 照明は落とされ、厚手のカーテンが光を遮断している。夜の残滓を引きずるような薄闇が、フロアに沈殿していた。

 

 その中を、清掃ワゴンのキャスターが静かに滑る。

 裏口から入ってきたのは、作業着姿の男。

 無地のグレー。

 企業ロゴすらない。

 

 猫背。キャップを深くかぶり、顔は髪と影に埋もれていた。

 口は半開きで、締まりがない。

 肌は浅黒く焼け、アジア系とも中東系ともつかない雰囲気をまとっている。

 

 ──誰も、“ジョニー・ウー”の仮面の下に、この男の骨格を見出すことはない。

 

「ちょっと、誰? 昨日の人と違うけど」

 

 スタッフの女が足を止める。

 ジョージは無言で頭を下げ、胸に片手を添えた。礼儀の形をなぞるだけの動作。

 そして、舌足らずな発音で絞り出すように話す。

 

「……スミマセ……午前、点検ダケ……エアコン、水、落ちる……掃除モ……する、デス」

 

 声はかすれて高く、訛りは東南アジア系。

 わざとらしさはなく、逆に現実味があった。

 

「……まあ、いいけど。

 昨日VIPが暴れてめちゃくちゃ。

 ちゃんとやっといてよ」

 

 女は興味を失ったように手をひらひらさせ、その場を離れた。

 会話するだけで疲れそうな相手だったのだろう。

 

 ジョージはかすれ声で「ハイ」と返し、ワゴンを押してフロアを抜ける。

 VIPルームの扉を閉めた瞬間、空気が変わった。

 アルコールと革張りソファのにおい。

 空調のうなる音。

 数日前と、同じだった。

 

 部屋を一瞥。動きはない。

 確認を終えると、唇だけが動いた。

 

「……よし」

 

 その声には、もう訛りも作り笑いもなかった。

 

 無駄を削いだ動作で、ワゴン脇に立つ。テーブルに上がるのも、音一つない。

 ターゲットは、梁の裏──エアコン吹き出し口近くに仕込まれたカメラ。

 通信機能を持たない独立型。microSDに記録された映像は、この場でしか奪えない。

 

 ピックも工具も不要。指だけで、静かに解体。

 回収したカメラを、ワゴンの二重底に滑り込ませる。

 

 続けて、別の隠し機材へ。

 手順は速い。だが、目だけは止まらない。

 ドアの隙間。天井の角。わずかな音にも反応できるよう、神経を張り詰める。

 

 ──残るは2つ。

 個室内。スタッフすら入れない“外”の区画。

 今の偽装では突破不可能。

 

 ジョージは何も言わない。

 乱雑なグラスと皿をまとめ、トレイにのせる。テーブルを一拭きし、床にモップを走らせる。

 清掃員としての“痕跡”を仕上げ、用具を整えて扉を開ける。

 

 通路のスタッフがこちらを一瞥したが、スマホに目を戻した。

 その視線に含まれていたのは、興味ですらなかった。

 ただの異物を視界から追い払うような、無関心。

 

「……終わったんなら、さっさと出てって」

 

 投げられた言葉にも、ジョージは反応を見せない。

 顔を上げることなく、ひとつ小さく頭を下げ、猫背のまま裏口を抜ける。

 

 誰にも気づかれず。

 誰の記憶にも残らず。

 

 その背中は、湿った朝の路地裏に溶けるように、音もなく消えた。

 

 

 

クラブ・ドミニオン裏手

 

 白いバンがひっそりと停まっている。

 側面のロゴは、ローカル清掃会社のもの──だが、磁石で貼り付けた偽物。

 荷台にはモップ、バケツ、洗剤。すべてが完璧なカモフラージュ。

 

 ジョージはバンに近づき、周囲を一度だけ確認。

 荷台のドアを開け、音もなく滑り込む。

 

 運転席で振り返るのは、レイチェル・カーター。

 目元の緊張はそのままに、言葉だけが少しくだけていた。

 

「追跡なし。通報もゼロ。通信もクリーン」

 

 ジョージはうなずき、二重底の袋を取り出す。

 SDカード。小型カメラ。集音マイク。──すべて揃っていた。

 

「回収完了。……例の2つは、あえて残した」

 

「了解。“王様”の目が泳ぐのが、見ものね」

 

 ジョージは応えず、キャップを外す。

 前髪を撫でる指先に、日焼けスプレーの皮膜が剥がれる。

 ウェットティッシュでそれを乱暴に拭いながら、鼻で笑った。

 

「……こっちのほうが、性に合う」

 

 レイチェルがミラー越しにちらりと目をやる。

 

「どっちの?」

 

「……声が小さくて、存在感がなくて……

 誰にも覚えられないやつだ」

 

 ティッシュを放り捨て、シートに身を沈める。

 エンジンがかかる音が、低く車内を震わせた。

 

 白いバンは朝焼けの街を滑るように走り出す。

 誰にも見られず、誰にも知られず。

 影のまま、任務は終わった。

 

あなたの年代と性別を教えてください。(読者の傾向を知りたい)

  • ~20代男性
  • 30~50代男性
  • 60代~男性
  • ~20代女性
  • 30~50代女性
  • 60代~女性
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。