僕っ娘天使が俺の部屋でサボってる件。   作:世嗣

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歌。あるいは、まだ名前のない気持ち。

 

 

「それで幸太郎はムスカにお金握らされたパズーみたいな顔ですごすごと戻って来たんだ」

「この天使ちょっと俗世に染まりすぎちゃう?」

 

 放課後、セナと別れてからしばらく。俺はユウヒと姉さんの喫茶『猫柳』にやってきていた。

 

「二人で飲み物買いに行ったら、急にセナちゃんが『もう練習はいいです』なんて言うから、何か理由があるとは思ってたけど、そういう事情かぁ」

 

 ユウヒが俺を見つつクリームソーダをストローでちゅーっと吸う。

 

「で、幸太郎はどうするの?」

「どうするって、言われても。セナがそれでいいって言うなら、それでいいだろ」

「うそつきみっけ。全然あの子が歌辞めるの納得できてないじゃん」

「勝手に俺の心を読むのやめろ」

 

 言いつつ、目線を外してコーヒーを一口。これ以上何かしゃべってユウヒに心を見通されるのはごめんだ。

 

「幸太郎」

「……」

「こーうーたーろーうー?」

「……」

「ちょっと無視するなこら」

 

 机の下でぺしっとユウヒの蹴りが脛に当たる。

 別に痛くはないがあまりのしつこさに根負けして、ユウヒに視線を戻す。

 

「幸太郎、僕、真剣な話をしてるんだよ」

 

 じっと俺を見つめる瞳は夕日色。この目に見つめられると、弱い。

 自分のことを偽って隠すことが難しくなってしまう。

 

「……木霊の時とは、ちげえよ」

 

 でも、それでも、俺が納得してないことと、俺が何かをしていいかはまるで別の話だ。

 

「セナが自分で考えて出した結論だ。それを俺が納得できないって理由で邪魔するのは、俺のエゴだ。それは、たぶん、正しくないこと……な気がする」

「えー、キミ、それ本気で言ってるの……って、うわ、本気だ。本気で気が付いてないんだ」

 

 うわーとか言って若干引いてるユウヒ。

 

「俺、間違ったこと言ってるか?」

「いや間違ってはないけど……、今回に関してはちょーっと、臆病過ぎじゃない?」

「どういう……?」

「や、だってさ」

「なんだか難しい話をしてるんやねぇ」

 

 言いかけたユウヒを遮るように、俺の傍にコト、とコーヒーのお代わりが置かれた。

 目線を向けると、いつの間にかやって来ていた姉さんが自分の分のコーヒーを片手に、俺の隣に座る所だった。

 一つ、二つ、三つ。卓に備え付けてある瓶の中の角砂糖を拾いつつ、姉さんは俺に問いかける。

 

「幸太郎はさ、他人にどれくらい本音を言う?」

「急に何だよ? 本音って、そんなの」

「あんま言わへんよね。大事なことほど、相手には隠したくなっちゃうタイプ。違う?」

「……さあね」

 

 四つ、五つ、六つ。七つ目をカップの中に入れたところで、姉さんは持ってきていたミルクをとぽとぽと注いでいく。真っ黒の鏡のようなコーヒーに白い渦が生まれる。

 

「でもさ、それって幸太郎だけなんかな? 他の人も、人に言えない気持ちがあるんやない?」

「セナもそうだって?」

「幸太郎はどう思う?」

 

 姉さんはミルクをすっかり入れてしまうと、カップの中をスプーンでかき混ぜる。

 ぐるぐる、ぐるぐる。白と黒が混じり合い、薄く、淡くなる。黒でも白でもない。曖昧で、はっきりしない色。

 まるで、俺の今のセナへの気持ちみたいだ。

 

 納得はしてない。放っておきたくない。自分の出した解決策が正しいとも思わない。

 でも、それは俺が踏み込んでいいことなんだろうか。

 

「これはうちの話じゃないんやけどね」

 

 姉さんの声に顔を上げると、姉さんは目を瞑ったままコーヒーに口をつけているところだった。

 どろどろに甘いであろうその液体をほんの少し喉に流すと、姉さんはぱちりと片目だけを開けて薄く笑んだ。

 

「女の子は、本当の自分の気持ちほど、言葉にできないものなんやで?」

 

 ―――ファンのみなさんが怪我する前に、スタッフさんが上手く抑えてくれたので、大事にはならなかったんですよ? ただ――。

 ―――せんぱいには、魅了は効かないんですね。――せんぱいに問題がないなら良かったです!

 

 脳裏にこれまでセナと話したときに、彼女が何かを言い淀んだときのことが思い起こされた。

 アイドルに相応しい明るい笑顔。見ているだけでこちらも心が上向くような表情。

 もしかしてその裏に、その笑顔に隠されていた言葉にしなかった何かがあるのだとしたら。

 

 俺は、何かをするべき……いいや、何かをしたいんじゃないか。

 

「お、いい顔になったじゃん、幸太郎」

「答えは決まった?」

 

 ユウヒが俺の顔を見て嬉しそうににひ、と目を細め、姉さんが問いかけるように横から俺の瞳を覗き込む。

 

「……正直、まだわからない」

 

 セナが何を考えているのか。セナが本当は何をしたいのか。セナのために俺が何ができるのか。

 

「だから、確かめてみることにする」

 

 だって、『セレナーデ・アウロラ・竜宮』という魅了の人魚の少女のことを、『LENA』というアイドル歌手のことを、俺はまだ知らないことばかりなのだから。

 

「……にしても、ふふ、ケルベロス、オマエさあ」

「あん?」

 

 俺が拳を握って気持ちを新たにしたところに、ユウヒが姉さんを見て小馬鹿にしたようにいじわるに笑う。

 

「女の子(笑)とか。そんな歳じゃないでしょ、年増ケルベロスさん?」

「あー? なんかセナの練習を手伝っておいて一ミリも役にやってないペチャパイ天使の囀りが聞こえるけど気のせいやろか?」

「んだとお!? 役に立って……立って……立ってたこともあるよお!」

 

 ……はあ。この二人は一緒の空間に置いたらお互いの悪口を言わずにはいられないのだろうか。

 

 

 

 

「くあ……」

「ふわーあ……」

 

 週末、俺とユウヒは欠伸を噛み殺しながら、駅前のライブハウスへと向かっていた。

 

「せっかくのLENAちゃんのライブなのに、こんな寝不足なんて不覚だよ」

「仕方ないだろ……くあ……」

「むにゃ、幸太郎が寝せてくれなかったせいだからね」

「お前本当にその言葉足らずで俺の株を底辺に落とすのやめろ」

 

 目をこすりながら歩くユウヒに釘を刺しつつ、道行く人の会話に耳を傾ける。

 

「あー、緊張するわ……LENAのライブなんていつぶりだよ?」

「というか、LENAのライブがこんな所であるとか信じられないかも」

「へー、LENAのデビューってこのライブハウスだったんだ!」

「このライブハウスの爺さんにはオレも世話になったし、LENAみたいに恩返しで明後日ここでライブする予定なんだ。ちょっと比べるのはおこがましいけどよ」

 

 友人と歩いている高校生くらいの男子。感極まったように語る女性。隣の友人に教えられた情報に驚く社会人っぽい男性。革ジャンをハードに着こなすいかにもバンドマンと言った雰囲気のお兄さん。

 みんながLENAの話をして、同じライブハウスを目指していた。

 

「やっぱりすごい人気なんだな、LENA」

「ったりまえよ! 今日はもう事前でチケットは売れちゃってるけど、それでもワンチャン求めてライブハウスに来る人もいるらしいからね」

「ああ、なんかそわそわしてる人がいるのはそういう理由か」

「ん。まあ、LENAも今日ここで歌うことはあんまり宣伝してないから、本格的にごった返すことはないとは思うけどね」

 

 ライブハウスがだいたい100人くらい入るサイズだっていうから、アリーナを一人で埋め尽くすアイドル歌手が宣伝なんかしたら、どう考えてもパンクするか。

 セナはあくまでもライブハウスのオーナーに恩返しをしたいってだけみたいだし、そんな混乱が起きるのは本意ではないよな。

 

「あ、ここじゃない幸太郎。今日のライブハウス」

 

 そうしてしばらく歩いて、俺とユウヒはお目当ての場所にたどり着いた。

 ライブハウス『シーレーン』。今を時めくアイドル歌手『LENA』が初めて人前で歌った場所で、自分の歌を終わらせようとしている場所。

 

 裏路地のビルの地下にあるライブハウスに向かうために俺とユウヒは階段を降りると、受付の店員さんにチケットを見せて中に入る。

 ライブハウスの中には既に少なくない客がいて、誰もがどこか熱に浮かされたように興奮気味に話している。その理由がLENAにあることなど、今更確認されるまでもないことだった。

 

 ……みんな、LENAが歌うのを楽しみにしているんだろうな。

 

「幸太郎、緊張してる?」

「なんで俺がするんだよ。するならセナだろ」

「お、うそつきみっけ~。幸太郎、そろそろ学習したら~?」

「……はあ」

 

 ガシガシと頭をかく。普段はポンコツなんだから今もポンコツでいてくれよ。

 

「正直、してる。俺なんかがセナに踏み込んでいいか、わからない。ここまで来ても、俺はそんなことをだらだら考えてる」

「いいんじゃない? そうやって悩みつつ、進もうとすることはキミたち人間の美徳だよ。がんばれがんばれ」

「軽く言ってくれやがる。それで俺が失敗したらどうするんだよ」

「んー……」

 

 ユウヒは唇に指を添えて、少し考え込むそぶりを見せた後、目を細めて微笑んだ。

 

「僕がいっぱい頭を撫でて慰めてあげる! なんてたって僕はキミの守護天使だからね!」

「いらね~」

「にゃにおう!?」

 

 ユウヒががうっと俺に唸り、その後少しだけまた笑って俺の背中を叩いた。

 

「ま、そういうわけだから、気軽に頑張ってきなよ、幸太郎」

「……おう」

 

 ユウヒに背中を押されて、足を進める。今まで見えなかった、彼女の本当の気持ちに触れるために。

 

 

 

 ――人魚は恋をすると、最後は泡になって消えてしまうらしい。

 

 それを読んだのは何歳の頃だったろう。まだお母さまが生きていたころだから、きっとすごく小さなころ。

 誰かを好きになって、声を失って、けれど報われずに泡になって消えていく。

 悲しい話だ。報われない話だ。ひどい話だ。

 

 でも、それ以上に、とてもきれいな話だと思った。羨ましい話だと、そう思った。

 

 自分の声を失ってまで夢中になれるものが見つかったその人生は、きっと輝いていると思ったから。

 例えその結末が、泡になって消える悲劇だとしても。

 

 変わらず愛せるものがあることに救われる人生に、憧れたんだ。

 

 だから、歌を見つけた時、これがわたしの人生を輝かせるものだと思った。

 人魚姫が王子様に出会えたように、わたしは歌に出会えたんだと思った。

 

 それからはずっと夢中だった。最初は上手くいかなかったけど、ネットにアップしていろんな意見を貰ったりして。

 パパの紹介でこのライブハウスのオーナーと知り合って、歌を歌う道を開いて貰えた。

 

 ほんとうに、ほんとうに夢みたいな日々だった。

 

「……だから、終わらせなきゃね」

 

 ライブハウスの控室で自分の手を握って、呟いた。

 

 今日、わたしは『LENA』としての活動を終える。

 わたしには魅了の力が制御できない。そのせいでこれからもたくさんの人に迷惑をかけるだろう。

 たくさんの人を『魅了』で騙して、傷つける。

 

 そんなのわたしが夢中になった歌じゃない。わたしが憧れたものじゃない。

 

 だから、やめなきゃダメなんだ。

 

「セナ、そろそろいいか?」

「あ、はい。だいじょうぶです」

 

 ノックの音に返事を返すと控室の扉が開いて、初老の男性が入ってくる。このライブハウスのオーナー、わたしにとっては歌うことを教えてくれた先生でもある人だ。

 

「悪いね。こんなせまっ苦しい場所に天下の歌姫様を押し込めてしまって」

「ふふ、いまさらですよ。わたしがここで何回歌わせてもらったと思ってるんですか。もう我慢できますよ」

「言いやがる」

 

 オーナーが自分の髭をさすって、悪戯っぽくにやっと笑った。それにつられてわたしも思わず小さく笑ってしまう。

 

「しばらく活動を休んでいたからちょっと心配していたが、見た限り変わりないみたいだな。近いうち、復帰は考えてるのか?」

「――――はい、そうですね。学業が落ち着いて、また歌に集中できるようになったら考えてみようと思います」

「おお、そりゃいいな。楽しみにさせてもらうぜ」

 

 オーナーがわたしの言葉を疑った様子はない。わたしは上手く笑って、上手く答えられたようだ。

 これでいい。オーナーがわたしが歌をやめると知れば、きっと気を揉んでくれるだろう。せっかくこのライブハウスを閉めて、のんびり隠居しようという人にそんな心配をかけたくない。

 

「そう言えば、せんぱいって来ましたか?」

「ああ、セナの言ってた控室に通してほしいって知り合いか? いや、まだ来てないが……まずいのか?」

「……いえ。ただ、もしわたしを尋ねて来たら、わたしのところまで通してくれますか?」

「構わないが、何か用事でもあるのか?」

「ちょっと、届け物をしてもらう予定で」

 

 不思議そうに首をかしげるオーナーに「大したことじゃないんですけどね」と付け足して、控室から出て舞台袖に向かう。

 

 たくさんのステッカーと、グラフィティの書いてある廊下。まだ歌を始めたばかりの頃は、年季の入ったこの道を緊張と、少しの高揚感と共に通っていた。

 でも今のわたしにあるのは、自分に特別なものなんてなかったという諦観だ。

 

 そのことが少しだけ寂しいけど、でももう決めたことだから。

 

 廊下を進むごとに、お客さんのざわめきが大きくなっていく。

 みんなわたしの歌を楽しみにしてくれているのに、わたしはこれからここにいる人たち全てを騙す。

 

 せんぱいと木霊ちゃんの力を借りて、わたしの歌を無害にして貰うのだ。

 その代わり、流れる歌はわたしが歌ったそのものではない。そのことに気づく人はいないかもしれないけど、騙すことには変わらない。

 でも、仕方ない。こうでもしなきゃわたしの魅了の力でたくさんの人を傷付ける。

 

 だから、これでいいんだ。

 

 そう思って舞台袖に近づいて、そして、そこで一人の人がわたしを待っているのに気が付いた。

 

「せんぱい、来てくれたんですね」

「まあ、約束だったからな」

 

 いつも通りの高校の制服。舞台袖で椅子に座っていたせんぱい――『現人神』篝幸太郎は、立ち上がってわたしに向き直る。

 不思議な雰囲気を持つ人だと、改めて思う。わたしと違って正真正銘の人間なのに、どこか浮世離れした雰囲気がある。

 同じ世界に生きているのに、見ているものは少しだけ違うような。ほんの少し目を離したら、風に攫われて消えてしまいそうな。

 

 そんな不思議な人だ。

 

「すごい人だな」

 

 せんぱいは舞台袖の方に目を向けて、淡々と呟いた。聞こえてくる声と、人の熱気。それを確認するような言葉。

 

「みんな、セナの歌を聞きに来てるんだな」

「そうですね」

「でも、君が聞かせるのは君の歌じゃなくて、木霊の録音した音だ」

「……それでいいって、言ったじゃないですか」

「ほんとうに?」

 

 いまさら何を言っているんだろう。わたしはそれでいいって言ったんだ。

 それを、ここでまた聞くのか。

 

「何が言いたいんですか、せんぱい。せんぱいは、わたしに力を貸してくれるって――――」

「木霊の録音はなしにしよう。さっき、木霊にはそう頼んで来た」

「え?」

「アイツには一度木霊の中に音を響かせて、それを観客に聞かせ直すって言う、魅了の『ろ過』みたいなことだけをしてもらうつもりだ」

「な、に、を」

「大丈夫だ。こっちの方法なら、マイクを通すのと変わらない。セナがちゃんと歌ったことになるはずだ」

 

 ――――な、に、を。

 

「いって、るんですか!」

 

 思わず声を荒げてしまった。自分からこんな声が出るなんて思わなくて、でも抑えることもできず、矢継ぎ早にせんぱいに言葉をぶつける。

 

「わたしの歌は人を『魅了』してしまうんです! そのせいでたくさんの人を傷付けて、人の気持ちを捻じ曲げる! こんなの普通じゃない。ひどい力です。気持ち悪い、力です」

 

 視界が滲む。せんぱいの姿が歪んで、目が熱くなる。

 

「こんなわたしが歌なんか歌うべきじゃない。歌っちゃいけない。こんな、誰かの心を自分の望むように変えてしまう人間なんて、歌手をやってちゃいけないんです」

 

 ため込んでいたものを吐き出して、地面にへたり込んだ。視界が歪んで、頭が熱くなって、足が揺らいでもう立っていられなかった。

 

「もう、いいんです。わたしは、納得してるんです。なのに、せんぱいはわたしに、自分で歌うべきって言うんですか。魅了の力で、人を騙せって」

「違う。ただ、俺はセナに諦めてほしくないんだ」

 

 諦めるって、そんなの。

 わたしが何かを言いかけるよりも早く、せんぱいはしゃがんでわたしと目線を合わせた。

 

「怖いよな、『魅了』の力なしで歌うのは。だから、いつも迷ってたんだろう?」

「――――なん、で」

 

 うまく隠せていた思っていた。誰かに気づかれたことなんてなかったのに。

 

「いや、俺も自信があったわけじゃなかったんだけど、ちょっと姉さんに、背中押されてな」

 

 せんぱいはぽりぽりと間を持たせるように頬をかく。

 

 そうだ、わたしは怖かった。

 わたしが好きだと思った歌が、わたしのたった一つの夢中になれるものが、実は『魅了』のおかげで成り立っただけだと思い知らされるのが。

 得意なことなんて一つもない。自信に持てることなんて一つもない。

 

 そんなたった一つが、最初から『魅了』でズルをしていたからなんて、わかったら、きっと耐えられない。

 

 そんなことを思い知らされるくらいなら、わたしが信じたものがあるうちに、歌をやめてしまった方が楽だった。

 

「それも、せんぱいは許してくれないんですか……諦めることも、だめだって……」

「ああ。だって、セナの歌が誰からも愛されているのは、魅了とは関係ない。だから、諦めるべきじゃない」

「そんなの、せんぱいにはわからないですかっ」

「いや、わかるさ」

 

 せんぱいはわたしの目を覗き込んでから、スッと制服のポケットからスマホを取り出した。

 そのスマホに映っているのは……わたしの、ライブ映像?

 

「セナの歌全部聞いた」

「へ?」

 

 全部って……へ? え? だってわたしの歌って、歌ってみたとか合わせたらめちゃくちゃ色々あるんだけど……。

 

「デビュー曲の『may B』は当然聞いたけど、俺はセカンドアルバムの『ウタカタ』も結構好きだったな。あのメロディラインが好みだ。タイトルで言ったら『human hydrate』が印象的だ。人の水溶物ってセンスがいい。初めて自分で歌詞を書いた歌だよな? それ以降の『声なき声を聴いて』と『アオイシオ』にも繋がる、独特の世界観があそこで生まれている気がする。それで言うと『迷走トライアングル』の迷子になったって話をあそこまでかっこよく表現できる技術には舌を巻いたけど……あれはちょっと、誇張が入ってるんじゃないか? ああ、でも他の人に書いてもらった曲でもセナはかなり一流だと思うよ。『水泡にkiss』『Happy marriage blue』『1等☆』『ノドボトケ』、どれも見劣りしてるとは思わないし、むしろ新しい歌い方が生まれてて、あのコラボはいい企画だったと思う。惜しむらくは、俺が当時発表されたときの熱を共有できなかったことだな。あ、児童番組での『お魚サンバ』のダンスはまあ、うん、頑張ってたと思うよ。アニメ主題歌の『絵ソラ言』のMVの時は上手くなってたし、あれもいい経験だったんだろうな、うん。あと――――」

「ちょ、ちょ、す、すとっぷ! すとっぷです!」

「ああ、悪い」

「え? せんぱい、わたしの歌全然知りませんでしたよね」

「だからここ三日くらい徹夜だよ。眠くて仕方ない」

 

 こしこしと目を擦るせんぱいは、「あと」と何でもないことのように言葉を続けた。

 

「あと、デビュー前の『lullaby』として活動してた時のも聞いた。なんか消されてるのも結構あったから探すの苦労したよ。ユウヒと二人で探したんだけど、大変でさあ」

「は、はい!?」

 

 い、いい、いまなんて!?

 

「ら、ららばい!? それわたし隠してるんですけどお!? あのころのわたし歌すごく下手だし、そ、そもそも発言が……」

「まあ、けっこう愛嬌ある言動だったな。頑張って歌ってる感じが俺は好きだったよ」

「うにゃああああああ!」

「あ、ほらlullabyのころの自作の詩も見たんだ。『わたしは花 この孤独な世界で――――」

「い、いくらせんぱいでもそろそろ叩いちゃいますよ!?」

 

 思わず目の前のせんぱいの襟首をつかんで言葉を止める。

 

「どこで! 知ったん! ですか!」

「まあ、そこは気合で。ユウヒの耳は確かだったし、なんかそれっぽい動画サイトとかをローラーでな。途中でセナの初期からの追っかけファンの人と知り合えたのはラッキーだったよ」

「な、なな、な……」

「あの頃から比べるとめちゃくちゃ上手くなったんだな、セナ」

 

 なにかを言おうとするけど、恥ずかしさなのか、怒りなのか、とにかく言葉が出てこない。

 ただ、ぱくぱくと口を開いて閉じてを繰り返すことしかできない。

 

 そんなわたしの肩をぽん、と叩いて、せんぱいはほんの少し微笑んだ。

 不器用に、でも優しく、わたしを励ますように。

 

「セナの歌を全部聞いた俺が断言する。LENAが、lullabyが、セレナーデ・アウロラ・竜宮の歌が愛されたのは、君が頑張ったからだ」

 

 だから、とせんぱいは続ける。

 

「セナは自分の歌を諦めるべきじゃない。自分の歌を卑下するべきじゃない。だって、こんなに頑張ったんだ。こんなに、素敵な歌なんだ。俺、すっかりファンだよ」

 

 最後の一言はちょっぴり照れたように付け加えて、せんぱいは立ち上がってそっぽを向いた。

 

「……でも、それがせんぱいの思い込みだったら? みんながわたしからそっぽをむいたら?」

「そんなことにはならないさ。というか、録音の音源でも売れまくってる時点でいまさらじゃないか?」

「木霊ちゃんでもわたしの魅了を抑えきれなかったら、どうするんですか」

「んー、なら、その時は俺たちが暴走したお客さんみんな抑えてやるよ」

「せんぱいたちが?」

「ああ。お前の生歌を聞けるお代と思えば安いくらいだ。きっとユウヒも「任せておいてよ」って胸張るさ」

 

 脳裏にユウヒさんのドヤ顔で胸を張る姿が浮かんだ。

 すこし、心が軽くなる。ずっともやついていた気持ちがいくらか晴れて、前をむこうと、そんな気持ちになる。

 

 せんぱいが「大丈夫」と言ってるだけなのに、わたしがこんな気持ちになれるのは、せんぱいが現人神だからなのかな。

 それとも、もっと違う理由が、せんぱいにはあるのだろうか。

 

 だから、聞きたくなった。

 せんぱいが「セレナーデ・アウロラ・竜宮(わたし)」をどう見ているのかが、知りたくなった。

 

「わたしがずっと魅了を制御できなくて、それに誰からも見向きされなくなって、わたしの歌に価値がなくなったら、わたしはどうしたらいいんですか」

 

 その質問にせんぱいはまた少し考え込んで、そしてわたしに目を向けた。

 とても澄んでいる、鏡のような瞳だった。

 

「ならその時は、俺に向けてでも歌ってくれよ。俺は絶対魅了されない」

 

 そして彼は薄く微笑んで、わたしに手を差し伸べてくれた。

 

「なんたって、俺は神様だからさ」

「――――」

 

 その言葉が、すごく深く、胸の一番奥、とても大切なところにしまわれた気がした。

 

 ああ、なんだろうこの気持ち。ずっとざわざわしていたものが、落ち着いた気がする。

 ううん、もっと、温かいものに変わったんだ。

 

 きっと、これが「変わらないもの」だ。

 人魚姫が憧れて、そう生きようと決めさせてくれた、きれいな想い。

 

 その光が、今のわたしの胸に差している。

 

「せんぱい、ものすっごく贅沢なこと言ってます」

「そうか?」

「そうですよ。わたし、新進気鋭のアイドル歌手、『LENA』なんですよ? そのわたしを独り占めなんて」

 

 ああ、なんてわがままな人だろう。なんて怖いもの知らずな人だろう。なんて、わたしに都合がいい人だろう。

 この人はわたしがどんなわたしになっても変わらず歌を聞いてくれるんだ。

 

 そのことがたまらなく嬉しくて、満たされていて、思わずくすくすと笑ってしまった。

 

「せんぱいは、ほんとうに、わがままです」

 

 差し出されていたせんぱいの手を取ると、立ち上がる。

 

「頑張れそうか?」

「今更それを聞くんですか?」

 

 覗き込むように問いかけて来たせんぱいに微笑みと共に、そう答えた。

 そして顔を叩くと、お客さんが待つステージに向かう。

 

「答えは、客席でわたしの歌を聞いてから判断してください!」

 

 最後に、せんぱいに特大の笑顔とピースサインを見せつけて。

 

 

 

 

 ステージに出て来たLENAを見た時、観客は何を思っただろうか。

 久々に歌が聞けることの期待だろうか。長く休止していることへの不安だろうか。それとも、初めて彼女の歌を聴く人もいるのだろうか。

 

「みなさん、おひさしぶりです。はじめましての人も、いるかもですね。最近はちょっといろいろな都合でお休みさせていただいてんですけど、今日はお世話になったここが閉まるっていうことで、無理言って歌わせてもらうことになりました」

 

 ただ、俺がステージの彼女を見た時に思ったのは、「すごく嬉しそう」だった。

 

「今日はこの場所と、聞いてくれる人みんなに感謝を込めて、歌います」

 

 マイクを握り、セナが瞳を閉じる。表情から色が消える。空気が凪いで、観客すら息を止めた。

 

「曲は――――『アオとキス』」

 

 メロディと共にLENAが歌い始めると、その歌には感情が乗る。その表情には色が生まれる。

 にこやかな笑みと、軽やかな歌声。メッセージのある歌詞と、頭に残るメロディ。

 すべてが一つになって、一つの曲を作り出す。

 

「LaLaLa……」

 

 それは以前練習の時に聞かせてもらったLENAの歌だった。でもあの時とは歌にこもった想いが違う。

 あの時は「わたしを見て」という想いが詰まった歌だった。

 歌うことに迷い、恐れ、自分が見えなくなった彼女がすがるように歌うのではない。

 

 いま伝わるものは、とてもシンプル。

 ただ、「歌うことが大好き」と、そう言っているようだった。

 

「ずっと、それが言いたかったんだな」

 

 何かを言いかけて、笑顔に思いを隠していたセナ。

 俺はそれが何かを察してやれるほど頭が良くなくて、あの子のために何をやるべきかがわからなかった。

 だから、セナの過去の歌に聞くことにした。

 そこにはきっと、セナの本当の気持ちがあると思ったから。

 

「……ああ、いい歌だな」

 

 観客席の一番後ろ、壁に背を預けてセナの歌に心を預ける。

 人の心を強引に変えてしまうのではない、セナ本来の人の心に優しく寄り添うようなメロディ。

 

「悪い男やね、幸太郎」

「……姉さん?」

 

 ふと、気づけば俺の隣にはいつのまにか姉さんがやって来ていた。

 

「いま、木霊に力を使わせてへんのと違う?」

「姉さんにはバレちゃうか」

 

 そうだ、今木霊には『魅了』のろ過をしてもらっていない。一応、セナのそばで待機してもらってはいるが、きっとあの子の力が必要になることはないだろう。

 

「もちろん『魅了』の力がまだ暴走してたら木霊に頼むつもりだったよ。でも、ライブ前のセナの表情を見たら、まあ大丈夫かなーって」

「ああいう能力はちょっとしたきっかけ一つで制御できるようになるしなぁ。上手くセナを勇気づけられたんやね」

「いや、違うよ。セナが頑張ったからだ。勇気を出せたからだ」

「そうなん?」

「そうなんだよ。絶対に」

 

 ステージの上で、セナが明るい笑顔で歌っている。

 セナにはいろんな表情があったけど、きっとあの笑顔は本物だ。

 

 その笑顔のために、俺が手助けできたことは、嬉しい。

 

「ふふ」

 

 ふと、隣で小さな笑い声が聞こえる。思わず隣に目を向けると、姉さんは俺の顔をじっと見つめて、微笑みを浮かべていた。

 

「良かったね、幸太郎」

「良かったのはセナだろ? 俺じゃない」

「そ?」

 

 姉さんは俺の言葉を軽く受け流すと、つま先で立って背伸びをすると俺の頭に手を伸ばした。

 そして姉が弟にそうするように、なでなでと俺の頭を撫でた。

 

「よく頑張ったね、幸太郎」

「……子ども扱いするなって、前も言ったろ」

「嫌やった?」

「嫌だ」

 

 苦い顔で俺が答えると、姉さんはいつものように小さく笑うのだった。

 

 

 ◆

 

 

 実は、どうすれば「魅了」の暴走が終わるのかは知っていた。

 人魚の「魅了」の力の暴走は「発情期」のようなもの。熟練の人魚ならば、自分の力で抑え込むこともできるけど、もっとずっと簡単な方法もある。

 

 それは、誰かに「恋」をすること。

 

 愛する誰かを強く求めるその歌は、愛する一人を見つけることで、その人だけの歌となる。

 

 でも、それはわたしにとってはものすごく遠くて、ありえないものだった。

 

 そう、ありえないものだったのに。

 

「じゃあ、これで諸々の書類の処理は終わりになる。お疲れ様」

「はい。よろしくお願いします、先生」

 

 頭を下げるわたしに先生が、気遣うように声をかけてくれる。

 

「もしよかったら、軽く学校を見ていくか? 必要なら生徒会の誰かにでも頼むが」

「いえ、だいじょうぶです。でも、知り合いがいるので会いに行ってもいいですか?」

「知り合いが? まあ、今は昼休みだし構わんが……」

「ありがとうございます!」

 

 もう一度頭を下げると職員室から出て、廊下を足早に歩く。

 

 ―――人魚は、恋をすると最後には泡になって消えてしまうらしい。

 

 わたしはまだ恋を知らない。

 誰かを好きになることを知らない。

 自分の歌を誰か一人のために捧げる幸福を知らない。

 

 でも、あの日から胸の奥が温かい。あの人のことを考えない日が無い。

 夜になったらベッドの上でぼんやりあの人との会話を思い出したり、意味もなくスマホの連絡先のその名前を見てたりしてしまう。

 電話……は、する勇気はなかったけど、ちょっとメッセージを送ったりもしてしまった。

 

 わたしは、まだ恋を知らない。

 

 でも、なら、この胸にあるものは何なんだろう。

 

「あの、この教室に篝さんっていますか?」

「へ、篝? ああ、窓際にいる……け、ど……な、なあ?」

「お、おう」

「ありがとうございますっ!」

 

 二年生の教室の入り口で扉の傍にいた人に確認をすると、教室の窓際にいるあの人の元へ向かう。

 

「あんな可愛い子いたっけ? うちの制服、だよな?」

「いや、流石にいたら知らないわけないと思うけど……」

 

 窓際の席の前から四番目。なんだか退屈そうに窓の外を見ていた彼に、声をかける。

 

「せんぱい」

 

 わたしがそう呼ぶと、彼はパッと目をこちらに向けた。

 

「せ、セナ!? なんでここに? ここ、俺の学校で、今は平日なんだが……」

 

 普段はどこか掴みどころがない不思議な雰囲気のせんぱいが、珍しくうろたえている。

 そのことが少しだけ、面白くて小さく笑ってしまった。

 

「どうも、お久しぶりです。転校してきました、セレナーデ・アウロラ・竜宮です」

「て、転校……?」

 

 ―――人魚は恋をすると、最後には泡になって消えてしまう運命らしい。

 

 わたしはまだ誰かを愛することを知らない。

 わたしはまだ誰か一人に歌を捧げる幸せを知らない。

 わたしはまだ、この胸の気持ちが、なんなのかを知らない。

 

 だから、知りたい。

 この人の近くで。わたしのこの胸の温かさを。

 

「今日からよろしくお願いします、せんぱい」

 

 だから、せんぱい。わたしが泡になって消えちゃわないか、ちゃんと見ててくださいね?

 

 

 




 
二章、お読みいただきありがとうございました。

めりっとさんから姉さんのイラストをいただいていたので、お礼と共にここに載せさせていただきたいと思います。

【挿絵表示】

幸太郎の前で見せる三つの顔の三つ首ケルベロス、あまりにも良すぎる。
素敵だ……。

いつもお読みいただきありがとうございます。
感想、ここすき、評価など全てありがたく受け取っています。

夕方から3章も更新される予定なのでよろしくお願いします。
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