数日後の放課後、裏庭に向かおうとしていた時、たまたま織姫と鉢合わせた。
「あれ、こーた?」
「おお、織姫か」
人通りの少ない技術棟の廊下だ。放課後にバイトもしている織姫が、こんな時間に残っているのは珍しいことだった。
なんでこんなところにいるのかと思ったが……なるほど、手に持っている大量の教材を見る限り、また面倒ごとを引き受けたらしかった。
「あによ。その顔」
「いや? 織姫も面倒ごとが好きだな、ほんとに」
「べつにそういうんじゃないってば。四ノ宮先生はいまおめでたらしいからあんまり無理させたくないし、それに人の頼みは……」
「見捨てると次の日のごはんが美味しくなくなるだけ、だろ? わかってる」
「お、おお……そう。うん、そう」
「半分持つ。貸しなよ」
俺に先に言葉を取られて驚いている織姫の手から、教材を半分ほど貰って抱えた。
片手で持てはするが、手に伝わってくる重さは、見た目以上だった。
「それ半分より多くない?」
「そうか?」
「そ。かっこつけすぎでしょ。あたしの好感度上げてもどーにもならないわよ」
「ほう、いつの間にか織姫の中で俺の好感度はカンストして上がらなくなっていたのか」
「ちょーし乗りすぎ。あんたの好感度は小学生の頃から据え置きで~す」
「なんだと? ここから下がるしかないというのか」
織姫が荷物を両手で持ち直して歩き出したので、俺もその横に並んで続いた。
俺の視界の斜め下の方で、ふわふわの金髪のサイドテールが揺れる。小学生の頃はもっと近くにこのしっぽがあった気がするけど、いつの間にかちょっと遠くなってしまった気がする。
ふと、織姫と視線がぶつかった。
「織姫どうかした?」
「え? ああ、いや、こーたとあたしってこんなに身長差ができてたんだなーって」
「……おお、驚いたな。俺も同じこと考えてたわ」
「まじ? うっそ。変なところでシンクロしたね」
「まあ、お互い小学生のイメージが強すぎるのかもなあ」
「え、ちょっと。こーたはともかくあたしは小学生のころからだいぶ変わったと思うんですけど?」
「? 変わってないと思うけど、織姫」
俺が首をかしげると、「はあ?」と眉を寄せた。
あ、ちょっといま織姫の勘に触っちゃったかも……。
「変わってないって、あによ、あたしがまだガキみたいだってこと?」
「いやあ、そうやってムキになるところはガキっぽいんじゃ……」
「あのね、言っとくけどあたしがこんな雑に話すのなんてこーたくらい――」
言いかけて、織姫は俺の顔をじーっと恨めしそうに見て、「はあ~」と大きなため息をついた。
「やーめた。こうやって言い返すと本当にあたしが変わってないみたいじゃん」
「だから織姫は変わってないって」
「はあ? まだ言う?」
「変わってないよ」
俺はいつの間にか少しばかり目線を下げなければならなくなった織姫に目を向けた。
「小学生の頃、俺の面倒を見てくれてた優しい織姫のままだ」
「――っ」
「あいてっ」
俺がそう言うと、急にバッと織姫が顔をそむけてしまった。あまりにも勢いよく顔をそむけたから、織姫のサイドテールが俺の顔をぺしっと叩いた。
ちょ、織姫?
「いま顔見ないで! だ、だめだから!」
「見たら?」
「小学生から据え置きだった好感度がついに下がるときがくる」
「十年来の大事件じゃねえか。絶対に見ません」
俺が荷物を持ってしゅばばっと織姫に背中を向ける。
その後ろで、織姫は数度すーはーと深呼吸をすると、俺の膝をげしっと蹴って来た。
「背後からの不意打ちは卑怯だと思わないか?」
「あたしも今こーたからの不意打ちを受けたから五分でしょ」
「俺の記憶にない一撃が発生してる……!?」
俺が衝撃を受けつつ振り返ったら、そのタイミングで織姫が俺の手からひょいっと荷物を奪い取った。
そのまま小走りで本館の職員室の方へと走って行く。
「もうここでおっけーだから。早くこーたは帰りなよ~」
「あ、おい! 織姫!」
「ん~?」
そんな織姫を俺は慌てて呼び止めると、彼女は半身だけをこちらに向けた。
他の生徒よりも少し短いスカートがくるりと弧を描いて、ミルクコーヒーみたいな瞳に俺が映る。
「体調! もう大丈夫か! この前具合悪いって言ってたろ!」
「……ふ、ふふっ。ええ? わざわざ呼び止めてそんなこと?」
「大事なことだ。俺はお前に楽しく生きていてもらわなきゃ困るからな」
「もー、それ真面目な顔で言うんだもんな、こーたは」
俺の真面目な顔がツボに入ったのか、織姫は肩を揺らしてくすくすと笑う。
「あたしは大丈夫。手伝ってくれてありがとね!」
そう言って今度こそ、職員室に向かって走って行った。
「やっぱ、こういうこーたの方があたしはすきだなぁ」
そして、最後に何かを呟いたようだったが、遠くて俺はあまり聞こえなかった。
でも、遠くで一瞬見えた織姫の横顔は、楽しそうだったから、きっと良かったんだと思う。
「……裏庭に行くか」
ちょっと予定は変わったけど、時間で言えば十分くらいズレただけだ。
そのくらい、
◆
「あ、来た来た。遅かったね」
幸太郎が裏庭につくと、そこでは先にユウヒが幸太郎のことを待っていた。
「途中で織姫と会ったんだ。ついでだから色々話しつつ、もう式神がついてないか確認してた」
「おお。どうだった?」
「俺が見る限りもう問題ないはずだな。織姫につきまとってた先輩も今日から学校に来てるみたいだし」
「そかそか。なら良かったねぇ。僕が聞く限りでも織姫は大丈夫そうだったけど、そう言うのは幸太郎の方がわかってるからねえ」
ユウヒは裏庭にあるペンキのはげかけたベンチに腰掛けていたので、幸太郎もその横に腰かけた。
「で、急に呼び出してどうした? 話すだけなら俺の家でも良かったんじゃないか?」
「あはは、それもそうなんだけどねー……」
「?」
ユウヒの言葉の歯切れがどことなく悪い。
幸太郎が不審に思ってユウヒの横顔に目を向けるが、ユウヒはぼーっと空を見つめたままで、幸太郎の方を見ようとしない。
「僕、人間の全てを愛してるけど、まだまだわかってないことがあるんだね~」
ちぎれた雲が僅かに浮かぶ空。遠くを連なって飛ぶ鳥と、グラウンドから遠き聞える生徒たちの声。そんな時間を噛み締めるように、ぼんやりとユウヒは呟いた。
「急にどうしたんだよ」
「や。今回の織姫とかの色々で僕としても色々感じたわけよ。やっぱ僕はまだまだ新米天使みたいだ」
「これからもっと知っていけばいいさ。ユウヒが地上に来てまだ三週間とかだろ?」
「まあ、そうだね」
やっぱり、どことなくユウヒの歯切れが悪い。
自分で呼び出しておいて、ユウヒが話をどこに持って行こうとしているのか、幸太郎には全くわからなかった。
「あーあ、次があるならもう少しいろんな人に関わってみようかな。今回は、手のかかる幸太郎につきっきりだったからさ」
にしし、と笑うユウヒはまだ幸太郎の方を見ようとしない。
「なんか変だぞお前。なんだよそんな最後みたいなこと言って」
「最後だよ」
静かにそう言って、ユウヒは続ける。
「昨日ね、こっそり幸太郎の寿命を見たんだ。そしたら、死の運命はきれいさっぱり消えてたよ」
「え?」
「やー、あと二週間はかかると思ってたんだけどね! こんなに早く達成しちゃうなんて、幸太郎が頑張ったおかげかもね?」
一瞬、ユウヒが目を伏せた。だが、今度はすぐにあははと明るく笑って顔を上げて立ち上げると、幸太郎に背を向けた。
「ふふ、惜しいなー。せっかくこの街が好きになってきたところだったのにさ~。友だちも増えたし、食べ物は美味しいし、セナちゃんとも日常的に話せる距離にいれるようになったし……」
「お前最後の理由がデカかったりしないか?」
「あっはっは、まさかあ~」
幸太郎から顔は見えないが、めちゃくちゃ目が泳いだ気配がした。
「まあ、でも幸太郎と別れるのも……ちょっと、惜しいな。キミ、いい人間だからさ」
「……さよで」
「あはは! 照れてるなあ! ま、なんてね! 僕は天使なので! 過度に人間に肩入れはしないよ! キミは僕の最初の迷える子羊くんだから、ちょーっぴり特別に扱いはするけどね」
誤魔化すように笑って、ユウヒは振り返る。
「じゃあ、僕はそろそろ天界に帰る準備をしようかな! まー、といっても大した荷物もないから、軽く事後処理するだけなんだけど」
「……もし帰るのなら、送別会くらいさせろよ」
「お、いいね。あ、でもでもケルベロスの店はヤだからね? あいつ、うるさいし」
「お前最後まで姉さんと仲良くならなかったな……」
「普通に嫌いだからね。あいつ、なんか上から目線でうるさいし」
ユウヒはさらっと言い放つと、幸太郎に一歩歩み寄った。
「僕がいなくなっても善行をやめては駄目だよ? キミは現人神なんだし、そうでなくてもキミは人助けをしてるのが似合ってるんだし」
「えらそうに」
「実際偉いので! そんな風じゃ、今後生きていくときに苦労し―――――え?」
それまで幸太郎と談笑していたユウヒから、ふっと表情が消えた。そして、すぐに困惑したように瞬きを数度。
「な、なにかの間違いだよ。ありえない、だって、ありえない」
ありえない、と呟いてユウヒはもう一度幸太郎を覗き込む。
だが、それを覗いても尚、ユウヒの表情は変わらない。むしろ、その困惑は濃くなっている。
「寿命が、減っていってる……?」
ユウヒの目に映る幸太郎の寿命が、恐ろしい勢いで減っていく。
この三週間あまりでした人助けで確かに増えていたはずなのに、驚くほど濃かった死の運命も薄れていたはずなのに。
「ま、待って! 幸太郎はちゃんと人助けをしていた! 善行は積んだ! それで運命は変わっていってたんだ! だから――」
ユウヒが叫ぶが、それでも幸太郎の寿命は減り続け、数秒後、残り七日を指したところで、ぴったりと止まる。
七日、つまり幸太郎とユウヒが出会ってから、ぴったり一か月となるその日。
「な、なんでこんな、いや、それよりも原因を……で、でも残り七日って……」
ユウヒが幸太郎のもとまで駆け寄ると、幸太郎の制服の胸元を掴んで声を挙げる。
ユウヒは幸太郎から見ても、今まで見たことがないくらい慌てていて、それでいて必死に寿命が延びない原因と、どうすれば目の前の少年が助かるかを考えてくれていた。
あまりにも痛々しいユウヒを見て、幸太郎は少し目を伏せた。
「……やっぱり、駄目か」
そして、優しく、胸元を掴むユウヒの手を解いた。
「え……? なに、を?」
「俺の状態ってさ、結構異常なんだよ」
そして、幸太郎は淡々と語り始めた。困惑して、幸太郎に解かれた手と、幸太郎の顔の間で視線を行き来させるユウヒを置いてけぼりにして。
「俺って、現人神だろ? だけど、本来神様の役割ってのは人間の器なんかに入れられるもんじゃないみたいなんだよな。だけど、俺は元々人外たちを見る適性があったから、それをかろうじて抑え込めてるらしいんだ。けど、それも完璧じゃなくてさ」
「なに、を?」
「前、ユウヒは『幸太郎が死ぬ運命を与えられたのは『世界の修正力』のせいだよ』って言ってたよな? たぶん、それは合ってると思う。だけど、お前が言ってたみたいな、不運から与えられたんじゃないんだよ」
「なに、を……?」
「俺は、『人なのに神である』という矛盾から、死ぬ運命を与えられている。俺という存在そのものが、変えられない死を引き寄せている」
「なに、を、いってる、の」
「気づいたのは木霊のことの少し後かな。なんとなく、日に日に俺を絡めとるものが増えてる気がした。それで、セナのことと、織姫のことが終わってもそれが変わらないから、ああ、これが運命ってやつなのかってな……」
「何言ってるのって言ってるんだよ! 僕は!」
言葉を遮るように声を挙げたユウヒには、幸太郎は困ったように薄く微笑んだ。
だからユウヒに今の状況が端的に、正確に、間違いなく伝わるように、結論を述べた。
「俺の寿命は変わらないんだよ、ユウヒ。きっと、世界が俺に死ぬことを求めているから」
そう、幸太郎は静かに言葉を締めくくった。
可能な限り柔らかい微笑みを添えて、まるで諭すように、優しく。
「な、んで?」
対してユウヒは唇を震わせて、かろうじて一つの言葉を絞り出した。
「なんで、そんな自分が死ぬことを、満足した顔で話せるの……?」
そう言われた幸太郎が、また困ったように頬をかいた。
その仕草はあまりにも普通だった。ユウヒが他愛もない冗談を言った時と同じ、間をつなぐための仕草。
天使ユウヒは、篝幸太郎の守護天使だ。
篝幸太郎の嘘を見通し、きっとこの三週間あまりで、誰よりも彼の心に触れた。
そう思っていた。
けど、いまはあんなに近く思えた『篝幸太郎』が、ただ遠かった。