俺たちはアーケードを出て、街路樹に沿って歩き出した。休みということもあって時折人とすれ違うことはあったが、それも次第に少なくなっていった。
「色々あったね、僕たちも」
「急だな」
「ちょっとこういう真面目な話もしたくなってさ。なにせ、最後かもしれないわけだし」
「最後、ね」
俺とユウヒが出会ってもうすぐ一か月。俺の寿命が尽きると言われている期限まであとと少し。
だが、どんなに人助けをしても寿命が変わらないのなら残りの時間に大きな意味はない。
俺とユウヒのこの時間は、もうすぐ終わってしまうのだろう。
もしかしたら、死後で俺がユウヒと会えることもあるのかもしれないが。
「この街路樹、木霊ちゃんがいる道だよね」
「だな。今は当の木霊はいないんだろうけど」
「んー、いい風が吹くなぁ。こういう時に空を飛んだら気持ちよさそう」
「今からでも飛んできていいんだぞ?」
「あはは、それも悪くないね。この街はいい街だから。空から見ても、きっと綺麗だろうね」
びゅうと風が吹いた。ふと隣を見た時、髪が巻き上げられそうになるのを片手で抑えたユウヒは、とても静かで、優しい表情をしていた。
そして、ユウヒはその表情のまま、一歩踏み込んだ質問を投げかけて来た。
「幸太郎はさ、死ぬまでに先代の神さまのこの町を、良い町にしたかったの?」
……そうだな。
「ユウヒはそう思うのか?」
「なんとなくね。今日一緒にいて、幸太郎があんまりにもこの町のことを愛おしそうに見てるから」
「だとしたらちょっとお前の見込み違いだな。俺は今日この町をずっと中途半端な街だと思ってたぞ」
「それは、そうかもだけど……でも、キミの目にはそれよりも大きな気持ちがあったよ」
「冗談だろ?」
「してたよ」
俺が茶化すように笑ったら、ユウヒはふるふると薄く微笑んだまま首を振った。
「してた。幸太郎は、桜加町のことをとても大切にしてる」
……参ったな。ちょっと、誤魔化せそうにないな。
「俺と神さまの話は姉さんに?」
「うん。ほんとはキミに聞くべきだったんだけどね。ごめんね」
「いいよ。別に隠してたわけじゃないし」
ただ、なんとなく、ユウヒには伝えにくかっただけだ。
横断歩道の信号が赤くなる。俺たちは横断歩道の前で止まると、目線は合わせないまま会話を続けた。
「ユウヒには軽く話したことあったよな。俺が小さいころ人間じゃないものが見えて、色々困ってたって話」
「うん。なんもわからなかった幸太郎を助けてくれたのが先代の神さまなんだよね」
「ああ。だから、神さまは俺の憧れだった。あんな風に生きたいって、あんな風な大人になりたいって思わせてくれた。困った時には導いてくれて、上手くできた時は褒めてくれた」
「いい人だったんだね」
「ああ。いい人だった」
今でも、目を閉じるとあの人の顔を思い出す。
今でも、重いでに浸るとあの人の声が聞こえてくる。
今でも、初めてあの人が俺に差し伸べたくれた手の温かさを覚えている。
だからこそ、俺はあの人みたいになりたいと思ったんだ。
信号が青に変わる。俺たちは横断歩道を渡って、またしばらく歩く。
「でも、そんなにいい人だったら僕も会ってみたかったな。どんな人だったの?」
「どんな人、か」
神さまのことを知らない人に神さまがどんな風な人だったのかを説明するのは難しいんだが……そうだな。
「ちょっと、ユウヒに似てるかもな」
「え、つまり僕に似ててセクシーで超可愛かったってこと?」
「いや、あの人は胸がデカくて余裕があって優しかったからお前とはまるで違うけど」
「おう煽ってるんだね? 煽ってるね? いいよ、喧嘩なら相手になるよ」
「でも、あの人も人間が好きだった。そこが、お前と少し似てる」
俺が最後にそう付け加えると、ユウヒは目をぱちぱちと瞬かせた。
そして今度は嬉しそうに笑った。
「それは、確かに僕と似てるかもね」
「だろ?」
横断歩道を渡って歩くほど5分ほど。次第に、俺たちになじみ深い建物が見えてくる。
裏山を巻き込むように建てられたこのあたりで数少ない高校、『桜加高校』、俺たちの学校である。
いつの間にか夕暮れになった校舎には休日ということもあってか人気はなく、俺たちは人目を忍ぶように校門を通り抜けた。
そして、俺たちはついに今日の終着点へとやってくる。
桜加高校の裏庭にある、枯れてしまった桜の木。
かつてこの桜加町を守っていた、先代の神の元へと。
「でも、神さまは死んだ。消えてしまった」
その日のことは今でも覚えている。俺の手の中で次第に神さまの身体が軽くなっていくことを。
風に攫われるように神さまの身体は溶けて、気づいた時には俺の背後でこの枯れた木になっていた。
俺に残ったのは、現人神を受け継いだことを示す、古ぼけた鈴だけだった。
「その時から俺は、人助けすることの意味が分からなくなった。だってそうだろ? あんなに人間のためを思っていた神さまが、最後には人間に忘れられて消えたんだ」
あの人みたいに生きたいと思った。あの人みたいになりたいと思った。
でも、その果てが「これ」なのだとしたら。
神さまの生き方には、俺の憧れた「人助け」をする生き方には、本当に意味があるのだろうか?
一度迷うと、どんどん半端になっていった。
現人神の役割を託されたのに、誰かを助けようとすることに迷うようになった。
人と関わることが怖くなって、周囲の人を遠ざけようとするようになった。
姉さんや、うらか先輩の頼みで困った人外たちを懲らしめたりはしてたけど、それだけだ。
ずっと自堕落に、流されるままに、ただ生きているだけの日々を送った。
「俺はもう生きる理由が、見いだせなかったんだ」
いつか誰からも忘れ去られてしまうのなら。
どんなに頑張っても、誰かとの繋がりなんてものはその程度だというなら。
それは、生と死に、どれほどの違いがあるというのだろうか。
「そんな時、お前が転校してきた」
枯れた木を背にして、ユウヒの方に向き直る。
白金の髪。白い翼。穢れを知らない透明な天使。その中で夕日の瞳だけが光ってる。
「いきなり翼の生えたやつがやって来て、俺はもうすぐ死ぬとか言ってさ。それで今度は『死にたくなかったら人助けをしろ!』とか俺の首根っこ捕まえて言うんだよ」
なんだこいつって思ったよ。
俺のことなんかわからないのに、よくもここまで強引に俺を引っ張るもんだって思ったさ。
「最初は言われるがままだった。お前に言われるから、人助けをまたやってみた」
ただの暇つぶし。もうすぐ死ぬまでの手慰み。
だから、なんとなくお前と一緒に色々やることにしてみたんだ。
「でも、ユウヒといて、忘れてた気持ちを思い出した」
ユウヒに手を引かれて、木霊のことを影から引き出せた。
――――自分が、まだ誰かを助けたいと思っている人間だったと思い出せた。
姉さんの仲介で、ユウヒと人魚のセナの夢に触れた。
――――自分が踏み込んだことで、誰かを勇気づけることができると思い出せた。
ユウヒと一緒に、織姫の当たり前の毎日を守ることができた。
――――自分が、感謝されることよりも、感謝したい人間だったことを思い出せた。
神さまが死んでから、俺が「意味がない」と思った人助けの日々が、俺の忘れてた気持ちを思い出させてくれた。
「俺は神さまに救われたことが嬉しくて、それを誰かに返したいと思った」
自分が人間たちの世界で生きていていいかわからなくて、自分の見えるものが何かわからなくて孤独だった。
そんな中で神さまが俺を見つけて、「きみは大丈夫」と手を差し伸べてくれた。
その手は今でも忘れられないほどに温かった。
そして、温かったのは、嬉しかったからだ。
俺が一人じゃないと教えて貰った気がしたから。俺は生きていてもいいと、そう言われた気がしたから。
ああ、そうだ。俺は嬉しかったんだ。
俺は誰かに助けてもらって、本当に嬉しかった。
「だから、俺は俺みたいに悲しむ人が少なければいいと思った。誰かに恩返ししてもらいたかったわけじゃない。俺の知る誰かが、俺の知らない誰かが、毎日楽しく生きる手助けがしたかったんだ」
とても簡単なことだった。
俺が神さまに憧れたのは、俺が神さまみたいな人になりたいと思ったのは。
俺が、神さまみたいに人助けができる人間でありたかったのは。
「俺は、神さまの町に生きる人たちに、楽しく生きていて欲しかっただけなんだ」
それは俺が神さまの町に生きる一人の人間だったから。
それは俺が神さまの町で助けられた一人の人間だったから。
他の人にだって、楽しく生きていて欲しかったんだ。
「人助けって意味じゃないんだよな。誰かを思うから、そうせずにはいられない。そうしたいと思う。きっと、神さまもそうだったんだと思う。ユウヒのおかげで、自分のそういう気持ちを思い出せた」
一度は見失ったけど、ユウヒのおかげでもう一度自分の気持ちを思い出せた。
そして、最後の最後に誰かを助ける俺でいることができた。
例え死んでしまうんだとしても、それが何よりもうれしいんだ。
「だから、ありがとうユウヒ。俺のことを導いてくれて。お前は俺の最高の守護天使だった」
そして、俺はユウヒに手を差し出した。
背後には枯れた桜の木。暮れかけた夕日は俺を照らしながらも、校舎から長い影を伸ばし、いつの間にかユウヒを飲み込んでいた。
ユウヒは俺の手を見て薄く微笑んだ。そして、手を伸ばして握り返そうと影から出ようとして、ふと足を止める。
「ねえ、いっこ聞かせてよ」
影の中からユウヒは俺をじっと見つめている。
「なんで、途中で人助けをやめなかったの? 寿命が変わらないのなら、やめたって良かったはずなのに」
「だって、俺が人助けをしなかったら、ユウヒが天界から追放されちゃうんだろ?」
それは、なんか嫌だったんだよ。お前はきっともっとたくさんの人を導けるやつだと思ったから。
「――僕の、ため」
ユウヒはほんの少し何かを思うように長い瞬きをすると、伸ばした手を引っ込めて、胸元で両手を握った。
「ごめん、僕天使失格かも」
そして、ユウヒはほにゃっと笑った。
「ユウヒ?」
「あーあ、僕結構優秀な天使だったんだよ? 学校での成績は一番に近かったし、そのおかげで同期の中じゃかなり高位の天使になれたし。我らが主に忠実なしもべで、その命令に逆らおうなんて思ったことなかった。寝る前は歯を磨いて寝るし、夜更かしだってほとんどしない。そりゃもう、大変に優秀な天使なんだよ」
「後半は、小学生のガキの理想像に近かったが?」
「あはは、そうかな」
後ろで手を組んで、俺から顔をそむけるようにユウヒがくるりと回った。スカートの裾ががふわりと舞って、半弧を描き、そのままユウヒは空を見た。
その視線の先にあるであろう、彼女の瞳と同じ太陽はもうすぐ遠くに見える山の向こうに消えようとしている。
「ユウヒ?」
俺はユウヒの名前を呼んだ。
するとユウヒは俺の方に少し顔を向けてから、何が面白かったのか小さく笑った。
「あー、やっばいなぁ。これはマジで終わりかも」
「おい、ユウヒさっきから変だぞ」
「いやさー、僕、ユウヒって名前適当に付けたって前言ったじゃん? 僕の目と同じ色だから」
「え、ああ、まあ、言ってたな」
いつだったか、『天使ユウヒ』って名前適当過ぎるだろって話になったんだっけ。
でも、それがどうかしたのだろうか?
「今気づいたけど、僕、キミにユウヒって呼ばれるのちょう好きみたいなんだよ。どーしてくれんのさ」
「は、はあ!?」
「あは、地上にいる間の名前なんて、どーでもよかったのにさー」
思わず言葉に詰まった。あんまりにも直球な言葉に、少し顔が熱い。
ユウヒはにひひと笑いつつも、どこか頬は少し赤いように見えるのは、夕日のせいなんだろうか。
「でも、やっぱそうなんだね。僕は、そういうものになっちゃったんだ。ケルベロスの言った通りだったか」
少し遠い目をして、ユウヒはそう呟いた。
そして、俺に向き直ると、居住まいを正して、俺のことをまっすぐに、静かに見つめた。
いつか、初めて俺の死の運命を告げた時と同じように。
「僕、キミを死なせたくないよ」
それは、きっと俺に死の運命を与えにやって来た天使が口にしてはいけない言葉だった。
「僕は天使だ。人の祈りに答え、主の掟に従う。それが使命だ。キミの死の運命が変わらないというのなら、僕は『よく頑張りました』と、天界に連れて行かないといけない」
だって、ユウヒの役目は俺の運命を宣告すること。そして、その運命を変える手助けをすること。
「でもさ、僕、びっくりすることにそれを全然したくないんだよ!」
ユウヒが腕を組んで、ムムム、と唸った。
「キミには生きていてほしい。だって、キミはもっとたくさんの人を幸せにできる人間なんだもん。木霊や、セナちゃんや、ヒメみたいな子たちを助けて、もっとこの世界をより良くできる人間なんだ。そんなの絶対幸太郎だけだよ」
そして、ユウヒはぴっと俺に向けて指を差した。
「だから、幸太郎はいま死んじゃだめ。死ぬなんて僕が許さない」
なんて、感情的な言葉だろう。
ユウヒの語った言葉には何一つ筋の通った理屈なんてない。俺が死ぬべきだという運命を否定できる合理的な理由など存在しない。
ただ、長々と「僕がそれは嫌だ」と言っているだけの、子どもみたいな理屈だ。
でも、それにどこか救われる気がする。
ユウヒにこれほど思われることが、ああ、うん、俺はどうしようもないほど、嬉しく感じてしまう。
素直にありがとうと言えればよかったのに、そうもいかない。
「俺の運命は変わらない。善行で変えられるものじゃなかった。ユウヒにだって、もうどうしようもないことくらいわかるだろう?」
「あるんだよ、ひとつだけ。僕だけができる、キミの助け方が」
俺の言葉に、ユウヒはふっと微笑んだ。
「僕の秘密を教えてあげる。誰にも教えてない、僕の本当の名前」
そう言って、ユウヒは影から一歩踏み出した。
ユウヒの瞳と同じ色の太陽が彼女を照らす。透明感のある白金の髪と、背中の純白の翼に光が薄く溶ける。
「僕の本当の名前は、『アズライール』。人の魂を司る、死の天使。って、言うと可愛く無さすぎだね。えへへ、だから隠しておきたかったんだけどなぁ~」
そう言ってユウヒは、今度ははにかんだように笑った。
「僕、すごいんだよ。僕が本気を出したらどんなものにでも死の運命を与えられるし、どんなものの死の運命だって退けられる。ふっふーん、すごいでしょ」
死の運命を、変えられる。それはつまり、俺の運命も?
「だからね、僕の力でキミが助けた人たち、この町で関わったいろんな人たち。キミを覚えている全ての人間の運命にすこーしだけキミを割り込ませて、キミの運命の歪みを消したげる。そうすればキミはこれからも生きられるよ」
「いや待てよ、ユウヒ」
俺の運命を変えられる? ならなんでもっと早くそれをしなかった。もっと早く提案しなかった?
ユウヒはなにかを隠している。
「いくらお前が死の天使だとしても、お前らの『主』の使命に逆らって大丈夫なのか」
「やっぱ、キミにはバレちゃうかぁ」
ユウヒは困ったように前髪を触る。
「うん。そんなことしたら、『主』にちょう怒られるだろうねー。たぶん、罰として追放……でも軽いかな。たぶん消されちゃうかな」
「それは、死ぬってことじゃねえのかよ!」
「僕たちは人間と違って死なないよ。ただ、消えるだけ」
あはは、と何でもないことのように言うユウヒに、思わず頭がカッなる。
「関係ねえよ! お前は俺の忘れていたことを思い出させてくれた! これからも俺みたいに迷ってる人間を導けるやつだ! だから死んでいいわけないだろ!」
「それを言うなら幸太郎こそだよ。人間でありながら、人外たちにも理解があって、そのどちらも助けられるなんて幸太郎だけなんだから」
「俺は生きられても八十年だ。でもお前はもっと長い時間を生きられるだろ! だからお前が生きてもっとたくさんの人を救うべきなんだよこの最高の天使が!」
「さ、最高って、えへ……。じゃ、じゃなくて! じゃあ言わせてもらいますけどね、幸太郎みたいに優しくてお人よしの人間なんて他にぜーったいいないから! キミにしか救えない人がいる以上、僕が消えるべきなの! わかりなよ!」
「お前が消えるくらいなら俺が死ぬわ!」
「はあ!? 僕の話聞いてた!? このおばか!」
「んだと!? このわからずや天使が!」
「「 だから! 」」
わあわあと言い争って、二人の声が重なった。
「……はは」
「ふふ」
そのことが、なんとなくおかしくなって二人で顔を突き合わせて笑ってしまった。
お互いの生死が関わっているときにこんな子どもみたいに言い争いをするなんて、あまりにもいつも通りで気が抜けてしまったんだ。
「僕はキミを助けたい。僕の存在がなくなるとしても」
「俺はお前に生きていてほしい。俺がいま死んでしまうのだとしても」
夕日が俺たちを照らしている。初めて出会った時と同じように。
「譲らないのか?」
「譲れないよ。キミのことが大切だから」
微笑みと共に、ユウヒはゆるく首を振った。
「幸太郎も譲らないの?」
「譲れないな。お前に、感謝しているから」
ユウヒの問いかけに、俺もまた微笑んで返した。
数秒か、もしくはそれよりもずっと長くか。俺たちはお互いを見つめていた。
言葉はなかった。ただ、お互いが譲らないということだけはわかっていた。
二人の間にある静謐。それを破ったのは、小さく笑ったユウヒだった。
「わかった。ならさ、いつものやつで決めようよ。僕らの揉め事はいつもこれ決めてきたからさ」
「……はは、いつものやつか。それもいいかもな」
お互いに自分の手を見つめて、ぎゅっと握った。
「ふっふっふ、幸太郎、僕との勝負で負け続きなこと忘れてないよね~?」
「なーに言ってんだ。さっき勝ったのは俺だ。流れは俺の方にあるぞ」
他人が見たら「何を馬鹿なことを」「もっとまじめに決めろ」と言われるかもしれない。
でも、俺らにとっては、これが一番納得できる手段だった。
これで決まるなら文句がないと、お互いに思えたんだ。
「じゃんけん!」
ユウヒが掛け声を上げて、俺もそれに続いた。
「ぽん!」
お互いにお互いを見て、笑ってから声を合わせた。
「あいこで!」
「しょ!」
一回のあいこ。それで勝負は決まった。
「……僕の勝ちだね」
「……だな。俺の負けだ」
俺はグー。ユウヒはパー。文句がつけようもなく、ユウヒの勝ちだった。
「えへへ、ということで僕が幸太郎を助けてあげます!」
「……ああ。それでいいよ」
「ふふ、こういう時も僕の勝負強さは発揮されたというわけだね」
「あーあ、俺だって負ける気はなかったんだがなぁ」
俺がため息をつきつつ、空を見上げた。
「幸太郎っ」
「え、って、うおっ」
不意にユウヒが俺の名を呼んできた。
俺が声のままにユウヒの方を見ると、ユウヒはぴょんっと跳び上がると真白の翼を羽ばたかせて、俺の胸に飛び込んで来た。
華奢な体だった。抱きしめれば折れそうだった。いつだって、俺の背中を押してくれていた天使が、俺の大切な女の子が、俺に抱き着いていた。
「僕ね、キミのことがだいすき。これからも、キミらしく生きていってね」
ユウヒの表情は見えなかった。でも、ほんの少し耳が赤い気がした。
目頭が熱い。たまらなくなって、自分のことを抱きしめる彼女を抱きしめ返そうとして、ぐっとこらえた。
きっとそうしてしまえば、たまらなくなると思った。
きっと、耐えられなくなると思った。
俺たちが望んだ、「いつも通りの俺たち」ができなくなると思った。
「……ああ。任せておけよ、ユウヒ」
だから、唇を噛んでから、そう短く答えた。
俺の返答に、俺の胸の中のユウヒが嬉しそうに「ふふ」と笑った気がした。
そして、ユウヒは俺からぱっと離れると、くるりと振り返った。
その動きに従うように白金のサイドテールと、真っ白の翼が弧を描く。
初めて出会った時と、同じように。
「ばいばい、幸太郎」
その言葉を最後に、夕日に照らされた校舎が、柔らかい光で満たされた。