「姉さんって運命とか信じる?」
「朝店来るなり急にどしたん? まだ眠っとる?」
「実はまだちょっと眠い。夜更かししてゲームしすぎた」
「珍しいやん。ひとり?」
「いや……、ともだち?と」
「なんでそこ疑問形なん? まあとりあえず眠気覚ましにご飯食べなー? いつも通りコーヒーとホットサンドの簡単なやつやけど」
「んー。ありがとう」
くあ……。ねむ。
昨晩、天使さんがゼルダを始めたのだが、二人であーでもないこーでもないと言いあってゲームをやめられず、朝の三時までやり続けてしまった。
天使さんは寝ぼけ眼を擦って、窓から飛んで帰って行ったが、ちゃんと帰れたのだろうか。
俺がカウンター席に腰かけてしばらくして、湯気をたてるコーヒーカップと、その横にさらに出来立てのホットサンドが並んだ。
「ありがとう。いただきます」
「はい、どーぞ」
とりあえずホットサンドを手に取ると一口かじる。
ざくり、という小気味いい音と歯ごたえ。噛むとよく味付けされた卵ペーストと、みずみずしいレタスの味が口いっぱいに広がる。
「うみゃいです」
「はいはいお粗末さん。あ、コーヒーふーふーしてあげよっか? 幸太郎、熱いのダメやろ?」
「姉さんの中で俺は何歳で止まってるんだよ。そのくらい自分でできるって」
「うちの中では幸太郎はずーっと幸太郎のままやよ?」
「それ、昔からガキ扱いしてるってことじゃんか」
「あはは、嫌やった?」
「嫌」
ふーふーしようと俺のコーヒーカップを手に取りかけていた姉さんから、コーヒーカップを取り上げる。
昔からの付き合いとはいえ、ずっと子ども扱いされてもたまったもんじゃない。
姉さん――――朝花あせびは俺の通うカフェ『猫柳』の店主である。
癖のない真っ黒の髪。
きっと夜をそのまま集めて梳かしたらこんな色になるんだろうと思わせるような、そんな濃淡のないロングヘア。
すっと通った鼻梁。髪とは反対の真っ白な肌。朝と夜の境界、朝焼けの色をした紫紺の瞳。作り物のような、触れがたい美しさ。
俺とは全く似ていない。
というかそもそも血の繋がりはない。ただ昔からの知り合いだから、自然と「姉さん」と呼ぶようになっていただけだ。
現に、俺は姉さんがいつからこの街にいて、この喫茶店を経営してるかも知らないんだし。
聞いたら笑いながら「さあ、いつやったかなぁ」なんて誤魔化されてしまうから、俺も深く聞くのは諦めている。
「よいしょ」
姉さんが自分の分のコーヒーをもって、カウンターを挟んだ向かい側に座る。
そして、一度口をつけて、気に入らないように眉を寄せると、せっかく淹れたコーヒーにどぼどぼと砂糖とミルクを投入していた。
「うん、おいしい」
「何度も思うけど世のバリスタが姉さんのそれを見たら助走をつけて殴ってきそうだよな」
「おいしく飲むのが正義やから」
「なら最初からカフェオレにすればいいじゃん……」
「コーヒーを飲むのは苦手だけど、淹れるのは好きなんやよねぇ」
それでよく喫茶店の店主が成り立つなと思わないでもない。
「それで、運命を信じるかやっけ?」
姉さんは俺の対面でダダ甘のコーヒーを飲みながら、「んー」と鼻に声をかける。
「急にどうしたん? 再発した中二病?」
「俺が一度でも中二病を患っていたように言うのは辞めて頂きたい」
「え? この前までこじらせてたやろ。私服がやたら黒かった時期あったし」
「それくらいは中学生ファッションで許してくれないか?」
「ほら、この前とか『ねえさん、おれやっぱり一番かっこいいのはばいきんまんだと思う……』ってひねくれたこと言ってたし」
「何年前の話? 小2とかだろ、それ」
「ついこの間やん」
「俺へのアプデサボりすぎでしょ」
「ふふ、そう?」
ほにゃ、と姉さんが目を細めて笑った。
孤高の美人って感じなのに、こういう風に子どもっぽく笑う人なんだよな、姉さんは。
たまたまこの店にやってきて、姉さんのこの笑顔にやられたサラリーマンなんかを見かけるのも納得って感じ。
姉さんはひとしきり笑うと、「そうやねえ」と言葉を口の中で転がすように小さく口にする。
「運命がもしあるとしたら、ただ座ってそれを待つのは、すごい退屈なんやないかな」
「退屈か」
「うん。だから、幸太郎が何かに迷っているなら、色々やってみるのがいいとお姉さんは思います」
「勘違いしないで欲しいんだけど、俺に悩みがあるとかそういうのではないから」
「そ? じゃあこれはうちの独り言」
こうして姉さんと話していると、時々すべて見通されているような気分になる。
ちょっと、居心地が悪い。
「幸太郎は頑張れる子なんやから、たまには一歩踏み出すのもありやと思うよ」
「いやだから別に悩んだりはしてないって」
俺は残りの朝食を手早く片付けると、通学カバンを背負い直す。
「あれ、幸太郎もういいの?」
「とりあえず姉さんの言葉は参考になったので」
「拗ねなくてええのに」
「別に拗ねてはないけども」
俺が苦い顔で否定すると、姉さんは肩を揺らしてくすくすと笑っていた。
「ったく、まあ朝飯ありがとう。行ってきます」
「はい、いってらっしゃい」
軽く手を振ると姉さんは同じように手を振って、俺を送り出してくれた。
そのことにややこそばゆさを感じつつ、カフェ『猫柳』の扉を開けて外に出る。
「時間的には……まあ、まだ余裕か」
腕時計の時刻は7時45分。ホームルームが8時半で、猫柳から俺の通う『桜加高等学校』までは歩いて15分くらいだし、遅刻の心配はなさそうだ。
軽く伸びをすると、毎朝通る通学路をだらだらと歩き始める。
横をランドセルを背負った小学生たちが先週発売したらしいゲームの話をしながら通りすぎ、駅に向かって足早に歩いてきたサラリーマンが俺を後ろから追い抜いて、右手の角から話したことのない同級生がやってくるのが見える。
混み合うというほどでもないが、閑散としているわけでもない。いつも通り、何とも言えない混み具合の通学路だ。
俺の住む『桜加町』は地方都市の端っこの方にある都合上、都会とも田舎とも言えないような絶妙な発展具合をしている。
田舎ではないから細かくバスも電車も出ているし、人もいるけれど、都会ではないから勤め先が多いわけではないから、大人たちは電車を乗り継いで少しばかり遠い県央の方の会社に出勤していく。
どっちつかずの街だ。
県全体で巻き起こった再開発の流れに腰が重くて微妙に乗り遅れ、そして微妙に遅れたのに乗ろうとしたから、その時にはもう他の街はすっかり垢抜けており、仕方なくこうしてベッドタウンにもなり切れない何かになるしかなかった。
春が過ぎたぬるい風が、登校中の生徒の声と共に俺の横を通り過ぎていく。
それに深く意識を向けることもなく、校門をくぐって教室に向かった。
靴を履き替え階段を上る。その途中、踊り場の窓から裏庭の隅の枯れかけた桜の木が見えた。
「もう昨日のことか」
あそこで昨日天使さんに呼び出されて、余命の宣告を受けたんだよなぁ。
今でもちょっと信じれない。
目線を外すと教室へ。
2年2組。クラス替えから一ヶ月。けど転校生が来たことで少し浮ついた教室。
ホームルームまでまだ30分はある教室はまだ人はまばらだ。
あと15分もすれば朝練終わりの連中や、遅刻スレスレで滑り込んでくる奴らも増えてくるのだが、まあこの時間ならこんなもんだろう。
天使さんは……いないか。まあ解散も遅かったしギリギリまで寝ているのかもしれない。
「ねえ、あれって……」
「ユウヒちゃんに放課後……」
「篝くんて、あの?」
「告白されたって……」
「生徒会長とも仲が良いって……」
……なんか視線がチクチク刺さるな。こういうのはスルーするに限るので、流しておこう。
窓際の前から4列目。自分の席に荷物を置くと、背後から「よす」と声がかかる。
いつも通り俺も言葉少なに「よす」と返すと、椅子を動かして声をかけてきた人物へと向き直る。
「ねえ幸太郎」
「うん?」
「やっぱおれとしては両親の実家の田舎に帰省して出会うのは真っ白なワンピースが似合う華奢な女であってほしいわけなんだよね」
「急にどうした?」
出会い頭に急に眠たいことを言い始めた男。
色を抜いたわけではなく自然に光を通して淡く見える茶髪。男とは思えないぱっちりとした目と、整った顔立ち。
身長はやや低めだが、線の細さから頼りないというよりも、綺麗さを際立てる要素になっているように思える。
容姿だけならばいわゆる「美少年」と言っていいだろうに、喋らせるとその印象を破壊してしまう男。
「良く肌が焼けた元気な女の子ってのも悪くないけど、やっぱ田舎に帰ったからには非現実性を感じる女との秘密を共有したいんだよな。ここで褐色の元気っ子だと特別感がないじゃん? なんか当たり前って言うか。いやそんなのいないかもしれないけどさ……とにかく、おれたちは特別になりたいから、田舎で出会うのも特別性を感じる、華奢な女が一番だと思うんだ。うっそうと茂る森が背後に見えている中で、帽子を抑えながらこっちを見ている彼女、そしておれの忘れられない夏の思い出にさ……」
「九条の親の実家どこにあるんだ?」
「NYと浅草」
「これ何の時間?」
半分も話が頭に入ってこなかったな。
「なんだ、幸太郎は不満なのか。ならおれとムキムキのおっさんに囁かれたい言葉ランキングでも作る?」
「どうやったらそのテーマで男子高校生がウキウキで会話できると思うんだ」
「先行はおれな」
「せめて俺の話を聞いてくれると嬉しいんだが」
「『視線はそのままにして聞け……囲まれてる。後ろに2、前に3』」
「くだんねえこと……というにはちょっと心惹かれる話題だな、おい」
九条は変なやつだ。けど、良いやつだ。
その証拠にちょっとクラスから浮いている俺と違って、九条は割とクラスでもうまくやっている。
俺に対してはこんな感じだが、別に誰彼構わずこういうことをしているわけでもないからな。外面もいいし、嫌われる理由がないんだろう。
「それとも、もっと楽しい話でもする?」
「楽しい話?」
すると、九条がニヤッと笑う。
「昨日天使さんに呼び出されたという噂の渦中の友人に、真実を尋ねたり、ね」
……朝からちらちら見られてるのはそれが原因かよ。
「どこから」
「なんでも裏庭で幸太郎が天使さんに告白されているのを見た後輩がいたらしいね。その子伝いに後は、びゅーんと」
九条はスマホを取り出すと、ソシャゲのログボを受け取りつつ目だけをこちらに向ける。
「で、ホントなの?」
「別にそういうんじゃない。ただ、ちょっとな」
「おお、めちゃくちゃテンプレなセリフ吐くじゃん。幸太郎は少女漫画に出てくる俺様系主人公の素質があるね」
「ねえよ」
「またまた」
「勘違いするな。俺が天使さんと付き合うことなんてありえないから」
「めちゃくちゃ素質がある~」
けらけらと九条が笑い、俺はため息をひとつ。
「本当に告白じゃない。ただちょっと、なんというか、呼び出されたから話しただけだ」
「……まさかとは思うけど、それで誤解が解けると思ってないよね?」
「解けてほしいと思っている」
「いや、おれはそれで納得してあげてもいいけど……」
ちらっと九条が、教室のあちこちから俺たちを盗み見ているクラスメイト達を目だけで示した。
「みなさんは無理でしょ。めちゃくちゃ幸太郎に詳細を聞きたそうだよ」
「適当に流しておけばいいだろ。噂は噂だ」
「普通ならそれで行けるだろうね。でも、相手が悪い。
たぷたぷとソシャゲの音ゲーを始めた九条は、だらだらと天使さんについて語り始める。
「1組の四宮君、知ってるだろ?」
「ああ、サッカー部の。いい人だよな。この前俺と体育でペアになってくれたよ。それがどうした?」
「もう既に天使さんに告白したって話だよ。まあ、結果はお察しって感じらしいけど」
「ほー」
「今はあの日向織姫と天使さん派で男子の勢力は二分されてるからね。幸太郎も身の振り方を考えておいた方がいいね」
「織姫と天使さんか……。よくそこまで熱を上げられるな」
「別に普通でしょ。おれや幸太郎と違って、彼らは自分の気持ちに正直だからね。好きって気持ちに嘘はつかないんだ」
「ついでとばかりに俺を素直じゃないというのはやめろ」
「素直なやつは口癖が『勘違いするな』にはならないんだよ」
「勘違いするな、俺は別に口癖にしてるわけじゃ――」
「言ったそばから言ってるぞ~」
む……。
「というわけで、そんな天使さんの浮いた話だからみんな興味津々なんだよ。風化を望むには、ちょっときつそうだけどね」
「他人事だと思って楽しそうだな」
「実際他人事だしね。いいじゃん、人気者になれるよ」
「嫌だよ。俺は教室では静かに過ごしたいんだよ」
というかそもそもどう説明しろって言うんだよ。
――実は天使さんって本物の天使なんだよ。で、俺に死の運命を回避させるために地上に降りて来たらしいんだ。
――あ、みんなには見えてないけど背中にはちゃんと翼も生えてるんだ。
……どう考えても頭がおかしくなったか、面白くもない冗談を言ってる痛いやつだ。
やっぱここは表では天使さんとの付き合いは控えて噂の風化を望む方向で行くとするか。
そう俺が思った瞬間、『彼女』の声が、教室に響いた。
「おはよー!」
たった一言のあいさつ。一瞬の笑顔。それだけで、教室の視線が集まる。
友人たちと話していた女子も、朝練終わりの疲れた男子も、ホームルームが始まるまで寝たふりをしていたやつも、みんなだ。
ここ一週間で当たり前になり始めた、天使ユウヒの登校の瞬間である。
天使さんは欠伸をひとつかみ殺すと、「おはよー」とにこにこ挨拶をしながら、するりと溶け込むようにクラスの輪の中で雑談を始める。
変なこと言わないといいが……。
「ユウヒおはよ~。今日はギリギリなんだね~」
「ふわ~あ。ちょっと夜更かししちゃってさあ。起きたの十分前とかだよ~」
「十分!? 今さっきじゃん! よくそんなに早くこれたね~」
「あはは、飛んできたからね~」
「飛んで……? ユウヒ足早いんだね~。まじやばいね」
クラスメイトの一人が冗談と思ったのか笑っていた。
けど、たぶんそれ比喩表現じゃないと思うぞ。そいつ、マジの天使だから。
「ふわ~あ」
「てかほんとに眠そうじゃん。何時まで起きてたのよ、ユウヒ」
「うーん、何時だっけ。家に帰ったのが、朝だったから……」
「え!? 朝帰り!? ユウヒ朝帰りしたの!?」
「え、朝帰り……まあそうだね?」
天使さんの言葉に、彼女の友人たちとそれまで聞き耳をクラスメイト達がざわめいた。
「幸太郎、どうしたのすごい汗だよ」
「ナンデモナイ」
「なぜに片言?」
「カンチガイスルナ オレハ イツモコウ」
「おれの知る幸太郎はそんなロボみたいな話し方で個性を作る浅はかなやつではなかったはずなんだけど」
あの人、絶対意味わからずに頷いただろ……。
いや、意味合いとしてはあってるよ? 確かに天使さんは朝方まで俺の家にいて、朝に帰って行ったけども……でも、その言葉選びはかなりまずいだろ。
いやまあ待てよ。でもここからでも取り返せるんじゃないか?
天使さんも自分で言ってただろ、自分は優秀な天使だって。
流石に自分のミスとかに気づいて、方向転換とかをさ……。
「ゆ、ユウヒ、いちおう確認するけど……男子の家、だったりするの?」
「うん、そうだね。彼が朝まで寝せてくれなくてさあ」
「カレが朝まで寝せてくれなくて!?」
一緒にゲームをしてただけなんだよなあ。
そして寝せなかったのは俺でなく面白すぎるゲームな。
まずい、あいつに喋らせ続けたら無限に悪化しそうだ。
「――――ん?」
俺が天使さんに恨みがましい目線を向けていると、ふと、天使さんと俺の目が合った。
彼女はぱちぱちと瞬きすると、そのままとことこと俺の机の方にやってくる。
「ね、僕昨日キミの部屋に制服のタイ忘れてなかった? 探してもなくてさ」
「あん? ああ、そう言えばベッドになんかあったな」
「なんだ、やっぱりキミの家にあったんだ。明日持ってきてよ」
「別にいいけど――――」
言いかけて、頬を汗が伝った。
まずい、今色々考えてたせいで反射的に普通に応じちゃった。
しかも、タイがうんぬんとか言う、非常にまずい話題で。
……ワンチャン他の人に聞こえてなかったとかないよな。
「篝君の家にユウヒちゃんが!?」
「しかもタイを忘れたって……脱いだってこと?」
「ベッドに忘れたって、え? え?」
「終わった、俺の二度目の初恋……」
「篝って、あの篝かよ……」
うん、全然みんなに聞こえてみたいですね。なんかひっそりと二度目の初恋を終わらせてる奴もいるが、お前のそれは初恋ではないと思われる。
クラスに広がるざわめきと、遠慮なくぶつけられる興味津々な野次馬たちの視線。
一応、助けを求めるように隣の九条に目を向けて……こいつ、ソシャゲから目を離す気がねえ。完全スルーだ。
くそう……こうなったら天使さん自身に説明してもらうしかない。
「なあ、天使さん、ちょっとみんなに説明してくれないか」
「説明ってなんで、そんなことしなきゃいけないの?」
「このままでは俺が転校生を速攻で家に連れ込んだ鬼畜野郎になるからですね……」
「それは事実なんじゃない?」
「いやまあ仰る通り事実なんだけど、これが事実ということになると俺が平穏無事にクラスにいることが著しく難しくなるんだよ」
「そうなの?」
こてん、と首をかしげる天使さんは、俺の危機感を理解してなさそうだった。
彼女はしばらく唸っていたが、あ、と何かを思い出したように声を漏らす。そして、椅子に座る俺に合わせるように少しかがんで、こしょこしょと俺に耳打ちした。
クラスメイト達からヒャアとかウオオみたいな声が上がる。
「ね、昨日の続き、しよ。昨日と同じところでさ」
「紛らわしく言わずに普通に言わないか、なあ?」
いや人助け手伝ってくれるのはありがたいけど、言い方言い方。