セナからの依頼を受けた次の日の月曜日の放課後、俺とユウヒは桜加高校の屋上に来ていた。
セナの『魅了』の制御の練習をする場所にここを選んだのだ。スタジオなんかを借りても良かったが、セナは有名人だし、一般人を魅了してしまったら大変だしな。
なので、セナがここに来るまでしばらく俺とユウヒはここで時間を潰すことになる。
放課後の屋上には人気はない。時折吹く気まぐれな風が、技術棟で練習する金管の音や、グラウンドの野球部の声を届けるだけだ。
「んー、いー気持ちだねー」
風を心地よさそうに感じながらユウヒが両手をぐぐっと伸ばして伸びをする。綺麗な翼が両手と一緒にぴーんと広がった。
「やっぱ空が近いといいなぁ。安心するよね」
ふふ、と機嫌よさそうな笑みを漏らしたユウヒがくるりとターンした。スカートの裾がふんわりと膨らみ、白金のサイドテールと真白の翼が空に白線を引くように弧を描いた。
楽しそうで、かわいらしくて、とても綺麗だった。
「お前、ほんとに空が好きだよなぁ」
「そりゃそーだよ。僕の故郷がある場所だからね」
「故郷、天界か」
「ん。今はLENAの歌の次くらいに好きかな」
「出会って一週間の思い出が故郷への郷愁に勝つなよ」
好きなものへの熱量が高まるのが爆速過ぎるだろ。
「じゃあ幸太郎は何が好きなの」
「カレー」
「子どもみたいでかわいいね」
「嫌いなのは苦痛」
「それ好きな人いないと思うけどね」
ユウヒが屋上の柵に足を引っかけつつ、じーっとグラウンドの方を眺めてる。そう面白いものがあるわけでもないだろうに、ユウヒはなんだか楽しそうに、愛おしそうに、眺めていた。
どんな景色が見えるのか気になって、人ひとり分の距離を取って同じようにグラウンドを見下ろした。
見えたのは、監督にノックを受けつつ必死に声を出している野球部たちの姿。区切った半分奥の方では、サッカー部が二つに分かれて試合をしているようだった。
なんてことのない、普通の日常の光景である。
「面白いのか?」
俺が聞くと、ユウヒは目をグラウンドに向けたまま「うん」と答える。
「好きなんだな、人間が」
「嫌いになる理由がないもん。みんな等しく愛おしい、僕の導く子羊だよ」
「お優しいことで」
「えー、ふつうでしょ? ……あ」
にひ、とユウヒが口元を抑えて翼で俺を引き寄せた。なんだよ、やめろよ。
「もしかして、僕が他の人にも優しくて嫉妬した? えへ、えへへ。なんだよもー。ほんとーに僕が好きなんだからっ。まったく、ほんとうに幸太郎は仕方ないなぁ」
「勘違いするな。そんなんじゃないよ」
「良いって良いって! 僕の可愛さにメロメロになってるんでしょ? ふっ、僕も罪な天使だよね……子羊の初恋を奪ってしまうなんて……キューピッドの役割は僕のものじゃないのに。仕方ない、僕に幸太郎の素直な気持ちを伝えてみな? その恋心を受け入れることはできないけど、聞くだけは聞いてあげるよ」
「こんなに近いのに胸の感触がまるでないのが哀れだと思う」
「テメッ」
ユウヒが拳を上げて来たので、逃げるついでに翼のロックを外してするりと逃げておく。
天使らしい博愛の面が見えたかと思ったら、すぐにこうして調子に乗るんだよな、ユウヒ。
天使と言えば、そういやユウヒって俺の寿命が見えてるんだよな。
「そう言えばだけど、俺の寿命ってもう伸びてたりするのか?」
「あ、そういえば言ってなかったね。ばっちり伸びてるよ」
「おお」
「なんと二日!」
「しょっぱ」
ビシッとドヤ顔で指を二本立てたユウヒに、思わず本音が出てしまった。
するとユウヒが、「あのねえ」と半目でジトーっとした目を俺に向けてくる。
「運命を変えようって言うんだよ? そんな一朝一夕で変わるもんじゃないのは当然でしょ~?」
「まあ、それはそうか……」
「それに、キミが誰かを助けようと頑張った結果なんだから、それを低く見るようなことを言わないのっ」
それは、そうだな。確かに俺が助けた人にも、それを手伝ってくれたユウヒにも失礼だな。
「悪い」
「いーっていーって。キミの背中をこうして押してあげることも誇りある天使のお仕事なので。むしろ悩んでくれた方が僕も張り合いがあるってもんだよ」
「そか」
天使の役目、か。そうだよな、ユウヒはそれが『我が主』とやらから与えられた役目だから俺に付き合ってくれてるんだよな。
そんなことを考えていたら、ふと一つの疑問が浮かんできた。
「もし俺が人助けをしたがらなかった場合って、ユウヒってどうなってんだ?」
「監督不行き届きとかで天界から追放されちゃうんじゃない?」
「えぐい厳しいな!?」
「そーだよ~。だから、幸太郎は気合を入れて人助けしてよね~? 僕、天使としてまだまだたくさんの子羊を見守りたいからさ~」
「急に俺の責任が重いな」
「あはは、僕のためにもがんばってよ。代わりにいくらでも力は貸してあげるからさ」
ころころとユウヒは笑っていたが、すぐに何か思い出したように毅然とした顔で俺に向き直った。
「あ、でも人間同士の恋愛相談とかは力になれそうにないからそこんトコロよろしく!」
「人間をくっつけるのも天使の仕事じゃないのか?」
「天使にもいろいろあるの! 僕の専門は恋愛じゃないので!」
専門とかあるんだな。ならユウヒは死にそうな人間を導く担当ってとこか。
「やー僕は愛深き天使だけど、恋とかはマジでわかんないから。人間だけだよ恋愛とかめんどそうなことで一喜一憂してるの」
「お前ラブコメ漫画とか読んでんじゃん」
「あれは『あー僕もこんな素敵な恋愛してみてぇなぁ!』って楽しむため読んでるの。憧れってこと!」
「へー、憧れとかあるのか」
「憧れるじゃん! こう……天使は人間への愛から献身して死んだりもするけど、恋ってそういうのとは違うじゃん! 人間は人間に恋するのが当たり前だからこれが天使にとってどんくらいメチャクチャに見えるか分かんないんだよ! 凄いんだよ恋は、訳分かんない感じが特に!」
「俺には分かんねえ感覚……」
とはいえ、俺だって愛とかの感覚がわかってるかと言うとそれも微妙なんだが。
「だから僕としてはセナちゃんのご両親もかなり尊敬もんだよ。人間じゃないのに、人間に恋しちゃって、それで死ぬまで幸せだったんでしょ? それめちゃくちゃすごいことだよ。僕にはそこんところ、理解はできても共感はできないからさ~」
ほう、とユウヒが控えめにため息をつく。どうやら博愛の天使にすると、恋というのはイマイチぴんと来ないものらしい。
ん、とか話してたら、噂の当人が来たな。
「お、来た来た」
ぎぎ、と一瞬軋んだ扉が開かれると、そろりとセナが屋上にやってくる。
この前会ったときのようなキャスケット帽に髪を押し込んでいるが、学校帰りなのは服装はこの前と違って制服である。
白を基調としたセーラー服。確かここから電車で3駅くらいのところにある女子高のものだった気がする。
「わ、セナちゃん迷わずにこれたんだ! 人にじろじろ見られたりしなかった?」
「あ、いえ。たまたま近くにいた生徒会の副会長さんがここまで人目につかないように案内してくれて。あの、わたし入って良かったんでしょうか?」
「ああ、大丈夫だよ。あの人には俺の方から話を通しておいたし」
副会長とはちょっとした知り合いだからな。雑談がてら屋上の使用許可と、セナをここまで案内してくれるように頼んでおいたのだ。
俺らが案内しても良かったが、副会長のあの人が校内に入れる方が厄介ごとが少ないからな。
ついでにしばらく屋上の立ち入りも禁止にしといてもらった。
「それで、『魅了』の制御の練習って、具体的に何をするんですか?」
「ユウヒ」
「ふっ」
俺がぱんぱんと手を叩くと、ユウヒがばさっと被せてあった布をはぎ取る。
すると、その下からマイクやらスピーカーやら、電源コードやら……ざっくりいうと、歌を歌うのに使いそうな機材を一通り揃えたものが出てくる。
「わ、これどうしたんですか」
「副会長に借りた」
セナがぱちぱちと目を瞬かせる。
「あの、せんぱいって副会長さんの弱みとか握ってるんですか……?」
「いやむしろ俺が握られてるな」
「???」
まあ俺のことは何でもいいだろう。
じゃあとりあえず、ほら。セナ、マイク渡しておくな。
「こういう能力の制御は、とにかく数をこなすのが一番だ。だからとりあえずはこの屋上でセナには思いっきり歌ってもらおうと思ってる。それでぼちぼち『魅力』の制御の感覚を掴んでいってほしい」
「だ、だめですよ! そんなことしたらこの学校中の人を魅了しちゃいます!」
「そこは問題ない」
俺が手首の古びた鈴を軽く振ると、屋上に一瞬風が吹く。すると、今まで風に乗って聞こえていた野球部の声も、金管の音も全く聞こえなくなる。
まるでこの屋上自体から、『外から音が聞こえる』という性質が奪われてしまったように。
「これならどんなに歌っても俺とユウヒ以外には聞こえない。なら安心だろ?」
「それは、そうですけど、いったいどうやって……?」
「ちょっと知り合いの力を借りただけだよ」
俺がもう一度軽く鈴を振ると、先ほどまで誰もいなかったはずの俺の隣に、小さい女の子が現れる。
いや、正確には女の子の姿をした子、かな。
「あれ、木霊ちゃん?」
「ふんす。ひさし、ぶり」
ユウヒが名前を呼ぶと、呼び出されたあの子――木霊が胸を張った。
木霊と言っても色々いるが、この木霊は俺とユウヒが助けたあの木霊だ。
「ちょうど適任だったから、ちょっと力を借りることにしたんだ」
木霊――『山彦』は「聞いた音を繰り返す」精霊である。
そしてこの木霊はその力を発展させる形として、人間の姿を借りて、昔聞いた言葉を貯めこんで、好きに響かせることができるようになっていた。
今回はその力を少し応用して、この屋上の音を閉じ込めて貰ったというわけだ。
「ちょっとお前の木からは遠いけど大丈夫か?」
「だいじょうぶ。近くの仲間にも力、かりたから」
「悪いな、わざわざ来てもらって」
「かみさまの言うこと、だもんね。そうでなくても、おんがえし」
「そか。ありがとな」
「もんだい、なし!」
グッと木霊が指を立ててくれた。
こうして俺を現人神として認めて力を貸してくれるのはありがたいな。
「ま、そういうわけだ。とりあえず歌ってみよう。いけるか?」
「は、はい」
セナはまだ少し緊張と躊躇いを持っているようだったが、俺の言葉に頷いてくれた。
彼女は小さく息をつくと、俺からマイクを受け取って機材の間に作った簡易ステージに立って、帽子を外した。
ふんわりと、それまで帽子に押し込められていた青い髪が広がる。
「ど、どの歌を歌いましょうか」
「えー、あー。ユウヒ、何が良いんだ?」
「え、僕が決めていいの!? そんな贅沢なこと許されるの?」
「俺はセナの歌聞いたことないからな。せっかくだしリクエストでも聞いて貰えば?」
「え、ええ~!? そ、そんなこと急に言われても困るって言うか。お金も払わずにそんな夢みたいなことしてもらっていいのかな? いや、ありがたいんですけどね、へへ。やっぱり、『may B』? いやあれはちょっと喉に負担があるらしいから、しっとりめの『スノウ・デイズ』とか……待って、『郷愁』も捨てがたいかも……」
「長い。とりあえず一番新しいの歌ってくれ、セナ」
「あ、はい」
「ちょっと幸太郎! 僕の語り聞くのめんどくさくならないでよ! まだ僕が決めかねてるんだからさ、ね、おねがい、あと五分で決めるからさあ!」
その後、ぴーぴー泣いていたユウヒがうるさかったので、ユウヒが歌って欲しい歌を決めるのを待つことになった。
ユウヒは言葉通り五分きっかり悩んだあげく、一番好きだという『may B』をリクエストした。
「わかりました。では、これで」
セナはリクエストを聞くと、小さく頷いた。マイクの音量チェックをして、軽く発声練習をする。
俺がいれておいたパソコンの音源をチェックして、軽くリズムを取る。
その間に俺とユウヒは簡易ステージの前に陣取って座った。なぜか木霊も、俺らに倣って俺の隣にちょこんと座った。
「じゃあ、歌います。――――――『may B』」
スッと、セナの表情から色が消える。今までどこか内気で、自身が無さそうだったセナの姿はもうない。当たりの空気すら自分の色に染め上げて、彼女は息を吸う。
そして、歌い始めた。
「―――――」
その瞬間、今度は彼女の歌には感情が乗る。その表情には色が生まれる。
にこやかな笑みと、軽やかな歌声。メッセージのある歌詞と、頭に残るメロディ。
すべてが一つになって、こちらにセナの――――否、『LENA』の言葉を届けてくる。
――――「わたしを見て」。
その歌は全てで、そう語り掛けていた。
「――――」
数分後、歌が終わるとセナが息をつくと、パッと俺らの方に目を向けた。
「ど、どうですか?」
「いい歌だな。魅了の方は、俺は大丈夫だが……」
ちらっと隣のユウヒを確認する。
「おい、ユウヒ、大丈夫か?」
「LENAちゃーーん! 僕をどこかに連れてってー! 地獄にだってついて行くよー!」
「うん、駄目そうだな」
ごす、と頭にチョップを落とすと、目がハートになっていたユウヒが正気に戻る。
「はっ、僕は何を」
「LENAに魅了されてたんだよ。お前、天使なんだし気合い入れろよ」
しゅん、とセナが肩を落とす。
「ご、ごめんなさいユウヒさん。また魅了してしまって……」
「あはは、いーっていーって。気にしないでよ。僕は常にLENAに魅了されてるようなものだからね。そのせいでちょっと耐えるのは難しいだけだから」
「情けねえことを堂々と言うな」
だけど、魅了されやすいやつが一人いた方が、制御できてるかわかりやすいか。
「せんぱいには、魅了は効かないんですね」
「俺は現人神だからな。割とそういうのに耐性はある方だと思うよ」
「そう、なんですね。――せんぱいに問題がないなら良かったです!」
うん? また一瞬なんかよくわからない表情をしたな。
なんか怖がってるみたいな、どういう感情だ?
ダメだな、本当に一瞬過ぎて感情を判別するまではできなかった。今は普通に、いつもみたいにほんわか笑ってるし。
……まあ別になんだっていいか。
「とりあえず、こんな感じでどんどん歌ってみよう。この屋上はしばらく使えるようにしてるから、色々歌い方を試したらいい」
「は、はいっ! おねがいします!」
ぺこーっとセナは頭を下げた。
「じゃあとりあえずさっきみたいな感じで歌ってみますね! せんぱいも、ユウヒさんも何か気づいたこととか、アドバイスとかあったら教えてください!」
にこっと微笑んで、前向きにそう言ったセナは再びマイクを握る。
そして、同じように歌い始めた。
初日はそのまま特に、制御のきっかけは得ることができず終わってしまったが、セナは次の日も学校にやってきて俺たちの前で歌を披露した。
次の日も、その次も、さらにその次も、毎日、毎日。
そして、そんな日々を続けて――――何も進歩がないまま、一週間が過ぎた。