3月16日火曜日午前6時。
結局夜中に出動命令がくだされることはなく、0時以降は1、2時間置きに起きては眠ってを繰り返して一夜を過ごした光秋は、眠気を含んだ目で食堂で朝食を摂っていた。
―中途半端に寝起きすると、かえって余計眠くなるもんなんだなぁ……今夜はガッツリ寝たいなぁ……あとなんか腰……というか背中全体が痛い…………―
噛り付いたトーストを牛乳で流し込みながら、今一番の願望や不満をぼんやり思っていると、前の席に曽我が腰かけてくる。
「おはよう。締まりのない顔ね?」
「おはようございます……昨日中途半端な寝方をしたもので……ふぁー……」
応じた拍子に盛大な欠伸をかき、光秋は手で口元を隠す。
「ところで、今朝は丁寧語じゃないんですね?」
「まだ勤務前だしねぇ。いただきまーす」
ふと抱いた疑問を投げかけると、曽我はそれに応じながらトレーの上の定食を食べ始める。
―……もっとも、眠い眠いばかりも言ってられん。それこそ今日は“本番”なんだかから、気合入れていかんとっ―
胸中に喝を入れてどうにか眠気を押しやると、光秋は残りの分のトーストをよく噛んで食べた。
食事を終え、待機室で身なりを整えると、光秋は椅子に座って腕時計をちらちら見ながら桜たちが来るのを待つ。
―本部出発が8時だから、7時半には来るように伝えておいたが……―
時計の針は間もなくその7時半を指そうとしているが、少女たちが現れる気配は一向になく、知らぬ間に貧乏ゆすりが止まらなくなる。
それでもしばし待って半に差し掛かると、ドアの向こうからノックの音が響き、ESOの制服を着た菫、桜、北大路が入ってくる。
「おはようございます」
「オッス!」
「……」
「おはよう。来たなっ」
菫と桜の挨拶と、北大路の黙礼に応じつつ、やっと現れた3人に光秋は内心少しほっとする。
と、直後にポケットの中の携帯電話が振動する。
「!すまない、ちょっと」
3人に断りを入れながら画面を開くと、福山から着信が入っていた。
―福山主任?朝早くに――それもこのタイミングで――何だ?―
難しそうな事案での出動を控えている時にかけてきたことについ苛立ちながら、通話ボタンを押す。
「はい?」
(おはよう加藤三尉。少しいいか?)
「おはようございます。なにか?」
(少し耳に入れておいてほしいことがあってな。今日の9時頃、MB-00用の新装備が本部に届く。なんでも三尉発案の装備だそうだが)
「僕の……?あぁ、はいはいっ」
言われて光秋は、昨日の大河原主任との電話を思い出す。
(覚えがあるようだな)
「昨日もその件で電話がありまして。ただ詳しい時間まではわかりませんでした。9時頃ですね。了解です」
(ん……機会をみて運用試験のレポートを送ってくれ。僕からは以上だ)
「承知しました。ありがとうございます」
言いながら一礼すると、光秋は電話を切ってポケットに戻す。
「誰からです?」
「福山主任。今日の9時頃に新しい装備が届くってさ」
待機室の隅に置かれているテーブルに座りながら訊いてくる菫に、光秋は椅子に背中を預けながら答える。
「新しい装備って?」
「秋田で僕がニコイチに鉄球持たせて戦っただろう。あれを基にしたもの」
「あぁ、あれね……」
光秋が答えると、訊いてきた桜は懐かしさと恐れが混ざったような顔を浮かべる。
―……あぁ。そういえば桜さん、あの時法子さんに引っ
そんな顔をする理由を察していると、桜は入れ替わる様に不満を浮かべて言ってくる。
「ていうかさー、出るのは8時なんだろう?何で30分も早く集合するのさー?」
「なにごとも余裕をもってだよ。ギリギリに来て焦るよりいいだろう」
「流石、光秋さんです!」
「大袈裟なんだよ、菫も……」
光秋が答えるや即感銘の声を上げる菫に口を尖らせると、桜はそのままテーブルに突っ伏した。
それを見て、光秋は背中に再び痛みを感じた。
―少なくとも、あの体勢で一晩過ごすもんじゃないか……―
7時50分。
「さっ、そろそろ行くぞ。忘れ物ないか確認して」
言いながら椅子から立ち上がった光秋は、自身も背広の上からあちこち触って手荷物を確認し、カバン片手に少女たちが座っているテーブルに歩み寄る。
「ほら、桜さんも起きてっ。行くぞ」
「んー……」
揺すられながら言われて桜も渋々体を起こし、光秋と、すでに準備を終えた菫と北大路を追って待機室を出る。
駐車場に着くと光秋は周囲を見回し、ぽつぽつと停まっている車の中から自分たちの送迎に来ているものを探す。
「えっと、どれか…………」
その時、
「おーい、加藤」
「この声は……」
今やすっかり耳に馴染んだ声に昨日ぶりの既視感を覚えながら辺りを見回すと、ワゴン車型のパトカーの助手席の窓から手を振る徳川を捉え、少女たちを連れてそこへ向かう。
「おはようございます、徳川さん。今日も僕たちの送りを?」
「あぁ。昨日署に帰ったらそう言われてさ」
「私もいるよ」
確認する光秋に徳川が応じ、運転席の羽柴もそれに続く。
「さっ、乗って」
「はい。みんな乗って」
後部席に目配せする羽柴に応じると、ドアを開けた光秋は先に少女たちを乗せ、3人乗ったのを確認してから自身もパトカーに乗り込む。
「では、本日もよろしくお願いします」
「了解っ。出発!」
シートベルトを締めながら告げると、羽柴は意気揚々とハンドルを握り、パトカーは渋谷区へ向けて走り出す。
「それじゃあ、移動しながら今日の説明するぞ」
パトカーが車道を走り出してしばし。中央列に収まる光秋はカバンからメモを取り出すと、後部列に並んで座る桜と北大路、隣に座る菫を見やりながら言う。
「基本的な流れは昨日と同じ。サイコメトリーを行いながら担当の区域を巡って危険を察知する。ただ、その道中、もしくは僕たちのいる所から離れた場所で予知の原因が発生するかもしれないから、柏崎さんと柿崎さんにはそのつもりで待機してもらう」
「私が現場にテレポートして、一緒に行った桜が対処するって、そんな感じですか?」
「だいたいな」
菫の確認に、光秋は頷きながら応じる。
その間にも、パトカーは渋谷区に差し掛かる。
「それで、今日はどっから?」
「あぁ、まずここに向かってください」
羽柴に訊かれて、光秋は昨日と同じように地図を指さす。
「ここね。了解」
応じると羽柴はハンドルを右にきり、少ししてパトカーは最初の担当場所に到着する。
「じゃあ、北大路さん。早速頼む」
「……わかりました」
降りながら告げた光秋に応じると、北大路はパトカーから少し離れた地面に手を着けた。
北大路によるサイコメトリー、パトカーによる移動、ときどき発見した危険箇所の報告や対処を繰り返すこと3時間。
11時を少し回った現在、光秋一行は本日何度目かのサイコメトリーを行っていた。
「…………この辺りにはこれといった危険はなさそうですね」
「了解。じゃあ、次行くか」
屈んでいた体勢から立ち上がりながら報告する北大路に応じると、光秋は徳川たちが待つパトカーに向かって歩き出す。
―これまで何度か危険を発見したけど、今もって予知は消えないんだよなぁ。NPやZCが動く気配もないし…………いったい、何が死傷者数十人なんて大惨事をもたらすっていうんだ?―
北大路には努めて平静に応じたものの、未だ変化のない状況に再び焦燥を覚えてしまう。
その時、ポケットの携帯電話が振動する。
「すみません。ちょっと」
車内で待っている一同に断りを入れると、光秋はパトカーから少し離れた所で画面を開く。
「藤岡主任?もしもし?」
(加藤か。少しいいか?)
「はい。どうされましたか?」
(そっちの状況はどうなっている?)
「どうって……3時間程サイコメトリーによる調査を行っていますが、目ぼしいものはまだ」
(俺の方もだ。サイコメトラーがいる別の隊と同行してあちこち回っているが、未だ予知に繋がるものは発見できていない)
「そちらも……」
思わぬ形でもたらされた
「いったい何なんでしょうね?死傷者数十人の原因って……NP、ZC共にこれといった動きはないし、昨日からいくつもの危険が発見されてるのに予知は変化しないときてる。本当に、いったい…………」
(……それなんだがな)
先程から抱いていた焦りを思わず声に出すと、藤原が慎重な声で返してくる。
(俺もそうだが、みんな『予知の原因は渋谷区内のどこかにある』、もしくは『NPかZCの攻撃だ』、主にこの2つの範疇で考えていないか?)
「原因が渋谷区にあるか、NPかZCの攻撃…………えぇまぁ、そうだと思います」
言われたことを少し時間をかけてでもしっかり呑み込んでから、光秋は頷いて応じる。
(これは海外の例なんだがな。人っ子一人いないはずの荒野のど真ん中で、数十人の死者が出るという高確率予知が出たことがあった。現地当局は半信半疑ながらも調査を行ったが目ぼしい成果は上がらず、算出ミスじゃないかと疑い始めたその時、エンジントラブルを起こした旅客機が落ちてきたそうだ)
「無人の荒野に旅客機……ですか……?」
(ちょうど現場に出ていたサイコキノ数名によって旅客機は受け止められて事なきを得た。そして同時に、その予知も消えたそうだ)
「…………つまり、予知にあった『数十人の死者』というのは旅客機の乗員・乗客で、『無人の荒野』は偶々その墜落場所になった…………
(そういうことだな)
一語一句噛み砕き、慎重に呑み込み、自分なりの理解を確認する光秋に、藤岡は静かに応じる。
(会議の後から何か引っかかっていたんだが、さっきようやくこの話を思い出してな)
「……あぁ」
言われて、会議の後、待機室へ向かう途中の藤岡が思案顔を浮かべていたのを思い出す。
「でもそうなると、いよいよ予知の原因が何かわからなくなりませんか?原因が現場の外からやってくるって……それこそ渋谷は人の往来が激しい土地ですよ?」
(それも承知している。その点についてはこれから本部に進言するところだ。その前に俺の方でも考えを整理したくてお前に連絡したんだが。手間をとらせたな)
「あ、いえ……」
詫びに唖然と応じると、藤岡の方から電話は切れる。
「…………」
すでに何も聞こえてこなくなった携帯電話を眺めながら、光秋は今回の予知を知らされて以降、最も途方に暮れている自分を自覚する。
―原因が外からやってくるかもしれないって……いよいよ何でも起こり得るってことじゃないか。それこそ手頃な大きさの隕石が高層ビルを直撃して、倒壊なり破片が道にばら撒かれるなりすれば、それこそ死者数十人なんてあっという間に成るぞ。どうすればいい…………?―
胸の内に投げかけられた問いに答えてくれる声はなく、困惑の視線をなんとなく空へ向ける。
「おーい、光秋!」
「光秋――加藤主任?」
「……あ。あぁ、すまない。今行く」
桜と菫の呼び掛けにどうにか気を取り直すと、握ったままだった携帯電話をポケットに戻してパトカーへ乗り込む。
しかし生じてしまった困惑は早々消えず、窓越しに空を眺めることは変わらなかった。
―原因は何だ?何処から来るっていうんだ?―
藤岡との電話から10分程経った頃。
次の調査場所に移動した光秋は、北大路が地面に手を着いてサイコメトリーを行う横で、視界に収まる限りの空を落ち着きなく眺めていた。
「…………あの、加藤主任」
そんな時、控えめな菫の声がかかる。
「さっきの電話で、なにかありましたか?」
「なにかって?」
あてどなく上空を見回すのを一旦やめ、光秋は隣の菫に顔を向けながら訊き返す。
「その……さっきからなにか焦ってるというか、困ってるというか……もちろん今朝からそんな感じはありましたけど、さっき誰かと電話で話してから、それが強くなったというか……」
―…………いかんな。事情がどうであれ、子供にこんな顔させて―
応対こそどこかぎこちないものの、こちらのことを心底心配していると明瞭に物語っている菫の表情に、そんな顔をさせてしまったことに情けなさを覚えた光秋は、それでかえって落ち着きを取り戻す。
「別に大したことじゃないよ。ただ、藤岡主任からちょっと気になる話を聞いて……」
「気になる話って、なんです?」
「いやさ…………」
菫の問いに、光秋は先程聞いた予知出動のことを話す。
特に声の大きさに気を配っていたわけではなかったせいか、ひと通り話し終えると、少し離れた所に停まっているパトカーの助手席の窓から身を乗り出した徳川が言ってくる。
「そういえば何年か前にあったな、そんなこと。で、さっきから空ばっかり見てるのはその影響か?」
「…………見られちゃってましたか……」
「旅客機」という単語のせいか、電話が終わって以降、空に意識を向け過ぎていることを薄々自覚し始めていた光秋は、その指摘に気まずさを覚える。
―『旅客機』……つまり『飛行機』と聞いたせいか、どうしても空ばっかり見てるよなぁ……この先入観というか、意識の偏り、まさに“今の人”だな…………―
それはますます光秋の気まずさを増幅させ、自分の認識のあり方に情けなささえ感じてしまう。
「まぁ、だからというか、どうにもさっきから空にばかり目が行ってしまって……でも、今の話で言いたかったのは、きっとそういうことじゃないんですよね。それこそ予知の原因はどこから来るかわからないから注意しろって、そういうことなんでしょう。でもそうなると、いよいよどう対処したものかって…………」
何度目かの自問を声に出して徳川たちに投げかけると、いよいよどうしたものかと頭を掻く。
「……えっと……その……」
その様子に、菫はなにか言おうとして言葉が見付からず、顔を俯けて言いよどんでしまう。
と、
「あのー、ちょっといいかな……?」
「……どうした?」
どこか居心地の悪そうな桜が遠慮がちに手を挙げ、光秋は掻いていた手を下ろしながら応じる。
「結局さ、光秋って何に困ってるの?」
「いや、だからな、何が原因で予知された事態が発生するのかって。その原因がいよいよわからないって話」
「だから、それを調べんのが今のアタシらの仕事なんだろう?アタシらっていうか、殆ど菊だけどさ」
「いや、それはそうなんだけど…………」
ここに来て、何故か根本的な部分で話が通じなくなった桜に先程までとは質の異なる困惑を覚えながら、光秋はどうにか説明文を組み立てる。
「つまりな、この方法で原因を突き止められるか、いよいよ確信が持てなくなってきたってこと。それこそ藤岡主任から聞いた話みたいに、発生直前に現場の外から突然やって来る可能性もあるわけだし……」
「それだってさ、光秋来る途中に言ってたじゃん。調べてる途中とか、遠くで予知の原因が起こった時は、アタシと菫で対処するって」
「まぁ……確かにそう言ったけど……」
言われて、光秋は藤岡との電話以降失念していた渋谷へ向かう道中で出した指示を思い出す。
「でも、柏崎さんの力で対処し切れる事態かどうかも――」
「心配すんなってッ!」
言いかけた不安でいっぱいな言葉を、桜の活気溢れる声が掻き消す。
「こっちはレベル9のサイコキノだぜ。大抵のことはどうにかなるよ!それこそデカい飛行機が落ちてきたって、アタシなら一人で受け止める自信あるし」
「隕石ならボールみたいに宇宙に打ち返したりね」
「隕石?んーまぁ、そうだな!」
―北大路さんめ……さっきの想像“聞いて”たな―
いつのまにかサイコメトリーを終えていた北大路の唐突な言葉に、桜は首を傾げながらも胸を張って応え、話の出所を察した光秋は少し睨む。
「そりゃあ、DDシリーズとかいう黒い連中が来たら流石にあれだけど…………そんときゃ光秋と一緒にやればなんとかなるさっ」
「…………一緒に……?」
何の気なしに発せられたその一言に、光秋は先程まで張り詰めていた気がみるみる弛んでいくのを感じる。
「…………それもそうかぁ……」
気が付けば知らぬ間に張っていたらしい肩の力が抜け、数瞬前に比べて遥かに軽くなった体から脱力の声が漏れる。
「考えてみれば、この先何が起こるかわからないなんて、寧ろ普通なんだよな。今回は、『少なくとも今日中に大規模な事件が起こる』ってことが漠然とわかっただけで。それこそ、突然警報が鳴って慌てて出動したり、演習と思って行ったら敵が乱入してきたり、家で寛いでたら地震に遭ったり……そういうのと実はそんなに変わらないんだよなぁ…………」
こちらは「DDシリーズ」という単語の影響か、連想されるこれまで遭遇した予想外の事態を次々挙げていくと、いよいよ胸の内まで弛緩していくのがわかる。
「いや、すまない。初めての主任としての予知出動ってことで少し……いや、大分気張ってたみたいだ。やることはいつもとそんなには変わらないんだよな。遭遇した事態、目の前のことに全力で対処するってことではさ……ありがとな、桜さん」
「!ちょっ、撫でるなぁっ!」
礼を言うと同時に、光秋の右手は自然と桜の頭に置かれ、当の桜はみるみる顔を赤くする。
「……むう」
それに比例するように、隣でその様子を見ている菫の頬が徐々に膨らんでいく。
それを見て、光秋の左手が菫の頭に置かれる。
「菫さんもありがとな。心配してくれて」
「!えっ?いえ、その…………と、当然です!加藤主任は、私たちの主任なんですから!」
「……君たちの主任、か……だな。ありがとう」
途端に顔を赤くしながら告げられた菫の言葉を胸の中で噛み締めながら、光秋は撫でる手に一層力を込めながら改めて礼を言う。
「どうやら、悩みは解消したようだな」
「……すみません。お手間をとらせて」
微笑みながら言う徳川に、桜と菫から手を離した光秋は時間を食ってしまったことへの気まずさを覚えながら頭を下げる。
「ま、初めてのことでテンパるのはよくあることさ。俺もそうだったし」
「そうそう。初めての職務質問で危うくケンカになったりねぇ」
「なっ!羽柴それは……!」
「ははぁ…………」
思わぬ暴露を行った羽柴に慌てる徳川を見て、光秋は苦笑を返す。
「……まぁ、とりあえず……北大路さん、ここに異常は?」
「特にありませんでした」
「わかった。じゃあ次だな」
「その前に、ちょっと早いけどお昼にしない?アタシお腹空いた」
桜に言われて、光秋も自分の腹に意識を向けてみる。
「だな。区切りもいいし、今の内に食べちゃうか。羽柴さん、すみません。近くのコンビニに寄ってください」
未だ徳川に睨まれている羽柴に声をかけながら、光秋は少女たちとパトカーに乗り込んだ。
先の調査場所から少し行った所にあるコンビニ。一行を代表してそこに向かった光秋と菫は、みんなの注文を書いたメモを片手に昼食を買っていた。
「えっと、お茶におにぎり、コーラにサンドイッチ……」
「よし、揃ってるな」
菫と一緒にカゴの中身をメモと照らし合わせ、買い忘れがないことを確認すると、光秋はそのままレジに向かう。
昼時とあってか店内はそこそこ混んでおり、しばし並んで待つことになる。
「予想はしてたが、やっぱり混んでるな……」
「そうですね……」
「こりゃあ、桜さんの機嫌がますます悪くなるかな……?」
「……そう……かもしれませんね……」
未だ先の長いレジを眺めながら、買い物に行く前の桜を思い出してぼんやりと呟く光秋に、菫がわからなくもない様子で応じる。
―菫さんと2人で行くと言ったら、『アタシも行く!』って聞かなかったからなぁ。理由――買い物に3人もいらないことと、買い物中に何か起こったら菫さんのテレポートですぐにパトカーに戻れるようにすること、その時桜さんはすぐ動けるように外で待機していてもらわなきゃいけないこと――を説明したら、嫌々ながら納得してくれたようだったけど……我が強いところはあるけど、あれはどっちかというと『幼児の駄々』って感じだったよな。何でだろう…………?―
買い物前の桜の様子を思い返して改めて考えてみるものの、結局その胸中を察することはできなかった。
その間にようやくたどり着いたレジで会計を済ませると、菫と共に速足でパトカーへ戻る。
「お待たせしました」
「ご苦労さん。ほれ、コレ」
ドアを開けた光秋を労いながら、徳川が買い物に行く前に預けておいたカプセルを渡してくる。
「ありがとうございます」
礼を言って受け取ったソレを内ポケットに戻すと、光秋の脳裏に先日の曽我との摸擬戦の記憶が過る。
―緊急時にはテレポートで戻る――といっても、コレを落としてきちゃ、話にならないからね―
思い浮かぶのは、カプセルの超能力耐性を失念してテレポートを行い、さらには落としてしまったソレに躓いて我ながら無様な敗北を喫したこと。それ故に自戒の効果は強く、今回のように超能力との併用は以前よりも慎重になったところがある。
「えーと、徳川さんは鮭と辛子明太子のおにぎり、あと緑茶で、羽柴さんはホットドッグとカフェオレでしたよね」
言いながら、光秋はビニール袋から出した昼食を頼んだ者たちに渡していく。
「ほれ、柏崎さんたちも」
前部席の徳川たちに渡し終えると、そのまま後部席の菫に袋を手渡す。
「……これって」
受け取った菫が中身を配る傍ら、袋の中を覗いた桜は、誰も頼んでいないチョコレートや飴玉など、数種類の菓子の袋が入っていることに気付く。
「あぁ。休憩の合間になにか摘まめたらと思ってさ。僕も甘いものが欲しいと思ってたし。品揃えは菫さんと相談して決めた。後でよかったら食べて」
その様子を見て光秋が説明をする間にも、羽柴運転の下にパトカーは再び走り出す。
―ま、桜さんが思ったより怒ってなかったのは、よかったかな……―
戻ってきてから微かに尖った目付きだった桜が、菓子袋を見て薄っすら微笑んでいるのを見て、光秋は小さく安堵した。
昼食を兼ねた移動を終えると、光秋一行はサイコメトリーによる調査を再開した。
しかし、
―ここもダメだったか…………―
移動と小休止を挟みながら調査を続けるものの目ぼしい成果は出ず、間もなく午後2時を指そうとしている腕時計を一見しながら、光秋はさっきほどではないが再び焦りを抱きつつある己を自覚する。
そんな時、再び携帯電話が振動する。
「涼さん?すみません。ちょっと」
これまた予想外な相手に意表を突かれつつ、徳川たちに断りを入れて通話ボタンを押す。
「もしもし?」
(光秋さんですか。今少しよろしいでしょうか?)
「いや、今仕事で外に出てて……」
(渋谷の予知出動ですよね)
「よくわかったな」
現状をぴたりと当ててみせた涼に、光秋は軽い関心を覚える。
(私もその件で本部に来ていて。受け付けで訊いたらいないと言われたので、もしかしたらと)
「なるほど……渋谷の件で本部に来たってことは、涼さんも何か予知したのか?」
涼の返答に、光秋は涼が予知能力者であり、その方面でESOにも協力していることを思い出して、少し興味を持つ。
(はい。すでに予知部の方には報告したので、じきに光秋さんたちにも連絡が行くとは思うのですが…………その……早めに伝えた方がいいかと思いまして)
「それは助かるっ。是非教えてくれ」
歯切れの悪さが多少気になったものの、新しい情報が手に入る機会を前にして、光秋は気持ちを逸らせながら涼に先を促す。
(私も大まかなイメージしか視ていなのですが……橋が崩れるところが視えました。そしてたくさんの車がそれに巻き込まれて……)
「橋?…………あぁ、車ってことは、もしかして陸橋か?」
(おそらく)
「でも、渋谷に陸橋……?確認するが、本当に今の渋谷の件に関する予知なんだよな?」
(それは断言できます。この光景は渋谷で起こる、その可能性が非常に高いって……何でそう思うのかと訊かれると、説明しづらいのですが…………)
「予知能力者の直感ってやつか……」
言いづらそうにしている涼に、光秋は返事代わりに感じたままを言ってみる。
「にしても、橋が崩れるイメージか……他には?」
(それで全部です……すみません。さすがに漠然とし過ぎてますよね……)
「いや、正直行き詰ってたところに、新しい情報が入ってきたんだ。これを参考にすれば、何か進展があるかもしれない。少なくとも、ないよりずっといい。わざわざ連絡くれてありがとう」
申し訳なさそうにする涼に対し、光秋は詰りが取れたようなすっきりとした顔で礼を言う。
(それならよかったですっ。では、私はこれで。お仕事頑張ってください!)
「あぁ。そっちもな」
数瞬前とは打って変わって嬉しそうな声で言う涼に応じて電話を切ると、光秋は徳川たちの許へ速足で向かう。
「すみませんお待たせして。ちょっと地図出してもらえますか」
「これか?」
詫びながら頼むと、徳川が車内に置いていた担当場所の描かれた地図を手渡してくれる。
「ありがとうございます」
礼を言いながら受け取ると光秋は地図を広げ、涼が言っていた陸橋のある辺りを探してみる。
「なにやってんの?」
「ん。区内の陸橋のある場所探してるんだよ……と言っても、この地図見にくいな」
桜の問いに地図から目を離さずに応じるものの、道の細さに苦言を零す。
「この辺で陸橋っていったら、山手線だな。それがどうかしたのか?というか、さっきの電話誰からだよ?」
「あぁ。予知部に協力している人に知り合いがいて、その人から教えてもらったんです。橋が崩れるところが視えたって……あ、これか」
徳川の問いに応じながら山手線を示す線を指でなぞっていくと、確かに道路と交差している箇所をいくつか見付ける。
「僕らの担当場所から少し外れるな……」
「なら、その辺担当してる班に連絡して、調べてもらうか?」
「…………」
位置関係の把握と徳川の提案に、光秋はしばし逡巡する。
―普通なら徳川さんの言う通りだろうけど、いかんせん情報が曖昧だしな。もちろん、もう少しすればさらに集計された詳しい情報が入ってくるんだろうが、その前に事が起こる可能性もあるわけで…………―
中途半端な情報で他者を振り回してしまうかもしれない不安と、涼の協力に応えたい思い、こうしている間にも予知が実現してしまうかもしれない恐怖。いずれも独自の質量をもった気持ちを胸の内に渦巻かせることしばし、光秋は結論を告げる。
「いえ、それなら僕らで行きましょう。確かに担当場所は外れるけど、陸橋周りを少し見てくるだけだし。何もないようならすぐ本来の仕事を再開すればいいでしょう。それで周りに何か言われたら、僕が受けますので」
「新人がナマイキ言ってんじゃねーよっ」
「……すみません」
言うや徳川に小突かれるものの、それで方針が固まった一行は、手始めに一番近い陸橋と道路の交差点へ向かう。
「ところで加藤主任。電話の相手って、涼さんですよね?電話に出る前に名前呼んだのが聞こえましたけど」
「そうだけど……?」
走り出してすぐに訊いてくる菫に、光秋はその意図を図りながら頷く。
「……確か、あのメガネの女の人だよね?この前光秋と一緒に歩いてた」
「加藤主任な。そうだけど?」
呼び方に訂正を入れつつ質問してきた桜に応じると、その顔は少し膨れてくる。
「へー、そう。ふーん…………」
「…………」
「?」
それに合わせるように菫の顔からも僅かだが活力が抜けていく様子に、光秋は首を傾げる。
「だから、女の扱いには注意しろっての……」
「?」
藪から棒に先日の飲み会で出た言葉を呆れ気味に呟いた徳川に、光秋の首の角度はさらに深くなった。
十数分程走ると、ビル群の只中に2車線道路を跨いだ陸橋が見えてくる。
交通の妨げにならないように少し手前で停車すると、光秋は北大路を連れて陸橋の下に向かい、着くと早速サイコメトリーが開始される。
「……どうだ?」
「ざっと調べた限り、特に異常は感じません」
「どこか脆くなってるとか、傷が入ってるとかは?」
「ありません」
「そうか……」
北大路の返答に、光秋は頭上に架かる陸橋を見上げながら呟くように返す。
「まぁ、候補地は他にもあるしな。次行ってみよう」
「了解」
気を取り直して告げると、北大路と共に速足でパトカーへ戻る。
「ここは違うみたいです。次お願いします」
「了解」
乗り込むと同時に告げるや、応じた羽柴は陸橋に沿うようにパトカーを走らせ、少しして2か所目の車道との交差点に差し掛かる。4車線の上に架かる、先程よりも広々としたものだ。
ここでも邪魔にならない位置で停車すると、光秋と北大路は陸橋の下へ向かい、サイコメトリーを行う。
「……どうだ?」
「……ここも、特に異常は感じません」
「そうか…………」
簡単には原因に辿り着けないとは思っていたものの、2度目の空振りに、光秋はつい落胆の声を漏らしてしまう。
―いかんいかん。また焦ってるな。さっきも言ったように、候補地は他にもあるんだ―
気を取り直して「次へ行こう」と声をかけようとしたその時、路上に手を着いた北大路が目の前を通り過ぎて行ったスーツ姿の女性を目で追っているのを見る。
「……あの人がどうかしたか?」
その視線を追って、光秋も陸橋の下の歩道を歩いていく女性を眺めながら訊ねる。
「いえ、他に何か手掛かりがないかと思ってもう一度サイコメトリーを始めたら、すぐにあの人が近くを通りかかったんですけど……なんか、具合悪そうだなって」
「…………言われてみれば」
北大路の答えに改めて女性に目を凝らすと、その足取りがどこか危うく、時折体を屈めて咳込んでいることに気付く。
―出勤したはいいものの、思った以上に具合が悪いから早退して家に帰る途中って、そんなとこか?僕も秋に似たようなことあったけなぁ……風邪ひいた時の帰り道って、普段よりずっと長く感じるんだよなぁ―
女性の状況を当てずっぽうで勝手に推測しつつ、これまた勝手に数カ月前に自分が陥った状況、その時に感じたことを重ねていた、その時、
「!?」
ひと際激しい咳に見舞われて女性が
「地震かっ?――!!」
言った直後、蹲った女性を中心に路面に亀裂が走り、それらは瞬く間に四方へ広がっていく。
「なッ!?」
「行っちゃダメッ!」
あまりの事態に絶句しながらも女性に駆け寄ろうとした光秋の背中に、路面に手を着いた北大路の悲鳴に近い声が投げかけられる。
「あの人、念力が暴走してます!迂闊に近付いたら巻き込まれる」
「暴走?ッ!」
言う間にも亀裂の1本が陸橋を支える柱に迫るのを見るや、光秋は脊髄反射で後ろのパトカーに向かって声の限りに叫ぶ。
「菫さん!あの人をテレポート!橋から離せっ!」
「はいっ!」
返事と同時に、窓から顔を出していた菫は女性をパトカーの近くに跳ばすが、今度はその周囲の路面が割れていく。
「桜さん!その人の周囲を念壁で覆って!その人の念力を押さえ込んでっ!」
「オウっ!」
直後に光秋は桜に指示を飛ばし、パトカーから降りた桜が女性に向けて両手をかざすと、四方に広がっていた路面の破損が止まる。
それを見るや、助手席から降りた徳川がパトカーの後部から携帯用Eジャマーを持ってくる。
「これで……」
言いながらEジャマーを作動させた徳川は、それを持って慎重に女性に近付く。
「桜さん、念壁を解除。その場で待機して」
「了解っ」
徳川の様子を見てそう指示を出しながら、光秋も北大路と共に女性に駆け寄る。
「大丈夫ですかっ?」
「…………」
そう声をかけた女性は力なく徳川に抱きかかえられ、応じる代わりに焦点の定まっていない目を向けてくる。
「ひとまずEジャマーで念力は封じた。といっても、暴走そのものが終わったわけじゃないけどな。それにこの人、凄げぇ熱だぞ」
「えっと、こういう場合は…………」
代わりに徳川が応じ、赤い女性の顔を見て具合が悪いことを改めて確認しながら、光秋は研修で習った超能力が暴走した時の対処法を思い出そうとする。
その間にも光秋たちが来た方向から、Eジャマーを積んだESOの装甲車と数台のパトカー、そして救急車がサイレンを響かせながら走り寄ってくる。
光秋たちが乗ってきたパトカーの後ろに停まるや、車から降りてきたESOの職員たちが女性の許に駆け、カバンから出した無針注射器を首筋に押し当てる。
―あれはっ―
その様子に光秋は、注射器の中身が脳にある超能力中枢の働きを抑制する薬品であり、一連の行為が超能力の暴走に居合わせた時の基本的な対処法であることを思い出す。
注射器を離した女性が糸が切れた様に項垂れると、後ろに控えていたストレッチャーに乗せられ、すぐに救急車に運ばれていく。女性を乗せた救急車はサイレンを響かせると、そのままESOの車を伴ってやって来た方向へUターンしていく。
そしてその一方で、パトカーから降りた警官たちが陸橋の周囲を封鎖し、交通整理を始めていく。
「……これで一件落着……てことでしょうか……?」
「さぁな。予知がどうなったか、本部に照会してみろよ」
「そうします」
徳川の返事に、光秋はすぐに電話をかけ、予知の状況を訊ねる。
「…………承知しました。ありがとうございます」
電話の向こうから告げられた報告を粛々と受け入れて通話を切ると、再び徳川たちを見る。
「予知、消えたみたいです。ほんの1分くらい前に」
「……てことは、これが予知の正体……?」
「そういうこと……なんでしょうね。タイミング的に……」
応じた徳川の視線を追って、光秋も改めて陸橋の下を見る。女性が蹲っていた所を中心に蜘蛛の巣状の亀裂が深々と刻まれ、その内の1本があと数センチで陸橋の柱に達しようとしている光景に、今更ながら薄ら寒さを覚える。
「お前はいっぱいいっぱいで気付かなかったみたいだけどな、ちょうど女の人を橋の下からテレポートさせた時、上を電車が通って行ったんだよ……」
「……そう……なんですか……」
何かを合点し、それ故に恐怖を覚えたらしい徳川の呟きに、光秋も深い共感を覚えながら応じる。
―もしあのヒビが柱に届いて崩れたら……あと数秒長くあの人が橋の下にいたら…………なるほど。数十なんて人数、余裕で達するわけだ―
崩れた陸橋から走行中の電車が勢いのままに落ち、橋の瓦礫と共に下を流れている車列を巻き込んでいく。そんな光景を脳裏に思い浮かべ、体中を強烈な悪寒が襲う。
と、背後から羽柴の声がかかる。
「おーいっ。今東京本部から連絡がきて、調査に行った班は一旦戻ってこいってさ」
「ここの事後処理は?」
「私がさっき連絡して、引き継ぐって。現に今何人か来てるでしょう」
陸橋の下を指さして訊ねる光秋に、羽柴は車載通信機のマイクを示しながら応じる。
「わかりました」
頷くと光秋はパトカーに戻り、徳川と桜、北大路もそれに続く。
全員乗ったのを確認すると、羽柴はパトカーをUターンさせ、本部へ向かう。
―終わったぁ…………―
パトカーが走り出すと、昨日からの肩の荷がようやく下りた光秋は一気に安堵し、脱力した体を背もたれに預けた。