白い犬   作:一条 秋

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111 迎えに

 3月24日木曜日正午。

 半日分の業務を終えた光秋は、食堂でうどんをすすりながら、いよいよ明日に迫った伊部姉妹との再会に申し訳程度に心躍らせていた。

 

―京都から異動になったのが1月の中頃だから、かれこれ2カ月半ぶりか。今のところ週末までずれ込む用事もなし。この分なら、明日の夜には予定通り法子さんと綾とまた会えるぞ!―

 

 気を抜けばどこまでも浮かれそうになる心境を抑えながらも、僅かな顔の緩みだけは止められなかった。

 そんな中、不意に徳川と羽柴、そして涼の顔が脳裏を過り、浮かれ気味な胸中に一瞬重い罪悪感を抱く。

 

―終わったらっ。法子さんたちの件が終わったら必ずこの前の埋め合わせはするのでっ。それまでどうか待っててください…………―

 

 胸の中で3人に詫びを入れ、それでようやくバランスがとれたのか、自分でも不安になるくらい躍っていた心境も落ち着いてくる。

 ポケットの中の携帯電話が震え出したのは、そんな時だった。

 

「福山主任?……もしもし?」

 

 画面の名前を見るや箸を置き、すぐに電話に出る。

 

(少しいいか?)

「はい。なにか?」

(初めに確認するが、今食事中か?)

「えぇ」

(ではそれが終わり次第、いつもの格納庫に来てくれ。MBー00の件で話がある)

「ニコ――00の?わかりました」

 

 言うと携帯電話をポケットに戻し、少しでも早く食べ終わろうと箸でより多くのうどんを掴む。

 

―ニコイチのことってなんだろう……?週末に臨時の訓練だか運用試験だか入らないといいけど――っ!―「熱っ!!」

 

 不謹慎とは思いつつもそんなことを考えた直後、掻き込むように口に入れようとした麺の束の予想以上の熱さに、思わず声を上げた。

 

 

 

 

 昼食を終え、近くの水盤で軽く口をすすぐと、光秋は先程の電話に従って本部に異動して以降使う機会の多い格納庫へ向かう。

 しばらく歩いてシャッターの開け放たれた入り口前に着くと、立ち止まって中の様子を窺う。

 

「…………」

「加藤三尉。こっちだ」

「!」

 

 言いながらこちらを手招きする福山を見付け、すぐに駆け寄る。

 

「お待たせしました。それで、00の件って?」

「まず、アレを見てくれ」

 

 言いながら福山は自分の後ろを指さし、それを目で追った光秋は、ざっと全長10メートルはあろうやや太い筒状の機器が置かれているのを見る。

 

「……砲身……ですか?」

「当たらずとも遠からずだな。正解はレーザー砲だ」

「レーザー砲っ?」

 

 淡々と告げられた福山の回答に、思わず怪訝な顔を浮かべる。

 

「なんというか…………またなんともSFチックな物が出てきましたね……」

 

 思わず口から零れた、それが率直な感想だった。

 

「というか、レーザー砲って実在したんですね?」

「確かに、SFのガジェットとしてはいつかのレールガン以上にメジャーかもしれないな。しかしレーザーの原理自体はすでに確立しているし、兵器としての利用も次世代の対空防衛用として研究が進められている。本装備は、それを対DDシリーズ用に転用したものだな」

「やっぱり、そういうことですか……」

 

 ニコイチのことで呼び出された時から薄々予感していた単語がついに出て、光秋は袖の下の肌を粟立たせる。

 

「これまでに回収したサンプルを調査した結果、DDシリーズの外装を構成している物質――便宜上『DDマテリアル』と呼んでいるが――それは分子レベルで相互に強く結び付いていることが判明した」

「『DDマテリアル』、ですか……」―ニコイチでいうニコイチウムだな。少なくとも竹田二尉ならそう言うだろう―

 

 説明の過程で福山の口から出てきた新しい言葉に、思わず久しい顔が浮かぶ。

 

「これはつまり、DDシリーズの外装を弾丸等を用いた運動エネルギーによって破損させる――平たく言うと、『叩いて壊す』ということはほぼ不可能ということだ」

「……何度かの交戦と、なによりも00の性質からそんな気はしてました。そこでレーザー砲というわけですか?」

「そうだ。物質的に破壊することができないなら、高エネルギーの照射による溶解を試みてはどうかということになった。レーザーとはまた原理が違うが、00とDDシリーズの交戦時にも似たような事例は報告されているしな」

「……」

 

 言われて光秋は、DDシリーズが用いるビーム兵器、それがニコイチの外装を掠っていく時の熱さや痛みを思い出して、思わず顔を歪める。

 

「叩いて壊せないなら燃やしてしまえ……発想はシンプルでしょうが、具体的な方法論をこうして見せられると、なんというか…………凄まじいですね」

 

 一連の説明を自分なりに呑み込むと、目の前に鎮座するレーザー砲にも感慨が湧いてくる。

 

「それで、どういう原理なんです?できるだけ噛み砕いて教えていただけると……」

「噛み砕いて、か…………」

 

 自分が関わるものへの好奇心、と同時に抱いた難解な理論が展開される不安から出た光秋の問い掛けに、福山は少し考える。

 

「掻い摘んで説明するとだ、あの砲身――より厳密にはそれに似た形で組まれた装置の中に数種類のガス状化学物質が入っていて、それらを混ぜて反応させたところに光子(こうし)を加えることで誘導放出が行われ、高エネルギーを持ったレーザーが生成される……こんなところか?」

「はぁ…………」

 

 福山なりに「噛み砕いて」説明してくれたことは充分承知しながらも、「コウシ」だの「ユウドウホウシュツ」だのという単語が出た時点で、光秋の頭には散発的な鈍痛が走っていた。

 

「えっとー…………ガスの混ぜ物にコウシってのを当てることによって、あらゆる物を焼き払う光線、つまりレーザーを発射できるようになる……と?」

「その理解で概ね問題ない」

 

 それでも痛む頭で整理した自分なりの理解を述べると、返ってきた福山の返答に内心でほっとする。

 

「それで、ここからが本題なのだが、00によるコレのテストを行ってもらいたい」

―来たっ!―

 

 福山の口から出た今一番の懸案に、一度は弛緩した心を引き締め直す。

 

「……ちなみに、いつ頃?」

「今週の土曜日だ」

―法子さんと綾が来る時じゃないかっ!―「……また急ですね?」

 

 福山の返答に思わず出そうになった叫びをどうにか呑み込み、努めて冷静に返す。

 

「それは僕も申し訳なく思っている。本当ならもう少し早く連絡するつもりだったんだが、今回のテストの準備や、ゴーレムⅡの件でバタついていて遅れた」

「あぁ…………」

 

 連絡が遅れたこと以上に、久しぶりに伊部姉妹と過ごす予定だった週末の前半を潰されたことに憤りを抱いていた光秋だったが、ゴーレムⅡの名前を聞いた途端にそれが少し引いてしまう。

 

「もしかして、すでに予定が入っているか?」

「あ、いやー…………」

 

 福山の問いに、光秋は返事に詰まってしまう。口の方は今すぐにでも断る為の言葉を言いたがっている。

 しかし、

 

―福山主任だってゴーレムⅡの開発――対DDシリーズ兵器の開発を目指す主任からすれば寄り道ともいえることを頑張っているわけで……なにより、対DDシリーズ戦では現状唯一まともな戦力の僕が、その為の装備品のテストを疎かにするわけにもいかないか…………―

 

 数瞬かけてどうにか気持ちを整理すると、やや重くなった口を開く。

 

「いいえ。あるにはありますが、調整はつくので。大丈夫です」

「わかった。後で詳細をメールしておくから確認してくれ」

「わかりました……では」

 

 応じると、光秋は一礼して格納庫を後にする。

 

―とりあえず、メールを確認したら法子さんたちに連絡だな………一応承知はしたものの、こういう時に限ってこんな用事が入るって…………ままならんなぁ……―

 

 拭い切れないやり切れなさに、思わず嘆息が漏れた。

 

 

 

 

 3月25日金曜日午後6時。

 

「いよいよだなっ!」

 

 今日一日の勤めを終えて帰り支度を整えながら、光秋は嬉々として呟いた。体には週末独特の疲労感が溜まっていたが、胸中はようやく(じか)に会える伊部姉妹のことで軽々と弾んでいた。

 

―急な試験で一緒にいられる時間こそ減ったものの、これから東京駅に迎えにいくっていうのは変わらないからな。これから直接会えるだけでも嬉しいもんだ!―

 

 そう思うと、無意識の内に頬が緩んでくる。

 と、待機室のドアがノックされる。

 

「はい?」

「失礼します」

 

 応じると、学校の制服に身を包んだ菫が入ってくる。その後ろには、同じ服装の桜と菊もいた。

 

「どうした?3人して。それもこんな時間に」

「別に。ちょっと時間できたから、光秋の様子見に来ただけだよ」

 

 光秋の問いに、桜がドア近くの壁に背中を預けながら答える。

 

「様子見って……」

「なんだよ?」

「いや、ありがたいけどね」

 

 不服そうな顔をする桜に応じると、光秋は荷物の確認を終えた足元のカバンを肩に提げる。

 

「といっても、今日はもう上がりだけどな」

「じゃあ、これからみんなでご飯食べに行きません?帰る途中にあるお店で」

 

 光秋が呟くように続けると、歩み寄ってきた菊が提案してくる。

 

「悪い。この後用事あってさ」

「……用事、ですか?」

 

 その返事に菫が残念そうな顔をする横で、菊が好奇心の目で訊いてくる。

 

「用事ってなんです?」

「ん?京都にいた頃お世話になった人がこれから来るから、その出迎えに」

 

 答えると、今度は桜が訊いてくる。

 

「……もしかして、秋田でアタシにビンタした人?」

「よくわかったなっ」

 

 ここまでろくな情報を与えていないにも関わらず迎えの相手を的確に当てた桜に、思わず感心の声を返す。

 途端に桜は目を鋭くし、大股でこちらに歩み寄ってくる。

 

「それならアタシも行く!」

「……?」

 

 近くに寄るや言い放たれた言葉に、光秋は束の間困惑する。

 

「……行くって……」

「それなら私も」

「!じゃ、じゃあ、私もっ!」

 

 言葉に困っている間にも菊が、さらにはそれを見て慌てた様子の菫までもが手を挙げてくる。

 

「いや、待て待て。これからか?」

「当たり前じゃん。光秋と一緒に行くんだから」

「いや、待ち合わせ場所、東京駅だぞ?ここからだとそこそこかかるし、早く着いたとしても相手が来るのは8時過ぎ。そこからすぐ帰ったとしても、けっこう遅くなるぞ?」

「いいじゃないですか、ちょっとくらい夜更かししたって。明日は休みだし」

「そうかもしれないが…………でも、子供をあんな遠くまで連れ回すのは……」

「この前も渋谷まで連れて行ってくれたじゃないですか」

「そうだけど…………」

 

 桜、菊、菫――3人それぞれの反論に、光秋はいよいよ言い淀んでしまう。

 

―まぁ、確かに。いつかはこの3人とあの“二人”を会わせたいとも考えてはいたが…………―

 

 光秋にも、自分が今深く関わっている桜たちを伊部姉妹に会わせてみたいという思いはある。が、それはあくまでもまた別の機会であり、今回は姉妹との“三人”きりの時間を1分1秒でも多く取りたいという欲求の方がずっと強いことも自覚している。

 その一方で、計算的な部分が「断った場合」の予測を脳裏に見せてくる。

 

―もっともこの3人のことだ。断ったにしても、自分たちで無理にでもついて来る気がする。少なくとも東京駅に行くってことはもう言っちゃったから、テレポートなりなんなり、行こうと思えば行けるわけなんだよなぁ…………―

「あの、光秋さん。さっきから私たちのことで失礼なこと考えてません?」

「!」

 

 菊の指摘に、光秋は思案を中断してハッとする。

 

「……触った?」

「触ってません。顔に出てました」

「私も見ました」

「アタシも」

「……そうなのか」

 

 質問に対して菊はキッパリと答え、菫と桜も頷く様子に、光秋は疑念を霧散させながらも気まずさに頭を掻く。

 

「…………わかった。一緒に行こう」

「!」

「ヨッシャー!」

「ありがとうございます!」

 

 そんな気持ちも手伝っていよいよ観念するように告げた返答に、菊と桜は達成感の笑みを浮かべ、菫は嬉しそうにお辞儀を返す。

 

「じゃあまず、君たちの寮に寄って着替えて行こう。さすがに制服だと学校に連絡が行って後が面倒そうだし」

「わかりました!」

「……いや、でもさ、大の男が女の子3人連れて歩いてる時点で、いろいろ誤解されそうじゃね?」

「歳の離れた兄妹かなんかだと思うんじゃないか。あるいは……“そういうこと”になったら、そん時考えるさ……」

 

 明るく応じる菫に続いてかけられた桜の疑念にどこか投げやりに返すと、光秋は机周りの最終確認をして部屋を出、少女たちもそれに続いた。

 

 

 

 

 桜たちの寮に着くと、光秋は門の前で3人の着替えを待ち、その間に法子に3人がついて来ることをメールする。

 

―自分で決めておいてなんだが、“三人”きりの時間がさらに減ったことは、やっぱり惜しかったなぁ……―

 

 軽い悔いを覚えながらメールを送信し、それから少し経って私服に着替えた3人が寮から出てくる。

 

「お待たせしましたっ」

「じゃあ、行くか」

 

 3人を代表した菫に光秋が応じると、4人は最寄り駅へ向けて歩き出す。

 しばらく歩いて駅構内に入ると、光秋はポケットから財布を出しながら券売機へ向かう。

 

「先行ってるよー」

「あぁ。すぐ追い付く」

 

 改札機にカードをかざして先を行く桜たちに返しながら小銭を入れ、切符を購入すると、自分も速足で改札機をくぐって3人の後を追う。

 

―ホント、僕もカード買おうかなぁ…………―

 

 少女たちと電車に乗るたびに思うことを口の中に転がしながら、光秋はホームに繋がる昇りエスカレーターで3人に追い付いた。

 

 

 

 

 電車を乗り継いでしばらく行くと、光秋一行は東京駅の地下鉄ホームに降り立つ。

 

「みんないるな?」

「大丈夫だって」

 

 少女たちがはぐれていないか確認する光秋に、桜が鬱陶しそうに応じながら、4人は人波に沿って階段を上り、改札機をくぐる。

 

―そういえば、この駅を利用するのも来た時以来か…………相変わらず凄い人だな―

 

 目の前に広がる引っ越しの途中で見た駅構内の風景に感慨を抱き、それ以上に普段の通勤・帰宅ラッシュがかわいく思えてくる人口密度に圧倒される。金曜日の夜ということもあってか、それは一層多く感じられた。

 

―ただ帰宅するだけじゃなくて、仕事帰りに飲みに行ったり、週末を利用して旅行に行ったりする人なんかも混じってるんだろうな。特に東京駅は、他県との玄関口みたいなもんだし。実際、僕らや法子さんたちもそういう口だしな―

 

 思いながら辺りを見回し、構内の地図を見付けて駆け寄る。

 

「えっと、現在地は……」

「ここですね」

「ありがと。で、新幹線乗り場は……」

 

 菊に手伝ってもらいながら位置関係を確認すると、光秋先導の下に一行は新幹線乗り場の改札口へ向かう。

 案内板を確認しながら人の波を縫うようにしばらく進んでいくと、目的の改札口が見えてくる。

 

「こっちだ。もう少し寄って」

 

 周囲の邪魔にならないように光秋は近くの壁に背中を預け、注意を促された3人もそれに倣う。

 その体勢でしばらく待っていると、改札機の奥から人が途切れることなく現れる。

 

「電車、来たのかな?」

「みたいね。迎えに来た人の乗ってるやつでしょうか?」

「ちょっと待ってな……」

 

 未だ衰えない人波を眺めらながら桜が呟き、それを受けた菊の問いに、光秋は腕時計を確認する。

 

「8時回ってるから、時間としてはそうだな……追加の連絡もないし、もう着いてるとは思うけど……」

 

 携帯電話も確認して応じると、光秋は心なしか動悸が速くなっているのに気付く。

 

―いよいよ、か……―

 

 思うと同時に、人波の中に伊部姉妹の姿を探そうと目が細くなる。

 

「……………………」

 

 そうして人波を凝視し続けて2、3分が経過し、改札機をくぐる人数も疎らになった頃。

 

「あれぇ?……」

 

 未だ発見できない伊部姉妹に、光秋は腕時計と携帯電話にそれぞれ不安の目を向ける。

 

―到着時間はとっくに過ぎてる。遅れるって類の連絡も未だない。だというのに、まだ来ない…………まさか、何かのトラブルにでも巻き込まれたかっ?―

 

 浮かんだ疑念は瞬く間に体中を駆け巡り、もしそうならどうしようかと思考が向かいそうになる。

 その時、

 

「…………ッ!」

 

すでに人の流れが落ち着いた改札機、その奥から旅行用の大きなカバンを提げてやって来る人影を見て、不安のあまり硬直気味だった光秋の心臓が跳ね上げる。

 

―色黒の肌、後ろに1本に束ねた髪……それに、この感じ―

 

 もともと視力の低い目を凝らして収めた相手の容姿と、向こうもこちらに気付いたのか親しげに手を振ってくる仕草、そして何より胸の内に湧いて来る自分のそれとはまた違った喜びに、光秋は確信を持って改札機に歩み寄る。

 ちょうど相手の方も改札機をくぐると、一直線にこちらに駆け寄ってくる。

 

「光秋くんっ!」

「お待ちしてましたっ!!」

 

 満面の笑みで呼ばれた名前にこちらも頬をほころばせながら応じると、光秋は駆け寄ってきた女性――伊部法子の肩に両手を置く。

 

―あぁ、法子さんだ。本当に、法子さんだっ!―

 

 我ながら何を当たり前のことをと思いつつも、2カ月ぶりに間近に見る浅黒い顔、コート越しに感じる肩の実感、どこからともなく漂ってくる安心感を与える体臭、そうした感覚の一つ一つが、それまで声だけのやり取りしかなかった法子の存在を確かなものにしてくれたような気がして、思わずにはいられなかった。

 

「…………」

 

 欲をいえば、このまま背中に腕を回して抱き寄せ、法子の存在をよりしっかりと感じたかった。が、浮かれ気味な頭でもここが公共の場であることは把握していたし、なにより後ろの少女たちの視線が気になって、どうにかそれは自制した。

 少しして再会の喜びも落ち着いてくると、光秋は気になったことを訊いてみる。

 

「そういえば――」

「あのさ――」

 

 が、法子も同時に話しかけてきて、妙な気まずさに互いに押し黙ってしまう。

 

「……なんです?」

「光秋くんからどうぞ」

「じゃあ……その、出てくるのにだいぶ時間かかってましたけど、何かあったんですか?」

「あぁ、降りた場所がここの改札から遠かったみたいでさ。おまけに思った以上にすごい人混みで、ただでさえ長めの距離を人を掻き分けて進んでたら、思ったより時間かかっちゃって……ごめんね、心配かけて」

「あぁいえ、大したことじゃなかったんならいいんです」

 

 謝る法子に、光秋は慌てて応じる。

 

「それで、法子さんの方は?」

「あぁ、うんとね……」

 

 先程言いかけたことを光秋が促すと、法子はこちらをまじまじと見つめ、おもむろに右手を伸ばしてくる。

 

「少し、痩せた?」

 

 問われながら左頬をそっと撫でられ、久しぶりの法子の手の感触に、光秋は意識が弛緩しそうになる。

 

「いや、そんなはずは……」

「光秋くんは元から細いけどさ、短い間にいろいろあったじゃない」

「……まぁ、確かに濃厚な2カ月ちょっとでしたね」

 

 心配そうな顔の法子の指摘をきっかけに、光秋の脳裏には本部転属以降の記憶が早送りで流れていく。畑違いの知識に四苦八苦した主任研修。半ばの勢いと周囲のお膳立てで行ったNP・ZCの抗争への介入と、DDシリーズ3機との偶発戦。今までとは違う能力が要求されるようになったことを実感した催眠能力者通り魔事件。心身共に疲労した渋谷区の予知出動。頻発するようになったメガボディを用いた戦闘。そしてなにより、それまで指示に従う側だった自分が、指示する側になったこと――部下を持ったこと。

 

「…………あっ」

 

 そこでようやく、少女たちのことを失念していたことに気付く。

 

「すみません。紹介が遅れましたね」

 

 言いながら慌てて体を退かし、後ろに控えていた少女たちを示す。

 

「赤毛の子が柏崎桜さん。メガネの子が柿崎菫さん。癖毛の子が北大路菊さん。僕の……一応、部下です」

 

 藤原隊では一番下だった自分の口から、同じ隊にいた人に向かって「部下」と言うのは、なんとも照れ臭かった。

 

「で、3人とも。こちらが伊部法子さん。僕が京都にいた頃、いろいろお世話になった人」

 

 気を取り直して今度は少女たちに法子を紹介すると、後頭部の髪が誰も触れていないのに引っ張られる。

 

―…………あのぉ、綾さん。痛いです―

 

 これもまた2カ月少々ぶりの感覚に、光秋はいつの間にか目を三角にしている法子――から入れ替わった綾に胸の中で告げる。

 

―さっきから法子のことばっかり!―

―悪かったよ。なかなかお前さんの方に話を振れなくて……でもまぁ、お前さんの気持ちはさっきから感じてたけどな―

 

 テレパシーにふくれっ面を乗せてくる綾に、伊部姉妹を視界に捉えて以降感じている自分のものとも異なる喜びを踏まえて応じる。

 

―それはあたしだって!―

 

 そしてその感覚は綾の方にもあったらしい。嬉しさと不満が混ざったような顔で頭を光秋の胸に押し付けてくる。

 

「…………!」

 

 そのまま少し痛くも心地いい感覚に浸りそうになる寸前、少女たちの棘のあるような、あるいはどこか戸惑っているような視線に気付き、光秋は慌てて気を取り直す。

 

「ま、まぁ、立ち話もなんですし、そろそろ行きましょうか。あ、荷物持ちます」

「え、いいよ。これくらい」

「いいからっ」

 

 言いながら光秋は法子から取ったカバンを右肩に提げ、左手で法子の右手を掴むと、再び人波を縫って来た道を戻っていく。

 そうしながら、光秋はただ握っただけだった伊部姉妹の手、その指の間に自分の指を入れ、離れてしまわないように力を込める。

 

―あぁ、二人がいる。法子さんと綾が、確かにこの手の中に居てくれる―

 

 その実感は、この2カ月少々で一番の歓喜だった。

 

 

 

 

「なーんか、いい感じだよね。あの2人」

 

 先を行く光秋と法子、その2人の固く繋がれた手を射るように見つめながら、菊は不服そうに呟く。

 

「うん、そうだね…………」

「…………」

 

 それに対して菫が俯き加減に応じる中、桜は2人の様子を眺め続ける。

 

「…………」

「桜?」

「ふぇっ!?」

 

 菫に肩を叩かれて、ようやく桜は2人を見回す。

 

「どうしたの桜ちゃん?」

「桜が考え事なんて珍しい」

「悪かったな!」

 

 心配する菊に対し、菫の感心した様子に目を尖らせながら、桜は改めて光秋と法子を見やる。

 

「いや、なんて言うかさ…………光秋って、アタシたちにあんな顔するっけ?」

 

 言いながら向けた視線の先には、心底から嬉しそうに微笑む光秋の顔があった。

 もちろん桜も、自分が光秋とはそんなに長い付き合いでないことは承知しているし、だからこそまだ知らない一面もたくさんあるのだろうことも理解している。ただでさえ出会った当初は仲が悪く、その後も緊迫の事態が続いて笑顔を浮かべる機会が少なかったことも分かっている。だからこそ、これから笑っているところを見られる機会も増えてくるかもしれないと想像したりもする。

 しかし一方で、妙な直感も感じていた。

 

「…………アタシたちには、あんな顔見せないんじゃない?」

「「…………」」

 

 迷いながらも結局声に出した『直感』に、菫と菊は言葉を返すことができなかった。

 

 

 

 

 人の中を掻き分けて無事に帰りの電車に乗り込むと、満員ギリギリの車内で光秋は少女たちを席に座らせ、その前に伊部姉妹と並んで吊り革を掴む。

 

―久しぶりの再会。話したいことはたくさんある。そのはずなんだが…………まずどう切り出していいかがわからない―

 

 久しぶりに直に会ったせいか、どうにも接し方がぎこちなくなってしまう。

 そうして悶々としていると、法子の方から声をかけてくる。

 

「さっき紹介してもらったけど、この子たちが部下なんだよね?」

「え?えぇ、まぁ……」

 

 咄嗟に答えながら、結局法子に先導してもらったことに軽い悔しさを覚える。

 

―こういう時は男の方がリードしなきゃって思ってたのに……―

 

 思う間にも、法子は体を屈めて少女たちに顔を近付ける。

 

「えっと、はじめまして。改めまして、伊部法子です」

「あ、いえ、はじめましてじゃないです。お正月の迎賓館で会ってます。入間主任を助ける時に」

 

 探るように声をかける法子に、菫が遠慮がちに訂正を入れる。

 

「あ、そうだっけ?……あぁ、そっか。あの時ね……そうだねぇ…………」

 

 言われて思い出したらしい。法子は気まずい笑みを浮かべる。

 

―法子さんも菫さんたちとの距離感掴みかねてるみたいだな。こういう時こそ、僕がしっかりフォローしないと―

 

 その様子に先程の挽回のチャンスが巡ってきたと感じるや、光秋は会話に加わろうとする。

 が、桜の方がひと足早かった。

 

「ていうか、アタシは年末にビンタ喰らったけど」

「ッ!」

 

 桜自身は何の含みもない、ただ事実を淡々と喋っただけだったが、光秋はその一言に一瞬硬直した。

 

―桜さんッ!何でこのタイミングでその話を……―

 

 法子と桜を合わせる以上、どこかで訪れる展開とは思っていたものの、実際に訪れた時のあまりの唐突さにどうしていいかわからず、視線を忙しく動かして両者の様子を窺う。

 

「……ビンタ?」

「サン教のボス捕まえた時。『何様のつもり!』ってさ」

「…………あぁッ!!」

 

 言われて、法子は驚愕の声を上げる。

 あまりの声に顔を向けてきた乗客たちに「すみません……」と小さく謝ると、未だ動揺の残る目を桜に向ける。

 

「まさか、忘れてたの?」

「うん……忘れてたわけじゃなくてね、特エスの女の子を怒ったことは覚えてるんだけど…………」

「!あ、あれからだいぶ時間も開いたし、その間もいろいろありましたからね。細かい部分はどうしても忘れちゃいますよね。僕もよくやっちゃうし」

 

 桜の問いに、法子は焦りを募らせる。それを見て、今度こそ至らなさを挽回するチャンスと感じた光秋は思い付く限りのフォローを試みるものの、妙な緊張感が晴れる気配は全くない。

 

「…………桜さん。まさか、その時の仕返しをする為に着いてきたって――」

「違げーよっ!」

 

 光秋が恐る恐る訊ねると、桜は声の大きさに気を付けながらも強く否定する。

 

「別に仕返しとか、あの時のことをどうこう言おうとか、そういうことじゃなくてさ……まぁ、人にビンタしといて忘れてたっていうのはちょっとムカついたけど」

「ごめんなさい……」

 

 それはそれとばかりに付け加えられた一言に、法子は静かに謝る。

 

「その、なんて言うかさ…………ありがと」

「っ?」

 

 言葉に迷いながらも出した桜の、その予想外の一言に、光秋は目を丸くする。

 

「……」

 

 隣を見れば、法子も同じような顔を浮かべている。

 

「……どうして、『ありがとう』なんだ?」

 

 光秋の問いに、桜はむず痒い顔を浮かべながら答える。

 

「いやさ……あの頃、アタシいろいろあってムシャクシャしててさ、それを敵にぶつけてたところもあったんだよ」

―言われてみれば……―

 

 その言葉に、光秋は初めて会った頃の桜を思い出す。サン教ベースの包囲が長引いてしまい、予定していた家族とのクリスマス会に行けず荒れていた頃を。

 

「でさ、その勢いでサン教のボスにも一発かましてやろうとしたところを、光秋に止められて、その後すぐに……えっと、イベさん……?のビンタ喰らって怒られてさ。最初は、『アタシのことを何も知らない大人が勝手なこと言って!』とか思ったけど、少し時間が経ったら、そうかなって…………アタシあの時、勢いのままに人を傷付けようとして、それを土壇場で止めてもらったんだなぁって…………だからさ、一応お礼言っとこうと思って」

 

 法子から視線をそらしながらも、桜は照れ臭さを浮かべて言い切る。

 

「そっか…………どういたしまして」

 

 それを聞いた法子は、桜の意思を受け止めるように静かに応じた。

 

「桜さん、そこまで考えていたとはな……」

「悪かったなっ」

「!いや、別に変な意味で言ったわけじゃ……」

 

 一連の話を聞いてふと感じたことが口から漏れてしまったらしい。三角の目を向けてくる桜に、光秋は慌てて付け加える。

 

「そういや、話は変わるけど、二人ってホント仲いいよね?」

 

 言いながら桜は、電車に乗ってからずっと繋ぎ合わされた光秋と法子の手に視線を移す。

 

「え?あぁ、まぁね……?」

 

 唐突な話題の変更に、未だ角のとれない桜の目付きこそ気になったものの、光秋は反射的に首肯を返す。

 

「その……もしかして、付き合ってたり……?」

「いや、そういうんじゃないよ」

 

 それに続く形で恐る恐る訊いてきた菫に、光秋は明瞭な声で即答する。その胸中には、久しぶりに感じる罪悪感――法子と綾の間で揺れ動き、菫の問いにすんなり「そうだよ」と返せないことへの自己嫌悪があった。

 

「そういうんじゃ、ないんだ…………」

「「「…………」」」

「…………」

 

 俯きながら光秋は独り呟き、それを見た少女3人は顔を見合わせ、そんな顔をする理由がわかっている法子――と綾――は静かにそれを見守り、5人の間には妙な沈黙が広がった。

 

 

 

 

―…………不味いな―

 

 あと10分程で桜たちの降りる駅に着こうという頃。未だ続く沈黙に、光秋はそれを引き起こしてしまったことへの罪悪感を覚える。

 

―もう少し言い方があっただろうに……いや、過ぎたことを言っても仕方ないか。しかし、このままっていうのもなぁ…………―

 

 今もって誰も口を開く気配を見せず、自ら招いてしまった嫌な雰囲気を払拭しようと、光秋は思考を巡らせる。

 結果としてその話題を出してしまったのは、短い時間でどうにかしなければという焦りもあるが、先程の会話が印象に残っていたからだろう。

 

「そういえば、菊さんもこの前僕にビンタされたっけな」

「「「「!?」」」」

 

 瞬間、4つの驚愕の視線が向けられる。

 

―……いかん。僕ってばなんてことをっ―

 

 その時ようやく自分の迂闊さに気付くもののすでに遅く、法子が目を丸くして訊いてくる。

 

「ビンタって、光秋くんが?えっ!?」

「いや、あのぉ……」

―この前なんか嫌な感じがしたけど、もしかしてその時のっ?―

「いや、だからだなっ」

 

 綾まで腰の引けたテレパシーを送ってきて、生じつつある誤解を解こうとつい声が大きくなってしまう。

 それさえも遮って声を上げたのは、菊だった。

 

「私の所為なんですっ。私が馬鹿なことしたから」

「……どういうこと?」

「えっとですねぇ…………」

 

 それでいくらか落ち着きを取り戻した法子の問いに、光秋は先日の予知出動帰りの遭遇戦、そこでの菊の行いを掻い摘んで説明する。

 

「それで、その場はどうにかなったんですが…………本部に戻ったら、僕がちょっと、その……頭に血が上っちゃって…………」

 

 今思い出しても羞恥を覚えずにはいられないことを、口ごもりそうになるのをどうにか堪えて告げると、法子は察した様子で言ってくる。

 

「ビンタ、しちゃったと……?」

「…………はい」

 

 曲げられない事実に、光秋は小さく頷くしかなかった。

 

「でも、そもそもは私が勝手なことをしたから――」

「いや、それにしたってあれはダメだろう……」

 

 庇おうとしてくれる菊の言葉を、しかし光秋は首を横に振って遮る。

 

「これがもう少しちゃんとした大人なら、もっと上手く叱ることもできたんだろうが、それにしたって手を挙げた時点でアウトだろうし。そもそもあれは叱ったとかそんなよくできたもんじゃなくて、本当にただカッとなってやっただけだし…………」

 

 言葉を重ねるごとに自分のいたらなさが強調されるようで、ますます肩身が狭くなってくる。

 直後に駅到着のアナウンスが流れ、電車が減速を始める。

 

「と、そろそろ降りる準備して」

 

 光秋の言葉に少女たちは席を立ち、少しして開いたドアから一行はホームに降りる。

 

「すみません法子さん。付き合ってもらって」

「いいよ。いくら超能力者でも、小さい子だけで夜道を行かせるのは危ないもんね」

 

 事前に途中下車することは伝えていたものの、伊部姉妹に余計な手間をかけさせたような気がして、光秋はどうしても頭が低くなってしまう。

 

「ここの駅から桜さんたちの寮までけっこう距離あるし、なんだったらこのままホームで待っててもらってもいいですよ?改札出たらいよいよ切符買い直さないといけないし――」

「いいよっ」

 

 光秋の言葉を遮ると、法子――というよりも綾は繋いだ手に一層力を込めて改札口へ歩き出し、腕を引かれた光秋はやや引きずられながらついて行く。

 そのまま改札機をくぐると、

 

「それじゃあ……」

 

と、それまで引っ張られていた光秋はゆっくりと綾を追い抜き、少女たちもついて来ていることを確認しつつ寮への道を先導する。

 しばらく歩いて遠くに寮が見え始めた頃、それまで後ろの方を歩いていた菊が急に駆け出し、光秋の前に立ちふさがる。

 

「光秋さんっ」

「お、おう……?」

「さっきの……ビンタの話ですけど、やっぱり悪いのは私だと思います」

「またその話か?もういいじゃないか――」

「よくありませんっ」

 

 ただでさえ気まずかった雰囲気を蒸し返されそうな気がして光秋は先を急ごうとするものの、菊の力の籠った声が足を止めさせる。

 

「電車から降りたり、ここに来るまで歩いたりで有耶無耶になってたけど、このまま別れちゃいけないっていうか、私が気持ち悪いっていうか……とにかく、これだけは言わせてくださいっ」

「……」

 

 ある種の決意を宿した菊の目に、光秋も知らぬ間に姿勢を正す。

 

「改めて…………調子に乗って、勝手なことをして、すみませんでした!」

 

 言いながら、菊は腰を直角に曲げて深々と頭を下げる。

 

「調子に乗ってた……まぁ、サイコメトリーでメガボディの操縦方法は把握できるから行けるっていうのは、確かにそうかもな。思ったよりけっこうきつかっただろう?おまけにあんな壊れかけの機体で出てきて」

「はい……」

 

 ゴーレムに試乗した時の体験を思い出しながら告げる光秋に、頭を上げ直した菊は小さくなりながら頷く。

 

「でもさ、僕も改めて確認するけど、それは加藤隊――桜さんや菫さんのことを思ってしたことなんだろう?自分も力になりたいって」

「それはそうです!……でも、結局みんなに余計迷惑かけて……」

「こうしたいって気持ちがあっても、実際はなかなかそうは運ばない――そういう空回りなんてよくあることだよ。僕なんかしょっちゅうだぞ。研修中なんて、勉強のわからなさに何度自己嫌悪に陥ったことか……」

 

 言葉にしたせいかその時の感覚がまじまじと蘇ってきて、光秋は束の間表情が強張る。

 

「それに今話題になってる件にしたって、見ようによっては僕の空回りかもしれないんだし」

「?」

「どゆこと?」

 

 頭を掻きながら光秋が言ったことに、菊は首を傾げ、それまで黙って2人のやり取りを聞いていた桜も思わず質問する。

 

「『どんな時でも、選択肢が一つだけってことはない』、『そうしようと思った方に賭けた方が賢い』……この前の通り魔事件の時に言った言葉。あの時の菊さんの行動には、この言葉が多少影響していたんだろう?」

「それは…………はい……」

 

 光秋の確認に、菊は居心地悪そうに頷く。

 

「光秋くんらしいね」

「なんだよ。いい言葉じゃん。それの何が問題なの?」

 

 感心する法子に続いて、桜がさらに訊いてくる。

 

「問題っていうかな……これだけ聞くとさ、やるべきだと思ったことはどんな無茶をしてもやり通すべきだ、というふうにも受け取れるだろう?もちろん、本気で何かを為そうとする時は、そういう気概も必要なんだろうが。まぁ、要するに、この言葉を聞いた後なら、菊さんがあんな行動に出る可能性も充分あったってことで…………」

「「?」」

「……なるほどね」

 

 桜と菫が未だ腑に落ちない様子で顔を見合わせる中、法子は察しがついた、それ故に渋い顔を浮かべる。

 

「なにかわかったんですか?」

「私は、菫さんたちのことについては光秋くんから聞いた以上のことは知らないんだけど」

 

 そう前置きを挟んで、法子は菫の問いに応じる。

 

「桜さんと菫さんは、戦闘の時は主に光秋くんのサポートをしてるんだよね?念力で相手の攻撃を防いだり、テレポートで武器を届けたり」

「そうだけど」

「はい……?」

「それに対して、サイコメトラーの菊さんは戦闘中はこれといってできることがない。みんなが大変な時に遠くで見ていることしかできない。そんなふうに思ってるところに、目の前に戦うのに必要な力が転がってきたら……しかもさっきの光秋くんの言葉を聞いた後だったら、どうだろうね?」

「「…………あっ!」」

 

 法子の説明と、その後しばしの思案のあと、桜と菫はハッとした顔で菊を見やる。

 

「適確な解説ありがとうございます」

 

 本来は自分が語らなければならないことを法子に代わってもらったことに若干の情けなさを覚えながら、改めて少女たちを見る。

 

「つまりだ、菊さんのあの行動は、よく考えれば充分予測できたことで、思い至らなかったのは主任たる僕の落ち度。あるいは、あの言葉を言ったことが、そもそも余計なことだった……かもしれないってこと」

「そんなことは――」

「もちろん、僕だってあんなことをさせるためにさっきの言葉を言ったわけじゃない」

 

 力を込めて否定しようとする菊の声を遮って続けると、光秋は膝を折って菊と視線の高さを合わせる。

 

「でもな、さっきの法子さんの説明にもあったように、状況や気持ちなんかが重なれば違う――()()()()()()()()()()()()()をされる場合もあるんだよ。誰かに……自分以外の人に自分の思ってることや考えてることを伝えるのは、それだけ難しいってことなんだろう」

 

 言っている光秋自身、日々の暮らしの中でついやってしまう些細な思い違いの数々を脳裏に浮かべる。

 

「今回の件は、『その極端な例』ともいえるかもな」―これが、“今の人”ってことか……―

 

 そんな感慨を抱きながら改めて菊の顔を見ると、これまでになく深々と俯いていた。

 

「まぁ、いろいろ言ったけれども……最後にもう一つだけ」

 

 その様子にやや焦りつつも、この話題が再開された時から言うべきと思っていたことを告げる。

 

「結果はどうであれ、そもそもは桜さんたちの力になりたいって想いからしたことなんだろう?」

「それは……そうです。でも……」

「だったら、せめてその気持ちだけは大切にしなきゃいけないよっ」

 

 すっかり弱々しくなった菊の返事に、光秋は大きくはないが力を込めた声で言う。

 

「反省をするのはいい。でもその気持ちまで否定しちゃったら、いよいよどうしたらいいか分からなくなっちゃうだろう」

「……そうかもしれませんけど」

「この前のことは、()()()()()()()()ってだけのことだよ。あの後も言ったろう?次に備えようって。要は転んでもただでは起きなきゃいいんだよ。小銭の1枚でも拾ってみせればさ」

 

 言いながら、光秋は菊の頭に大きく広げた右手を置く。

 

「さ、お互い言いたいことは言ったんだし、いよいよ時間も遅い。土日にゆっくり休んで、月曜からは今言ったことを踏まえてまた頑張ろうや。行こう」

 

 言うと曲げていた膝を伸ばし、伊部姉妹の手を引いて寮への歩みを再開する。

 

「!待ってくださいっ」

「ほら、菊も行くよ」

「う、うん……」

 

 菫、桜、菊も慌ててそれに続き、少しして一行は寮の門の前に着く。

 

「それじゃあ、また月曜に。おやすみ」

「おやすみ」

「……おやすみなさい」

「おやすみなさい。帰り道、気を付けてくださいね」

 

 桜、菊、菫の返事を聞くと、光秋は伊部姉妹と共に来た道を駅へと戻る。

 

「なんか、変わらないね」

「なにが?」

 

 歩きながら声をかけてきた綾に、光秋は視線を向けながら訊き返す。

 

「東京駅で久しぶりに顔見た時にさ、ちょっと思ったんだよ。『大きくなったな』って」

「流石にもう成長期もないと思うが……」

「背のことじゃなくってさっ。なんていうか……立派になった?最後に顔を見た時と比べて、とにかくなんか変わったっていうか……」

「そりゃあ、畑違いの分野を必死こいて勉強して、それまで使われる側だったのが人を使う立場になって、出動すればメガボディなんてのがぞろぞろ出てきて……変化の要因なら、それこそいくらでもあっただろうからな……」

 

 言いながら、綾と別れてからの時間がいかに慌ただしいものだったかを改めて実感する。

 

「でもさ、それでも今みたいに変わらないところもあったんだなって」

「どういうことだ?」

「いろんなことを考えてたり、それで誰かを助けたり」

「助けたって、そんな大層なことか?さっきの」

「あたしはそう思ったの。それと……」

 

 声が若干低くなったと思うや、繋ぎ合った綾の手から骨に響くくらいの圧力がかかってくる。

 

「女の人に見境なく優しくするところもね」

「人を女たらしみたいに言わんでもらえるか……」

 

 向けられた夜空よりも暗い2つの目に、光秋は夜風など吹いていないにも関わらず震え上がった。

 

「それにこの力……念力で握力を底上げしてないか?」

「ふんっ」

 

 訊かれた綾はそれには答えず、握る力を緩めると光秋の左腕に寄りかかってくる。

 

「……どうした?」

「別に。ただ、一緒にいないとこういうのできないから」

 

 まだ若干の膨れを残しながら応じると、綾は光秋の左肩に顔を置いてくる。

 

「まぁ、確かにな…………」

 

 多少の歩きにくさは感じるものの、光秋自身綾の――ひいては伊部姉妹の存在感を強く感じられるこの体勢を拒む理由など微塵もなく、左半身からくる穏やかな快楽と、未だ向けられている仄暗い視線への恐怖を半々にして駅へと向かった。

 

 

 

 

 改札を再びくぐってホームに出ると、いくらもせずに次の電車が入ってくる。

 すでにラッシュの時間は過ぎたせいか、乗り込んだ車内に乗客はおらず、光秋と伊部姉妹はドア近くの席に並んで座る。

 

「そういえばあの子たち、寮住まいなんだよね?」

「はい」

「門限とかないの?」

「一応あるらしいけど、特エスって都合上夜中に出動ってこともありますからね。常に鍵を持ってるみたいです」

「そうなんだ……」

 

 ふと浮かんだ法子の疑問に光秋が答える間にも電車は進み、光秋が普段降りる駅に到着する。

 ホームに降りて改札をくぐり、寮へ向かう道中、手を繋いで歩く綾はすでに暗くなった辺りを見回してみる。

 

「ここが、アキが今住んでる所の近所?」

「そうだな」

 

 きょろきょろしながら呟く綾に返しながら、寮が見えてきた光秋はポケットから鍵を取り出し、ドアの前に着くやすぐに開けて中へ入る。

 

「…………」

 

 光秋がエアコンとコタツを点ける傍ら、綾は照明に照らされた室内を途中の街並み以上にしげしげと眺める。

 

「ここが、アキが今住んでる部屋?」

「そうだな。京都の時よりちょっと広いだろう。あっと……」

 

 再び綾に応じると、光秋は持ちっぱなしだったカバンを差し出す。

 

「風呂入れてくるから、コタツ入って待ってて。点けたばっかりだけど、すぐ(あった)まるから」

 

 言うと風呂場に向かい、湯加減を調整した蛇口から浴槽にお湯を注ぐ。

 携帯電話で時間を確認しながら居間に戻ると背広を脱いで、すでに伊部姉妹が入っているコタツに自分も足を入れる。

 

「10分くらいでいい具合に溜まるから、先に入ってください」

「いいの?」

「入った後、片づけないといけないし」

「じゃあ……」

 

 法子とのやり取りがひと段落すると、途端に遠くの水音がよく聞こえるくらい静かになる。

 

―いかんっ。何か話さないと。いや、話さないとというか、話したいことはたくさんあったんだ。あったのに…………何で思うように口が動かないっ―

 

 自分自身への焦れったさを感じるもののなかなか言葉は出ず、それでもどうにか口を動かす。

 

「どうかな?今の部屋――」「特エスの主任って――」

 

 見事に法子の言葉と重なり、もとの沈黙と合わさってさらに気まずくなる。

 

「…………なんです?」

「光秋くん先どうぞ」

「いや、法子さんから――」

「お風呂は私が先だから、ここは光秋くんが先っ」

「…………それじゃあ」

 

 筋が通っているのかいまいち引っかかったものの、法子の押しの強さと、なによりもこれ以上の沈黙に耐えられなかった光秋は、その言葉に甘えることにする。

 

「その、今の僕の部屋、どうです?綾はさっきよく見てたようだけど?」

「うん。さっきアキも言ってたけど、京都で住んでた部屋より広いかもね。でも、雰囲気っていうか、そういうのはあんまり変わった感じしないな。すっきりしてるっていうか」

「まぁ、基本本部と寮の往復だからな。休みの日もそんな散らかるようなことはしないし」

「寮の周りは他の家やお店なんかがすぐ近くにあって、こっちも前のとこと雰囲気は似てたかな。暗くてはっきりとはわからなかったけど……」

「そりゃあ、もうすっかり夜だからな。でもまぁ、前の京都にしろ、今の東京にしろ、どっちも大都会の片隅だからな。雰囲気自体はどことなく似るのかもな」

「だからさ、明日一緒にこの近くを散歩――」

「あ、ごめん。明日はダメだ」

 

 誘う綾に、光秋はレーザー砲のテストのことを思い浮かべながらきっぱりと応じる。

 

「……そう、だったね。ごめん……」

 

 事前に連絡を受けていた綾もそれを思い出してか、申し訳なさそうに、それ以上に残念そうに返す。

 

「……あー、話が出たからついでに言っておくけど、朝は早いし、帰りも何時になるか断言できない。だから、明日はどれくらい一緒にいられるかわからない」

「…………わかった」

 

 少し迷いながらも結局告げた光秋に、もともと俯き気味だった綾はますます下向きになる。

 

「そのぉ…………ごめんな……」

「謝らなくていいよ。アキの所為じゃないんだし。それにDDシリーズ対策のテストなんでしょう?だったら一層頑張らなきゃ!」

 

 言いながら俯いていた顔を上げて笑みを浮かべてくれる綾だったが、光秋にはそれがかえって心苦しかった。

 

「なんだったらさ、せっかく東京まで来たんだ。春菜さん誘って名所めぐりでもしてきてくださいよ。綾はまだしも、法子さんにとってはこっちも久々の再会でしょ?」

「……うん、そうだね。あとでメールしてみる」

 

 それを誤魔化したいこともあって言ったことに、法子は小さく頷いた。

 

「ところで光秋くん。時間大丈夫?」

「時間?…………あっ!」

 

 法子に言われて思い出すや、慌てて風呂場へ向かう。

 濃い湯気を掻き分けて蛇口を閉めると、狙いより少し多いところで止めることができた。

 

「湯加減は……よし」

 

 浴槽に手を入れてこれも狙い通りなのを確認すると、速足で居間へ戻る。

 

「風呂沸いたんで入ってください。寒いと思ってわざと熱めにしてあるんで、ダメだったら水入れて」

「わかった。じゃあ、お先に」

 

 言うと法子はカバンから着替えとタオルを取り出し、浴室へ向かう。

 

「……さて」

 

 伊部姉妹が湯船に浸かった音を遠くに聞くと、光秋は時間潰しにと机の上に積んであったまだ読んでいない本の1冊を手に取る。

 と、

 

―それで、さっきの続きだけど―

―……綾、お前さんなぁ……―

 

当たり前のように頭の中に聞こえてきた声に、光秋は開きかけていた本をコタツの上に置いて眉間に薄っすら皺を寄せる。

 

―わざわざテレパシーまで使って続けるのか?―

―仕方ないじゃん。最初は大きな声で言おうと思ったけど、法子に止められたし―

 

―そりゃそうだろうな。絶対近所迷惑になるだろうから―

―それにアキ、耳あんま聞こえないし。近くで話そうと思ったら寒い床に座らせちゃうし……でもやっぱり、もっとおしゃべりしたかったから……あたしの“力”なら、そういうのもできるから…………―

―…………―

 

 切なさを乗せた綾の“声”は、そのまま光秋の心境を代弁していた。

 

―わかったよ。僕も暇になると思ってたんだ。お前さんと法子さんの風呂の邪魔にならないっていうんなら、このまま続けよう―

―やったッ!―

―じゃあ、早速だけど―

 

 光秋が応じるや、綾は歓喜を返し、タイミングを見計らっていたように法子が話し出す。

 

―さっき訊こうとしたことだけど、特エスの主任の仕事ってやっぱり大変?―

 

―そりゃあ。たびたび言ってると思いますけど、そもそもが畑違いですからね。一応勉強はちゃんとしたけど、それでも抜けてることが何度もあって。立場にしたって、人に使われる側から人を使う側になったわけで、それだけでも僕にとっては激変で。実際の仕事にしたって、自分の判断ミスであの子たちを危険に晒すんじゃないかって不安が常にどこかにあって。日常業務にしても、自分だけじゃなくてあの子たちのことにもいくらかは意識を向けなきゃいけないわけだけど、それが上手くできなくて、電車の中で話したような失敗しちゃって…………本当、踏んだり蹴ったりですよ…………―

 

 思っていた以上にいろんなものが溜まっていたらしい。予想以上に長々と“語って”しまったことに自分で驚きながら、光秋は言葉と同時に脳裏を過った失敗談の数々に自嘲を浮かべる。

 

―…………そっか―

 

 それに対して、法子はそっと返してくれた。

 

―私も、士官学校時代はいろいろあったなぁ……―

―そういえば、デ・パルマ少佐に教えてもらったことがあったんですよね?―

 

 ほろ苦い思い出を浮かべる法子に、光秋はスフィンクスとの初の摸擬戦の際に聞いたことを思い出してなんとなしに訊いてみる。

 

―あー、うん。そういえば光秋くんも会ったんだよね―

―はい。摸擬戦の時に―

―どう思った?―

―……そうですね…………―

 

 唐突な法子の質問に、光秋はデ・パルマに関する記憶を振り返ってみる。

 

―一番最初、何も知らない状態で会った時は正直、『この人大丈夫かな?』って思いました。だって出会い頭に法子さんの尻の触り心地はどうだって訊いてくるもんだから―

―あー……教官なら確かに、挨拶代わりにそんなこと言うかな―

 

 第一印象を赤裸々に語る光秋に、法子の呆れた声が返ってくる。

 

―でも、その後の摸擬戦とか、数日後の工場地帯での戦闘を見て、そんな気持ちはすぐになくなりました。操縦技術とか判断力とか、やっぱり凄いんだなって。操縦技術については僕もゴーレムに試乗たからこそ思うんですけど、あの操縦系でツァーングの羽根を避け切ってみせるとか、もう言葉も出なくて―

―そんなに操縦上手いんだ、教官―

―はい。それに判断力も。僕が主任として初めての出動でどこかあたふたしている横で、あの人は得られた情報から大胆な作戦を考えて、それを実行してみせて―

―……光秋くんがあたふたしてたのは初めての仕事だったからで、ある程度は仕方ないんじゃ?―

―そうかもしれませんけど……それにしたって、少佐のあの判断力というか、行動力というのか、とにかくその辺は見習わなきゃなって、そう思わせてくれるところがあります―

―…………そっか―

 

 そう静かに応じた法子の“声”には、ほんの微かだが喜色が籠っていた。

 

―…………法子さん、もしかして少佐のこと好きだったんですか?―

―えっ!?どうしてそうなるの?―

―いや、僕が少佐を褒めるようなことを言ったら、なんか嬉しそうだったから―

―考えすぎっ。そりゃあ、一応恩師だからね。褒められて悪い気はしないよ。その相手が光秋くんだっていうならなおさらね―

―僕ならって…………?―――

 

 そこで法子の方からテレパシーは切られ、光秋が言われたことに首を傾げている間にも、寝間着に着替えた法子がタオルで髪を拭きながら居間に戻ってくる。

 

「お風呂ありがとう。いいお湯だったよ」

「あ、はい……じゃあ、僕も入っちゃいます」

 

 どうにもさっきのことを改めて訊く機会を失って、光秋はタオルと着替えを持って足早に風呂へ向かう。

 脱衣所で服を脱いで浴室に入ると、湯加減を調整したのか浴槽のかさが少し増していた。

 

―法子さんと綾が入ったお湯か―――

 

 おもむろに浮かんだ雑念を頭を振って払うと、湯船に肩まで浸かって温まる。

 

―まったく僕って奴はっ。しょうもないことを。こんなことを綾にでも“聞かれ”たら……―

―“聞こえてる”よ―

―……やっぱりか―

 

 頭の中に聞こえてきた“声”に、観念した光秋は残っていたなけなしの力を抜き、壁に頭を預ける。

 

―そんなこと考えるくらいなら、さっき一緒に入ればよかったのに。あたしはできればそうしたかったけど、アキは嫌がるかなと思って……―

―そんな気遣いができるとは、お前さんも成長してんだな―

―バカにしてるでしょっ―

―純粋に感心してるんだよ。夏に生まれたお前さんが、半年ちょっとでここまでってな……僕ももう少し上手に変わっていきたいよ……―

 

 間違いなく膨れているだろう綾の“声”に応じながら、そんなやり取りに明らかな安堵を感じる。

 

―内容はともかく、やっぱり綾と法子さんと話すのはいい。それだけでリラックスできるというか、力がどんどん抜けてぇ…………―

 

 そんな思いが表れるように、光秋の体からはどんどん力が抜け、瞼も徐々に下がっていく。

 そして、

 

「ッ!?」

 

瞼の下がりに合わせるように体全体も湯船の中に下がっていき、ついに鼻が沈んだ。

 

「光秋くんッ!?」

 

 突然の息苦しさが伝わったのか、法子が慌てて浴室に飛んできた。

 

 

 

 

「先程は、大変お騒がせしました……」

 

 溺れかけたところを法子に救ってもらって以降、特に問題なく入浴を終えて居間に戻ってきた光秋は、寝間着を着た身を申し訳なさや恥ずかしさで縮ませて深々と頭を下げていた。

 

「いや、別にそこまでしなくても……アキはどうなの?大丈夫?」

「あぁ。ちょっと鼻浸けただけで、水もそんなに飲まなかったし」

 

 法子が返事に困る中、心配そうに訊いてきた綾に、光秋は顔を上げながら答える。

 

―まさか風呂で溺れかけるなんて。しかもそれを法子さんに助けられるなんて……―

 

 思わぬ失態をしでかしてしまったこと、それを意中の相手に見られてしまったこと、あまつさえそこから助けてもらったことへの羞恥心から再び顔が下を向きそうになるものの、どうにかこらえて机の上の時計を確認する。

 

「というか、もう11時回ってるな。僕は明日早いからそろそろ寝ますけど、法子さんたちはどうします?」

「あたしたちも寝ようかな……仕事終わりの長旅で疲れたしね」

 

 綾と法子の欠伸混じりの返事を聞く間にも、光秋は冷蔵庫から出した目薬を注し、

 

「わかりました。布団は……」

 

と、“二人”の返事を受けて顔を巡らせ、ベッドに目を止める。

 

「…………また、雑魚寝ってことでいいですか?」

「私はそれでも……あたしはいいよっ」

 

 どうしても浮かんでくる異動前夜の光景に気まずさを覚えながら訊ねると、法子は少し恥じらいながら、綾は嬉々として応じる。

 

「……じゃあ……寝ますか」

 

 未だ引かない気まずさと、綾にも劣らない嬉しさを込めて返すと、光秋はコタツとエアコンを切るや梯子を上ってベッドの奥に詰め、すぐに伊部姉妹も入ってくる。

 

「電気消すよ」

「お願いします」

 

 光秋が応じるや法子は照明を消し、薄暗い中で“三人”は手探りで布団を被る。

 

「…………」

 

 横になるや左側を下にし、伊部姉妹に背を向ける形で光秋が寝ようとしていると、綾はその背中に体を寄せてくる。

 

「…………言っとくが、僕今日は早く寝るんだけど」

「わかってるよっ。いいじゃん、くっつくくらい。久しぶりにこうして会えたんだしさ」

 

 頬を膨らませて言いながら、綾は肩から両腕を回して抱き着いてくる。

 

「そりゃあ、まぁね……くっつくくらいは……」

 

 伸ばしてきた両腕に触れ、背中に感じる綾の感触に異動前夜以来の強い安心感を覚える一方、光秋にはその感じ方こそが不安だった。

 

―明日仕事だっていうのに、こんなに力が抜けて大丈夫だろうか?流石に安心し過ぎなんじゃ……いや、そんなことより今は寝ることに努めよう。そうしようっ―

 

 思うや雑念を払い、呼吸を整えると、もともと感じていた伊部姉妹がいることへの安心感もあってか、5分としない内に眠りに落ちっていった。

 

「…………」

 

 背後の綾、もしくは法子――あるいは“()()”が不安そうな顔を浮かべていることには、ついに気付かなかった。

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