そして「夏の想い人編」が本格的に始まります。
では、どうぞ!
「アヤ」と呼ばれた黒色の女が放してくれないことと、光秋自身がESOの一員であることから、光秋は女を左側に寄り付けたまま共に白衣の男たちに大穴の空いた建物に連れられる。竹田二尉たちも各々の身分証を示して同行する。
白衣たちが携帯電話で連絡を取りながら、エレベーターで8階に着いた光秋一行は、例の大穴が空いた広めの部屋に通され、それぞれ横一列に並べられたパイプイスに座る。一番右に座った光秋の左手には、黒色の女が体を浮かせながらぴったり付いている。
一行の正面には、黒い髭を豊かに蓄え、メガネを掛けた頭の薄い白衣の男が、肘掛の付いた立派な赤茶の椅子に薄茶色のスーツのズボンと茶色い皮靴を履いた脚を組んで座っている。両脇には白衣姿の男を2人立たせて従えている。
「まさかアヤの行った先に、ESOの関係者が3人もいるとは思わなかったよ」
髭が言う。
「念のため言っておくが、我々が行っていることは上位機密に指定されている。君らも立場上、今回のことは黙っておいてくれ」
言いながら、メガネ越しのその目には釘の先端の様な鋭さがある。
「で?伊部二尉に何をしたんです?
光秋の左隣に座る上杉が、鋭い目を向け返して言う。
―やっぱり伊部二尉なのか?―
と、光秋が思いながら女と顔を合わせる傍ら、
「なぜ私の名を?」
と、髭が冷静に問い返す。
「オレたちESOの医者の間じゃ、あんたはちょっとした有名人だ。『腕は確かだが、暗い噂が絶えない人』ってことでな」
「……なるほど」
上杉の返答に、教授は呟く様に言う。
「……ところで、いったい何があったんです?」
とうとう耐え切れなくなった光秋が口を開く。
「彼女のことを伊部二尉と仰りますが、この変わり様は?……」
言いながら光秋は、自分の左肩に両手を添えて床から数センチ宙に浮いている女に目をやる。
「伊部法子二尉が先日負傷したことは、君らも彼女の知り合いならば知っているな?」
教授が言う。
「その際に受けた精密検査で、彼女には潜在的な超能力者の素質があることが判明した。政府と二尉本人に許可を取った上で、我々は脳にあるその中枢を電気的に刺激して、能力の人工的な開花を図る実験を行った」
「……つまり、今ここにいる伊部は、その失敗作だと?」
上杉の左隣に座る竹田が、怒気を含んだ声で言う。
「!」
その明文化された言葉が、光秋に教授の首を絞めたがる衝動を起こさせる。
が、
「…………」
自身の精一杯の自制心と、傍らの伊部の顔をした女に醜いところを見せたくないという自尊心が、なんとか光秋を思い留まらせる。
「いや、失敗ではない。現に彼女は、御覧の通りレベル
言いながら教授は、女に目を向ける。
「どういうことだ?」
一番左に座るタッカー中尉の言葉に、上杉が右手を女の頭頂に添える。
「……こいつは……」
「?…………」
光秋は上杉の言葉に意識を集中させる。
「超能力中枢を中心に……二尉のとは違うネットワークが形成されてる?」
「どういうことです?」
光秋が問う。
「んー……要するに、『伊部法子』とは別の人格になってる……て言えばいいのかなぁ?」
「……なるほど。君はサイコメトラーか。おかげで、我々の仮説は立証されたわけだ」
しどろもどろな上杉の説明に、教授が応じる。
「我々も、君の診立てと同じ様な仮説を立てた。一種の多重人格だな。故に我々は、今目の前にいる彼女を『アヤ』と呼んでいる」
「『アヤ』?」
光秋が言う。
「人格が、中身が変わるということは、その人物のアイデンティティーも変わる。故に、名も変えた方がいいということだ。違うかね?」
―それは!…………そう、かもしれない…………―
「我々の予想では、彼女は伊部二尉のネットワークを利用して知識の一部を取り出している。現に誕生してまだ1日と経っていないにも関わらず、すでに生後6カ月程の知識を得ている。故に、彼女に知的刺激を与えることによって、最終的には『伊部法子』の人格と統合させることができると考えている」
「ふーん?そん時本人にぶっ飛ばされないといいな!」
竹田が教授に鋭い視線を向ける。
「まったくだ!」
タッカーが続く。
「……彼女はあくまでも、
その時だけは教授は、竹田とタッカーの言葉に対する不快感を露わにして言う。
「「!…………」」
そして「主導は合衆国陸軍」という言葉には、2人の口を閉ざすだけの“力”があった。
その横で光秋は、
―……なるほど、中尉は合軍人で、ニ尉は軍の下部組織でもあるESOの一員だから、これ以上は言えないんだ……にしても、なんで軍がこんな実験を?……そうか!エスパーは強力な戦力になるけど、高レベルは数が少ない。自然に出てくるのを待てないから、いっそ!…………―
と、事態を整理し、納得する。
と、
「……ところで君、確か、加藤三曹だったね?」
と、教授が光秋を見ながら言う。
「はい?」
光秋が応じると、教授は、
「こんな若者が、01のテストをなぁ……」
と、小声で呟きながら立ち上がり、光秋の方へ歩み寄る。
「君、どうやらアヤに気に入られているようだ」
「……そうなんですか?」
応じる光秋の後ろでは、教授が竹田とタッカーを黙らせた辺りから、「アヤ」と呼ばれている女が、
「きゃっ!きゃっ!」
と、声を出して喜びながら光秋の髪の毛を引っ張る遊びに興じている。
「痛い、痛いよ!やめて…………」
今まではなんとか耐えていた光秋だが、いよいよ限界になったので女の手を離させてやめさせる。
と、教授は光秋の正面に立ち、膝を折って目線を合わせる。
「どうだろう、彼女が回復するまで、しばらく我々を手伝ってはくれないか?もちろん、礼はするよ」
「いや、しかし…………」
光秋は言葉に詰まる。
「?……我々が観る限り、アヤがここまで他人と一緒でいるのは初めてのことなんだが……嫌かね?」
「いや……手伝うといっても、実質子守りの様なことでしょう?僕はそういうのは…………」
「……そうかぁ。では仕方がない。アヤ……」
と、教授は右手をアヤに伸ばす。
直後、
「ヤァ!」
アヤの叫びと共に教授は後ろへと飛ばされ、その先にある壁に大の字に開いた体を叩き付けられる。
「「「「!…………」」」」
光秋たち4人は、その光景に口を開けて唖然とする。
「1日の観察で、我々にはっきり解かったことが1つあってね……」
壁に体をもたれ掛けて尻もちをつく教授が言う。
「アヤは、極度の人見知りの様で、我々に慣れん様なのだ……加藤君、頼むよ!今のこれを含めて、もう7回はこんな目に遭っている!これ以上やられると、流石に体が…………」
「「……」」
教授が言う左横で、教授の部下らしき2人の白衣も光秋に助けを求める視線を寄こす。
―……弱ったなぁ……―
と思ったものの、直後、
「……わかりました、引き受けます」
と、光秋ははっきりと言う。
「ジャップ?」「加藤?」「!……」
タッカーと竹田が驚きの声を上げ、上杉も視線を寄こす中で、光秋の中には一つの思いが浮かんでいる。
―……伊部二尉を守れなかったツケを、払う!―
上杉を残して部屋を出た光秋たちは、白衣たちに1階下にある応接室に通され、そこで待つようにいわれる。
「『こうしゅう』。わかる?『こうしゅう』」
赤い長ソファーの左側に座る光秋は、右隣に光秋の左腕を抱いて座るアヤの目を真っ直ぐに見て、右手で自分の胸を指しながら、自分の名前を教える。一方で、
―夜の飲み会は、断らんくちゃな―
とも考える。
「……お前の名前じゃ、言葉初心者には言い辛いんじゃないのか?」
ガラス製の脚の短いテーブルを挟んで光秋の正面に座るタッカーが言う。
「とは言っても、関わる機会が増えるのは僕ですからね。名前を覚えてもらわないことには……それに……」
応じながら光秋は、アヤの口に目をやる。
アヤは口を大儀そうに動かしながら、
「こ……お……しゅ……こ、お……しゅ……」
と、光秋の発音を真似ようと一生懸命声を出している。
「ほら、だんだん言える様になってきたじゃないですか」
光秋は、アヤの頭を右手の先で軽く撫でながら言う。
と、
「お待たせです」
上杉が光秋の左側にあるドアを押して入ってくる。
「わざわざ残って、なにやってたんだよ?」
光秋の左前に座る竹田が問う。
「なんでもかんでも加藤にやらせるってのは、限界がありますからね。こっちが指名した女性も参加させるよう話付けてきたんですよ」
―女?…………あ!―「風呂とか、着替えとかのことですか?」
「その通り」
光秋の問いに、上杉はそう応じる。
「……ひょっとしてそれ、
「えぇ」
竹田の問いに、上杉はすぐに答える。
「?……ヨコー中尉って誰です?」
光秋は竹田と上杉の方を向いて尋ねる。
「伊部の士官学校時代の同期だよ。今でも親しい仲みたいだし、確かに適任かもな」
―……あの人か!―
竹田の返事に、光秋は4月末のニコイチの飛行実験の時に見掛けた、伊部と並んで富野大佐を呼びに来た短い黒髪の女性合軍兵士の顔を思い出す。
―そういえばその少し後の日に、伊部二尉が話してくれたっけ。自分はESO関係の学科で、中尉は……どこだったか忘れたが、とにかく違う学科の人でよく話す人がいたって……―
思いながら光秋は、アヤの顔に視線を移す。
―……黒目が大きいんだな……―
と、思った直後、
「……コーシュー……」
と、アヤの口から今までで一番はっきりとした光秋の名前が発音される。
「……そう、コーシュー…………」
光秋はぎこちなく微笑みながら、右手でアヤの頭を撫でる。
7月2日金曜日午前8時。
白地に赤と緑の縦縞が入った半袖のワイシャツに緑の長ズボンを着、サンダルを履いた光秋は、昨日の研究所の職員が運転する黒い公共車の後部右口から降りると、左の席に置いてある赤い大カバンを左肩に、いつも使う灰色のカバンを右肩に提げ、振り返って正面にある建物に向かって歩き出す。朝日に照らされた森林を背景に、太陽光発電機になっている後ろへと伸びる斜め屋根に、白一色の外壁というシンプルな造りである。
その横に2つに並ぶ白いドアの内、光秋から見て右側のドアが勢いよく開くと、薄めのピンク色のワンピースを着たアヤが、長い黒髪を揺らしながら飛び出て光秋に抱きつく。
「!……ちょっと!アヤ!……」
両手を首に回され、着替えや日用品が入った両肩のカバンに加えてアヤの体重も引き受けることになった光秋は、倒れまいと下体全体に意識を集中し、なんとかバランスを取る。
「コーシュー!コーシュー!」
満面の笑みを浮かべるアヤに、光秋は微笑みながら、
―こういう時、服装でも褒めてあげるものかな?―「その服、けっこう似合うよ」
と応じる。
と、
「!……」
光秋は近づいてくるエンジン音を聞き、振り返ると、黒い公共車がUターンして右から左へ引き返すのと入れ替わる様に、左側から来た緑の軽乗用車が光秋とアヤの前に停車する。右の運転席のドアが開くと、白い半袖のワイシャツに青い長いスカートを着た短めの黒髪の女性が現れる。
「横尾
光秋が問う。
「えぇ。あなたが、加藤光秋君?法子からよく聞いてたけど……」
横尾中尉が、光秋の背中越しに顔を出すアヤに目を向けながら言う。
「二尉から?」
「えぇ、『可愛い後輩がきた』って…………」
言うと横尾は、顔を少し俯ける。
「…………そう、ですか……」
光秋は応じると、アヤに向き直ってその顔を注視する。
―…………やめとけ光秋!ここにいるのは、僕が知ってる伊部法子じゃない!アヤという……昨日初めて会った、まだよくわからない人だ!―
自分に言い聞かせた光秋は、再び横尾の方に振り向き、
「とりあえず、荷物片付けさせてもらいます」
と言って、アヤが浮かんで光秋の首を軸に右後ろへと流れるのを見ながら、建物の左のドアへ向かう。
荷物を片付け終えた光秋は、横尾と協力してアヤの指導に専念する。服の着替え方、用の足し方、食事のし方、歯の磨き方、入浴のし方など、与えられる知識をアヤは順調に、教えられた通りにこなし、覚えていく。
―もう少し手間が掛かるかと思ったが、やっぱり精神面はどうでも、肉体面は一度やったことのやり直しだからかね?―
指導の途中に光秋は、そんなことを考えてみる。
午後8時。
「じゃあ、私は今日はこれで」
「ありがとうございました」
光秋が軽く礼をして応じると、横尾は車の窓を閉め、車をUターンさせて夜の闇の中へ消えて行く。
アヤの部屋のドアを開けてそれを見送る光秋は、自分の左肩に両手を添えて浮かぶピンクチェックの上が半袖、下が長ズボンのパジャマを着たアヤに目をやる。
―とりあえず、今日ので生理面の自分のことはできるようになったんだ。まずこれを覚えてくれないと、生活もろくに成り立たんからなぁ―
今日の成果をそのように振り返ると、ふと右手を伸ばしてアヤの頭を撫でる。
いかがでしたか。
伊部さん、もとい、アヤと同居することになった光秋。2人がどのように関わっていくのか?今後にご期待ください。
では、また次回。