「想い人」編を経て少しだけ変わった光秋をご覧ください。
では、どうぞ!
22 光秋スタイル
9月8日水曜日午後8時半。
その日の訓練を終え、京都支部の食堂で夕食を済ませて職員寮の自室に帰宅した光秋は、ひと風呂浴びてパジャマに着替えると、居間の椅子に腰を下ろし、天井に吊り下がっている電灯を見つめながら長考に耽っている。
―昼間の訓練で感じた、このままじゃいけないっていうのは、事実だ……綾との思い出を実のあるものにするためにも、そこからなにか学ばないと…………!―
そこまで考えると、不意に黒服の男たち相手に何もできなかったこと、いつかのチンピラとの小競り合いでも大した働きができなかったこと、それらとは対照的にニコイチに乗った上ではNPやサン教を相手に1人で大いに活躍したことを思い出す。
―……
訓練の時間割の相談もそうだが、光秋の中に「格闘戦」という言葉が浮かんだ時、同時に藤原の髭の顔も浮かんだのである。
9月9日木曜日午前8時。
朝食等を済ませ、ESOの緑の制服に着替えた光秋は、灰色のカバンを右肩に斜め掛けし、制帽を被って玄関へ向かう。白い靴下を履いた足を制靴に入れると、外に出、ドアに鍵を掛けて支部へ向かう。
5分程歩いて支部本舎の正面玄関をくぐると、最寄りのエレベーターに乗り込み、地下1階で降りると藤原隊の待機室へ向かう。
待機室の前に着いてドアを開けると、すでに藤原がドアに近い椅子に座り、新聞を開いて読んでいる。
「おはようございます」
「おぉ、おはよう」
光秋がドアを閉めて右手で敬礼をしながら歩み寄ると、藤原も新聞から目を離し、顔を向けて応じてくれる。
―読んでる時に話し掛けるのも…………まいっか。早い方がいいだろうし―
光秋は藤原の近くの椅子に座ってカバンを床に下ろしながらそう決めると、左前の藤原に顔を向ける。
「三佐、ちょっと相談があるのですが」
「なんだ?」
光秋の言葉に、藤原は新聞を畳んでテーブルに置き、顔を合わせて応じる。
「訓練の内容についてなんですが、格闘戦を重視したものして欲しいのです」
「……どういうことだ?」
「僕は、射撃の腕はあまり期待できませんし、ニコイチが最大の取り柄の様なものです。しかし、ニコイチがある時とない時の能力差が著しい。これでは、そのうちニコイチに依存してしまう。そんな事態を避けるために、生身での能力をもっと上げたいのです」
「なるほど、それで格闘戦か…………ウム、わかった。確かにお前の言うことにも一理ある。お前がよければ、早速今日から始めてみるのもいいだろう」
「ありがとうございます!」
光秋は軽く頭を下げる。
「あと三佐、もう1つお話が」
「なんだ?」
「その訓練なのですが、指導を三佐にお願いしたいのです」
「儂に?」
「はい…………やっぱり、難しいですかね?時間の都合とか…………」
「いや、そういうことなら、いくらでも都合はつけよう。ただ、本当に儂なんかでいいのか?」
「はい!僕の知る限り、三佐程この頼みに適切な人はいません」
「……そうかぁ……それなら、な…………わかった、引き受けよう。ただ、毎日は無理だがな」
「いいえ、充分です!ありがとうございます!」
光秋は先程よりも深く頭を下げる。
「とりあえず、小田たちが来たら上で始めてみるか」
「はい!よろしくお願いします!」
と、光秋が3度礼をした直後、ドアが開き、制服姿に手荷物をそれぞれの肩に掛けた小田一尉と伊部二尉が入ってくる。
「「おはようございます」」
「ウム、おはよう」「おはようございます」
2人の挨拶に、藤原と光秋は同時に返す。
「残りは竹田だなぁ……」
と、藤原が小田と伊部が椅子に着くのを見ながら呟くと、
「ウーッス…………」
と、制服の襟元を緩め、右肩に黒いカバンを掛けた竹田二尉が、まだ眠気の残る目をしてドアから入ってくる。
「よし。これで全員そろったな」
竹田が椅子に着くのを見た藤原が立ち上がりながら言う。
「さっそくだが、全員外のグラウンドに移動だ」
「朝っぱらから、なにすんすか?……」
藤原の言葉に、竹田が欠伸混じりに問う。
「行ってから説明する。さぁ、行くぞ!」
言うと藤原は先陣切ってドアへ向かい、光秋、伊部とそれに続く。
「竹田、襟締めろ。あといい加減目ぇ覚ませ」
小田が竹田を注意する声が背後に響く。
本舎の裏にある、春頃にはニコイチの訓練も行われていたグラウンドに移動した藤原隊は、本舎側の端に集合する。
左手首の数珠と時計を外して上着のポケットに仕舞った光秋は、藤原を正面に、本舎側に横に並んで立つ小田たち3人を左に見ながら、軽く両肩を回し、手首を振ってひと呼吸する。
「加藤、お前格闘技の覚えはあるか?」
「空手をかじったことがあります」
藤原の質問に、光秋はそう答える。
「ウム。では、ちょっと見せてくれ」
「はい」
応じると、光秋は拳を作った両腕を前に伸ばし、3回腕を引く練習をすると、左腕を伸ばし、右拳を腰溜めにする。
「そういやぁ、加藤が生身でこういうことするの、これが初めてじゃねぇか?」
と、藤原の側に立っている竹田の呟きを合図に、
「!」
光秋は左腕を素早く腰に引くと同時に右拳を前に突き出す。
その後同じ要領で4本突きをすると、1つ深呼吸をしながら両肩を大きく回す。
―やっぱり肩が張るな―「こんなところです。言い方は悪いですが、効率的な殴り方くらいはわかります」
突きの際に肩に余計な力が入ってしまう悪癖を自省しながら、そう報告する。
「ウム。経験者だけに筋はいいな……試しがてら、儂と組んでみるか?」
「え…………!」
藤原が何となしに言った言葉に、光秋は束の間返事に困ってしまう。
「しかし……しばらくまともにやってないですし、三佐相手には…………」
「ニコイチでやってるだろう。それに手加減もする。なにより直接手合わせしてわかることもある。やるぞ!」
「はい……」
言い切られるや、光秋はやや自信のない声で応じる。
「小田、審判を頼む」
「はい」
3人の中央に立っている小田が、藤原と光秋の許に歩み寄ってくる。
「組手の作法はわかるな?」
「はい、だいたいは」
藤原の質問に光秋が答えると、2人は互いに歩み寄って一定の距離を取り、両手両脚を揃えて礼をすると、左脚を前に出して脚を縦に広げ、左拳を顎の高さで前に出し、右拳を胸の前に置く。
「……」
光秋はゆっくり呼吸を整えながら、藤原の目を見る。
直後、
「始め!」
「!」
小田の号令と同時に、藤原の岩の様な左拳が繰り出される。
「!」
光秋はそれを左腕で受けつつ後退して間合いを取ろうとするが、藤原は光秋を追いながら左突きを繰り返してくる。
と、5発目の突きを受けた直後、
―守ってたら勝てない……なら!―
そう断じた光秋は、6発目の突きを受けると左脚を1歩前に出し、
「!」
胸元に置いていた右拳を藤原の鳩尾目掛けて繰り出す。指の甲に布の感触を覚えたのも一瞬、素早く右手を胸元に引き戻す。
「そこまで!加藤の勝ちだ」
小田がそう判定すると、光秋と藤原は両手両脚を揃え、礼をする。
「……」
光秋はひと呼吸して、乱れた息を整える。
「スゲェじゃん加藤!三佐に勝つなんてさぁ!」
すっかり目を覚ました竹田がそう言いながら寄ってくるが、光秋は、
「いえ、久しぶりということもあって、あんまり上手くできませんでした」
と、素っ気なく応じる。
「確かに、いい動きとは言えんな。が、やはり筋はいい。訓練さえ積めば、ものになるかもしれん」
藤原はそう言って歩み寄り、右手で光秋の左肩を叩いてくれる。
「ありがとうございます」
光秋は藤原の顔を見て応じる。
「よし。各自それぞれで仕事を開始しろ!加藤は儂と残れ」
「「「「了解!」」」」
藤原の号令に4人は敬礼をして応じると、小田たちは本舎へ向かう。
「さて、始めるか」
「はい。お願いします」
残された藤原と光秋は、短い言葉を交わす。
藤原と2人きりになった光秋は、軽い準備体操を終えると、小休止を挟みながら藤原から突きや受け、蹴りの指導を受ける。光秋にとっては復習の様なものだが、それでも構えの甘い箇所をいくつか指摘される。
と、日もだいぶ高くなった頃。
「…………!」
光秋の左前に腕を組んで立つ藤原の上着から、携帯電話の振動音が響く。
「すまん。ちょっと待ってくれ」
言うと三藤原は光秋に背を向けて電話に出、光秋は構えていた左蹴りの姿勢を崩し、軽く足首を振ってみながら藤原の電話に耳を傾けてみる。
「もしもし?……あぁ、アレか。……了解、すぐに」
言うと藤原は電話を上着に仕舞い、光秋に顔を向ける。
「すまんが急用ができた。今日はここまでにしてくれ」
「わかりました」
「有事の際は小田の指示に従え」
「はい」
光秋の返事を聞くと、藤原は真っ直ぐに本舎へ駆けていく。
藤原が本舎に消えるまで見送った光秋は、左手を上着の左ポケットに伸ばし、時計を出して時刻を確認する。
―11時15分かぁ…………少し早いが、飯にするか―
そう決めると時計を左ポケットに戻し、訓練の閉めに突きの練習を10本やって軽い体操をし、左ポケットから出した時計と数珠を左手首に巻きながら本舎へ向かう。
本舎内の食堂に着いた光秋は、運動後の空腹感から焼き肉定食を注文し、適当な席に着いて制帽をテーブル下の物置に置き、食事を始める。
12時前のためか、席の埋まり具合は散々としている。
「……」
油っぽい焼き肉は疲れた体に活力を与え、塩味の野菜スープはさっぱりとしており、栄養だけでなく味覚的にもバランスが取れていると感じる。
と、肉をのせた白飯を口に入れた直後、
「加藤ぉ」
「?……」
名前を呼ばれて後ろを振り向くと、竹田と白衣を羽織った上杉がトレーを持って自分の許に来るのを見る。
竹田が光秋の正面に座るのと同時に、光秋の左前に着いた上杉が口元を歪めて話し掛ける。
「聞いたぜ。藤原三佐に弟子入りしたんだって?」
「……そんなんじゃ。ただ、三佐なら適任そうだから頼んだだけです」
光秋は口の中のものを飲み込むひと呼吸を置いてから応じる。
「でもさぁ、初日から午前中一杯やってたんだろう?」
竹田が言う。
「そりゃあ、訓練なんですからちゃんとやらないと」
「相変わらず真面目だねぇ?」
光秋の受け答えに、竹田は少しからかう様な調子で応じると、カレーライスを一口分口に運ぶ。
「ところで…………」
と、上杉が先程とは打って変わってやや真剣な顔をする。
「その……あれから1週間以上経つが、大丈夫か?」
「?……なにがです?」
「いや、その…………」
―?…………あぁ、あれか―
上杉の曖昧な言い方に、光秋はなにが言いたいのかを察する。
「綾とのことならご心配なく。気持ちの整理なら、完全にとはいきませんが、大方済みました」
「そう?……それならいいんだけどさ…………」
少しほっとした様子で言うと、上杉は箸を定食の焼き魚に伸ばす。
「大丈夫ってんなら訊くけどさぁ」
竹田が言う。
「お前たちが住んでた小屋壊されて、そこにあったもんはどうしたんだよ?」
「僕の私物は壊される前に寮に送り返されて、それ以外の、綾に関わりのある物は全て、教授が研究の参考にって持っていきました」
「……てことは、アヤちゃんとの思い出の品は1つもなしかよ!」
上杉が少し興奮した口調で訊く。
「えぇ」
「あのハゲヒゲェ!…………」
竹田が怒気を含んだ声で言う。
が、2人とは対照的に、光秋は落ち着いた調子で言う。
「でも、僕の手元に残ったって、しばらくはまともに見れなくて、押し入れの奥に仕舞うのが落ちでしょうし、それなら、この方がよかったと思います。捨てる決心なんて、もっと着かないでしょうし……ただ、それはそれ。僕もそれなりの歳なんだから、自分の問題くらい自分で捌けます。どうしてもダメなら、助け舟も出しますけど、それにしたって自分でできるんだから、お二人が心配したり怒ったりすることじゃないですよ」
「……それならいいんだけどさ…………」
上杉は落ち着いた声で応じると、魚の一片を口に運ぶ。
と、
「……あれ?加藤くん」
「!」
再び呼び掛けられた光秋は、トレーを持った伊部が後ろから自分の許に来るのを見る。
伊部は光秋の左隣に座ると、
「竹田二尉に上杉君も。お昼の食堂で会うなんて珍しいですね?」
と、2人を見ながら言う。
「あぁ、オレたちが来たら、珍しくこいつもいてよぉ」
「僕は、訓練が早めに終わったんで、たまには食堂で昼食もいいかと思って」
竹田が光秋をスプーンで指して説明し、光秋は事情を話す。
「フーン?……何?また2人して加藤くんイジメてたの?」
伊部の軽く睨み付ける問いに、
「イジメてませんよ!ねぇ二尉?」
「あぁ!話してただけだ。加藤からも言ってくれよ」
と、上杉は慌てて竹田に振り、竹田二尉も光秋に振る。
光秋は伊部と顔を合わせ、
「竹田二尉の言う通り、ちょっと話してただけです」
と、落ち着いた声で言う。
「そう?……上杉君はまだしも、竹田二尉はからかいが過ぎることがあるから…………」
そう言うと、伊部は自分の焼き魚定食に箸を着け始める。
光秋は箸を動かしながら、隣の伊部を横目で見る。
―……綾と同じ、黒い肌に長い黒髪、匂い……でも、違う。伊部二尉は後ろに束ねてるっていうのもそうだが、そこにいるのは伊部法子であって、加藤綾じゃない……!いかんいかん!また引きずってる!―
そう考えると、光秋は少なくなった残りの食事を駆け脚で平らげ、
「ごちそさまです」
と、手を合わせて早口に言って、
「では、僕はこれで」
と、誰の返事も待たずに立ち上がり、トレーを持って返却口に向かう。
トレーを返すと食堂の出口へ向かう。
と、
「加藤くーん!」
「!」
後ろから伊部に呼び止められ、振り返るとすぐに制帽を差し出される。
「?」
「忘れ物」
「……あ!ありがとうございます」
言いながら光秋は一礼して制帽を受け取り、苦笑いを浮かべてそれを被ると、振り返って出口へ向かう。
―やっちゃったなぁ…………―
地下の待機室に向かうと、光秋はカバンから歯ブラシを出して最寄りのトイレで歯磨きを済ませる。
食後の一息を終えると、射撃訓練を1時間程行い、その後は再びグラウンドに出て休憩を挟みながら日が暮れるまで格闘戦の自主訓練を行う。
食堂で夕食をとってから帰宅し、ひと風呂浴びてパジャマに着替え、ドライアーで髪を乾かし、目薬を注しながら、洗濯物を窓側に置いてあるハンガ―ラックに掛けていく。
それら必要事項を全て終え、椅子に着いた光秋が机の上の時計を見ると、8時半である。
―とりあえず、今日も1日勤まったし、訓練の方も、なんとかなりそうだな。適度に疲れたから、今日はよく眠れるかも…………竹田二尉たちには大丈夫だと言った後で、伊部二尉に綾の影を見ようとしたなぁ……いかんよなぁ、これじゃあ…………ま、やっちまったもんはしょうがしょうがない。ちょっと早いが……明日も早いし、寝るか―
そう決めると、光秋は右側の脚が長いベッドに梯子を掛け、トイレで用を足して風呂場の水盤で口を漱ぎ、顔を洗い、居間に掛かっているバスタオルで顔を拭くと、玄関の戸締りを確認し、机の上に置いてあるカプセルをベッドの上の枕の左脇に移動させ、ベッドに上って胸ポケットの携帯電話もカプセルのそばに置き、灯りを消してタオルケットをかける。
メガネを取ってカプセルの近くに置き、携帯電話を開いて時刻を確認すると、9時ちょうどである。
9月10日金曜日早朝。
いつも通りの時間に出勤した光秋は、いつも通り待機室に顔を出すと、カバンを持ってグラウンドに向かい、格闘戦の自主訓練を始める。
午前9時。
「よぉ加藤!やってんな!」
「!」
後ろから竹田の声に呼び掛けられた光秋は、突きの構えを解いて振り返ると、竹田を先頭に、小田と伊部の3人が自分の許へ歩いてくるのを見る。
「おはようございます」
「おはよう。三佐知らないか?」
竹田の左隣に立つ小田が歩を止めて訊く。
「いいえ、僕が来た時からいませんでした。三佐のカバンがあったので、朝から用事があるんだろうと思って、顔を出したらすぐにここに来たんですが……」
「そうか……電話も繋がらんし、昨日は結局支部に帰ってこなかったし、どうしたんだかなぁ…………」
「はぁ……」
小田の少し困った顔に、光秋は相槌を打つことしかできない。
「大方、仕事に手こずってんでんでしょう?三佐デスクワーク苦手ですし。万が一事件に巻き込まれてってことになっても、あの藤原三佐が死ぬことたぁないですよ」
竹田は気楽そうにそう言うと、光秋に顔を向ける。
「それより加藤、昨日の三佐みたいに、オレとも組んでみねぇか?」
「え?二尉、空手の覚えあるんですか?」
「いや全然」
「…………」
竹田の即答に、光秋は内心少し呆れる。
「二尉、それじゃやめておいた方がいいですよ?」
「大丈夫だって。プロレスのテレビ中継なんかはよく観てるし」
「観てるだけじゃあ……」
「加藤の言う通りだ」
小田が加わる。
「お前も、訓練とはいえ真剣にやらないと怪我することくらい知ってるだろう!しかもろくに知識もなにのに……」
「一尉まで。大丈夫ですよ。オレガキの頃からケンカ強い方でしたし」
叱る様に言う小田に、竹田は能天気に返す。
「とにかく加藤、早く始めようぜ!」
言うと竹田は左脚を前に出し、左拳を顎の前に出して右拳を胸元に置く。
「…………わかりました。一尉、審判をお願いします」
竹田の様子に、光秋は半ば諦めて姿勢を構える。
が、一方で竹田のいい加減な態度に対し、
―少し見せてやる!―
という反感も自覚する。
「やれやれ…………」
と、小田は呆れ顔を作って光秋と竹田の間に立ち、光秋の左肩と竹田の右肩に手を置く。
「始め!」
号令と同時に小田は光秋の左側に下がり、竹田は一気に間合いを詰めてくる。
「そらぁ!そらぁ!」
竹田が左拳を立て続けに繰り出し、光秋はそれを左腕で受ける。
「どうした加藤ぉ!仕掛けねぇのかぁ!?」
そう挑発しながら竹田は右拳を突き出すが、
「!」
直前に後退して間合いを取った光秋はそれが当たるのを回避する。
直後、竹田の左足が光秋の胸に跳ぶ。
「!」
光秋はさらに後退してそれをやり過ごし、直後に竹田は直立のバランスを取ろうと上体を揺らしてしまう。
光秋から見れば、竹田の構えや攻撃法はどこか甘い。が、なぜかある種の狂気を感じ、1カ月程前の記憶を呼び覚ます。
―いつかのチンピラたちと大差はないか!なら!―
光秋は前進して竹田との距離を詰め、
「!」
竹田の顎に向かって左突きを繰り出す。
―超能力がない分―
竹田がそれを左腕で受けた直後、
―こっちの方が毛1本ましか!―「あさぁ!」
気合いと同時に右拳を竹田の鳩尾に叩き込む。
刹那、手に布と竹田の体の質感を覚える。
と、
「うっ!…………」
「……?」
絞り出す様な声を聞いいたかと思うと、竹田は両手で鳩尾を押さえて崩れる様に両膝を着く。
「…………」
すぐには何が起きたのかわからず、光秋は組手の構えのまま呆然とする。
「あぁ言わんこっちゃない!伊部、上杉呼んできてくれ」
「はい!」
小田が呆れた顔で言うと、伊部は医療棟へ駆けていく。
と、呆然状態から脱した光秋は、構えを解いて竹田に歩み寄り、中腰になって頭の高さを合わせると、
「…………二尉、大丈夫ですか?」
と、心配そうな声で訊く。
―やりすぎたか…………―
と、
「心配しなくても、ちょっと強く当たっただけだろう?こいつだって少しは鍛えてるんだし、寧ろいい薬になっただろう。そうだな?竹田」
「はい!中途半端にやっちゃいけないってよくわかりました…………」
と、竹田を見下ろす形で小田は言い、竹田は絞り出す様な声で答える。
と、
「二尉!加藤にやられたって本当ですか!」
伊部に連れられた上杉が驚きの声を上げながら駆け寄り、すぐに上着とワイシャツのボタンを外させて右手を竹田の鳩尾に当てる。
「…………ざっと診た感じ、特に異常はなさそうですね。しばらく安静にしてれば治りますよ」
「それなら、待機室に運ぶか……」
小田がそう言うと、
「じゃあ、オレが連れてきますよ」
と、上杉は竹田の左腕を肩に回して2人で立ち上がり、そのまま並んでゆっくりと本舎へ歩いていく。
「…………」
それを光秋は、浮かない顔で見送るしかない。
と、
「加藤」
「……」
後ろから小田に呼び掛けられ、光秋は背後に振り返る。
「今のことで、変な気は起こすな」
「?…………」
「あいつだって、この手の訓練は少しくらい受けてるんだ。さっきの様なチャランポランな態度で臨めばこうなることくらい、やる前から予想しておくべきだったんだ。お前はちゃんと真面目にやった。だから気に病むなよ」
「そうですが……僕の方にも反省はあります。ちょっとムキになってしまって……大人気ないです」
「なら、それくらいにして、次は気を付けろ」
「はい…………」
「じゃあ俺は、竹田を見てくる」
言うと小田は本舎の方へ歩き出す。
「…………」
光秋は、黙ってその後ろ姿を見送る。
と、
「加藤くん」
伊部が左隣に立って話しかけてくる。
「伊部二尉……情けないとこ見せちゃいましたね…………」
「一尉も『気に病むな』って言ってたでしょう。加藤くん自身も反省してるんだし、いいじゃない……それより、気分転換にジュースでも買って飲まない?」
「……じゃあ、僕持ちで」
「上官に奢ろうなんて10年早い!」
伊部は微笑みながら叱る様に言う。
「……じゃあ、お言葉に甘えて」
「うん。それじゃあ、行こっか」
言うと伊部は本舎に向かって歩き出し、光秋もその後に続く。
本舎地下の紙コップの自動販売機で、光秋はサイダーを、伊部はウーロン茶を買うと、近くのベンチに腰を下ろす。
光秋がサイダーを一口すすると、
「……ところで、『蜂の巣』戦の後、どうだった?」
左隣に座る伊部が、顔を向けずに訊いてくる。
「どうって、言いますと?」
「私、あの時負傷して、加藤くんがどうなったかわからなかったでしょう」
「あぁ……とりあえず、しばらくニコイチは使用禁止になりました。僕も自宅待機を命じられて……今だから言えますけど、最初の頃は辛かった。気が付くと、台所の包丁が頭に浮かんで、でもなんとか気を立て直して、早まったことはしませんでしたが……」
「…………そんなに堪えた?ニコイチの暴走が」
「えぇ、危うく人を殺しかけたりもしましたからね…………でも、その後自分の時間を持てたのは、よかったと思います。気持ちの整理も、なんとかつけられましたし」―綾にも、会えたし…………―
「その間の出来事が、格闘戦の自主訓練をしようって動機になったの?」
「えぇ」
「……そっかぁ…………ところで、加藤くんが人前で組手なんかやったのって、昨日の藤原三佐とのあれが初めて?」
「えぇ、こっちに来てからはあれが初めてですが・・・なにか?」
「うん、さっきの竹田二尉との組手、なんか見覚えがあるような気がしてね・・・」
「見覚え?」
「うん。前にも竹田二尉みたいな……どっちかっていうとやんちゃな性格の人と、加藤くんが殴り合った気がするんだけど…………」
「!?…………」
伊部の言葉に、光秋は束の間言葉を失う。
「心当たりない?」
「……いいえ…………おそらく、デジャブでしょう。頭の調子が悪いと、始めて見たものを記憶と勘違いしちゃうっていう」
「そうかなぁ?…………私、夏の2カ月くらい記憶ないから…………」
「…………」
伊部の呟きに光秋は何も言わず、紙コップからまた一口すする。
「…………」
伊部もそれ以上何も言わず、静かにウーロン茶を飲む。
飲みながら光秋は、伊部が今言った記憶について考えてみる。
―二尉が言ったのは、あのチンピラたちとの喧嘩の記憶?……あれは綾の記憶だ。伊部二尉は、ちゃんと伊部法子として戻って来たはず。なのに何で…………いや、脳みそはあくまでも一緒だから、さっきの組手がきっかけで、思い出したのか?…………―
脳に関する知識が少ない光秋は、そこまで考えることで精一杯である。
伊部と別れた光秋は、グラウンドに戻り、気を取り直して訓練を再開する。
その休憩の際、光秋は近くの日陰に腰を下ろし、カバンから出したタオルで汗を拭きながら、先程の竹田との組手を思い返してみる。
―構えも攻撃も甘いのに、何であんなに怖く感じたんだろう?…………そういえば二尉の突き、けっこう痛かったな……―
思いながら、左腕の竹田の突きを受け止めた箇所を見てみる。
―形こそいい加減でも、力はあるんだ……!……力……技術……気持ち……そういうことか?―
唐突に合点する。
―つまり、“能力”―この場合は腕っ節のことだが―これの強さと、“能力”を効果的に使う
そう思うと、光秋はゆっくりと立ち上がり、
「それは、訓練と経験あるのみか…………」
と、タオルをカバンの上に置いて日陰から出、訓練を再開する。
午後8時半。
ひと風呂浴びてパジャマに着替えた光秋は、自室の居間の椅子に座ってくつろいでいる。
ふと、昼間のことを思い返す。
―前にも“力”や“心”について考えたことはあるが、ちょっとぎこちないとはいえ、あそこまで言葉にまとめられたのは初めてだな…………格闘技を覚えていく上での流れと言えなくもないが…………ただ……―
と、綾の顔を思い出す。
―現実上、腕を鍛えて強くなるに越したことはないが、綾から学んだものが、本当にこれでよかったんだろうか?暴力を嫌う綾から学んだものが、暴力の効率化……あ…………
唐突に思いついた駄洒落に、口元が苦笑いに歪む。
―いや、昼間の考えで言うところの“技”だって、ニコイチと同じ様に道具―手段に過ぎない。結局は使う者、その心持次第で、毒にも薬にもなるって、それだけか……なら、“技”もニコイチも常に薬であるように、僕の心も鍛えればいいだけのことか……少なくとも、『蜂の巣』の時の様に、“心持”も“技術”もタガが外れて、感情任せに力を振り回す事態は、金輪際あっちゃいけない!―
と、
「!…………」
胸ポケットの携帯電話が振動し、光秋は左手でそれを取って表示を見る。
―大河原主任?……なんだろう?―
そう思いながら、電話を左耳に当てる。
「はい?」
(あ、三曹?君、明日出勤だったよな?)
「えぇ、第二土曜日ですし」
(実は、ニコイチについてまた調べることができた。明日は、アレのマニュアルを持って来てくれ)
「マニュアルですか?」
(あぁ)
「わかりました。では
(あぁ、頼むぞ)
そう言うと、大河原の方から電話は切れる。
「…………マニュアルかぁ」
そう呟くと、光秋は椅子を机に寄せ、机の引き出しを開けて探してみる。
と、
「……!そうだ。ニコイチの肘掛に仕舞ったままだ」
思い出すと引き出しを閉め、机の上のカプセルを見る。
―…………さすがに夜中に、しかも住宅密集地で出すわけにもなぁ…………―「明日早めに行って、駐車場で出せばいいか?…………いいな」
そう決めると、光秋は椅子から立ってトイレへ向かう。
いかがでしたか。
自主的に“力”を求め始めた光秋。これがどんな結果に繋がるのか?温かく見守ってくれればと思います。
終盤に出た久々の講釈、みなさんはどう思いましたか?それについても触れていただければと思います。
次回もお楽しみに。
そしてお知らせです。
このたび、大型コラボ作品『スーパーロボット大戦H/ハーメルン』を掲載しました。本作も参戦しているので、興味を持っていただけたら是非読みにきてください。
お待ちしています。