白い犬   作:一条 秋

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44 姉貴分の誕生日

「……そういえばさ」

「はい?」

 街灯や店から漏れる明かりが照らす夜道を並んで歩いていると、不意に伊部が話し掛け、右隣を歩く光秋は目をやりながら応じる。

「都合で遅れるかもしれないってメール来たけど、なにかあったの?」

「あぁ……」

 伊部の質問に、光秋は今日の失敗を思い出して少し気落ちする。

「……護送車の警護があるって、昨日連絡しましたよね」

「うん」

「それやってる途中で、車列が襲撃されまして」

「襲撃!?」

 突然出た物騒な言葉に、伊部は驚きの声を上げる。

「で、どうしたの?」

「その時小田一尉が指揮を取ってたんですが、応援が来るまで待てっていう指示を無視して、僕ニコイチに乗り込んじゃって……要するにキレたんでしょうね……で、襲撃犯たちが乗ってきた車を、こう持ち上げて……」

 言いながら、光秋は物を掴んだ両手を上げる動作をする。

「『今すぐに車列から離れろ』って叫んだんです。そしたら襲撃犯はみんな逃げていったけど、結局命令違反を犯したわけで……帰ったら一尉にゲンコツ食らって、グラウンド10周と始末書書くことになりまして……」

「それは……」

「それで、走り終わってから始末書書こうと思ってたんですが、初めてでなにをどうしていいかわからなくって、一尉や二尉に訊こうと思っても2人とも襲撃犯の取り調べに行っていなくて、仕方なく2人が帰ってくるまで待ってから書こうと思って、それだと約束の時間に間に合わないかもしれないと思って、それでそのメール送ったんです」

「なるほどね……」

「……で、帰ってきた二尉に頼んで教えてもらいながら始末書書いたんですが、それに夢中になり過ぎて、三佐が待機室に来たのを見て慌てて正門に向かった、と言うわけです」

 伊部の相槌を挟みながら、光秋は嘆息混じりに説明する。

「……短い一日で、いろいろ大変だったのね」

「そういうことですね……ダーク・ドールを相手にするよりはずっとマシでしょうけど、その分力加減も考えなきゃいけないし」

「それはね……」

「……ま、なにはともあれ、問題はひと段落したし、僕自身きちんと反省したんです。次気を付ければいい……ですよね?」

「そうね……とりあえず、今日はもう仕事の話はやめとこ。今晩ゆっくり休んで、明日また頑張る。それでいこう」

「そうします」

 伊部に応じると、光秋は余計なことを頭の隅に追いやって意識を前に向け直す。

 

 しばらく歩くと、2人は地下鉄の駅の出入り口に差しかかる。

「もう少し行くと一尉の寮で、そこから3つ目の角を右ですよね?」

 以前来た時のことを思い出しながら、光秋はなんとなしに訊く。

「そう……そういえば、光秋くん一度部屋の前まで来たんだよね……私よく憶えてないけど……」

「えぇ……」

 伊部の少し曇った表情に、光秋も返事に迷いながら返しつつ、酔っ払った伊部を背負って初めてその部屋の前まで来た時のことを思い出す。

 その間に小田の寮を過ぎ、3つ目の角を曲がって路地に入り、3階建ての寮の前に着く。

「210号室、でしたよね?」

「うん」

 思い出したことを言った光秋に伊部は応じながら、2人は寮に入って階段を上がり、2階の端のドアの前に着く。

 伊部はズボンの左のポケットから鍵を出して開錠し、ノブを引いてドアを開けると、

「入って」

と、先に入って玄関の灯りを点けながら光秋を招く。

「お邪魔します」

応じつつ、光秋は伊部に続いて玄関に入って靴を脱ぎ、短い廊下を進んだ先にあるドアをくぐって居間に入る。

 先に入った伊部が紐を引いて蛍光灯を点けると、八畳程の広さに足の短い丸テーブルやベッド、小型のテレビ、すでに点いている電気ストーブなどが置かれた部屋が明らかになる。

「僕の部屋より少し広いですね。机みたいな大きな家具がないからかもしれませが……」

 好奇心の目で部屋を見回しながら、光秋は率直な感想を述べる。

「そうなの?とりあえず座って。今ごはん温めるから」

「はい」

 カバンを床に置き、脱いだ上着をドアの右隣にあるクローゼットに仕舞いながら伊部は返し、光秋は廊下に消える伊部を見ながら応じると、カバンをドアのそばに置いてその上に脱いだ上着と制帽を置き、ワイシャツのボタンを2つ開けて丸テーブルのそばにドアに背を向ける形で正座する。

―……よくよく考えたら、女の人の部屋に入るなんて初めてじゃないか?親戚や、小さい頃は友達の家に遊びに行ったことはあるけど、血縁のない……成人女性の部屋を訪ねるのは初めてだな!―

 好奇心一杯に部屋を見回しながら、ちょっとした感動を覚える。

「座布団使えばいいのに」

 言いながら、料理を載せた盆を持って伊部が部屋に入ってくる。

「あぁ……ありがとうございます」

 部屋の観察に夢中でドアの音に気付かなかった光秋が呆然としている間に、伊部は盆をテーブルの上に置いて光秋の右隣のベッドの上にある座布団を差し出してくれる。

「足も崩して、楽にして」

「はい……」

 応じつつ、光秋は座布団の上に尻を着いて胡坐をかく。

 伊部も自分の分の座布団を取って光秋の左前に置き、盆のカレーライスとサラダ、コップに入った水を2人分置いていく。

 全て置き終えると、伊部は盆をテーブルの下に置き、座布団の上に腰を下ろす

「……カレーですか」

テーブルの上のカレーに目を落としながら、光秋は不安な声を漏らす。

「うん。大丈夫、甘口にしておいたから」

「はぁ……」

 伊部は微笑を含んで返すが、光秋のカレーに対する不安は消えない。

 と、

「あぁ、そうだ」

光秋はカバンを引き寄せると、中から用意しておいたプレゼントの包みを取り出す。

「お誕生日おめでとうございます!」

 微笑みを浮かべながら、両手で持ったそれを伊部に差し出す。

「私に?」

「はい……といっても、僕こういうのよくわからないから、中身のセンスはあんまり期待しないでください……」

「そんなこと……開けていい?」

「どうぞ」

 光秋の返事を聞くと、伊部は封を破って白地に赤いフリルが付いた髪留めを出す。

「シュシュだ!ありがとう!」

 中身を見るや、伊部は笑みを浮かべてくれる。

「それシュシュっていうんですか?名前まではわからなかったんで……」

「付けてみていい?」

「どうぞ」

 光秋が応じると、伊部は付けていた髪留めのゴムを解き、貰ったばかりのシュシュで髪を束ねる。

「どう?」

「えぇ、似合いますよ」

 髪を示す伊部に、光秋は微笑んで答える。

「よかった」

「……さっきはあぁ言いましたが、一応似合うと思って買いましたからね」

「それもそっか。じゃあ、プレゼントもいただいたし、食べよっか」

「はい。いただきます」

 伊部の勧めに応じると、光秋はスプーンを持ってカレーを食べ始める。

「……そういえば伊部さんて……その、孤児だって、言ってましたよね?今日が誕生日だってどうして判ったんですか?」

 カレーを何口か食べて痛くなり始めた喉に水を流しながら、光秋は少し言葉に迷いつつ、ふと浮かんだ疑問を訊く。

「あぁ。今日は私が今の両親に引き取られた日で、それで誕生日が今日になったの。本当の日付はわかんない」

「そうですか……すみません。変なこと訊いて……」

 伊部の答えに返すと、気まずさからカレーを速口で食べる。

「別に。気ぃ遣いすぎ」

「……そうですか?」

 応じつつ、痒くなり始めた左耳の奥を掻く。

 それを見て伊部は、少し驚きを浮かべる。

「そんなに辛い?甘口なのに」

「甘口でも、どういうわけかダメなんです……」

 言うと光秋は水を一口飲み、口直しにサラダを少し食べる。

 

「ふー……ごちそうさまです」

 カレーとサラダを食べ切って水を飲み干すと、光秋は満足そうに手を合わせる。

「お粗末さま」

 伊部も水を飲みながら満足そうに返すと、テーブルの下から盆を取り出し、空になった食器を載せていく。

「片付け手伝いましょうか?」

「うんうん、いいよ。座ってて」

 言うと伊部は全ての食器を盆に載せ、それを持って台所へ向かう。

 手伝いを断られた光秋は、ドアに消える伊部を見送りつつ、

「いいんですか?伊部さんの誕生祝いってことで来たのに、準備も片付けも任せちゃって」

と、少し申しわけなさを感じながら言う。

「こんなの大したことじゃないよ。それに、誕生日を一緒に祝ってくれる人がいるって、それだけで充分嬉しいもん」

 水が流れる音に混ざって、ドア越しに伊部の声がそう応じる。

「それならいいんですが……」

 ドアの方を振り向きながら言うと、光秋はテーブルの方に向き直り、左手首の腕時計を見る。

―7時10分か……明日も早いし、そろそろ帰るか?…………とりあえず、皿洗いが終わるまで待とう―

思いつつ、ドアを見やる。

 少しして皿洗いを終えた伊部が部屋に入ってくると、座布団から立ち上がる。

「そろそろ帰ります。明日も早いんで」

上着を羽織りながら言うと、伊部は少し残念そうに応じる。

「そうだね。泊っていってって言いたいところだけど、着替えもないし」

「そうだとしても、一人身の女の人の部屋に泊るなんてできませんよ。職場に変な噂がたっちゃう」

 上着のボタンを締めてカバンを右肩に斜め掛けしながら言うと、光秋は制帽を被って玄関へ向かう。伊部も後に続く。

 制靴を履くと、光秋は伊部の方に振り返り、一礼しながら言う。

「それじゃあ、カレーごちそうさまでした。また明日」

「こちらこそ、誕生祝いありがとう。プレゼントもね」

 伊部が髪を束ねているシュシュを示しながら返すと、光秋はもう一礼して部屋を出、階段を下りて寮を出る。

 路地を抜けて表通りに出ると、来た道を辿って自分の寮へ向かう。

―さすがにこの季節になると夜は冷えるなぁ……―

 吹き付ける風に両手を上着のポケットに入れながら思うと、今日一日のことを思い出す。

―警護に行って襲われて、一尉に殴られて、それで最後は伊部さんの誕生祝いか……盛り沢山の一日だったな……―「ま、こんな日もあるか…………」

 なんとなしにそう呟くと、光秋は寒さに追い立てられる様に家路を急ぐ。




 「姉貴分の誕生日祝い編」は今回で終了です。
 次回もお楽しみに!
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