白い犬   作:一条 秋

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 今回から「姉貴分の帰省編」に入ります。
 引き続きよろしくお願いします。


姉貴分の帰省編
59 伊部家


 基地から飛び立ってしばらく。

 光秋は左耳の通信機越しにESO岩手支部と連絡をとる。

「はい。了解です。よろしくお願いします……とりあえず一旦岩手支部に下ろしてもらって、そこからバスかタクシーで行きましょう。家にはもう連絡されたんですよね?」

「それは大丈夫。光秋くんがコンピュータ室行ってる間にやっておいたから。確かにこんな大きいの、私の家の近所には下ろせないもんね。その前にみんなビックリしちゃう」

「近所迷惑も甚だしいですね」

左隣の補助席に座る伊部の返事に、光秋は冗談混じりに応じる。

 一方で、一通り話すと、それまで頭の片隅にあったシコリの様なものを意識してしまう。

「……どうしたの?浮かない顔して」

 顔に出たのか、伊部が少し心配そうな顔をして訊いてくる。

「いえね……今回の作戦、死者は出てないんですよね?」

「まだ正式な発表はされてないけど、確かね。怪我人はたくさん出たって藤原三佐が言ってたけど。それがどうかしたの?」

「主に二つ思うところがあって。一つは、僕が攻撃した機の人たちはちゃんと助かったんだっていう安心感。もう一つは……立場上、覚悟が足りないんじゃないかって不安です」

「覚悟?」

「人を殺すかもしれないって覚悟。あんな物を振り回してたら、その内あっても不思議じゃないでしょ?」

 言いながら、N砲やガトリング砲を使っていた時のことを思い出す。

「そういう覚悟が、僕は足りないんじゃないかって……」

「……私もね、始めて人に銃を向けた時は怖かった」

「?」

 突然自分のことを話し始めた伊部に首を傾げながらも、光秋は直感的に耳を澄ます。

「相手はレベル4のサイコキノで、単純な強さなら向こうの方が上だったんだけどね。三佐の指示で連携して、なんとか無傷で捕まえた。でも、その時もし撃てって命令されてたら、きっと撃てなかった。指が固まってるのが自分でもわかってたから。そのことを後で三佐に相談したらね、さっき多目的室で言ってたのと同じ様なこと言ってた」

「僕たちは捕まえるのが仕事、ですか?」

「そう。それでふっきれちゃって。私たちの仕事は捕まえること。なら、どんな強敵が相手でも()()()()()()で挑まなきゃいけない、きっちり司法の場に引き渡す覚悟で挑まなきゃいけないって」

「殺さない覚悟……司法の場に引き渡す覚悟……罪を憎んで人を憎ます……」

「そう。なにも人を殺すだけが手段じゃないもの。寧ろもっと難しくて、だからこそ意義のある道なんだと私は思う」

「……難しいから、意義がある、か…………ありがとうございます!なんかすっきり……て程じゃないけど、なにかが浮かびそうな感じがしました」

「そう?よかった!」

「ありがとうございます!」

伊部の笑顔に光秋は思わずもう一度礼を言い、深々と頭を下げる。

 まだ不定形だが形に成りかけている何か。それを胸の中に転がしながら、ニコイチは雲の合間から射す夕陽に照らされて空を駆けていく。

 

 しばらく飛ぶと、ニコイチは岩手支部上空に着く。

 建物の配置は京都支部と大差ないことを確認すると、光秋は駐車場の片隅に着地し、伊部を下ろして自分もリフトで降りるとカプセルにニコイチを収容する。

「うん。じゃあよろしくね……すっかり暗くなっちゃったね」

「ですね。もうすぐ6時だ」

 おそらくは家に連絡を入れていたのだろう。携帯電話を閉じてカバンと補助席を抱え直しながら言う伊部に応じながら、光秋はカプセルを内ポケットに仕舞って時刻を確認する。

「最寄りのバス停は……こっちだね。行こう」

「はい。補助席持ちましょうか?」

「大丈夫。それにこれは私の荷物なんだし」

「はぁ……」

光秋が曖昧に応じながら斜め掛けしたカバンの帯を調整すると、2人は伊部が携帯電話の地図機能で調べたバス停へ向かう。

 着いて少ししてバスが停まり、2人は乗り込んで後部右側の席に並んで座る。車内には2人と運転手以外誰もおらず、エンジン音と走行音だけが律義に響いている。

「……誰もいなくてよかったかな?流石に制服でバスに乗るのって変ですかね?」

「確かにね。ていってもタクシーはもったいないから」

「ですね」

伊部に同意しながら、光秋は右の窓を見る。

 煌々と照明が灯る車内に対して外はすでに真っ暗であり、街灯や建物から漏れる灯り以外なにも見えず、景色を楽しむことなどできない。その代わり、窓を鏡にして自分の顔を確かめることはできる。

―今朝一応剃ったけど、髭伸びてないかな?……―

口周りを撫でながら、光秋は心なしか身嗜みの心配をする。

 

 しばらくしてバスを降りると、2人は伊部家に向かって2メートルは雪が積もった街を歩き出す。

「流石岩手というか、雪が凄いですね。カバンもあるからバランス取り難いや」

「新潟も雪国でしょ。それとも光秋くんの方は違うの?」

「いいえ。僕の方も雪国ですよ。それでも半端に除雪された歩道って歩き辛くって」

「まぁね。かく言う私も、久しぶりだから厳しいや」

そんな愚痴を交わしながら、人1人が辛うじて歩ける程度に除雪された歩道を、伊部、光秋の順に並んで歩いていく。雪が降っていないだけマシといったところだ。

 と、2人の右手を1台のタクシーが通り過ぎていったかと思うと、すぐ前で停車し、後部席の窓が開く。

「「?」」

 なんだと思って顔を見合わせると、

「やっぱり!ホウちゃん!」

「ハルちゃん!?」

窓から顔を出した長い赤毛の女性に、伊部は驚きながらも嬉しそうな声を上げる。

「すみません。ここで降ります」

 そう言って赤毛の女性は会計を済ませ、領収書を受け取るとタクシーを降り、2人の――というよりも伊部の許に駆け寄ってくる。

 燃える様な赤毛を肩甲骨を覆う辺りまで伸ばし、ほっそりとした顔つきは色白な肌と合わさって暗い中でも綺麗な印象を抱かせる。白い厚手のコートを着た体は光秋より少し小柄だ。左肩には黒い大きなカバンを提げている。

「久しぶりぃっ!いつ以来だっけ?」

「いつだろう?私も久しぶりに帰ってきたから。でも一緒になるなんて、凄い偶然っ!」

 互いに手を合わせながら、赤毛と伊部は顔一杯に笑顔を浮かべる。

「……伊部さん、こちらの方は?」

 隅に置かれていた光秋が、遠慮がちに加わってくる。

「あ、ごめんね。日高(ひだか)春菜(はるな)ちゃん。私の幼馴染みだよ。ハルちゃん、私の弟分の加藤光秋くん!」

「はじめまして……」

「弟分?仕事の後輩じゃなくて?」

伊部に紹介されながら前に出された光秋の服装を見て、日高は首を傾げる。

 と、おもむろに口元を歪め、

「もしかして彼氏?これから家族に紹介するとか?てっきり年上が好みかと思ってたけど」

と、笑みを浮かべながら言う。

「そうじゃないって!いろいろ事情があって家に帰れないから、私の家で骨休みするように言ったの。上司からの指示でもあるんだよ」

「そうなの?ま、そういうことにしときますか」

「すっごく気になる言い方なんだけど……」

日高の返事に、伊部は不満そうな顔を浮かべる。

 と、日高は光秋に歩み寄り、

「光秋くん、だっけ?」

「はい?」

「じゃあ、コウちゃんだ」

「『コウちゃん』、ですか……」

唐突に付けられた愛称に、光秋は返事に困る。

「改めまして、ホウちゃんの幼馴染みの春菜です。よろしくね」

「よろしくお願いします」

 日高の自己紹介に、光秋は会釈して応じる。

「立ち話もなんだし、そろそろ行こう。こんな所にずっといたら風邪ひいちゃう」

「だね。わたしも家族待たせてるし」

 伊部の提案に日高が応じると、3人は移動を再開する。

「そういえばさ、ホウちゃんたちはいつまでこっちにいるの?」

「明日から3日間だから、遅くても1日には帰らないと」

「3日か……それじゃあ明日、久しぶりのわたしの家に来ない?もちろんコウちゃんも一緒に」

「え?」

 日高から唐突に名前を呼ばれ、光秋は意表を突かれる。

「僕もですか?そもそも、僕なんて初対面の奴がお邪魔していいんですか?」

「それに年末だし、大掃除とかで忙しいんじゃない?ウチは大丈夫だと思うけど」

「ウチも大丈夫だと思うよ。31日までにやればいいんだし。一応、帰ったら確認してメールしとくね。それとコウちゃん。初対面だからこそ親睦を深めるために家に呼ぶんだよ。ホウちゃんの弟分なら、わたしにとっても弟分みたいなもんだし。だから遠慮しないで」

「はぁ……ありがとうございます」―よくわからん理屈だが、社交的な人だなぁ……―

自分と伊部の質問に応じる日高に、光秋はそんな印象を抱く。

 その後も伊部と日高の会話は続き、話についていけない光秋は後ろでそれを静かに聞きながら2人についていく。

 しばらくすると、3人は商店街の前に着く。

「じゃあ、わたしこっちだから。後でメールするから、確認よろしくね」

「わかった。じゃあね」

「……」

 商店街の入り口で別れる日高に伊部は応じ、光秋も一礼して見送る。

「私たちはこっちだね……それにしても、変わんないな……」

「そうなんですか……」

 懐かしそうに辺りを見回す伊部に相槌を打ちつつ、光秋も周囲を見回してみる。

 道の左右を埋め尽くす様にさまざまな店が並び、地方の商店街は寂れているという予想に反して、どの店も繁盛という程ではないがそこそこに活気がある。

 そんな街中をしばらく進むと、不意に伊部が足を止めて目の前の2階建ての建物を見やる。

「ここだよ、私の家」

「『伊部電器』、ですか……」

伊部の視線を追うと、光秋は掛かっている看板を読み上げる。

 すでに店仕舞いした小さな店の上に生活臭が漂う2階が乗っている、いわゆる店舗兼自宅というものをよく表した家である。

「玄関はこっち。ちょっと狭いから気を付けて」

「はい」

 伊部に応じると、光秋は伊部家と左隣の家の間を通って勝手口に向い、伊部に続いて中へ入る。

 ドアをくぐると、台所らしき所に出る。

「ただいまー」

「お邪魔します」

よく通る声の伊部に対して遠慮がち言うと、狭い足場に靴を脱いで家へ上がる。

 と、

「あぁ、お帰りなさい」

家の奥っから伊部の母が歩み寄ってくる。

 所々に薄っすら皺を刻んだ顔はどこか優しそうであり、肩くらいの長さに切りそろえた黒髪は実用優先の印象を抱かせる。背は光秋より頭一つ分低く、私服の上にエプロンを掛けた姿は正しく主婦である。

「こちらが連絡した?」

「加藤光秋です。しばらくお世話になります」

 伊部母の視線に応じると、光秋は頭を下げる。

「あら、よくできた方ですね。ささ、法子は早く着替えてきなさい。ご飯準備してるから」

「わかった」

「光秋さんはこっちに。コートは掛けておきますね」

「はい。ありがとうございます」

伊部母にそれぞれ応じると、伊部は自室へ向かい、光秋はコートを渡した母の後に続いて居間に通される。

 広さは八畳程、中央にコタツが置かれ、その周りに座布団が4つ敷かれており、部屋の隅では小型の電気ストーブが煌々と照っている。コタツの上にはすき焼き鍋を乗せたコンロが置かれ、光秋が入ってきた襖の向いに座る伊部父が油を敷いている。

「おや?君が法子が話してた……」

「はじめまして。加藤光秋です。しばらくお世話になります」

 提げていたカバンを部屋の隅に下ろすや、光秋はまた頭を下げる。

「光秋くんか。あぁ、堅苦しいのはいいから。座って楽にして」

「はい……」―楽にしろと言われてもなぁ……―

 伊部父に応じて向いに正座しながらも、伊部の両親を前にした緊張からどうしても力が入ってしまう。

 そんなことは気にせず、伊部父は鍋に肉を敷き始める。

「……」

 牛肉が焼ける独特の匂いに若干気持ちを軽くしながら、光秋は湯気を通して伊部父を見る。

 張りを保った肌、所々白いものが見えつつも未だ黒々とした髪は20代の娘を持つにしては若々しく、30代後半から40代手前に見える。細く見開かれた目は常に笑っている様であり、私服の上に羽織った厚手の赤チェックのちゃんたんこと合わさって優しい印象を与えてくる。

「なにか手伝いましょうか?」

「ん?いいよ。寧ろ一人でやらせてくれ。私料理が上手くなくてね。まともにできるのがこうした鍋ものだから、こういう時は張り切っちゃうんだよ」

「そうなんですか……」

 嬉しそうに肉を裏返す伊部父を見ながら、光秋は相槌を打つ。

「それより、そんな緊張しないで。上着も暑ければ脱いでくれていいよ。足も崩して崩して」

「は、はぁ……」

 タレを注ぎながら言う伊部父に少し困った顔で応じると、光秋は言われた通り上着を脱いでカバンの上に置き、正座から胡坐に変わる。

 しかし、緊張をなくし切ることはできず、どうにも気まずさを感じてしまう。

―伊部さん、早く来てください!―

 そんな願いが通じたのか、白いパーカーと藍色のジーンズに着替えた伊部と、4人分の食器を載せた盆とビールの瓶を持ってきた伊部母が居間に入ってくる。

「わぁ!すき焼き?豪華じゃん」

「あなたが久しぶりに帰ってくるっていうから、奮発しちゃった。ついでに彼氏も連れてくるって言うしね」

「だから彼氏じゃないって」

 そんな会話を交わしながら、伊部は光秋の左に、伊部母は右に座る。

「もうすぐできるよ……と、そろそろ7時か」

 柱の時計を確認すると、伊部父は手元のリモコンで伊部母の後ろに置かれているテレビを点ける。

「さぁ光秋さん、遠慮せずにたくさん食べてくださいね」

「あ、ありがとうございます」

 手際よく全員に器と箸、お茶の入ったグラスを配る伊部母に、光秋は軽く頭を下げる。

「さぁて、いいかな」

「お父さんの料理も久しぶりだね。いただきます」

「いただきます」

 伊部父に返す伊部に続いて光秋も手を合わせると、器の中の卵を割ってかき混ぜる。

 伊部父が無言で差し出したグラスに伊部母がビールを注ぎ、一通りの具材を取った伊部がそれらを卵に絡めて口に運んでいく。

―肌の色こそ違うが、こうして見ると、普通の家族だよなぁ……―

 一連の光景にそんな感慨を抱きつつ、光秋もネギやしらたきを卵と絡めて口に運ぶ。

「ほらほら、遠慮せず肉もたくさん食べなさい。君ただでさえ線が細そうだし」

「……それ、この間も言われました」

 笑顔で肉を勧めてくる伊部父に、光秋は鬼崎中佐のことを思い出しながら苦笑いで応じ、何切れか取る。

 そこでちょうど7時のニュースが始まり、光秋はお茶を飲みながらなんとなしにテレビに目を向ける。

 その時、

(サン教ベース制圧作戦中に未確認機です)

「!?」

直後に流れたアナウンスに、危うくお茶を噴き出しそうになる。

―アレは!……―

 なんとか堪えて少し出た分を急いでハンカチで拭きながら、光秋はニュース映像に目を凝らす。

 画面に映っているのは、遠くから撮ったために不鮮明であるものの、確かに自身の相棒・ニコイチと、黒い人型--DD‐02・ナイガーの戦闘である。

 少しして映像はスタジオに変わり、アナウンサーが話し出す。

(今日午前、秋田山中のサン教ベースを制圧する作戦が行われ、その際に突如未確認の機体が乱入、合軍・ESO・警察の合同部隊に攻撃を加えました)

―作戦を撮影してたカメラが撮ったんだな…………それにしても、意外とよく撮れてるな。だいぶ距離があっただろうに―

 アナウンスと共に流れる辛うじてベース周囲の様子がわかる映像を見ながら、光秋は思わず感心してしまう。

 そこで映像は記者会見に変わり、スーツ姿の東局長と合軍の高官がフラッシュに照らされている様子が映し出される。

(今回現れた未確認機については、まだ詳しいことはわかっていません)

―実際そうだもんな……―

 多数のフラッシュを浴びながら説明する軍高官に共感しながら、気を取り直した光秋は食事を再開する。

「怖いねぇ。何者かわからないっていうんだから」

「また戦争になったりしないでしょうか?」

「さぁねぇ……そうなろうもんなら、迷惑極まりないよ」

 食事を挟みながら伊部父と伊部母が不安そうに会話を交わす間にも、次々とニュースが流れていく。

 サン教ベース制圧と、不落日光こと坂本一郎の身柄確保。

「そういえば、法子は秋田の仕事の帰りだって……もしかしてこれに参加してたのかい?怪我なかったかい?」

「詳しいことは言えないけど、大丈夫だよ」

 心配顔を浮かべる伊部父に、伊部は微笑んで返す。

 ベース制圧に連動した関係各所のガサ入れ。

他所(よそ)でもこんなことがあったんだ……そりゃそっか。頭だけ潰してもしょうがないし―

 事務所らしき建物から拘束された人たちが連れ出され、段ボール箱を抱えた警官たちが列を成して出てくる光景、それを数回見せられて、光秋は自身の視野の狭さを感じる。

 サン教関連が一通り終わると政治・経済に関すること、小規模の事件の報告が続く。

 それらを意識の端で聞きながら、光秋は久しぶりの御馳走を堪能する。

―考えてみれば、こんなの数カ月ぶりだもんな。しらたき美味い―

 と、

「そうだ。光秋くんもどうだい?一杯」

グラスに注いだビールを飲み終えた伊部父が、瓶を差し出してくる。

「いえ。僕はいいです。まだ未成年なんで」

「そうなのかい?」

 応じる光秋に、伊部父は意外そうな顔をする。

「けっこうしっかりしてるから、法子より1つ2つ下くらいかと思ってたよ」

「まだ19です。来年になれば飲めますが、さすがに公務員が進んでルールを破るのはまずいですし」

「それもそうか。残念だが、それなら来年の楽しみにさせてもらうよ……それなら、法子はどうだい?」

「私は飲めないよ。いつも言ってるでしょ」

「ちょっとだけ。お前ももう24だろう」

「ちょ!お父さん!」

 伊部父が歳のことに触れるや、伊部は少し声を荒げる。

「……伊部さん、24歳なんですか?」

「この間の誕生日でね……」

 光秋の興味本位の確認に、伊部はどこか恥ずかしそうに答える。

「なに法子?光秋さんに歳隠してたの?」

「隠してたっていうか……年齢不詳ってなんか格好いいから、その…………」

 伊部母の質問に、伊部は顔を俯けながら口籠ってしまう。

―なんか可愛いな、伊部さん。こういう子供っぽいところもあるんだ―

 伊部の新しい一面を見付けた喜びを覚えつつ、光秋は鍋から取った肉を卵に絡めて口に運ぶ。

「うーん……法子もダメ、光秋くんもダメか……あれ?」

 伊部父が残念そうに呟きながら瓶を傾けると、グラスの3分の1程でビールが尽きてしまう。

「母さん、もう1本」

「1日1本の約束ですよ。それで終わりにしてください」

「いいじゃないか偶には。法子も帰ってきたんだし」

「そうやって昔から理由付けてたくさん飲もうとするんだから。私をダシに使わないでよ。それに、自分の体のことも考えてよ」

「うぅ…………」

 一家の大黒柱も、娘の注意には素直に従うしかないようである。

―ホント、普通の家族だよな…………我が家は、今どうしてるだろうか?―

 一連の伊部家の光景に、光秋は当たり前の家庭が持つ温かさを感じると共に、自分がいなくなって9カ月になろうという自宅に思いを馳せる。

「……ん?どうしたい光秋くん?なにか口に合わなかったかな?」

「あぁいえ、ちょっと考えごとをしてただけです」

 心配そうに問う伊部父に応じると、光秋は多少出ていたらしい暗さを振り払って食事を続ける。

 食べ進めて具材が減ってくると、

「そろそろかな。母さん」

「はい」

伊部父に応じた伊部母が台所へ向かい、パックされたうどんを持ってくる。

(しめ)か……―

 思いつつ、光秋は鍋の中に投入される麺を眺める。

 少しして麺が煮えると、伊部母がそれぞれの器に煮込みうどんとなったすき焼きを盛っていく。

「ありがとうございます」

 自分の分が置かれて一礼すると、光秋は残っていた卵と絡めたうどんをすする。

「…………」

 家庭的な美味さに無言で箸を進め、少ししてすき焼き鍋は空になる。

「ふぅー……食べたねぇ」

「ですね……ごちそうさまです!」

 伊部に応じながらお茶を飲み干すと、光秋は手を合わせて伊部家3人に深く頭を下げる。

「お粗末さまです。お風呂も沸いてますから、一休みしたら入ってください。洗濯物も一緒に洗っちゃうので、出しておいてくださいね」

―そういや伊部さん、さっき電話してたな……けど……―「いいんですか?」

 伊部母の言葉に、光秋は岩手支部でのことを思い出しながら少し迷ってしまう。

「いいもなにも、洗わないと光秋さんの着替えがないでしょう?」

「あぁ、そっか……」―洗ってない下着の使い回しはもう嫌だもんな―「それじゃあ、お願いします」

 納得すると、光秋はカバンに体を伸ばして洗濯物を入れているビニール袋を取り出す。

「洗濯機の中に入れておけばいいですか?」

「えぇ。それで」

「わかりました。それと水盤ってどこですか?」

「廊下を出て真っ直ぐ行った先ですよ」

「ありがとうございます」

 伊部母の返事を聞くと、光秋は袋と歯ブラシを持って居間を出、言われた通りに進んだ先にある水盤で歯を磨く。

他人(ひと)んちの水盤ってなんか使い辛いよな……―

 そんなことを考えながら歯磨きを終え、さらに先にあった脱衣所の洗濯機に袋の中身を入れて居間へ戻る。

 伊部と伊部母の姿はすでになく、鍋や食器も片付けられており、伊部父がコタツに籠ってテレビを観ている。

「……旦那さんは入らないんですか?流石に僕が一番風呂というのは……」

 歯ブラシと袋、手首から外した腕時計と数珠をカバンに仕舞うと、光秋は多少呼び方を迷いながら訊いてみる。

「いや、先でいいよ。私はそういうのに拘らないから」

「はぁ……」

「それより、上がった後に着る物はあるかい?」

「……あ。いいえ。寝間着は持ってきてません」

「そうか……それなら、私の作務衣(さむえ)を貸そう。少し小さいかもしれないが、パジャマ代わりだからいいだろう」

「ありがとうございます」

 言うと伊部父はコタツから出て2階の寝室へ向かい、光秋も後を着いていく。

 急な階段を上ってすぐの部屋に入ると、伊部父は3つある箪笥の内、左――部屋の奥のそれを調べ始める。

「……あれ?母さんいつもこの辺から出してたが……」

 言いながら、伊部父は箪笥の引き出しを引いては中身を漁ることを繰り返す。

「どこだったかなぁ?……母さん!私の作務衣知らないか?」

「ちょっと待ってください」

 呼び掛けに応じるや、伊部母はエプロンで手を拭きながら歩み寄ってくる。

「ここですよ」

「あ、そっちだったか!」

 伊部母が真ん中の箪笥から藍色の作務衣を取り出したのを見て、伊部父は目を丸くする。

「それと、これタオルです。ごゆっくり」

「ありがとうございます」

 礼を言って伊部母が差し出した作務衣とバスタオルを受け取ると、光秋は脱衣所へ向かう。

―今の、いかにも家事に慣れてないお父さんだったな―

 先程の伊部父の間違いを可笑しく思いながら、かごに作務衣とバスタオル、脱いで皺にならない程度に畳んだワイシャツとズボンを入れ、履いていた下着も洗濯機に入れて浴室に入る。

「ふぅー…………」

 人一人が屈んで入って一杯になる浴槽に肩まで浸かると、思わず安堵の息が漏れる。

―基地にあった様な大浴場もいいんだろうが、やっぱり僕はこういう小じんまりした風呂がいいな。落ち着く…………―

そんなことを思いつつ、体中の力を抜いて湯船を堪能する。

 しばらくして温まると浴槽から上がり、木組みの風呂椅子に腰を下ろして体を洗う。

―……寒い!―

タイル張りの風呂場に震え上がりつつ、いつもとは違う物の位置関係に戸惑いながらも洗い終えると、もう一度湯船に浸かり、充分温まって風呂から上がる。

 脱衣所に出てバスタオルで水気を拭き取り、拭いたメガネを掛けると、着替えに用意した作務衣を手に取る。

 が、ここで一つ気付く。

「……あ」―いかん。下着の着替えがない―

 思いつつ洗濯機を見るが、すでに回っている。

―……仕方ない。あと寝るだけだし、このまま着るか。一晩経てばある程度乾くだろうから、朝の間に1枚取ってくればいいだろう―

 やむを得ずそう断じると、素肌の上から作務衣を着ていく。

 冬用なのか厚手の布は肌触りがよく、心配していたサイズも思った程小さくなく、ちょうどいいくらいだ。

 バスタオルで髪をよく拭くと、水盤の鏡に映った自分を見てみる。

「ほぉ……なかなか、ねぇ」

 上半身しか映ってないものの、簡素な着物というべき作務衣を着た姿は我がら似合っていると感じる。

 ドライヤーで髪を乾かして一通り整えると、ワイシャツとズボンを持って冷えた床を速足で進んで居間へ向かう。

「お風呂いただきました」

 テレビを観ている伊部父に言いながら部屋に入ると、ワイシャツとズボン、上に置きっぱなしになっていた上着をカバンに仕舞ってすぐにコタツに潜り込む。

「どうも。どうだった?」

「いい湯加減でした。ところで、バスタオルはどこに置いておけば?」

 伊部父に応じつつ、光秋は首に掛けたバスタオルを示す。

「あぁ。そこにハンガーがあるから、適当な所に掛けておいて」

「わかりました」

 伊部父が指さした方を見ると、部屋の隅にハンガー束の掛かった物干し竿があり、光秋はそこから1本取ってバスタオルを掛ける。

「あ、そうそう。上がったら部屋に来てくれって法子が」

―部屋?……あぁ、日高さんの連絡か―「わかりました。伊部さ――法子さんの部屋は?」

「2階の奥だよ。あぁそれと、荷物も持ってきてくれって」

「わかりました」

応じると、光秋はカバンを持って部屋を出ようとする。

 と、襖に手を掛けた直後、

「ところで光秋くん」

「はい?」

伊部父に呼び止められ、後ろを振り返る。

「さっき娘を名前で呼んだが、あれはどういうことかな?」

「……」

 何故か寒気を感じさせる伊部父の笑顔に、光秋は昼間ナイガーと対峙した時の感覚を思い出す。

「いや、別に……この家はみんな『伊部さん』ですから、紛らわしいかと思って……」

「そうかい。いやね、私が知らない間にかなりのところまで進んでるのかと思ってね……そうなると、親としては少し寂しくてね」

 話している間に伊部父から感じる寒気は消え、代わりに言葉通りの寂しげな顔を浮かべる。

「ご安心を。僕と法子さんはそんな関係じゃありませんよ」

 そう言って一礼し、光秋は今度こそ居間を出て伊部の部屋へ向かう。

 

 光秋が出ていって尚、伊部父は閉まった襖を眺めている。

「……それはそれで困るんだけどねぇ」

いろいろな思いが混ざり合った様な顔で呟くと、視線をテレビに戻す。

 と、

「お父さん。混み合うから次入ってください」

「あぁ、わかったよ」

台所からの伊部母の呼び掛けに応じると、伊部父はテレビとコタツを消して入浴の準備を始める。

 

 急な階段を足元に注意して上り、冷えた床を速足で進んで奥まで行くと、光秋はドアをノックする。

「どうぞ」

「お邪魔します」

伊部の返事を聞くと、すぐにドアを開けて部屋に入る。

 六畳程の広さにベッド、机、本棚、箪笥、電気ストーブが置かれ、女性の部屋の割には質素な印象を与えてくる。

「日高さんからのメールですか?」

「そう。明日大丈夫だって。お昼過ぎに行くって返しておいた」

 光秋の問いに、椅子に座った伊部は携帯電話を観ながら答える。

「昼過ぎですか?」

「うん。久しぶりの休みだし、朝はゆっくりしたいでしょう?」

「……確かに」

 いつまでも布団に籠っている様子を想像しながら、光秋は同意する。

 と、

「……?」

机の右隣の本棚、そこに並んでいる1冊の本が目に入る。

「?……あぁ、これは」

 光秋の視線に気付いたのか、伊部はその本を棚から出して見せる。

「高校の卒業アルバムだね」

「アルバムですか……ちょっと見てもいいですか?」

「いいよ」

 少し迷ったものの好奇心に負けた光秋の頼みに、伊部はすぐに応じてページを開いてくれる。

「そんな所に突っ立ってないで、ベッドにでも座ってよ」

「では、そうさせていただきます」

 伊部の手招きに応じると、光秋はベッドに腰を下ろしてアルバムを覗く。

 最初は卒業式後のクラスごとの集合写真。

「あ。これ伊部さんですね」

「そう。私って写真に写るとけっこう目立つんだよね。特にこうやって並んでるやつ」

「……まぁ、確かに」

 困りながら返事をしつつ、光秋は3列中2列目左側に佇む黒いブレザー姿の伊部を注視する。黄色系ばかりの中に1人だけの黒色系というのは、確かに目立つ。

「この右隣のは……あ、日高さんですか?」

 小さくて始めはわからなかったものの、濃い赤毛に伊部家に来る途中の記憶が浮かび上がる。

「そう。ハルちゃんとは高校まで一緒だったんだ」

 懐かしむ顔で応じながら、伊部はページをめくる。

 数ページにわたって他のクラスの集合写真が続き、その1枚1枚に伊部は懐かしい視線を向ける。

 と、下から伊部母の声が響く。

「法子ー!お父さん上がったから次入ってー」

「はーい。ごめん。お風呂入ってくるから、後は勝手に見てて」

「わかりました」

 言うや伊部は着替えとバスタオルの用意をして部屋を出、残された光秋はベッドに座ったまま手渡されたアルバムをめくる。

 体育祭のリレー、学園祭の模擬店、水泳の授業など、ごくありふれた高校生活の1コマがいくつも並び、そうしたことごとの何処かに必ず写っている伊部を見付ける。

―ここにいるな……あ、ここにも……ここにもいた!……我ながら凄いな―

リレー走者を写した写真、その左端で大勢に混ざって応援している小さい伊部を見付けた時は、自分のことながら感心してしまう。

「…………全部、僕の知らない伊部さんだな」

 一通り見終えると、知らぬ間にそんな言葉が漏れる。

―当然か。僕が伊部さんと会ってまだ1年にも満たないんだし。この周囲には、僕の知らない伊部さんがたくさんいるんだろうな…………―

思いつつ、伊部の部屋を見回してみる。

 そして、不意に夏のあの日、綾が言った言葉が浮かんでくる。

―「突然、知らないはずなのに、すごく懐かしく感じる人や場所が浮かぶこともあるの」…………あいつも、こんな気持ちだったのかな?自分の知らないその人の姿を見る……否、あいつの場合、自分の中に知らない自分がいる、か?なんであれ、あの時の僕の想像以上に不安だったんじゃないか?……似た様な体験をしてようやく慮ることができるか……つくづく人間って不便な生き物だよなぁ……もっとも、それは綾にも言えることだが―

 現状認識の齟齬――こちら側に来てしまった光秋を可哀そうと思っている綾と、あくまでも現状を肯定的に捉える自分――を思い出すと、光秋はアルバムを閉じて本棚に戻す。

「……そうそう。目薬注さないと」

 感慨を振り払うことも兼ねて呟くと、カバンから目薬の袋を出して3種類を5分置きに注していく。

―……そういえば、今何時だ?……あぁ、上着に入れたままだったな―

 思うとカバンに目薬を仕舞って代わりに上着を出し、そのポケットから携帯電話を出して時間を確認する。

―8時50分。もうすぐ9時か……―「そういえば、僕今日どこで寝ればいいんだ?」

 カバンの上に電話を置いて寝場所について考えていると、風呂から上がった伊部が廊下に充満している冷気に押される様に部屋に入ってくる。

「ふぅーさむさむ!」

「さすが北国ですよね」

「まぁね。久しぶりだから尚更」

 光秋に応じながら、伊部は緑色の厚手のパジャマを着た身を椅子に下ろし、ベッドの上に着ていた物を置いてバスタオルで髪を拭く。

「……」

そうすることで漂ってくるシャンプーと伊部の体臭が混ざった独特の匂いに、光秋は本人に気付かれないよう注意しつつ鼻を楽しませる。

「そういえば、僕どこで寝ればいいです?」

「あぁ、そうだね。お母さんに訊いてみる」

「いや、考えてなかったんですか?……まぁいいや。それなら僕も行きます。冷蔵庫に目薬仕舞いたいし。いいですか?」

「どうぞ」

 伊部が応じるや、光秋は後に続いて伊部母の許へ向かう。

―…………!いかん!いかん!―

 前を歩く伊部の後ろ姿――結っていない髪に、綾を見てしましそうになるのをなんとか堪える。

 階段を下りると伊部は伊部母がいる風呂場へ、光秋は台所へ向かい、冷蔵庫に目薬を仕舞って廊下へ戻る。

 と、やや反響した伊部と伊部母の会話が聞こえる。

「お母さん。光秋くんだけど、今日どこで寝ればいい?」

「あぁ、そうねぇ……」

―奥さんも考えてなかったんですか……―

 親子そろって同じ考えに、呆れた様な、感心した様な気持ちを抱く。

「お客さんの寝室は温めてないから寒いだろうし…………しょうがないから、今日は法子の部屋で寝てもらおうかしら?」

「そうなるかな?」

「いや、ダメでしょ!」

 思いもよらぬ伊部母の提案、そして伊部の同意に、光秋は思わず脱衣所のそばまで駆け寄って声を上げる。

「……すみません。大きい声出して……でも、それは流石にダメでしょう」

 我に返って大声を出したことを詫びつつ、今度は落ち着いて意見する。

「どうしてです?」

 伊部母の問いに、光秋は思ったことを答える。

「いい歳の男女が同じ部屋に寝るのは、体面上よろしくないと思います。特に僕らは職場の上司と部下ですし、法子さんだって嫌でしょう?」

「私は……別に」

「いいんですか?」

 ドア越しの伊部の返答に、光秋は眉を寄せる。

「だっていつも言ってるでしょ。光秋くんは私の弟分なんだから。一緒に寝るくらいね。それに布団は別々だし」

「そうでしょうけど……」―布団が一緒だったらいよいよですよ!―「……本当にいいんですか?」

「私はいいよ」

「法子がそう言うなら、今日は法子の部屋で寝てください」

「奥さんもいいんですか?」

「弟分なんて、いいじゃないですか」

―そういう問題ですか?……―

 親子そろって理屈が通っているのかいないのかよくわからない受け答えに、知らぬ間に頭を抱えてしまう。

「それじゃあ法子、布団出してあげて」

「はい。おやすみなさい」

「……おやすみなさい」

 伊部母に応じるや伊部は脱衣所を出て2階へ向かい、光秋も煮え切らない気持ちを抱きながらついていく。

 階段を上り切ると、寝室から顔を出した赤い作務衣姿の伊部父と会う。

「下が騒がしかったけど、なにかあったのかい?」

「すみません。僕つい大声出してしまって」

 応じながら、光秋は深く頭を下げる。

「光秋くんの寝る場所どうするってお母さんと話してたの」

「あぁ、そういえば決めてなかったね。で、どうなったんだい?」

「とりあえず今夜は私の部屋に寝ることになった」

「そうかい……え?」

 少々の間を置いて、伊部父の表情が曇る。

「いや、でも……光秋くんはいいのかい?」

「奥さんと法子さんに賛成されてしまっては……ご心配なく。やましいことはありません」

「なに言ってるの?早く準備するよ」

 軽く叱る様に言うと伊部は向いの部屋の襖を開け、光秋もその後を追おうとする。

 が、すぐに伊部父に肩を掴まれてしまう。

「私もね、娘がいいのらなにも言わないし、君は誠実そうな男だから多少の信頼もしている……が、もしもの時は責任取ってもらうよ」

「!……わかってます」

 普段通りの語調、それ故に感じる悪寒を振り払ってしっかり応じると、伊部に続いて向いの部屋に入る。

「……確かにここで寝るのは不味いかもしれませんね」

 入って早々、氷の中にいる様な寒さに体の危機を感じる。

「でしょ。風邪ひいちゃう」

「下手したら凍死……は流石にないかな?」

「案外なったりしてね」

 あながち冗談ではない様子で応じると、伊部は押し入れから布団一式を出す。

「僕が運びます」

「え?いいよ」

「これくらいやらせてください」

言うや光秋は布団を抱え、伊部の部屋へ向かう。

 と、

「疲れてるたろうから、ゆぅっくり寝なさい。あと夜更かしはしない方がいいよ。おやすみ」

「……おやすみなさい」

 半分は労い、半分は牽制の意を感じさせる伊部父の挨拶に応じると、心なしか速足で部屋に入る。

―「はしゃぎ過ぎて伊部を襲うなよ。親父にぶっ飛ばされっぞ」……僕から問題を起こす気なんて毛頭ないが……竹田二尉の冗談が変に現実味を帯びてきたな―

 基地での竹田の言葉を思い出しながら軽い悪寒を覚えると、椅子とカバンを隅に退かしてベッドの横に布団を敷く。

―そういえば、電話のバッテリーがそろそろだよな……―「すみません。電話充電させてもらっていいですか?」

「どうぞ」

 伊部の許可をもらうと、光秋はカバンから充電器を出して携帯電話に繋げ、机脇のコンセントに刺し込んで枕元に置く。

「こうやって布団並べてると、友達……ううん。本当に姉弟(きょうだい)みたいだね」

「え?……いや……まぁ…………」

 言いながら伊部はドアを背にして布団に胡坐をかき、光秋はその動作に戸惑いながらも正座して向かい合う。

「…………」

 広げた髪、パジャマ姿、どこかリラックスした雰囲気と、夏に見た綾に限りなく近い伊部の様子を直視できず、つい目を逸らしてしまう。

「なに?私の顔になにか付いてるの?」

「いいえ……」

「じゃあなんで目を合わせないの?」

「それは…………白状すれば、今の伊部さんを見てると、どうしても綾を思い浮かべてしまうんです……」

「……それが辛いの?」

「いいえ、辛いんじゃありません。ただ…………照れ臭いというか……普段会いたいと思っていても、不意に会うとどう反応していいかわからない……そんな感じがして。あとは単純に、女の人と一緒にいて他の女の人のことを考えるのは無粋っていうのが……」

「……光秋くんってさ、変なところで不器用だよねぇ」

「自分でもそう思ってるところです……」

 伊部の決定的な一言に、光秋はなにも言えなくなる。

「…………とりあえず、今日はもう寝てもいいですか?」

 妙な沈黙に耐えかねて、光秋は今一番の欲求を口にする。

「えー?せっかくなんだし、もう少しお喋りしようよ」

「お喋りなら明日もできますよ。今日はいろいろあって疲れたし、それに旦那さんも早く寝なさいって言ってたでしょう?」

「そうだけど……」

「今日しっかり休んで、明日ゆっくり話しましょうよ。日高さんも交えて」

「……そういうことじゃないんだけどなぁ」

「え?」

「なんでもない……ただ、光秋くんの言うことも確かか。制圧戦が終わったと思ったらDDシリーズだもんね。休みこそとってたけど、やっぱり疲れるか」

「そういうことです。ところで、トイレってどこです?」

「出てすぐのとこ」

 伊部の言葉に従ってトイレへ向い、用を足しつつふと思う。

―……そういうことじゃないって、どういうことだ?―

 ことの間中考えても見当はつかず、首を傾げながら部屋へ戻る。

 伊部はすでにベッドに上がっており、光秋も布団の上に立って電灯の紐に手を掛ける。

「ストーブは?」

「消した」

「じゃあ、おやすみなさい」

「おやすみ」

 言うと伊部は布団を被り、光秋も灯りを豆電球にして布団にもぐる。

―9時半。久しぶりにゆっくり寝れるや…………―

 携帯電話の時計で時間を確認すると、メガネを枕元に置いて目を閉じる。

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