酔いで眠った伊部を背負った光秋は、足元に注意しつつ伊部の家を目指す。
―思った通り、飲み会の帰りより少しキツイな。それに……―
左の耳元に聞こえる伊部の寝息や鼻をくすぐる口臭に、以前の様に妙な気を起しそうになる。
―……いや、コートが厚いおかげで体温が伝わらない分まだマシか―
そう思うことでなんとか気を保つと、心なしか速足になる。
伊部家の前に着くと、光秋は勝手口に続く道を一見し、伊部を背負った背中に意識を向ける。
―この状態であそこを通るのは、僕には無理だな……仕方ない―
断じると、店の入り口から入る。
「戻りましたー」
よく通る声で帰りを告げると、店側の玄関に伊部を下ろす。
「お帰りなさ……法子!?どうしたの?」
床に寝転ぶ伊部に、出迎えに出てくれた伊部母が目を丸くする。
「日高さんちで、間違えてブランデーの入った紅茶を飲んじゃいまして……」
靴を脱いで上がりながら事情を説明すると、光秋は伊部を背負い直し、未だまどろんでいる顔を見る。
「とりあえず、部屋のベッドに寝かせればいいですか?まだ酔い醒めないみたいですし」
「あら……それじゃあ、そうしてもらえますか。あ、階段は危ないから手伝います」
「お願いします」
応じると、光秋は慎重に階段を上り、伊部母もいつでも受け止められる体勢で続く。
無事階段を上り切ると伊部の部屋に向かい、伊部母が脱いだコートを片付けている間に光秋は伊部を抱えてベッドに寝かせる。
―ふぅー……さすがにちょっと疲れたな―
電気ストーブを点けながら心中に呟くと、軽く肩を回す。
「どうもすみません。娘が御迷惑を……」
「いいえ。ちょっとした手違いでしたし、それに、僕は伊部さ――法子さんの弟分ですから」
申し訳なさそうな顔を浮かべる伊部母に、光秋は普段の伊部の様子を意識して言ってみせる。
「弟分……ですか」
一瞬だけ、伊部母の表情に陰が差す。
「?……あ、そうだ。水盤借ります」
「どうぞ。あ、光秋さんのコートも片付けておきますね」
「ありがとうございます」
それが気になりながらも礼を言いながら伊部母にコートを渡すと、光秋は1階の脱衣所の水盤で手を洗う。
タオルで手を拭いて伊部の部屋の戻ろうとすると、階段を下りてきた伊部母と会う。
「そういえば、旦那さんは?」
「出張修理に行ってます。光秋さんたちが帰ってくる少し前くらいに出ていったかしら」
「そうですか……」―旦那さんには悪いけど、また昨日の夜みたいに妙な空気になるのも嫌だったし、ちょうどよかった―
伊部父不在に内心安堵すると、伊部母に一礼して階段を上がり、伊部の部屋に入る。
カーペットの上に腰を下ろしてベッドの上で眠る伊部を眺めていると、あることに気付く。
―いかん。なにか掛けてやらんと風邪ひくな―
思うや部屋の隅に置いてある自分の寝具一式から掛け布団を取り、伊部に掛けようとする。
と、
「…………」
「!伊部さん、大丈夫ですか?水持ってきましょうか?」
伊部が目を開けたことに気付くと、光秋は布団を持ったまま顔を寄せて話し掛けてみる。
そして、その返事に仰天することになる。
「…………ア、キ?」
「……え?……まさか……綾ぁ!?」
なんとか聞き取れた「アキ」という呼び方、加えて伊部とはどことなく違う雰囲気に、突然の再会に心臓を跳ね上げながらも、光秋は目の前にいるのが綾だと感覚的に理解する。
と、綾はふらつきながらも上体を起こし、虚ろな目で光秋を見据える。
「あれ?なんだろう?なんかふらふらする……けど、なんかふわふわして気持ちいい……」
―あぁ、体が一緒だから綾も酔ってんだ……―
酔いの影響で頬の筋肉が弛んでいるのか、笑っている様な顔で語り掛ける綾に、再会の動揺から立ち直り切れていない光秋はついどうでもいいことを考えてしまう。
その間にも綾は両腕を光秋の首に回し、顔を近付ける。
「アキ……」
「あ、綾?何を……」
唐突な行動に再度動揺して布団を取り落とし、その間にも綾は顔を近付けてくる。
―こ、これは…………―
夏以来の懐かしい感覚に、徐々に判断力が鈍り、危うい感情が湧き上がってくるのがわかる。
が、
「……あれ?……」
「?……綾?綾?」
直後に綾はもたれ掛って動かなくなり、光秋が揺すりながら呼び掛けても反応がない。
「……すぅー……すぅー……」
「寝たか……」―とりあえずよかった。変なことにならんで…………でも、ちょっと残念だったかな?―
左の耳元で聞こえる寝息に安心しつつもどこか不満を覚えると、光秋は無意識に髪留めを解き、両腕を綾の脇に回して抱き寄せる。
―この感じ、久しぶりだな。まさかこうも突然訪れるなんて…………―
胸中を埋める懐かしさに抗うことはできず、そのまましばらく浸ってしまう。
―…………いかんな。これ以上こうしてるとダメになりそうだ―
そう思ってようやく腕を解き、綾を横にして布団を掛けると、日高家で飲んだ紅茶が効いてきたのか、気を取り直すことも兼ねてトイレへ向かう。
が、用を足して個室を出ても、すぐに伊部の部屋に戻る気にはなれない。
―今行ったらまた変な気になるうよなぁ。そうじゃないと言えない自分が悔しい…………どっか別のとこで時間を…………?―
そんなことを考えながら辺りを見回していると、光秋は伊部夫妻の寝室のドアの横に無地の襖を見付ける。
―そういや今まで用がないから素通りしてたが、この部屋なんだろう?―「倉庫かな?」
呟きつつ、単なる好奇心から襖を開けてみる。
薄暗く視界が悪い室内に、手元のスイッチを押して電灯を点けると、木製のテーブルが置かれた六畳間と、部屋の奥に設置された仏壇が目に入る。
「仏間か……なんか懐かしいな……」
多少様式は違えど家にあった同じ部屋を連想し、仏壇の前に座布団が敷かれているのを見るや、光秋はそこに正座し、目をつむって開け放たれている仏壇に手を合わせる。
「……………………」
そうして息を深く吸って吐き、呼吸を整えてそれを持続させると、それに合わせて心が凪いでいき、雄大な“虚無”が広がっていくのを感じる。
自分が自分以外の全てから切り離された様な、そもそも“自分”さえも曖昧に感じる様な、本当に全てのものを一旦遮断し、昂っていた心が静まって行く様な、下がっていく心地よさ。
時間も忘れてそれを堪能していると、
「……光秋さん?」
「!……奥さん……」
不意に開けっぱなしの襖の前に立っている伊部母に呼び掛けられ、光秋はハッとしつつ現実に戻る。
「なにをしてるんだい?」
「旦那さんも……あぁいえ……仏壇を見付けたんでちょっと……落ち着くもので……」
「はぁ……」
まだ若干あたふたしている光秋の返答に、伊部母の隣に顔を出した伊部父はとりあえず相槌を打ってくれる。
「ところで、お二人は?」
「法子の様子を見にね。日高さんの家から背負ってきてくれたみたいで、悪かったね」
「いいえ。大したことじゃありません……僕は法子さんの弟分ですから」
申し訳なさそうに言う伊部父に、光秋は伊部母の時と同じ調子で返す。
「弟分……か……」
「……あの、なにか?」
先程と同様に伊部父の顔にも陰が差し、伊部母も再度表情を曇らせるのを見て、光秋は2人の気に障ったのではと不安になる。
「あぁいや、大したことじゃないんだが……」
「……お父さん。いい機会ですから、光秋さんには教えてもいいんじゃないですか?」
「母さん……」
―何か、大事な話なのか?―
伊部母の提案に言い淀む伊部父の姿に、光秋はそんな予感を抱いて思わず身構える。
「いいのかい?そもそも母さん大丈夫かい?」
「私は大丈夫ですよ。今は法子がいますし……それに、光秋さんはあの子が信頼してる人ですし」
「……確かに。それに、今後のことも考えるとねぇ……わかった。なら私が――」
「いえ。私が話します。話させてください」
「……わかった。じゃあ、私は法子の方見てくるよ」
伊部母の強い要望に応じると、伊部父は伊部の部屋へ向かう。
仏間に入った伊部母は光秋の前に正座し、
「!」
その改まった様子に、光秋も正座を直して姿勢を正す。
「あぁ、そんなにかしこまらないでください。もう少し楽にして」
「は、はぁ……」
そう言われてすぐにできるものでもなく、光秋は知らぬ間に強張る体を持て余してしまう。
その間にも、伊部母は話を始める。
「はじめに言っておきますが、私たち夫婦は貴方のことをよく知りません。ただ、法子が信頼している人だから私たちも貴方を信じ、その上でこの話をする、そこは理解してください」
「そのつもりです。そのくらいには大事、なんですよね」
「はい……」
光秋の返事にひと呼吸置くと、伊部母は話を続ける。
「すでに気付いてる……いえ、あの子が話したかもしれませんが、私たちは血の繋がった親子ではありません」
「以前教えてもらいました。エジプトの施設にいた所を養子にしたって」
「えぇ。カイロのね……私たち夫婦には、子供ができなくて。やっとの思いで授かった子も、いくらも経たずにダメにしちゃったんですよ……」
「はぁ……」―ダメにした?……いや、これ以上は……―
伊部母のぼかす様な言い方に引っ掛かりを覚えつつも、これ以上は触れてはいけないと察し、そもそも尋ねる勇気のない光秋は先を促す。
「誰が悪いってわけでもないんでしょうけどね……わかってはいても、1年くらい引きずってたかな。それで落ち込んでたところを、お父さんの勧めで気分転換に旅行に行くことになりましてね。どうせなら海外に行こうって。当時は三戦危機の真っ最中でしたから行ける場所も限られてたんですけど、エジプトは比較的安定してたから、そこに行くことになって。興味本位でたまたま立ち寄った孤児院で、あの子に会ったんですよ……」
言いながら、伊部母は遠くを見る様な目を伊部の部屋の方へ向ける。
「それが、法子さん?」
「えぇ……お父さんは外国語に明るかったので、職員の方に事情を訊いたら、数日前に置手紙と一緒に孤児院の前に置かれていたそうで」
「置手紙?」
「向こうの言葉で、『この子の両親は戦争で亡くなった。後を頼む』って。差し出し人も子供の名前も書かれてなかったらしいですけど…………」
伊部母は再び遠くを見る目をして一旦話を区切り、少ししてまた話し出す。
「ベッドを覗く私たちをじーっと見て、無邪気に笑って……生きていれば”あの子”と同じ歳頃だな、この子は”あの子”の生まれ変わりかな、なんて……そう考えたら、どうしても引き取らなきゃいけない気がして…………わかってはいたんです。そんなのは親のエゴだって。私たちの勝手で遠い異国に連れてこられたこの子は苦労するって……だからこそ、私たちは法子が日本で生きていけるように……“日本人”として生きていけるように、そして亡くなった本当の御両親の分まで幸せになれるように精一杯のことをしたつもりです……でも、どうしても考えてしまうんですよね。これでよかったのかって。私たちの気持ちに応える為にESOに入ったと言ってましたが、それも本当によかったのか、あの子の気持ちを尊重するといって危険な仕事に就くことを止めなかったのが本当に正しかったのか……未だにわからないことです…………」
一通り言い終わると、伊部母は表情を曇らせて俯いてしまう。
そして一連の話を聞いた光秋は、言葉に迷いながらも口を開く。
「……今の話、正直僕に上手い返しなんてできません。ただ、何が幸せなのか、自分がどう生きたいのか、それは人それぞれなんだと思います」
「……」
黙って聞いてくれている伊部母を見て、光秋はぎこちないながらも話し続ける。
「この数カ月、よく一緒にいて感じたことなんですが、法子さんは今の自分に満足――と言ったら語弊があるかもしれませんが、少なくともお二人のことも含めて肯定的に捉えていましたよ。ときどき今の自分のことやお二人のことを生き生きと話していました。仕事だって、法子さんなりにいろいろ考えた上で出した結論なんだと思います。少なくとも僕は、その考えを受け容れてあげたい」
ESOに入る直前の昼食で交わした会話、数日前の多目的室での談話、そして合同演習後の飲み会で酔い潰れた伊部を送っていった際の寝言が浮かんでくる。
「これでよかったのか、それはどんなことでも付いて回る疑問なんだと思います。でも、人間には所詮、『その時最善と思える行動』をとることしかできない。それが吉と出るか凶と出るかなんて、時間が経たないとわからないし、良し悪しなんて見方次第でどうとでも変わってしまう……だからこそ、過去の自分を肯定できるように
最後の方は微笑みを浮かべて言い切ると、少し照れ臭くなってくる。
「…………」
それに対して伊部母は、目をつむって沈黙を返す。
―勢いであれこれ言ってしまったが、変なこと言っただろうか?―
その反応に、光秋はどうしても不安になる。
と、
「…………確かに、あの子が信頼する人ですね」
「え?……」
微笑みを浮かべて言う伊部母に、光秋は面喰ってしまう。
「一つだけ、私からも教えて欲しいことがあります」
「なんでしょう?」
伊部母からの質問に、光秋は思わず身構える。
「光秋さんがESO、それも実戦部隊にいる理由……端的に言えば、戦う理由はなんですか?」
「……戦う理由……」
それは、ESOに入った時、あるいは初めて自分の意志でニコイチに乗った時から、心の何処かでずっと考えていたこと。
向こう側での18年で抱いた想いを基に、こちら側に来てからの9カ月の体験を経て漠然とあったもの。
しかし今は、それが急速に形になっていく。まだ不完全な部分があるかもしれないが、今なら語れる気がする。
だから、光秋は口を開く。
「……守る為、ですかね。目の前にいる人を、一人でも多く」
「守る為……」
「僕、もともと臆病者で、暴力とか争いごととかが昔から苦手だったんです。ちょっとした怪我でもすぐ泣くような子供でした。でも、だからこそ他人の痛みに敏感になったのかな。怪我をした人を見ると、こっちもで痛いと感じて。子供の頃の平和教育なんかも、怪我をして痛いだろうな、そんな痛いことをする戦争嫌だなって感じで受けてたと思います。だから、ESOに入った今、そうした傷付く人を一人でも減らしたい、その為に精一杯頑張りたい、その為の“力”はもらったから…………」
言いながら、左手をズボンの左ポケットに置き、そこに入っているカプセルを意識する。
「……上手く言えたかわかりませんが、それが僕の戦う理由です。青臭いと笑われるかもしれませんが、自分の気持ちを正直に表した結果です!」―……そうだ。少なくとも、この気持ちに嘘はつけない!―
思いつつ、伊部母の目を真っ直ぐに見て言い切る。
「もちろん、僕一人にできることなんて高が知れてます。だからこそ法子さんや他の人たちに…………
それまで言うことに抵抗があった「仲間」という単語を、しかしこれ以上適切な表現がないと察し、意を決して言う。
「それに、今やっているような場当たり的な対応、もちろんそれも大事ですが、もっと根本的な部分から解決したい……せめて自分がそれに関わったっていう証くらいは残したいと夢見たりします。もっともそれは、今のようなやり方とは違うんですが……すみません。少し脱線しましたね…………」
付け加えが長引いたことを詫びると、深呼吸を一つして火照った体を冷ます。
「いえ……ただ、ずっと口数の少ない方だと思っていたので、よく話すのには驚きました」
「きっかけさえあれば、いくらでも話す奴です」
微笑んで応じる伊部母に、光秋はありのままを伝える。
「『笑う』と言いましたが、私はそんなつもりはありませんよ。寧ろ、若いのに自分の考えをしっかり持っていることは素晴らしいことだと思いますし、それを言葉で表せることは凄いことだと思います」
「……上手くできたかはわかりませんが」
伊部母の褒め言葉に、光秋は照れながら頭を掻く。
「そういう人ならば、頼めるかもしれませんね」
「頼む?……」
笑みを消して真剣な眼差しを向ける伊部母に、光秋も態度を改めて応じる。
「いろいろ言いましたが、親としては、やはりあの子の信じた通りの生き方をさせてあげたい。でもやっぱり、危険な職場へ送ることに不安はある。だから……娘を――法子を守ってあげてください」
言いながら、伊部母は静かに頭を下げる。
「親の勝手な都合なのは承知しています。ですが、光秋さんの様な人が同じ職場にいるなら、どうしても言っておきたいんです……法子を、よろしくお願いします」
「…………なんか、結婚の許可を取りに来たみたいですね」―……もう少しマシなこと言うんだった…………―
独特の雰囲気に呑まれてつい軽口を叩いてしまい、咄嗟に出てきた内容にすぐに後悔する。
「フフッ……そうですね。ただ、光秋さんならそういうことも……」
「そういうことはまたの機会に……ただ」
顔を上げた伊部母の冗談に応じると、光秋は気を取り直して続ける。
「言われなくてもそうさせていただきます。目の前の人を守る、それは、まず仲間を守ることだと思うので」
「……そうですか」
真っ直ぐ目を見て言い切る光秋に、伊部母は静かに応じる。
「……終わったかな?」
いつからいたのか、襖の陰から顔を出した伊部父が訊いてくる。
「はい。終わりましたよ」
「法子さんはどうです?」
なんてことない様子で応じる伊部母に続いて、光秋は気になったことを訊いてみる。
「さっき目を覚ましたよ。水が欲しいって言うから今取りに行くところだったんだが……」
「じゃあ、僕行きます。コップはどれでも使っていいですか?」
「はい。あ、あと、水は冷蔵庫にあるやつで」
「わかりました」
伊部母に応じると、光秋は台所に下りて、食器棚から適当に取ったグラスに冷蔵庫から出したペットボトル入りの水を注ぐ。
2階から伊部夫妻が下りてきたのを確認すると、それを持って伊部の部屋へ向かう。
「法子さん。大丈夫ですか?」
「……うん。まだすっきりしないけどね……ありがとう」
水を受け取りながら応じると、ベッドに腰掛けた伊部はそれを一気に飲み干す。
「ふぅー……少しよくなったかな?」
「もう1杯持ってきましょうか?」
「いいよ」
応じると、伊部はグラスを机に置き、光秋は正面の床に胡坐をかく。
「……お父さんから聞いたけど、また酔っぱらって運んでもらったんだよね」
「はい。突然倒れたからびっくりしました」
「ごめん。紅茶にブランデーなんて、完全に油断してたよ」
「まぁ、そういうこともありますよ」
恥ずかしさと申し訳なさに俯く伊部に、光秋は軽い調子で返す。
「そういえば、お父さんが来る前にも一回起きた気がするんだけど……もしかして綾?」
「え?……よくわかりましたね」
一瞬面喰ったものの、光秋はすぐに感心する。
「なんとなくね。あと、髪も解けてるし」
「あぁ。そうでしたね」
伊部が解けた髪を指さすのを見て、光秋は自分が髪留めを取ったことを思い出す。
「なんか話したの?」
「話したといいますか……ふっと起きて、酔いだか寝惚けだかでふらふらして、また寝た、そんな感じですね。法子さんの意識が弱まったから、代わりに出てきたのかな?いきなりでちょっと驚きました」
「そうだろうね。考えてみれば、こういう普通の時に出てきたのって初めてでしょ?」
「……ですね。平時に出たのは夏以来か……」―待てよ?もしかして……いや、少なくとも今はやめておこう―
ある推測を浮かべつつも、光秋は今のところそれを呑み込む。
「それと、お母さんとなにか話してたみたいだけど?」
「あぁ……ちょっと、法子さんのことを……」
「私?」
「法子さんを守ってくれって頼まれました。同じ職場にいるならって。言われなくてもと返しておきました」
「……お母さん……」
光秋の説明に、伊部は嬉しい様な恥ずかしい様な顔をする。
「あと、ESOにいる理由……戦う理由を訊かれました」
「なんて答えたの?」
「守る為、と。目の前にいる人を一人でも多く。ESOに入る前に法子さんから聞いた入隊理由と似てるかもしれませんね。ただ、その話も含めて、こっちに来てからの経験から導き出した結論でもあります。夏のこととか、殺さない覚悟の話とか……それに、その為の“力”はもらったから……違うな。“力”があるからやるんじゃないんだ。僕がそうしたいからやる、ある種の願い、夢……欲望といってもいいかもしれませんが、それを叶える為にやる。その手段として“力”を――ニコイチを、格闘技を、他にも自分の持ってるもの全てを使う……すみません。また長くなりましたね」
「うんうん。光秋くんらしい。2つの意味でね」
喋り過ぎたと申し訳なさそうにする光秋に、伊部は微笑んで返す。
「どうも…………ところで法子さん。さっきの話ですが……」
若干照れながら応じると、光秋は先程呑み込んだことを再び持ち出す。
「さっきの?なに?」
「普通の時に綾が出てきた話……まさかとは思うけど、今でもやろうと思えばまた出てくるんじゃないかと思って」
「え?でもそれ、前に京都観光した時にも試したでしょ?あの時は無理だったじゃん」
「あの時はまだ1回しか出てませんでしたし、そういうことができるようになって日が浅かったから。あれから何度か綾が表に出てくることがありましたし、今朝とかさっきとか、法子さんの意識が弱い時には表層ギリギリまで出てきてます。その時は無我夢中であまり意識しなかったけど、坂本さんの乗ったヘリを捕まえる時にも声を聞いた気がするんです。自分の中に意識を向ければ、あるいは……」
「うーん……」
憶測の域を出ないことを承知で話す光秋に、伊部は半信半疑といった顔をしつつも目をつむって言われた通りにしてみる。
しばらくすると伊部はゆっくりと目を開け、寝惚けている様な目で辺りを見回す。
―この感じ、やっぱり……―「綾、だな」
その状況を確認する様な仕草と、なによりもさっきまでと雰囲気が変わったことに、光秋は確信しながら呼び掛ける。
「……ア、キ?…………そうだよ……アキ!」
目から寝惚けの色が消えるや、綾は顔一杯に笑顔を浮かべて光秋に抱き付く。
「綾……」―ダメ元だったが、上手くいった!こんなふうにまた会えるのを待っていた―
心の中で喝采を叫びながら、光秋も綾の背に両腕を回して抱き締める。
時間も忘れてしばらくそうしていると、光秋も徐々に落ち着いてくる。
―…………そろそろにしよう。いつまでもこうしてるわけにもいかない…………それに、出てきてくれたのなら、どうしても話さなければならないことがある―
心中に断じると、ゆっくりと体を離して綾の目を見据える。
「久しぶりに会えて嬉しいよ。いつもドタバタの合間にちょっとだけだったからな」
「あたしも。いつもすぐに眠っちゃうから」
「積もる話もあるだろうけど、どうしても言いたいことが2つある。まず、今まで助けてくれてありがとう。お前さんがいなかったら、僕はここいなかっただろうな」
「それはさ、アキも法子とのお話聞いてたなら知ってるでしょ?あたしはただアキの“力”になりたかったんだよ」
「それでも、やっぱりお礼はちゃんと言っておきたかったんだよ…………その上でもう1つの話――今度は、少し厳しいことを言う」
前置きを言うと光秋は言葉を区切り、口の調子を整える。
「さっき出た法子さんとの話で気になることがあってな」
「なに?」
「綾、僕がいないとダメみたいなこと言ってたよな。僕から言わせれば、そんなことはないよ」
「そんなことないよ!あたしは――」
「話は最後まで聞け。今のお前さんは、初めて会った頃と違って、もう“自分”ってものをちゃんと持ってる、自分の足で歩けるようになったんだよ。どこか僕にしがみついて生きてたあの頃とは違うんだ……ここまでわかるか?」
「……なんとなく」
話を区切って確認する光秋に、綾は頷きながら応じる。
「結構……つまりな、お前さんはもう一人で生きていけるようになったんだよ。いつまでも僕に縋る様なことはない。ただ誤解して欲しくないのは、それは独りぼっちで生きるってことじゃない。僕は僕、綾は綾できちんと自分の足で立って、その上で一緒に生きていく……そう、『手を繋ぐ』様な関係でいたいんだよ」
「……『手を繋ぐ』様な関係……」
光秋の言葉を繰り返しながら、綾は自分の両手を見る。
「もっと言うとさ、こんな感じだ。ちょっと後ろ向いて」
「?」
首を傾げながらも、綾は言われた通り後ろを向く。
と、光秋も綾の背中に自分の背中を合わせてくる。
「『背中合わせ』の関係ってやつかな。互いに背中を預け合う――守る・守られるって一方的な関係じゃなく、互いに守り合う、そんな感じ。綾が僕を守ってくれた様に、僕も綾を守りたい、そんな感じ」
「『背中合わせ』、か……」
「さっき法子さんとしてた話、聞いてたか?僕が戦う理由」
「全部じゃないけど、なんとなく。守る為、なんだよね?」
「あぁ。それにも結局、この関係が関わってくるんだよ」
「どういうこと?」
「僕一人でできることなんて高が知れてる。だから他の人にも頼る。その中には、お前さんや法子さんも含まれてる。でもそれは、誰かが誰かに縋る様なあり方じゃなくて、一人一人が自分の足でしっかり立って、その上でそれぞれの目的――夢を叶えるものなんだと思う…………またいろいろ言ってしまったけど、要するに、僕は綾にも自分の足で立って欲しいんだよ。自分の足で立って、背中合わせになって欲しい」
浮かんでくる言葉を止めることなく言い切ると、光秋は疲れた口を休める。
「……アキの言いたいことはわかるよ。けど…………あたしの気持ちはどうなるの?」
―……やっぱり、そうなるよなぁ…………―
会話を始めた時から薄々予想していた流れに、光秋は深呼吸を一つして応じる。
「そのことについても、話さなくちゃいけないよな。ただ……できれば法子さんと3人で話したいところだけど、流石にそれは無理かな……?」
「法子も?」
「あぁ。法子さんも関わる話だから。一応今のままでも記憶は残るみたいだけど、凄く曖昧だしな…………」
早速の難題に途方に暮れてしまう。
と、綾が少し考える顔をする。
「……それなら、あたしが3人で会えるようにしてあげようか?」
「?……できるのか?」
「テレパシーを応用すればなんとか」
「大丈夫か?前みたいに気絶されるのは嫌だぞ」
「あの時は初めてでいきなり思いっきり使ったからだよ。今度はもう少し気を付けてやる」
「ならいいが……」―薄々感じてはいたが、話し方や内容がしっかりしてきたよな。子供っぽいところはあるけど……心と体の年齢が釣り合ったってことかな―
綾の提案を受け入れつつ、光秋はその様子が夏の頃とはいい意味で変わっていることに安心する。
「じゃあ早速」
言うや綾は顔を近付け、光秋の口に自分の口を重ねようとする。
が、
「いや、ちょっと待った」
口が触れる直前、光秋はそれを右手で遮って止める。
「どうしてもその方法……キスしないとできないか?」
「別にどうしてもじゃないけど……なんで?」
「じゃあ、そうじゃない方法でやってくれ」
「……わかった」
不満そうに首を傾げて応じると、綾は額を光秋の額に当て、目をつむって集中する。
「……」
光秋も目を閉じて心構えをすると、視界一杯に光が広がっていく。