よろしくお願いします。
69 転属命令
1月5日水曜日午前10時。
藤原三佐との格闘訓練の小休止に入った光秋は、運動棟の屋内アリーナの隅に腰を下ろす。
緊張が抜けると、藤原の攻撃を避け損ねた痛みが所々から響いてくる。
「痛てて……なかなかできませんね。“目を見る”っていうの」
「それでも、最初よりはいくらか儂の攻撃に対処できるようになってきた。着実に進歩はしているのだから、あとは根気よく続けていくだけだ」
「……結局、そうですよね」
左隣に座る藤原の言うことに同意しつつ、光秋は思う様に成果が出せない焦りを抑える。
その時、藤原の携帯電話が振動する。
「小田か。なんだ?……本部から?わかった。すぐに行く」
電話越しに応じつつ、藤原は立ち上がって光秋を見る。
「東京本部から急な連絡が入ったそうなので、ちょっと行ってくる。その間は自主練だ」
「わかりました」
返事を聞くや藤原は床に置いてあったコートを持って駆け出し、広いアリーナに光秋一人が残される。
―急な連絡ってなんだろうな?本部からって言ってたし……まぁいい。もうちょっと休んだら、基本動作の練習しよ―
束の間浮かんだ好奇心を隅に押しやり、2分程休むと、心の中で言った通り突きや蹴りなどの基本動作の練習を始める。
しかし5分程して、上着に入れている携帯電話が振動していることに気付いて画面を見る。
―藤原三佐……?―「はい?」
表示されている名前に首を傾げつつ、光秋は電話を左耳に当てる。
(加藤か。すまんが待機室まで来てくれ。先程の連絡はお前に関することだ)
「僕に?……了解。すぐに向かいます」―……本部からの連絡って言ってたよな。僕何かしたかな?―
現状への心当たりがないことに不安を覚えながらも、床から拾ったコートを羽織りながら駆け足でアリーナを出ていく。
運動棟を出てグラウンドを駆け、本舎裏口から入って最寄りのエレベーターに乗り込む。
若干上がった息をエレベーター内で整えると地下1階に着き、光秋は速足で待機室へ向かう。
「お待たせしました」
言いながら入室すると、自分以外の藤原隊メンバーがテーブルを囲んで座っている。
「ウム。まずはこれを見てくれ」
言いながら藤原はA4程の茶封筒を差し出し、光秋はドア側のパイプイスに腰を下ろしながらそれを受け取る。
「先程電話での連絡と同時に、本部所属の特エスがテレポートで直送してきたものだ」
「テレポートで直送……ですか」―余程急ぎなのか?―
藤原の説明にますます首を傾げそうになりながら、光秋は封を解いて入っている書類を出す。
一通り書類を読み通すと、書かれていることに我が目を疑う。
「本部への転属命令!?……ですか?」
予想外の事態に心臓を跳ね上げ、目を丸くして辺りを見合わすが、小田たちも現状についていけない困り顔を返すだけだ。
唖然としながら再び書類に目を落とすと、さらに意外な一文が飛び込んでくる。
「転属先は……特エスの主任!?」―入間主任の後任って……柏崎さんたちの隊か?―
それを読んで先日の光景――涼子を庇って撃たれる入間と、彼女を助けるために協力した3人の少女――が思い浮かぶが、混乱の度合いはますます酷くなる。
「…………僕は一般部隊の一隊員に過ぎないはずですが……そりゃあ、ニコイチの件で“タダの隊員”ってわけでもないですが…………三佐、この命令間違いってことは……」
戸惑いながらも一抹の希望を込めて問うが、
「いや、それを持ってきた特エスも、届け先を念入りに確認していた。電話の内容とも合致するしな。間違いなくお前に宛てた命令だ」
「……やっぱり」
藤原にあっさりと否定され、光秋はいよいよ目の前の現実を受け入れる。
「上はいったい何を考えてるんだ…………」
嘆息混じりの呟きが、その現実に対するせめてもの反抗だった。
翌日から、光秋は仕事の合間を縫って引っ越しの準備をすることになる。
仕事から帰ってくるやESOが手配した引っ越し業者の段ボール束がドアの横に置かれており、それを部屋に運び込んで3個程箱にするや、本や小物などのすぐに詰めてもいい物を入れていく。
―出発は17日――再来週の月曜日…………東京に行ったら行ったで主任研修か…………大丈夫かな……?―「まさか、こんなことになるなんてなぁ…………」
命令書に同封されていた日程と、秋田山中の基地で柏崎たちに初めて会った時のことを思い出しながら、唐突に決まった先のことへの不安を抱えつつ荷造りを進めていく。
1月7日金曜日午後0時10分。
午前中の勤務を終えた光秋は、法子と共に食堂で昼食を摂る。
塩ラーメンのさっぱりした味に舌を楽しませていると、向かい合って同じ物を食べている法子が声を掛けてくる。
「どう。引っ越しの準備は?明日休みだし、私なにか手伝おうか」
「大丈夫です。用意しなきゃいけないのは殆ど小物で、大きな家具なんかは当日業者の人が直接積んでくれるし……あと、一応男の部屋ですから……」―引っ掻き回した後を見られるのは、ねぇ……―
法子の申し出を丁重に断りながら、光秋は段ボール箱と詰めかけの荷物で散らかっている自室を思い出して少し恥ずかしくなる。
「そういう時は『お願いします』でしょー。気が利かないなー」
「気が利くって言いますか?」
口を尖らせて不満を顕わにする法子に、光秋は言葉の使い方に疑問を覚える。
「とにかく、手伝いはいいですよ。ひっちゃかめっちゃかの部屋なんて見せたくないし」
「そんなの別にいいでしょー…………行っちゃたら、しばらく会えないんだし」
「!」
不満と入れ替わる様に寂しそうな顔を浮かべる法子を見て、光秋はようやくその気持ちを察する。
「……そんな今生の別れみたいな顔しなくても……書類によれば、着任期間は入間主任がケガから回復されるまでで、それが済んだらまたこっちに戻ってこられるんですし」
「その入間主任が回復される時機がはっきりしないんでしょ」
「一応、主任への職務復帰可能まで、5カ月の見通しだそうですが……」
ますます表情を曇らせる法子――そしておそらく綾も――に居た堪れなくなった光秋は、湿っぽい雰囲気から逃れる様に音を立ててラーメンをすする。
と、
「すまんが、隣いいか?」
「……大河原主任。どうぞ。法子さんもいいですよね?」
「うん」
白衣姿にトレーを持った大河原に声を掛けられ、光秋は法子の了解を得て左隣の椅子を勧める。
「悪いな。どこも混んでて」
「昼時ですからね」
言いながら腰を下ろす大河原に、光秋は7割近く埋まっている食堂を俯瞰しながら返す。
トレーをテーブルに置くと、大河原はそこに載っている焼き鮭定食に箸を着ける。
「そういえば竹田二尉から聞いたんだが、加藤二曹、東京に転属になるそうだな」
「えぇ」
食べながらの大河原の問いに、光秋はラーメンをすすりながら答える。
「いつからだ?」
「京都を立つのは17日です。行ってから向こうで諸々の研修して、実際に着任するのは3月だって」
「1カ月半の研修か。大変そうだな」
大河原が思ったことを述べると、法子がさっき浮かんだ疑問を訊いてくる。
「ところで、主任今の話竹田二尉から聞いたって言いましたけど、なにかあったんですか?ゴレタンのこととか?」
「いや、昨日ちょっとな。パーティー襲撃事件で使われたNPとZCの人型メカについて知らないかと訊かれて」
「!」
大河原の返答を聞いて、光秋はそのことを今まで失念していた自分にハッとする。
―そういえば、それもあの事件での衝撃の1つだったな。物部さんや転属の件ですっかり忘れてた……それを言ったら、サン教のメカの方も大河原主任に言われるまで忘れてたんだよな。主に物部さんのことで……―
自分に若干呆れている間にも、大河原は話を続ける。
「NPの方については、回収した残骸を調べたところ、外装はかなり変更されているが中身はほぼゴーレムだった。逮捕したメンバーの証言と葵社への調査から、他社が技術盗用して制作した線が濃厚と推測されている」
「……それって、この間のサン教の時と一緒じゃ?」
「だな。あるいはあのアポロンとかいう機体が、今回のNPのメガボディ――メンバー曰く『フラガラッハ』のテストの様なものだったのかもしれん」
光秋の感想に応じると、大河原はみそ汁で口を湿らせてさらに続ける。
「ZCの方については、実機が確保できなかったから映像と証言からの推測になるのだがな……ゴーレムやフラガラッハと比べると軽い造りになっていると考えられる。超能力、特に念力を併用して使用することを前提にして、操縦者の超能力的負担を軽減するためにわざと軽くしてあるのだろうな。現場では大した推力もなく浮かんでいたのがその証拠だ……もっとも、外から得られた情報からの推測だからな。実機が手に入ればまた何か解るかもしれんが……」
「なるほど……ん?でも、超能力なんて使える人が、あんな大きな機械に乗る意味って……」
一連の説明を聞いて、光秋の中に疑問が生じる。
「そうでもないぞ。俺は話に聞いただけなんだが、三戦危機の時は超能力を攻撃の補助に使うケースも多々あったそうだ。念力で飛んで上から小銃をばら撒いたり、壁の展開に専念して即席のバリケードになったりといった具合にな。超能力はそれこそ十人十色だから、中には藤原三佐の様に直接攻撃するより、そういった補助的な使い方の方が向いている奴もいるんだろう。あのメカ――声明にあった『ヘラクレス』もその延長として捉えられているのだろうな。あくまで俺の推測だが」
「そんな発想もあるんですね?」―……いや、でも、考えられることか。超能力者は能力しか使っちゃいけないなんてルールはないんだし、普通の武器と合わせて使えば戦術の幅も広がるってことか?―
大河原の説明に盲点を突かれた様な気持ちを抱き、光秋は自分なりに少し考えてみる。
「そういえば、この間のパーティー襲撃事件の時、中継車にZCのメンバーが乗り込んできたって」
「あぁ」
法子に言われて、光秋はその日のニュースや後日の報告で聞いたことを思い出す。
目撃者の証言によると、パーティー取材のために迎賓館近くに停まっていた数台の中継車の周囲に大勢の人がテレポートで現れ、車内に乗り込んでくるや作業の続行を命じたらしい。この時ZCの何人かは念力で周囲の小物を壊して威嚇し、別の何人かは手に持った拳銃を突き付けてきたので、いずれも身の危険を感じた報道スタッフたちは言う通りにしたそうだ。
「考えてみれば、これも今主任が言ったようなパターンかもしれませんね。テレポートで戦闘員を現地に送って、直接攻撃できるサイコキノはそのまま念力で、そうでない能力者は武器でってことで」
「そういうことだろうな。ただ、NPのフラガラッハも侮れんぞ。確かに10メートルの巨人など、その気になれば触れずに人を殺せるような連中の前ではいい的だろう。だが、Eジャマーと併用することで歩く凶器に代わる。無論戦い方にもよるのだろうが……いずれにしろ、ゴーレムの正式化を急がんとな。この間言ったように、俺は俺のやり方でやるまでだからな」
「主任……」
最後の方は光秋に向かって歯を見せると、大河原はほぐした鮭を口に運ぶ。
「今のなんの話?」
「ん?……この間ちょっと」
法子の問いに手短に応じると、光秋はどんぶりを持ってスープを飲む。
食後の片づけ等を済ませると、光秋と法子は並んで待機室へ向かう。
「……にしても、竹田二尉が自分から事件の事後調査に興味持つなんてね」
「事件というより、新しく出たロボットに興味持ったんだと思いますよ。二尉あぁいうの好きだし」
「言えてるかも」
そんなやり取りを交わしながら歩いていると、不意に法子が足を止める。
「……やっぱり、明日行っちゃダメかな?」
「……」
再び、そして先程よりも真剣な様子でかけられた問いに、光秋は返事に困ってしまう。
―……確かに、いつ京都に戻ってこられるか判らない以上、時間は共有しておいた方がいいかもしれない。ただ……あの散らかりっぷりを見られるのは…………えぇい!土下座までしておいて今更恥も何もないか!―
羞恥心と欲求との葛藤の末に決断を下すと、光秋は法子の顔を見据える。
「わかりました。土曜日にでもお願いします。その代わり、部屋見ても驚かないでくださいよ」
「わかってるよ……ありがと!」
小さく礼を告げるや、法子は心なしか軽い足取りで移動を再開し、光秋も未だに若干の不安を浮かべながらそれに続く。
1月8日土曜日午前9時。
無造作に置かれていた段ボール箱を部屋の端に退け、引っ越し間際という慌ただしいことこの上ない中で最低限の片付けを終えた直後、光秋は玄関の呼び鈴の音を聞く。
「来たな」
相手を察しつつ白いワイシャツに黒いジーンズの身嗜みをさっと確認し、覗き窓越し外を確認すると、鍵を解いてドアを開ける。
「どうぞ」
「おじゃまします」
言いながら青いコートを羽織った法子を招き入れて鍵を掛け直すと、後を追って居間へ向かう。
「一応エアコン点けてますけど、コタツ出しましょうか?」
「いいよ。手伝いに来たんだから気なんか遣わなくて。それより、私はなにをしたらいい?」
室温を気にする光秋に応じつつ、法子はコートを脱いで部屋の隅に退けてある椅子の背もたれに掛ける。薄黄色のセーターに青いズボンという服装が露わになり、髪は誕生日に送った赤フリルのシュシュで束ねている。
「なにをといってもなぁ…………」
腕を組んで室内を見回すものの、これといってやって欲しいことがない光秋は返事に困ってしまう。
―本や小物は粗方片付いたし、それ以外は当日直接運んでもらえるから手を付ける必要はない。あとは…………―「あっ」
悩みながら顔を廻らせていると、不意に台所に備え付けられている棚が目に入る。
「そうだ。食器がまだだったな……あと1週間くらいなら、自炊ももうしないだろうし……じゃあ、これ詰めるの手伝ってください」
「わかった」
応じると、法子は玄関脇に置いてある古新聞一束を持ってくる。
「そんなのどうするんです?」
「どうするって、これで食器包むんだよ。割れたりしないように」
「あ、そっか」
やや恍けながらも理解すると、光秋は棚から下ろした食器をコタツの上に並べ、1つ1つを法子と共に新聞紙に包んでいく。
全て包むと小さめの段ボール箱に隙間ができないように詰め込み、フライパンや包丁などの調理器具も一緒に入れてしまう。
台所周りの物を全て入れ切ると、その段ボール箱は一杯になる。
「『食器類』、壊れ物っと……」
言いながら光秋はフタにマジックで記入し、手を離すのと入れ違いに法子がガムテープを張って封をする。
「とりあえずこれで1つですね……」
言いながら光秋が携帯電話の時計を見ると、ちょうど10時になる。
と、左隣で中腰になっていた法子が顔を俯けて綾と代わる。
「あたしにもすることない?重い物でもなんでも運べるよ」
「いや、だからそういうのはいいって。それに人の多い場所で勝手に超能力を使うと、あとあと面倒だし」
「…………そっか。じゃあ仕方ないね……」
光秋の返答に、綾は言葉とは裏腹に不満そうな表情を浮かべる。やる気満々で手伝いに来た子供が、追い返されて不貞腐れている様だ。
それを見かねて――というよりも、一緒にいる理由を荷造りに拘ることもないと判断した光秋は、不意に思い付いたことを言う。
「……とりあえず切りのいいところまで終わったし、せっかく来てもらったんだしな……どっか行きたいとこあるか?」
「?……出かけるの?」
「せっかくだしな。ちょっと寒いけど、散らかった部屋よりはいいだろうし」
突然の提案に意表を突かれる綾に、光秋は部屋を見回しながら応じる。
一応片付けたことになっているものの、段ボール箱が積み重なり、机やベッドなどの大きな家具もあるために実際よりずっと狭く感じる六畳間にい続けるよりも、外に出た方がまだ気楽に感じるのも確かだ。
「どうせなら綾と法子さんが行きたい所に行こう。何処がいい?」
「……ちょっと待って。法子と相談する」
光秋に応じると、綾は顔を俯ける。
ややあって顔を上げると、立ち上がってイスに掛けたコートを羽織る。
「行くのはいいけど、この格好じゃあれだから着替えてくる。一度寮に戻るね」
「じゃあ僕も行こう。部屋の前で待ってる」
応じながら光秋も茶色いコートを羽織り、エアコンを切って鍵や財布などの必要な物をコートのポケットに入れていく。
戸締り諸々を確認すると、先に外に出た綾を追って灰色の厚手の靴を履き、ドアに鍵を掛けて速足で右隣に着く。
―……手伝いに来てくれって言っておいて外出するなんて、流石に行き当たりばったりだったかな?……まいっか。大事なのは少ない時間を一緒に過ごすことなんだし―
浮かびかけた後悔を今回の趣旨を思い出すことで隅に退けると、光秋は綾と並んで路地を進んでいく。